ハンカチと小さな足跡
「聞きたい事は、まだあるけど、ここまでだ。シアル! 蓮井に、魔封の枷を付けて。この街の担当ガーディアンに引き渡して投獄させる。もし、抵抗したら、もっとも簡単で、時間もかからない方法で、黙ってもらうよ」
魔封の枷は、手錠のようなもので、手首で魔力を遮ってしまう。魔力放出は、指先から行うから、これを付けられると、魔法と魔導兵器(カートリッジ式を除く)の使用ができなくなる。
パッシブマジックには効果が無いとか、手首を引きちぎって外される恐れがあるとか、難点もあるけれど、牢獄を管理する職員は専門家だし、任せておいても問題は無いだろう。
蓮井を、車内に押し込み役場を目指す。時間と共に人通りが減って来たとはいえ、まだまだ、スピードを出せるほど道は空いていない。
早くしないと、どんどん馬車が遠ざかってしまう。もう、体裁など気にしてはいられない。クラクションを多用しながら、人の壁を押し開き、進み続けた。
役場についた私達は、車内で終始無言を貫いていた蓮井を、担ぐように引っ張り出し、丁度居合わせた、担当ガーディアンに最低限の説明を済ませた後、引き渡たす。
そのまま、第三召喚場に向かう際に通るだろうと思われる北門へ車を向けた。
北門の門番の話だと、馬車で大川が、2時間程前に、門を通って街の外へ出たらしい。最初の門番に聞いていた、馬車の特徴とも一致する。
この星の住民とガーディアンの見た目に大きな差異は無い。元が同じ人種だから当然の事なんだけど。それは、パッと見じゃ、ガーディアンだと気付けないって事でもある。大川と蓮井は、以前からこの街に出入りしていて、顔を覚えられたって事なんだと思う。
それも気にかかる情報ではあるけれど、今は追跡が先だ。
モセウシから、第三召喚場まで向かう道は、暫くの間、西が深い森林地帯、東が山岳地帯で、その間を進む一本道が続く。馬車で2時間程度では、抜けられる距離じゃない。これなら追い付けるはずだ。
車の運転をシアルに任せ、追い付いた後に、どう馬車を止めるか考えていた。急に車が近付けば、馬が暴れる可能性がある、事故を起こされて、乗っている二人に被害が及んでは事だ。
不死の秘術を使っているか確定していないし、使っていたって、再生の余力が残っているか分からない。
でも、そんな心配は全く意味の無い事だった。止まっていたのだ。止めるまでも無く、道に放置されたように馬車が止まっていた。いや、放置されたようではない、実際に放置されていたのだ。
暗闇の中に、ハイビームを浴びて、ぽっかりと浮かびあがった馬車に向かって、車を飛び降りた私は、必死に駆け寄った。大川が立ち塞がる事もなく、あっさりと馬車に辿り着けてしまう。
明かり一つ無い馬車の中を、魔導ライト片手に確認した結果、見つかったのは、サミナが気に入っていた、クマの柄が入ったハンカチが一枚、それだけだった。ここに居た事は、間違いない。
その、ハンカチを握った瞬間、私の中で、何かが壊れるのを感じた。視界が滲む。呼吸が、呼吸が苦しい……。手が震えて止まらない。
「こ、ここに居たんだ、確かに居たんだ。あれから1200年、やっと再開できると思っていたのに……この日を、どれだけ、どれだけ待ち望んでいたか。なのに……なのに」
こんな事してる場合じゃないのに……ダメだ涙が止まらない……。
もう少し早くモセウシに着いていればっ!もう少しだったのにっ!!
私は、本当に無力だ……。
「アネル様……お姉ちゃん、泣いてちゃダメだよ。まだ何も終わってないんだよ?ほら、立って。探そう一緒に、まだ近くにいるかもしれない」
座り込んでしまった、私の手をシアルが引いて立ち上がらせてくれる。
「わかってる! わかってるよぉ! でも、でも……あんまりだよ、こんなの酷いよぉ!」
気付けば私はシアルに縋り付いていた。身体強化された私の握力で、力一杯、握りしめられた肩は、きっと強い痛みを覚えただろう。それでも何も言わず私が、泣き止むまで、背中を優しく抱いてくれた。
「落ち着いた?」
「ありがとう……シアル。も、もう大丈夫だから、探しに行こう」
そうだ、ここで立ち止まったらダメだ。まだ間に合うかもしれない。間に合わすんだ。
シアルのおかげで、なんと冷静さを取り戻した私は、思考を再起動、操作を再開する。
まずは今の状況だ。なぜ馬車を捨てた? 何の理由で? 何かに乗り継いで、追跡を逃れるため? ……いや、違う、追われている事に気付いているわけがない。
蓮井と、私が、出くわしたのを確認してから、街を出たのでは、時間が合わない。
出会った瞬間に、それを察知して、即座に門を出た事になってしまう。
馬車では入れないところに拠点が有る? ……これも違う、こんなところに馬車を置き去りにしたら、見つけてくれと言わんばかりだ。
攪乱目的? いや、これも同じだ。追われているという認識が無いのに、攪乱する理由が無い。
逆に言えば、追っているという事を、知られていれば、この行動に意味が見いだせる。何か私が追っていると知る方法は無いか?
……あっ、何で気付かなかったんだ。
相手は、この星の人間じゃない、他の星から来た人間だ。通信機を持っていると考えるのが普通じゃないか。
私は、この星が急速に発展してもらっては困るから、通信機器を広める事は一切しなかった。だからって相手が、それに合わせる理由なんてない。
蓮井が、なんらかの方法で、私が追った事を大川に伝えた。もしくは、二人の協力者がいて、その協力者が大川に連絡した。これなら、ここに放置された馬車の違和感が無くなる。
車で追われれば確実に捕まるから、西の森林地帯に入ったか、もしくは東の山に登ったか、どちらにしても状況は最悪だ。二人で探しきれるものじゃない。
「アネル様! こちらに、小さな足跡があります!」
シアルは、もうお仕事モードか、もう少し私を、甘やかしてくれても良いのに。
シアルの発見した足跡は、森林地帯に入ってすぐの泥濘に残されていた。鬱陶しかった昨日の雨が、こんなところで役に立った。
残された足跡には、複雑なパターンが刻まれている。この星の靴底なんて、簡素なものだ、足跡に残されたような複雑なパターンの靴なんて存在しない。
大きさも子供のもの、間違いないサミナの足跡だ! 他にも二人分の足跡がある。こっちが、ニコルと大川の足跡か。
そこからは、シアルと二人、森の中をひたすら彷徨い歩いた。足跡が有ったのは、森の入り口だけで、その先は、降り積もった落ち葉が、地面を覆ってしまい足跡が残らなかったようだ。
……夜が明ける頃、小さく言葉を交わし、失意のまま車に向けて歩き出した。
まだ、やれる事は、残されている。蓮井に通信機について問い詰める。もしくは協力者の存在を吐かせる。大川と話す事ができれば、交渉の余地も見つかるかもしれない。今は、その可能性にかける。
しかし、それは叶わなかった。モセウシに戻った私達を待っていたのは、傷だらけで、再生も追い付かなくなった、モセウシ専属ガーディアン佐藤 大地の姿と、蓮井脱獄の知らせだった。
やはり蓮井には、協力者がいたようで、投獄された直後に覆面の人物が、看守を昏倒させ蓮井を逃がしたという事だ。それに気付き追いかけた佐藤 大地は、返り討ちに合い、瀕死の状態で発見された。
蓮井が、あっさりと捕まったのは、逃げる算段が最初から付いていた、からなのだろう。完全にしてやられた。
状況的に第三召喚場に向かった可能性は低いだろうが、ガーディアンを配置して見張らせる事にした。
神都アネルに戻った私は、最後の希望とばかりに、以前、受け取りつつも読むことを拒否した一通の手紙に目を通したが、内容は望んだ物ではなかった。
書いてあったのは、地球で大規模な通信障害が起こって、母星との連絡および転移が不能になったという連絡。何か関連性は有りそうだけれど、それだけ分かっても何の足しにもならない。
その後、アネル神国の軍を動かし、大規模な捜索を開始した。
王国のガーディアンにも依頼をだし、ルモイ王国周辺の捜索も行っているが、1か月経過した今も、二人の消息は、つかめていない。