佐野とトラウマ
その光は、真っ直ぐに彼女の頭頂部に向かって進み、直撃した瞬間『ドンッ!!』と、盛大な爆発音を立てて、赤い血肉を撒き散らした……。
「おいこら! 降りて来い! なにやってんだよ!!」
僕の呼び掛けに答えて、崖からミリナが降ってくる。
なんか、さっきの光景を思い浮かべると受け止める気も失せるが、あとからブツブツ言われるのは目に見ているし、仕方ないので空中でキャッチした。
「それで、どの辺が良い作戦なんだよ! 頭、無くなってるじゃん!」
「大丈夫ですよ。魔法を撃ったところは見られてませんから。起きた後に、崖崩れで岩が直撃した、とか言っておけば良いんですよ」
いやまあ、確かに見られてないし、言われてみれば悪い作戦じゃないかもしれないが、一つ穴がある。いや、あった、か。
「今回は問題なかったけど、もし普通の人間だったらどうする気だったんだよ? 確実に死んでるぞ」
「その時は、その時です。でも、今回の相手は明白じゃないですか。傷を負う事を全く恐れない特攻の数々、不死者特有の戦闘スタイルですよ。それに、魔獣と、あんな粗末なナイフで戦っていたわりに、怪我一つ無いって時点で、普通の人間じゃないですよ」
意外と良く見てるんだな、ポケットの中に居るわりに。
そうこうしているうちにも、辺りに撒き散らされた血肉が光の粒子に代わって、彼女の頭部があった場所に集まりはじめている。
「さあ、時間がありませんよ。わたしが指示しますから、その通りに動いてください」
ここまで来たら、全部任せてみるか。ミリナの指示に従い、準備を整えた後、彼女が起きるのを待ち続けた。
結局、意識を取り戻したのは、それから4時間後の事だった。頭はとっくに再生していたのだが、再生と同時に意識が戻るわけじゃなかったみたいだ。
今回も出来る限り、優しい声をだすように意識して、笑顔を作りながら話しかけた。
「起きたみたいだな。……無事で良かったよ」
そして、事前に準備しておいた岩を指さしながら、
「そこに岩が落ちているだろ? それが崖の上から落ちて来てな。君の頭に直撃したんだよ。まったく、あれは不幸な事故だった」
「…………」
僕が言った場所に目線を向けて岩を確認した様子から察するに、言葉は通じているみたいだ。
彼女は、自分の腕に付けられた枷に気付いたようで、ガチャガチャと数回鳴らして、壊れないのを確認した後、僕を睨みつけてくる。
「その枷は、起きた時に、驚いて暴れるんじゃないかと思って付けさせてもらったんだ。落ち着いたらすぐに外してやるから、少しだけ我慢してくれるか?」
「…………」
返事はしてくれないが、とりあえず、暴れる気はないようなので、一安心だ。
「僕の名前は、笹塚 彰悟。君と同じ地球の生まれだよ。……もし、よければ、君の名前を教えてくれないか?」
「…………」
――――『いいですか。こういう時は、餌付けが効果的です。半野生化した、この娘なら尚更です。さあ、今のうちに準備しておきましょう』――――
事前に作っておいた、山菜と干し肉を使ったスープを器に盛りつけて、彼女に差し出す。
「もし良かったら、食べないか? 僕達は生肉を食べても、毒物を食べても死にはしないけど、美味しく無いだろ? とは言っても、僕が作ったものだから、そこまで美味しくは無いかもしれないけどさ」
調理はキミコか里緒菜に任せていたので、あまり自信は無いが、生のファンシーミートよりは、マシだと思う。
彼女は手を伸ばそうとして、途中で動きを止めると、暫く悩んでいたが、結局、僕の手からスープを受け取って、器の縁に口を付けた。
そのまま一気に飲み干したと思うと、無言で器を返してきたので、もう一度スープを注ぎ、手渡した。
――――『この野生児に、どれほどの理性が残っているか分かりませんが、男と二人だと警戒する可能性があります。適当に落ち着いた頃を見計らって、わたしを紹介してください。気分的にはアレですが、彼女だと言っておけば、なお警戒がとけるでしょう。……大きさ? もし聞かれたら、愛の前に種族の違いなど些細な問題さ。とか言っておいてください』――――
さて、やるか。
「一応、紹介しておくよ。気付いてないかもしれないけど、僕は一人じゃないんだ」
そう言いながら胸ポケットから、ミリナを取り出して、彼女に見えるように、かかげた。
「この娘は、僕の……僕の彼女の、ミリナ・フェアルだ。森じゃあまり見ないかもしれないが、妖精種って呼ばれる種族で、見た目通り人畜無害な存在だ。仲良くしてやってくれ」
実際には、割と有害な存在だが、馬鹿正直に話す必要はない。
ミリナは、両手でスカートのすそを掴んで、一礼した後、上目遣いで話しかける。
「こんにちは、お姉さん! わたしの事わー、ミリナって呼んでくださいねー! ミリナ、お姉さんと、お話がしたいなぁー」
誰だよ、お前!! 僕の知ってるフェアルさんは、そんな喋りかたしないぞ!!
ミリナを見せた時は、ギョッとした顔で、口を開けたまま凝視していたが、ミリナの言葉を聞いて警戒は解けたようだ。
触ってみたいのか、中途半端に手を差し出している。
恐らく、反応をみて行けると判断したのだろう。ミリナが僕の手から飛び降りて、彼女の元に向かって、歩いて行く。そのまま体をよじ登り、肩の上にちょこんと座った。
「お姉さん、さっきは大丈夫でしたかー? おっきな岩が落ちてきて、ぶつかった時はビックリしちゃいましたよぉー! もう、ミリナは心配で心配でー!」
どの口が言うか! お前が撃った魔法で、頭が吹き飛んだんだろうが!
「……うん……大丈夫だ」
くっ! 何だろう、やっと喋ってくれて、嬉しいはずなのに、胸をかき乱す、この敗北感は。
「アタイは佐野 美和だ」
……ようやく話ができそうな雰囲気になってきた。まあ、僕に向けて話しかけている感じがしないから、もう少しミリナに任せておくか。
「美和お姉さん。こんな寂しい所に居ないでー、わたしたちと、人がいっぱい居る街まで行きましょうよぉー」
ミリナの言葉を聞いて佐野の表情が曇った。そして、か細い声で話し始める。
「なあ、アタイは、もと居た所に帰りたいんだ。……なあ、帰り方を知らないか? 頼むから、教えてくれよ。……家に……帰りたいんだよ」
……はぁ、それを聞いてしまうか。それは僕の仕事じゃなくて、部長の役目なんだけどな。
こんな役目を、こなさなければいけないなら、部長になんてなるもんじゃないな。……今度ジュースでも奢ってやるか。
「それは、僕から答えるよ。……すまないが、帰る術はないんだ。……でもな、この世界でも、人間らしい生活を送る事はできるんだ。そのためにも僕達と一緒に来てくれないか?」
僕の言葉で、佐野の顔に深い絶望の色が刻まれてしまった。
僕が連れてきたわけじゃないんだ。そう、僕は何も悪くない。僕だって同じ立場の被害者なんだ。分かっているはずなのに、なぜだか胸が痛む。
「じゃあ、死に方をおしえてくれよ。崖から飛び降りても、湖に飛び込んでも、何をやっても苦しいだけで、ぜんぜん死ねないんだ。 頼むよお、もう嫌なんだ……」
死ぬのは、意外と簡単なのだけれど、それを教えるのは優しさだろうか? もし、教える事が優しさで間違いなかったとしても、僕はそれを教えたくはない。
そもそも、僕は優しい人間じゃ無いのだから、自らが罪悪感を背負ってまで、死に方を教えてやるわけがないんだ。
「とりあえず腕をだせ。その枷を外すから」
背嚢から魔封の枷の鍵を取り出して、鍵を外しながら、質問に答えた。
「死に方か。……あるには、あるけれど、今の佐野には教えられないな」
「どうして? アタイが死んだってオマ……笹塚は、なんも困んないだろ?」
「困るんだよ。佐野を連れ帰るのが、僕の役目だからな。……僕達についてくれば、死に方なんて、すぐに調べられるさ」
「それは、本当なのか!? アタイは死ぬことが出来るのか?」
そんなに、死ぬのが嬉しいのか。……こんな薄暗い森の中、たった一人で20年も過ごせば、心に闇が染みついてしまうのは仕方のない事かもしれない。けれど。
「……そうだ、いつでも死ねるんだ。そう思えば、少しくらい生きるのが長くなるのなんて、どうって事ないだろ? ……なあ、あと1年だけ生きてみろよ。それでも死にたければ止めはしないから」
自由になった手首を回しながら、佐野はこちらを見据えている。やがて深い溜息を吐き出して、再び口を開いた。
「……やっぱさ、放って置いてくれよ。死ねるってわかっただけで十分だ。後は自分で考えるさ」
「……困ったやつだな。大体、佐野はどうして、この森で暮らす事になったんだよ? この世界に来た時に迎えが来たはずだぞ。ついて行けば、こんな苦労はしなかったのに」
「迎えって……犬の耳が生えた人間の事か。アタイは、そいつに殺されそうになって逃げだしたんだ。……あんときは、まだ死にたくなかったからなあ」
……ん? 送迎役に殺されそうになった? どうして、そんな事になる。
「ちょい、そこらへん詳しく」
あまり思い出したい事じゃないんだろうな。露骨に嫌な顔をされたが、それでも、ゆっくりと語り始めた。
「……耳が生えたのが二人で来て、どこだかに連れて行くから、ついて来いって言ったんだ……自分じゃどうにもできなかったし、言われた通りついていった。……それでさ、歩いてる途中で、歳をとったほうの犬耳が、川に水を汲みに行くって離れたんだよ。……そしたらさあ、二人になった途端、若い方の犬耳が突然ナイフで切り付けてきてさ……何度も、何度も背中を斬られながら、アタイは必死に走ったんだ。……それで、気付いたら崖から落ちていて」
聞いてもさっぱり分らんな。動機は何だったんだ……。
「それから、ずっと一人で、この森に潜んでいたのか?」
「アタイも最初は抜け出そうとしたんだ。でも、やっと見つけたと思った村は、みんな、動物の耳が生えていてさあ……。ここで、普通の人間の姿をしたやつを見るのは、笹塚が初めてだ」
初めて会った人狼に襲われたせいで、人狼全てを敵と認識してしまったんだな。
そして、この辺は人間が住む町は無いから、誰かに助けを求める事すらできなかったってところか。
「なあ、襲ってきた奴は兎も角、人狼って、普通の人間と頭の中身は変わらないぞ。そんな恐れるような存在じゃないよ。さっき戦ってた魔獣の方が、よほど恐ろしいと思うけどな」
「ダメなんだ。偶に森の浅い所で見かけるんだけどなあ。そしたら急に体が震えだして、息が荒くなって、もうダメなんだよ……。はは、おかしいよなあ、死んでも良いって思ってるのに」
強烈なトラウマとして焼き付いてしまったって事か。なんとか解消してやらないと。人狼の居ない街なんて、そうそうないのだから。連れて行く予定の街なんて、人口の3分の1は人狼だしな……。
どうしたものか……。深く息を吐きながら、空を仰ぐと、木の葉の隙間に見える太陽の光が、弱まり始めていた。
時計を確認すると、すでに18時を回っている。あと2時間もすれば、常夜灯モードに移行してしまう。そうなれば、森の中を進むのは困難だ。
その事を告げると、寝床にしている洞窟が近くにあるから、そこへ行こうと佐野が提案してくる。他に案の無い、僕とミリナは、それを受け入れる事にした。
目的の洞窟は、戦闘を行っていた場所の崖に沿って20分ほど歩いたところに有った。
中に入り、魔導ランプを灯すと、暗闇に浮かび上がったのは、枯葉を集めて作った寝床と、一か所に固めて積み上げられた動物の骨。それ以外は、何一つ存在しない空間だった。
居心地が良さそうな感じはしないが、それでも360度警戒しながら夜を過ごさなくてはならなかった、この4日間よりは、幾らかマシってもんだ。
さて、少し前に調理したが、あれは佐野用に作ったもので、僕とミリナは食べていない。材料も無いに等しいし、どうしたものか? ……ああ、あれがあるじゃないか。
入り口付近で火を熾して、小枝に差した食材を炙っていると、徐々に芳醇な香りが漂いだした。それにつられて、ミリナと佐野が洞窟の奥から姿を現す。
「なんか、いい匂いがしますね。一体何を……」
そこまで言って、ミリナが硬直した。ん? 何かあったのだろうか?
「何を焼いてるんですかっ! それは、神都に持って帰って売る予定の松茸じゃないですか!」
お冠のミリナが、僕の太腿に拳を打ち付けてくるが、極少女に殴られたって痛くないのだ。
「食べる物が無いんだから仕方ないだろ? それに、僕は庶民だからな、こんな高級食材は食べた事が無いんだ。一度くらい食べてみたいじゃないか」
そう言いながら、焼きあがった松茸を一本口に入れてみる。……ん?
「まずいとは言わないけど、値段には見合ってないよな。僕はハンバーグの方が好きかもしれない」
「せめて、キノコで比較してくださいよ! お子様ですか!!」
僕の言葉にミリナは更にご立腹だが、意外な所からも反応があった。
「な、なあ、この世界にもハンバーグってあんのか?」
目を見開きながら、前に乗り出して聞いてくる。……なんか、凄い食いつきだな。
「ああ、あるよ。日本にあった食べ物なら大抵はそろってるぞ。もし一緒に来るなら、いくらでも食べさせてやるよ」
「そっか、あんのか……。ハンバーグ……どんな味だったかなあ。……あんな好きだったのに、全然思い出せないなあ……」
遠い目をしながら、佐野が呟く。
「なら来いよ。そうだ、もし街が嫌だったら、食べた後に、戻って来たっていいんだ」
佐野は、少し考えた後に無言で首を左右に振った。その姿があまりに小さく見えて……なぜだろう、罪悪感が胸を締め付けてくる。
まあ、簡単にはいかないか……。心の問題みたいだからな。カウンセリングなんてした事がないし、出来るとも思わないが、だからって、そう簡単に諦めるわけにもいかないのだ。
それから3日間、あの手この手と、思いつく限りの方法で、アプローチし続けたが、ついに気持ちを動かす事ができず、僕とミリナは神都に戻る事になった。