姿見と影
一階に降りた僕達は、玄関のドアの横に張り付き、佐藤の帰りを待っている。ミリナだけはドアの横で無く、外の門が見える、窓のサッシ部分に待機してもらってた。佐藤が見えたら合図をする係りだ。
こういう時、あの小さい体が役に立つ。佐藤も門の位置からでは、ミリナを視認するのは困難だろう。
佐藤が大ムカデ狩りに向かってから、まだ1時間も経っていないし、同居人が戻ってこない限りは、暫く待ち時間が続く事になりそうだ。
配置に着いてからというもの、誰も口を開いていない。決して緊張しているというわけではないのだが、それぞれ思う所があるのだろう。かく言う僕も、ここ最近の事を考えていた。
次に何をすべきかは悩むまでも無いのだけれど、この状況に陥った理由に、分からない事が多すぎる。
スパイの佐藤が、僕の登場によって、正体を知られる可能性がでたため、僕をスパイに仕立て上げようとした、までは分かる。しかし、佐藤がどこから送り込まれたスパイなのかが分からない。里緒菜も知らないと言っていた。
そして、佐藤達がアネルの姉妹をさらった理由は何なのか? これも全くわからない。里緒菜がアネルに直接聞いたらしいが、身代金の要求や、政治的な要求は一切ないって話だ。
うーん、冷静に考えると僕って、ただ巻き込まれただけだな。まあ、キミコなんてもっと酷いけどな。
巻き込まれた僕に、巻き込まれている。僕が青信号で横断して、信号無視の車にはねられた被害者だとしたら、キミコは、はねられた僕にぶつかって怪我をした、歩道にいた人って感じだ。
ふと窓の方を見ると、ミリナが伏せて窓の外を監視している姿が目に入った。さっきまで座ってたんだけど、体勢を変更したみたいだ。そこまでしなくても、見つからないと思うんだけど。
ミリナの居る窓と、玄関のドアの間の壁には、鏡が一枚取り付けられている。恐らく、外出する前に身だしなみチェックにでも使うのだろう。
思えば、僕はこの世界に来てから、一度も鏡を見ていない。もとより鏡を見る習慣なんてないので、滅多に自分の顔を拝む事なんてないんだけれど、世界を渡った後だけに、少し見てみたくなった。そこに映るのは、地球に居た時と同じ僕の姿だろうか?
鏡の前まで歩き、覗き込むと、そこには……。うん、僕だ。何も変わっちゃいない。鏡の中には、少し離れた所に立っているキミコの姿も映っている。キミコの表情も真剣そのも……えっ?
僕は鏡に映るキミコを見ていた。その鏡の隅で何かが……動いた気がした。いや間違いなく動いた! 鏡の中のキミコの耳がピクッと動く。
僕は手招きでキミコと里緒菜を、ミリナの居る窓のそばまで呼び寄せた。
「家の中に何か居るぞ。ハッキリとは見えなかったけど、鏡の中で、何か動くのを見た」
ギリギリ聞こえる大きさの声で伝えると、里緒菜の表情が驚きに歪む。
「本当なの? 部屋は全部見たはずだよ。入り口だって玄関のドアしかなった。考えられるとしたら、あたし達が壊した窓くらいのものだよ。――その窓だって、ここから見える」
里緒菜は、僕達の侵入した窓を指さし言った。
僕の話を聞いた時、里緒菜は驚いていたが、キミコは驚かなかった。そのキミコが言う。
「キミコも、何かいると思うんですよぉ。さっき後ろで音がしましたぁ。カチャって、聞こえたんですよぉ」
『カチャ』か。……鏡を覗いた位置にもう一度移動して、同じ角度で鏡を覗き込んでみる。さっき何かが動いたような気がした辺り、そこには空き部屋のドアが映っていた。
たしか廊下側に開くドアだったはず。誰かが内側からドアを少し開けて、こちらを覗いたのか? カチャッという音は、ドアが閉まった時の金具の音の可能性が高い。
「多分、あの部屋の中に何か居る」
僕は、ドアを指さして皆に伝えた。
「ねえ、驚かそうとしてるんじゃないよね? もし、そうだったら怒るよ」
里緒菜が僕のシャツの裾を握りながら言った。さすがの僕でも、こんな時に悪ふざけをしたりはしない。
「全員で行ったほうが良いと思う。揃ってさえいれば、佐藤が帰ってきても恐らく負ける事はないと思うんだ。分散して各個撃破なんてされたら目も当てられないから」
時間的にも、まだゆとりは、あるはずだ。窓辺にいるミリナを持ち上げて胸ポケットに入れた。キミコと里緒菜も覚悟は決まったようだ。
「よし、行こう」僕を先頭に、キミコ、里緒菜の順で、ドアに向かって進む。
里緒菜とキミコは、武器を手に持ち、すでに臨戦態勢に入っている。ドアにそっと耳を当ててみたが、物音一つ聞こえてこない。
ドアノブに手をかけ、一気に開け放なち、飛び込んだ。