再会と決意
「あれから、もう七日かあ……」
ああ……また独り言だ。20年近く言葉なんて発した事、無かったんだけどなあ。
外で集めてきた木の枝に、笹塚が置いて行ったライターで火を付けた。
「ガスが入ってないのに、どうやって火をつけてんだろうなあ?」
思った傍から……これじゃ、アタイが寂しいみたいじゃないか。そんな事ないんだけどなあ。
たしか、20年って言ってたはずだ、アタイがここに来てから。そんだけ、一人で生きてきたんだ。今更、誰かと一緒になんて。
今日は、ウサギを一匹捉まえた。ウサギは攻撃してこないが、早いから捕まえるは中々大変だ。
……いや、だった、か。笹塚が教えてくれたアレのおかげで、今日は簡単に捕まえる事ができた。
今までは、そのまま腹を引き裂いて食べてたけど、今日は、笹塚達から貰ったナイフで、皮を剥いだ後、火を通す。
このナイフも不思議だ、なんで青く光るんだろうなあ?
ウサギの肉に刃を当てると、力を入れなくても、豆腐みたいに切れてしまう。まあ、実際に豆腐なんて切った事ないんだけどなあ。料理の手伝いなんて、しなかったからさ。
せっかく道具を貰っても、アタイの腕じゃ焼くのすら上手くできない。表面はパリパリで、中は生焼け。まあ、生で食ってた事を思えば、これでも幾らかマシってもんかあ。
食い終わったら、途端に眠くなってきた。起きて、狩って、食って、寝る。20年間続けてきたライフワークだ。
ここに来た時が17歳だったから、今は37歳かあ。女にとっちゃ、一番大切な期間だったよなあ。なんで、アタイは、こんな獣みたいな……。
自分の体を見れば、薄汚れた皮膚に、穴だらけの服、栄養不足のせいか全然成長しなかった薄い胸。そして髪は……あれ? なんか全然痛んでないぞ? 枝毛だらけでボロボロだったはずなんだけど……。
まあ、太陽が空に何個も浮かんでるような不思議な世界で、何を今更って感じかあ。
起きていると、要らない事ばかり考えちまうし、寝るに限る。せっかく、すぐ寝つけそうなんだから……。
翌朝、遠くで何かが動く気配を感じて飛び起きた。
「本当に獣じみてるよなアタイは。……笹塚と、キミコが戻って来たのか?」
いや、違うみたいだ。気配を殺している気配がする。あの二人なら堂々と向かってくるはずだしなあ。
「チッ!」少し期待してしまった自分に腹が立ち、思わず大きな舌打ちがでた。自分から音を立てるなんてバカかアタイは……。
「洞窟の中じゃ、狭くて戦いにくいな。外で待ち構えるかあ」
外に出ると、こちらに向かってくる気配を、よりハッキリと感じた。それ以外にも洞窟がある崖の上に、複数の気配を感じる……。
まあ、上は無視してもいいよな。あそこから飛び降りてくる獣なんてそうそう居ないしなあ。
そうなると、注意すべきは、同じ高さの相手だけだ。今まで何度も凶暴な獣と戦ってきたんだ。今更恐れる事なんてない。
さあ、来るなら来い。朝飯が自分から来てくれたようなもんだ。
方向は大体わかっていた。そちらを見据えていると、大木の陰から……。
それを見た瞬間、鼓動が跳ねた。手足が震えて、嫌な汗が噴き出してくる。まさか……なんで、なんで……。
「やっと見つけたぞ。本当に生きていやがったか」
アイツだ……アタイを斬りつけた、あの犬耳だ。歳をとっているけど、間違いない。
「オマエのせいで、ここ最近、生きた心地がしなかったぞ。……あの日から数年は、オマエが現れて、俺のやった事がバレるんじゃと冷や冷やしてたんだよ。……もう大丈夫だと思ってたのによう。20年も経った今、森でそれらしいのが見つかったって? それを聞いた時の、俺の気持ちが、オマエに分かるか!!」
怖い、怖い、怖いよ。どう……しよう? どうしたらいいんだ……。
「なあ、可哀想だと思うだろ? だったら、今ここで死んで、俺を安心させてくれよ!」
光る剣を振りかぶって、犬耳がこっちに向かってくる。震える足に活を入れ、なんとか横に飛んで躱したけど、やっぱり体が言う事を聞いてくれない。着地に失敗して、ゴロゴロと地面を転がってしまった。
また、犬耳が向かってくる……。もつれる足で必死に逃げるが、まともに走れていない。追い付かれるのは時間の問題だ。
ああ、あん時と全く同じ状況じゃないか。
……あれ、そういえば、なんで逃げてんだ? アイツはアタイを殺しに来たんだよなあ。それはアタイの望みだったじゃないか。
そうだ……そうだよ。……ここで終わりにしよう。
動きを止めたアタイに、犬耳が嫌らしい笑いを浮かべながら向かってくる。覚悟は決めたはずなのに、なんでだろう、体がガクガク震えて、歯もガチガチと音を立てる。
「そうか、大人しく殺されてくれる気になったか」
犬耳が目の前に立ち止まって、剣を大きく振りかぶった。
これで……やっと、解放される。寂しかったなあ、ずっと一人で……。最後に笹塚とミリナに会えてよかった。
そういえば、ちゃんとお礼言ってないなあ。……もう一度……もう一度会いたかったなあ。
目を瞑って、最期の時を待つ。……「ぐあっ!」突然男の苦しそうな声が聞こえたと思うと、トンと何かが近くに落ちた音が聞こえた。
目を開くと、地面に倒れた男と、アタイの横に立つ笹塚の姿。
助けに来てくれた!? アタイなんかを、助けに来てくれたんだ……。
「佐野、おまえバカなのか? なに大人しく殺されようとしてるんだよ! お前が本気を出したら、あんな奴、瞬殺できるんだぞ」
「そ、そんな事言っても、怖いんだよ。それにアタイは、そんな強くない」
笹塚に腕を掴まれて、無理やり立たされる。そうしているうちに、倒された犬耳が剣を杖がわりにして、立ち上がってしまった。
「邪魔するんじゃねえよ! オマエも殺されたいのか! ……まあ、殺されたくないって言っても、もう遅いけどな」
犬耳は、剣をこちらに向けて構え、今にも襲い掛かって来そうだ。
「お前って、送迎役だろ? 本気で佐野に勝てると思ってるのか?」
……笹塚が戦ってくれるわけじゃないのか? そんな口振りで、相手に話している。
「勝てるさ。ガーディアンなんか、少し死に難いだけで、普通の人間だろ? そんなもん、数回首をはねてやれば、それでお陀仏だ」
そうか……ガーディアンってのは分かんないけど、繰り返し死のうとすれば、死ねたんだ。なんだよ、そんな簡単な事だったんだ。
「そうか、一応言っておく。降伏して、法の裁きを受けるなら今だぞ。佐野は生きているし、極刑になったりはしない……と思う。ならないように神に口添えしてやるから降伏しないか?」
そう言った直後に、小声でアタイに話しかけてくる。
「この前、教えたやつを使え」
笹塚がアタイに話しかけた事に、犬耳は気付く様子もなく、数舜間を置いて、返答した。
「オマエらを殺せば、罪に問われる事もないんだっ! そんな提案、受けるわけないだろうが!!」
こちらに向かい走り出そうとする犬耳、その時、笹塚がアタイの背中を優しく叩く。
やれって事だよなあ。……女が怖いって言ってんのに。まあ、おばさんじゃ甘やかしてなんて貰えないかあ。
仕方ないな。笹塚に会えて少し勇気が出た気がするし、きっと大丈夫だ。
向かってくる犬耳に向けて、地面の土を蹴り上げた。顔に土を食らった犬耳は突進を一旦やめて、目を擦りはじめた。
「姑息な手ぇ使いやがて!!」
今のうちに、目の前に魔法陣を描画する。虚空に浮かんだ魔法陣に右手をかかげると、白から青へ一気に色付いた。
「チッ!! くそが! どこで魔法なんて覚えやがった!」
視力が回復した犬耳はアタイの前に浮かぶ魔法陣を見て、左周りに円を描くように走り始めた。
「佐野、今居る場所を狙っても外れるぞ。1秒後に敵が居る位置を予測して撃て。起動ワードは使うなよ」
こいつは散々練習させられた。走るウサギにだって当てられたんだ。こんなノロくてデカい的、当たって当然だ。
1秒後の位置、そんなの考えるまでも無く感覚で分かる。散々野生動物や化物と戦ってきたんだから。
「……ここだっ!!」
犬耳の少し前に魔法陣の中心を合わせて、右手の人差し指で弾く。それに合わせて発射された青く光る魔弾が、犬耳の右胸に音もなく吸い込まれた。
魔弾は、それで勢いを失う事は無く、犬耳の体を貫通して背後の木に突き刺さった。
「げぇ、ごほっ。……ああ、チクショウ、痛てぇ。痛てぇよー。な、なんで、こんな事に……」
……当たった、倒せたんだ……。あんなに怖かったのに、なんてあっけないんだ。アタイは、こんなやつを20年間も恐れ続けてたのか。
うつ伏せに倒れた犬耳に近付いて行った笹塚が、足で蹴飛ばして仰向けにさせてから話しかけた。
「お前は、なんで佐野を殺そうとした? それを話したら傷を治してやる」
「ああ、これは長く持ちませんね。死にたくなかったら早くした方が良いですよ」
笹塚の胸ポケットから、ミリナがピョコッと顔を出した。
そうか、ミリナも来てくれたんだなあ。自分でついて行くのを断ったのに、なんで、こんなに……。
「はぁ、はぁ、わ、わかった。話すから。……騙されたんだよ……村に尋ねてきた男に、新しく召喚されたガーディアンを……殺したら、不死にしてやるって……言われて。でも、結局、どこに行ったのか……わからなくなっちまって」
「よくそんな話を信じたな? で、どんな奴だった?」
「だってよ……そいつ、人狐の男だったんだ……。人狐なのに、俺の目の前で……自分の手を切り落として、再生するところを……見せたんだ……ガーディアン以外で……不死を見せられたら、信じたくも……ゲホッ、……なるだろ……」
「お兄さん、そろそろ、何とかしないと、本当に死にそうですよ」
話している声は聞こえているけど、アタイには何のことだかさっぱりわからない。
様子を見ていると、笹塚が崖の上に向けて手招きをしている。他にも誰かいるのか?
崖から飛び降りてきた人物を見て、心臓が大きく脈打った。
犬耳の女だ。歳は20歳か少し上くらいか? 宗教関係者が来ていそうな服を着ている。細いフレームの銀色の眼鏡が印象的だ。
「シアル、話は、聞こえていたか?」
どうやら、犬耳の女性はシアルという名前みたいだ。服を見た感じ、偉い奴なのかと思ったけど、笹塚の話し方を聞いてるとそうでもないのか?
「ええ、人狼も人狐に負けず劣らず耳はいいんですよ」
シアルは話しながら、倒れた犬耳に近付いて行く。
背筋が真っ直ぐに伸びていて、身体の軸がブレる事無く、綺麗に歩くその姿は、いかにも出来る女って感じがして、アタイに劣等感を感じさせる。
「なら話は早いな。僕もミリナも回復魔法は、覚えていないんだ」
「……放っておきましょう。こんなクズを助けるために、わざわざ魔法を使いたくないですから」
その言葉を聞いた犬耳の男が、シアルの靴を掴みながら、絞り出したような声で懇願する。
「ま、待ってくれ! 話が……違うじゃないか。助けてくれよ。頼むよ……まだ、ゲホッ、ゲホッ、死にたくないんだ……」
シアルはゴミでも見るような目で一瞥した後、掴まれていない方の足で男の横っ腹を蹴飛ばした。
腹を強く蹴り上げられた男は、苦しそうに咳き込んでいる。そんな事はお構いなしに、シアルが男に問いかけた。……ゾッとするほど優しい声で。
「まだ何か隠していますよね? それを話したら、助けると約束します」
「い、いや、も、もう話せる事なんて、何もねえよ……ゲホッ、……本当にさっき話したので、全部なんだよ。死にそうなのに、嘘なんて、つかねえよ……」
倒れている犬耳の顔色がどんどん青ざめていく、もう今にも死んでしまいそうだ。
「という事ですよ、笹塚さん。これ以上の情報をソレから得ることは出来ないでしょうし、死んでもらっても何の問題もありません」
「いや、僕的には、微妙に問題があるんだけど……。この悪人になったような気分がなんとも……」
叫び続ける犬耳を無視して、シアルは笹塚の腰の剣を引き抜いた。何をするのかと思えば、剣を振りかぶり犬耳の首に振り下ろす。
驚愕の表情で固定された首が地面に転がるのと同時に、辺りに響いていた男の絶叫のような命乞いが途切れ、辺りに静寂が訪れた。
犬耳の命を、表情一つ動かさずに奪ったシアルが、今度はアタイに向かって歩いてくる。それに合わせて、また歯がガチガチと音を立てはじめた。
目の前にまで立ち止まったシアルが、優しい笑顔で、話しかけてくる。
「見ての通り、あの男を殺したのは私です。貴女が殺したわけではありませんから、罪悪感を感じる必要はないですよ」
その言葉を聞いた途端、足に力が入らなくなって、その場にへたり込んでしまった。なんだろう? 視界が歪む。ああ、そうか、アタイ泣いてるんだ。
そんあアタイをシアルがそっと抱きしめてくれた。
今度は、笹塚がアタイの所まで駆け寄ってきて、申し訳なさそうな顔で話し始めた。
「佐野、すまなかったな。人狼は怖くないって見せるためにシアルを呼びに行ってたんだよ。その最中で、アイツを見つけてさ。自分で倒す事ができれば、恐怖を克服できるんじゃないかと思って、隠れて見ていたんだ。……ちょっと荒療治が過ぎたかもしれない。本当に悪かった」
そうか、崖の上に感じた気配は、笹塚達だったのか……。
「謝んなよ。……来てくれて、ありがとな。……なあ、アタイを街まで連れていってくれないか?」
そうして、アタイは20年近く住み続けた、洞窟を後にした。