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北の塔には……

ビバルとイライアの出会いの話です。

本編が始まるより一年前くらいの話。

——北の塔には王家を憎んでいる犯罪者がいるから絶対に入ってはいけないよ。


 イライアとフローラは、マルティネスからずっとそう聞かされていた。



****


「お兄様……」


 ベッドの上で苦しんでいる兄に声をかけた。兄の返事はない。いや、体調が悪すぎて返事どころではないのだろう。


 兄の従者のミゲルは薬師を呼んでくれている。侍女が出払っているのはサボっているのだろうか。


 これで今年に入って三度目だ。いくら何でも倒れる回数が多すぎる。


 確か、病気で苦しんでいる時は胸元のボタンを外して呼吸を楽にしてあげるといい、と前に何かで読んだ気がする。悪くはならないだろうと信じて兄のシャツのボタンに手をかける。


 そこでイライアはとんでもない物を見てしまった。


 兄の首筋に怪しげな魔法陣が浮かんでいたのだ。これは『魔法』だろう。イライアもあまり教えてもらえないもの。


 ただ、少しなら兄から教えてもらっている。それと、本で読んだ知識を元に、軽い応用なら独学で研究している。それでもこれが何かは分からない。ただ、これが浮かび上がるたびに兄が苦しそうにうなるのでどんな効能があるのかは分かってしまった。これは呪い系のものなのだ。


 じっくりと魔法陣を観察する。どうやらいくつかの魔法を組み合わせているらしい。イライアが気づいている限りで三種類の魔法を組み合わせている。


 しっかりと観察して覚える。城の図書室には『魔法』で使う魔法陣の本もいくつかあったはずだ。どうやら昔の王族がまとめて公開したらしい。それで調べればこれが何の魔法なのか分かるだろう。


 とりあえず症状はやわらげなくてはいけない。今までは治療魔術で、ある程度症状が緩和されたので、今回もそうだろう。


 額が熱いので解熱の魔術を使う。これで少しは気分がやわらぐはずだ。

 その予想通り、呼吸が緩やかになり、兄の目が開く。ひとまずはほっとする。


「イライアか?」

「はい、お兄様」

「ミゲルは?」

「薬師を呼んでいます。先ほど軽い解熱魔術をかけておきました。ある程度はもつと思いますわ」

「そうか」


 そう言って皮肉げに笑う。何か兄の気に触る事でもしただろうかと心配になる。


「……お兄様?」

「数ヶ月前に『セドレイ様が病弱なんて情けない』と馬鹿にして来た奴と同一人物の言動か、と思ってな」


 嫌みを投下された。無理もないだろう。兄の言う通りなのだから。


 ミゲルが薬師を連れてくると、イライアは適当な理由を付けて退室した。


 廊下を早足で歩く。はやく部屋に戻りたかった。人払いして一人でいろいろ考えたい。


 だが、部屋に着く前にイライアは嫌な男を見てしまった。側近と一緒にいる。イライアはそっと脇によけた。無視してくれればいいのにと願う。だが、そんな願いもむなしく、マルティネスはイライアの前で足を止めた。


「セドレイのところにいたのか?」

「はい」

「容態はどうだ?」


 そう言われた事で、イライアは、この事をマルティネスが知っている事を知った。もっとも、あの陣を見た時から犯人は分かっていたが。ただ、確信しただけだ。

 それでもこれは大きな事だった。


「今、薬師を呼んだところです。詳しくは薬師に聞いてください」


 イライアは動揺を隠しながら完結に説明した。それでも隠しきれていなかったようで、マルティネスが馬鹿にするように鼻を鳴らす。

 そのまま、マルティネスは側近と共に歩いていった。


 許せない。その思いがイライアの心を支配する。マルティネスには生意気で憎らしい子供でも、イライアにとってはずっと自分を育ててくれた優しい兄なのだ。


 心の中に何かどす黒いものが沸いてくる気がする。これが『闇属性』特有の症状だという事は知っていた。怒りを強く持つと、それに引っ張られるのだ。いつもはすぐに兄が癒してくれる。だが、呪いで痛めつけられたばかりの彼にそんな事は頼めない。


 殺せばいいとどこかで自分の心がささやく。憎らしいマルティネス王など殺してしまえば、大好きな兄の治世に入るのだ、と。


 それはとても甘美な誘惑に思えた。


 それでも自分が直接動けばすぐに反撃されるだろう。何せ、あの強い兄を呪ってしまう男なのだ。


——北の塔には王家を憎んでいる犯罪者がいるから絶対に入ってはいけないよ。


 ふと、昔、父に繰り返し言われた言葉が蘇ってくる。王家に仇を為す人間はきっと王女である自分にも悪意を持っているだろう。だからこそ、フローラはもちろん、イライアも塔に近づく事はしなかった。


 それでもその男を塔に閉じ込めたのは父だ。彼が一番憎んでいるのは父だろう。

 だとしたらそれを利用してしまえばいいのだ。


 父に反逆するくらいなのだから屈強な髭面の男に違いない。優しくしてこっそりと塔から出す手筈を整えてやればイライアの代わりに父を倒してくれるかもしれない。そうして使えるのなら兄に頼んでイライアの護衛にでも据えてやろう。使えなければ切り捨てるまでだ。


 そうと決まれば行動ははやかった。イライアはさっさと必要な魔術の準備を整え、そっと城から抜け出した。


 塔には予想通り見張りがいた。だが、魔術で操ってやればさっさと通してくれる。警備は随分とずさんだとイライアはほくそ笑んだ。


 それにしても塔の階段は長い。多少体力に自信のあるイライアでも息が切れてくる。


「一体……何段……ある、のよ……」


 思わずひとりごちる。それこそが塔の管理人が仕掛けた『諦めさせるための罠』だったのだが、イライアは気がつかなかった。


 何段も上ってやっと扉のあるところまでたどり着く。ゆっくりと息を整えてから——疲れ果てている王女など威厳がないだろう——扉を開けた。


 そしてそこにいた人物に首をかしげる。


 そこにいたのは屈強な髭面の男などではなく、がりがりにやせ細った、イライアと同い年くらいの赤っぽい髪色の少年だった。この少年はその犯罪者の仲間か部下だろうか。


「わたくし、あなたのご主人に話がありますの。取り次いでいただける?」


 馬鹿にされないように威張って言う。少年がぽかんとしているのがイライアの気に触った。顔はいいのにこの情けないオーラ全開なのはどうなのだろう。


「こ、ここには私しかいませんが……」


 そして白々しく嘘をつく。イライアは眉をひそめた。


「そんなはずはないわ。大体あなたは誰なの? どうしてここにいるの?」


 イライアのその質問に、少年は気分を害したのかむっとする


「名前を聞くのならそちらからまず名乗るのが礼儀ではないのですか? それともアイハ王国にはそういう習慣がないのですか?」


 静かに諭される。腹が立つが正論だ。


「わたくしはアイハ王国第一王女、イライア・デ・アイハですわ」


 素直に名乗ると少年は驚いた顔をした。まさかここに王女が入ってくるとは思っていなかったのだろう。だが、すぐに居住まいを正す。


「初めまして、イライア王女殿下。私はレトゥアナ王国第二王子、ビバル・レトゥアです」

「え!?」


 今度はイライアが驚く番だった。


「何故隣国の王族がここにいるんですの?」

「この国の王に人質として攫われたからです」


 予想もしていなかった答えにイライアは戸惑うより他はなかった。


「それはいつの話?」

「私が七歳の時です。今が十六歳なので九年前ですね」


 ビバルは感情を隠すように淡々と答えている。七歳の子供ではアイハ王国に侵入してマルティネスに襲いかかるなど無理だろう。庶民の暗殺者として教育された者なら可能かもしれないが、彼は王族だ。そんな教育は受けていないだろう。


 つまり、父が言った犯罪者の話は嘘だったのだ。自分が誘拐して来た他国の王族の真実を隠すため。きっと、イライアやフローラが知ったら同情して助けようとすると思ったのだろう。


 この少年が嘘を言っている可能性もあった。だが、マルティネスとこの少年、どちらを信じられるかと言ったら後者だ。そう考えて、初対面の少年より信用が置けない王というのはどうなのだろう、とため息をつきたくなる。


「ごめんなさい、ビバル殿下。失礼な事をたくさん言ってしまったわ」

「いいえ、構いませんよ」


 にこりともしないで言う。愛想がないな、と思ったが、捕われてる状態で笑えるわけがないと思い直す。


 それにしてもこの少年は痩せすぎている。食事をあまり与えてもらえていないのだろうか。


 多分彼が逃げ出さないために管理も置いているだろう。その者が虐待でもしているのだろうか。その管理人は閉じ込められているのが王族だと知っているのだろうか。


 間違いなく塔の管理人よりイライアの方が身分が上だろう。だったら探し出して叱責するべきだろうか。一部の人には『わがままな王女』のイメージがまだついているから、『イライアが気に入った者』の虐待について文句を言っても問題はないだろう。もし、それで駄目なら兄に言いつけるしかない。兄なら何とかしてくれるはずだ。


 当面は食事の問題だ。こっそり厨房にでも行ってお料理でも作って持ってこようか、と考える。魔術で侍女姿に化ければ問題はない。


「あの、イライア殿下」


 不意にビバルが話しかけてくる。その緊張した感じの話し方に心が痛んだ。


「『イライア』でいいわ。わたくしも『ビバル様』って呼んでもいいかしら?」


 そう言うと、ビバルは面食らった顔になる。自分は何か変な事を言っただろうかと不安になる。


「はい、かまいませんよ。ただ、私は『人質』という立場もありますから、このまま『イライア殿下』と呼ばせていただきます」

「わかったわ」


 そんなに簡単には打ち解けられないようだ。当たり前だ。イライアがビバルの立場でも同じだろう。


 だったら時々来て話し相手になってあげればいいのではないだろうか。王女相手ではきっと管理人も文句は言えないだろう。


「それで何かしら、ビバル様」

「もうすぐ管理人が来る時間なんです。そろそろ出た方がいいと思いますよ」


 明らかに使い古しの懐中時計を見ながら言う。管理人のお古だろうか。どこかで見たものだが、イライアには思い出せなかった。


 それにしても出て行けとはどういう事だろう。管理人が来るならきちんと対峙しなくてはいけない。そう言うと、ビバルはため息をついた。


「会ったら叱られてしまいますよ」

「どうしてわたくしが叱られなくてはいけないの?」

「だって……。いえ、何でもありません」


 ビバルは何かを言いかけてやめる。


「大体、管理人に会ってどうするつもりですか!」


 ビバルの境遇について文句を言うのだ、というのは今は言えない。それを直接言うのはビバルに失礼だろう。


「本当に今日は帰った方がいいですよ、イライア殿下」


 そう言われてはどうしようもない。イライアは引き下がった。


「また来るから」


 だが、それを言うのは忘れなかった。


「帰り、気をつけてくださいね」

「ありがとう」


 幽閉されているのに人に気を使ってくれる。そんなやさしい王子にイライアはそっと笑顔を向けた。



****


「どこに行っていた?」


 部屋に戻って来たイライアを出迎えたのは厳しい顔の兄だった。体調はだいぶ良くなっているようだ。


「えっと……」

「今は勉強時間ではなかったのか? 教師が探してたぞ」


 その言葉にふて腐れたい気分になる。どうせ同じ事しか教えてくれないのだ。それも簡単な事ばかり。


「先生には後で謝っておきますわ」


 それだけ言う。兄は冷たい調子で鼻を鳴らした。


「今日は勉強していないんだろう。僕が教える日ではないけど、今日は僕が担当する」

「え!」


 思いがけない幸運にイライアは目を見開いてしまった。兄は、父がつけた教師とは違って新しい事を教えてくれる。だからイライアは兄の授業が好きだ。


「ただ、ちょっとこれから少し用事があるから、僕が戻るまでこの問題集の二ページ分を解いておきなさい。先週の復習分だから出来るだろう」


 算術の問題集を手渡しながらそう言ってくる。用事というのが気になるが、教えてくれないだろう。


 兄が従者のミゲルを伴って部屋を出て行くと、側にモニカがつく。モニカは兄の息がかかった女官だ。簡単に抜け出せないようにされたのだろう。


 問題を解いているのに、あの赤っぽい髪の美しい王子の顔が頭にちらつく。ここまで人を気にした事はなかった。一体どうしてしまったのだろう。


 しばらくすればまた塔に登れるからその時に答えが分かるだろうと思い直す。


 とにかく、兄が戻ってくるまでにこの問題を解いておかなければいけない。イライアは気を取り直して問題集に向き直った。



 だが、抜け出した事が知れたせいで、兄の監視が厳しくなり、次に行くのが四ヶ月後になる事をイライアはまだ知らなかったのだった。

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