吹き流しとお姉様
王都の壁から飛び降りた僕達3人は、追っ手から身を隠すために、進行方向の右手にある森の何に入り込み、枝葉をかき分けながら進み続けた。
来る時よりも身体能力が上がってはいるが、やはり道がない森の中を進むのは、キツイ。来るときの方が楽だったまである。
それは、熟練のガーディアンである里緒菜と、熟練の野生児であるキミコも同じだったようだ。
森の中を4日間進んだ所で、森を出る事を決意した。
障害物が無い道を歩けるって、なんて幸せなのだろう。こうやって、幸福ラインは、どんどん下がっていくんだな。
そこから、丸一日モセウシに向かって歩き続けたけれど、追っ手や検問には、まだ遭遇していない。
僕が、モセウシから王都へ馬車の旅をしている時に、やたらと止められて馬車の中を確認されたのは、アネルの妹達が攫われた事が判明して、捜索をしていたからだと、本部で教えてもらった。
今回の旅でも、姉妹を探す兵士と何度も出くわすだろうと、予想していたのだけれど、それは杞憂に終わりそうだ。日にちが経過して、全力での捜索が難しくなり、捜索隊の規模を縮小したのかもしれない。
あの姉妹の事を思い出すと、胸が痛む。彼女たちが攫われたのは、僕が原因の一端になったと思っている。いや、確信している。僕が蓮井さんに姉妹の事を話した、翌日か、その次の日かに、攫われているらしい。
多分、誰かにこの話をすれば、知らなかったんだから仕方がない、と言ってくれると思う。でも、自分で納得できないんだ。他の人が許しの言葉をくれても、自分が自分を許せない。
里緒菜は言っていた。今回、僕を陥れようとした犯人と、蓮井さん達は繋がっている可能性が高いと。だからこそ、こんな所で捕まるわけにはいかない。
そう、マジックスコープに映し出された、田辺に捕まるわけにはいかないんだ。
「里緒菜、田辺がこっち向かってる。全力で走っている感じから、こっちに気付いていると思う。どうする?」
「たっくんか、どうするかな……話してみて、言う事聞かなかったら」
「全力で叩くんですねぇ!」「キミコ、話が通じなかったら、だからな?」
田辺が戦闘するところは見た事が無いけれど、スコープで確認する限り、使うのは大剣のようだ。問答無用で遠距離攻撃を、叩きこまれる可能性は低いだろう。魔法が有るから油断はできないが。
僕達3人は、今のところ武器を構えていない。道の中央で静止したまま、田辺が追い付くのを待っている。こちらから戦闘をしかける意志が無い事を、伝えるためだ。
徐々に田辺が近付いてくる。走るの早いな! 走る風で、ロン毛が吹き流しのように、後方へ流れている。
僕達の前まで辿り着いた田辺は、息一つ切らしていない。どうにも冴えない雰囲気の人だと思っていたけど、やはりガーディアンか、油断できる相手じゃないな。まだ、田辺も剣に手をかけていない。
最初に口を開いたのは田辺だった。
「里緒菜、なぜ二人を連れて逃げた」
「それは、しょう君達が大川の仲間じゃないからよ」
田辺の表情は動かない。今日に限らず、無表情しか見た事ないんだけれど。この人の表情筋は機能しているんだろうか?
「なぜ、仲間じゃないと分かる」
「犯人の目星は付いてるもん。佐藤 大地だね」
その話は、すでに里緒菜から聞いている。モセウシの担当ガーディアン、僕がモセウシに滞在する原因になった、あの男だ。
そういえば、『困った事があったら訪ねて来い』と言っていやがったな、あの野郎! おまえが困らせてんじゃねえか! お望み通り、行ってやるから覚悟しとけ!
「たっくんさあ、アーちゃんが大川と蓮井が偽者だと判断した、根拠について話したの覚えてるかな?」
「俺が、アネリンの言葉を忘れるわけがない。日記にも残している」
あ……アネリンだと!? 庶民派アイドル神のファンなのか!? 今それどころじゃないんだから、変な所で動揺させるな!
「なら話が早いね、ガーディアンを送り込むのに必要な時間は、1人当たり最低でも20分。これは、こちらの時間に直すと約14年間。14年以内に二人以上のガーディアンが現れたら、どっちかは偽者って話だったよね。もう分かるでしょ?」
「佐藤と笹塚の間が14年未満なのか」
「そう、佐藤が登録した日から数えて、今は6年目。佐藤の前に来た……来る予定だった人が20年前だったから、今までは佐藤が偽者と判断する根拠がなかったの。でも、しょう君が来たことで、根拠が生まれた」
「偽者の可能性があるのは、佐藤と笹塚二人だ。なぜ佐藤だと思う」
「佐藤には証拠が無いよ。……でもね、アーちゃんが捕まえた蓮井を佐藤が逃がす。――その後、姉妹を連れて逃亡中の大川に、佐藤が連絡する。――自分は再生不能なレベルまで魔力を消費した後に、体を傷つけて、戦闘を偽装した。――蓮井を逃がした佐藤は、蓮井が偽者と見破られた理由を聞かされて、身の危険を感じ、しょう君を偽者に仕立て上げ、自分に疑いが掛かるのを避けようとした。――どう? ピタッとピースがはまると思わない」
この話を聞いた時、人は、瀕死に見える程、自分を傷つけたりできるものかと里緒菜に尋ねてみた。
それを否定してしまえば、僕が不利になるだけだから、尋ねない方が良い話だったのかもしれないけれど、どうしても気になった。
答えは、不死の体になって、戦闘を続けるうちに、痛みに慣れていくということだ。完全に克服するのは難しいけれど、大抵の事なら耐えられるらしい。
それはどれ程の痛みを、どの程度の回数味わう事で得られる耐性なのだろう?
「それは憶測だ。そうだとしても、二人を連れ出す必要は無かった」
「一人で来ても良かったけど、その間、誰がこの二人を守るのよ? スパイが紛れ込んでる可能性が高い、ルモイ王国で」
僕達が連れ出された理由なんて、考えてもいなかったけど、身を案じてくれていたのか。ありがたい、この恩は必ず返そう。
「……これから、どうする気だ」
相変わらず無表情な田辺だけれど、空気が緩んだのを感じた。
「モセウシに行く。そして証拠を掴んでくるね。もちろん、アーちゃんの妹達の行方も絶対に掴んで見せる。ねえ? チャンスだよ、たっくん! こんなチャンスは2度と訪れないかもしれないよ?」
「……俺は、行く」
田辺が凄いスピードで、モセウシの方向へ走っていくんだが……。
「里緒菜、ありがとう、助かったよ。でも、何か引っ掛かるんだけど、チャンスってなんだ?」
「アーちゃんのハートを掴むチャンスだよ。私の予想だと、宝くじで一等が当たって、そのお金で旅行に行ったら飛行機が墜落して、なんとか生き残ったけれど、逃げている最中に雷に打たれる、くらいの確率でアーちゃんをゲットできると思うよ!」
「それ0じゃねえか! 一段階目すら突破できねえよ!」
「0じゃないよ! しょう君は、酷い事言うなあ。たっくんに謝りなさい!」
「お前が謝れ!」四捨五入無しで、0以外の数字を見ようとしたら、一体何桁の計算機が必要だと思ってるんだ。
「あのぉ? 田中くんは、どこに走っていったんですかぁ?」
あまりの暴言に、冷静な判断力を失っていたけれど、キミコの言う通りだ。田中は、どこいったの!?
「キーちゃん、田辺ね? 覚えてあげて、可哀想だから。――質問の答えだけど、わかんないや。少なくとも邪魔されない事だけは、間違いないから、たっくんの事は、気にしないでおこう」
「はい! じゃあ、田……田辺? くんは、気にしない事にしますぅ!」
そうだ、とりあえず言葉だけでも感謝を伝えておかないと。
「それは、そうと、里緒菜。ありがとうな。僕達の身を案じて、連れ出してくれていたんだな」
「ふっふっふー! そだよ、しょう君、キーちゃん! 今日から、私の事を里緒菜お姉様と呼んで、崇め奉りなさい!」
なるほど、里緒菜お姉様か。うん、悪くないな。