板チョコと妖精少女
この作品以外に新連載を始めました。
新作は、『短編小説感覚で読める長編小説』をテーマに執筆しています。
もしよろしければ、そちらもお願いいたします。
空に浮かんだ照明が、最も強く、熱と光を放つ時間だというのに、鬱蒼と茂る樹木が全てを受け止めてしまい、辺りは仄暗く、陰鬱な色合いに染まっている。
この樹海に入り込んで、すでに4日目になる。今の所、得た物はゼロで、失った物は、気力と体力、それと4日分を目安に準備してきた食料の大半だ。
改めて辺りを見渡すが、目に入るのは樹木と樹木と樹木。あとは、座ってくれと言わんばかりの岩が一個。
いい加減、諦めかけていた僕は、迷わずその岩に腰かけた。
「なあ、もう諦めて帰らないか? 無理なんだって、こんな広大な樹海から一人の人間を探し出すなんて。きっと神も許してくれるよ」
僕の周りには、人間は一人も居ないが、独り言ってわけじゃない。
僕の言葉に反応して、胸ポケットから顔を出したのは、身長17.82センチの極少女。
彼女は、栗色の髪に緩いウェーブが掛かったボブが定番スタイルだが、今日は一段とウェーブが強い……というか、ポケットの中で寝ていたみたいだから、多分寝ぐせだ。
「バカ言わないでくださいよ。お兄さんは月給制だから、ここで帰ったって問題ないでしょうけど、わたしは、見つけないと報奨金がでないんですよ!」
「僕が心配だから着いてきたとか言ってたけど、やっぱり嘘なのな。……まあ、そんな事だろうとは思っていたけど。で、幾ら貰う約束してるんだ?」
「前金で20万、発見して確保に成功した場合は、100万の上乗せという事で話がついています。……成功したら、板チョコを買ってあげますから、必死に探してください」
板チョコだと? 僕に対する分け前が、誘拐事件の時よりランクダウンしているじゃないか。
「相変わらずケチだな、おい! 大体、何で板チョコなんだよ?」
「里緒菜さんに、お兄さんに報酬を渡すとしたら何が良いかを聞いた結果ですよ。できるだけ、お金を掛けないって条件付きで」
出来るだけお金を掛けずにって、普通、本人を目の前に言ってしまうか? それは兎も角、里緒菜は何を思ってそんな提案をしたのか? そっちの方が問題だ。
「……全く分からん。里緒菜は、何で僕がチョコレートで喜ぶと思ってしまったんだ?」
「こう言ってましたよ。『多分、しょう君は、女性からチョコレートを貰った事ないはずだから、プレゼントしてあげれば、残った包装紙をラミネートして、家宝に認定するくらい喜ぶんじゃないかな?』って」
相変わらず似ていない声真似を披露してくれたが、今は、そこはどうでも良い。
「それなら、せめて小洒落たパッケージのチョコにしてくれよ! 板チョコって、どう考えても義理だろ!? それの包装紙を保存するとか悲しすぎるだろうが! あとな、それ2月24日じゃないと意味無いからな」
「えっ!? わたしは、2月14日って聞いたんですが……。そうですか、日付を間違う程に、縁遠い存在だったんですね……」
驚いた顔で話し始めたミリナだったが、途中から表情が変化し始め、悲壮に満ちた顔で話し終えた。
「くっ! 違うから、僕の住んでた地方じゃ24日だったんだ! 七夕だって8月にやる土地なんだよ。バレンタインの日付も当然の如く違っているんだ。嘘じゃない! やめろ! 僕を憐れむな!!」
「……はあ、なんか可哀想になって来ましたよ。小洒落たパッケージのチョコで良いんですね? でも14日は予定が入る予定なので、15日に渡しますよ」
「それ、売れ残りの処分セールで買う気だろ! ……でも待ってるから」
「……お兄さんがチョコを貰えない理由は、見た目じゃないと思いますよ。恐らく、その言動です。精神的に三枚目だから相手にされないんですよ」
そんな、無駄話をしていると、胸元に小さな衝撃が走った。衝撃の発生地点を見ると、さっきまで一緒に大声で話していたミリナが、小さな人差し指を口の前で立てて僕を見ている。
静かにしろって事か? 息を殺して、聴覚に全神経を集中させると、木の葉が風で擦れる音に混ざって、微かに獣の鳴き声が聞こえてくる。
「……魔獣だよな。多分……犬型の」
「ええ、間違いありません。それも遠吠えとかではなく、威嚇している感じです」
その言葉を最後に、口を閉じた僕達は、音のする方向を目指し、森の中を駆けだした。
走るにつれて、徐々に音が大きくなっていく。声を発しているのは、犬型の魔獣だけのようで、それに敵対している生物の、声らしきものは聞こえてこない。
あと少しで現場に辿り着くと思った刹那、眉を顰めたくなるような悲痛な鳴き声が響き渡った。犬の悲鳴によく似たその声は、回を重ねるごとに弱々しくなり、間も無く辺りに静寂がおとずれた。
探し人が襲われている可能性があったからこそ、危険な森の中を、警戒もせずに駆け抜けてきたが、戦闘が終わっているなら、その必要は無くなった。
ここからは、出来る限り気配を殺して進む。この先に待つのが、魔獣であれ人であれ、気付かれないに越したことはない。
探し人は20年前に、この樹海で行方不明になったらしいのだ。樹海は広大な迷路と化していて、迷い込めば簡単に抜け出せない場所だと言われている。
だが、簡単に抜け出せないだけで、絶対じゃない。20年も彷徨えば人里に辿り着けないわけがないのだ。
ようするに、故意的に人を避けて、この森に潜んでいた可能性が高い。先に発見されてしまえば、逃走される可能性がある。そうなったら、再び見つけるのに、どれほどの時間を要するか分かったものではない。
どんなに、音を立てないように気を付けて歩いても、踏み出すたびに降り積もった落ち葉がカサカサと音を立てる。その音がやけに大きく感じられて、対象に気付かれるのではないかと気が気じゃない。
どうにも心拍数が高まっている。胸のポケットにいるミリナに、緊張が伝わってしまっているだろうか。
そう考えた時、件のミリナがシャツを引っ張って合図を送ってきた。
あまり声を発したい場面じゃないが、無視するわけにもいかない。ポケットから摘まみ上げて、顔の前まで連れてきた後に、小声で話しかけた。
「どうした? なにか気付いた事でもあるのか?」
ミリナも今の状況を理解しているのだろう、僕の問いかけに小声で返答する。
「お兄さん……一大事です。あれを見てください」
言われた方向に視線を向けて見たが、僕には何の事だか理解できない。別に、生き物がいるでもなし、普通に木が生えているだけなのだ。
「あそこに生えているのは松茸ですよ。……ほら、あそこにも……結構な量ですよ。あれを全部採って帰るというなら、さっきの任務放棄の提案を受け入れるのも、やぶさかじゃありません」
こいつは、全く状況を理解していない!! 目の前に捜索対象が居るかもしれないのに、なんで山菜取りをせにゃいかんのだ! ……しかし、この世界でも松茸って高級食材なのか?
僕は無言で、ミリナをポケットに戻した。諦めきれないのか、何度もシャツを引っ張って、気を引こうとしているが、構っていられるか。今は、それどころじゃないのだ。
松茸を発見した地点から20メートルほど進んだ所で、地面が途切れた。ギリギリで立ち止まり、下を見ると、高さ7メートルほどの小さな崖になっていた。
崖の下に、先程まで聞こえていた声を、発していたと思われる生き物の死骸と、それに貪りつく捕食者の姿を確認する事が出来た。
「ミリナ、やっぱり松茸とって帰るか……」
「見つけてしまった以上、放って置くわけにはいきませんよ」
「やっぱり、あれが探していた人? なのか……」
僕達に何が見えていたかと言えば、腹を引き裂かれた犬型の魔獣と、その腹から腸を手掴みで引き出しては食らいつく、人のような骨格をした何か。
腰まである髪は、長さが不揃いでボサボサだ。その髪が顔に覆いかぶさり、顔つきを確認するのは難しいが、体形を見た感じ、女性だと思われる。
よく見れば、襤褸切れのようなものが体に巻き付いているし……、どうやら人間で間違いなさそうだ。
「あれは、野生化しすぎだろ……。筋肉じゃなくて、最初に腸に食らいつくとか、完全に肉食獣だぞ?」
生き物の死体は、大分見慣れたつもりだったが、目の前の光景には肌が粟立ち、胃酸で喉を焼きそうになる。
「……食事中に近付くと、奪われると思って、問答無用で襲い掛かってくるかもしれませんね。それに、満腹なら捕食される可能性も下がるでしょうから、暫く待ちましょう」
もう完全に野生動物の扱いになっている気がするが、確かに一理あるな。
それから30分くらいだろうか、食事を終えた女性が立ちあがり、どこかへ歩き去ろうとしたのは。
それを確認した瞬間、僕は崖から飛び降りた。ミリナが落ちないようにポケットに手を添えながら、女性の頭上を飛び越えて、目の前に着地する。
僕の姿を視認した瞬間、女性は大きく飛び退った。かなり慌てていたのだろう、後ろに崖がある事を忘れていたようだ。
彼女は、岩の壁に背を押し当てたまま、こちらの動きを窺っている。
まずは、対話を試みるべきだろう。警戒させないように武器には手を触れず、出来る限りの笑顔を作って話しかけてみた。
「……驚かせて悪かったな。攻撃の意思はないから、そんなに警戒するなよ」
「…………ウウゥー………」
警戒を解く様子も無ければ、人間らしい返答も無かったが、戦慄からは立ち直ったようだ。棒立ちの状態から、膝を軽く曲げて姿勢を低くし、戦闘態勢に移行している。
「いや、だから戦う気は無いって言って……チッ!!」
最後まで言い切る事ができなかった。彼女が一瞬で距離を詰めてきたのだ。
胸の辺りを目掛けて拳が向かってくる。直撃する間際に、一歩横に移動して拳を躱す。
そのまま腕を捉えて拘束するつもりだったのだが、突如、肩口に痛みが走り、それに気を取られたせいで、タイミングを逃してしまった。
攻撃を終えた彼女は、バックステップで距離を取り、次の攻撃の機会をうかがっているようだ。
チラリと肩を見れば、吹き出す血で真っ赤に染まっている。視線を彼女の右手に向けると、そこには、錆で完全に光沢を失ったナイフが握られていた。
これは、認識を改めなくてはいけないな。あれは、野生動物なんかじゃない……。道具を使う程度の知能は残っているようだ。
そんな失礼な事を考えていると、彼女が再び地面を蹴った。右の刃を躱したと思うと、立て続けに左の拳が唸りをあげる。
次々と繰り出される攻撃の数々を、なんとか躱し続けているが、このままでは埒が明かない。しかし、どう動くのが正解なのか……。
彼女は、防御を捨てて攻撃だけに全神経を注いでいるような状態で、正直な所、勝とうと思えば、いつでも勝てる。攻撃した後が隙だらけなのだから。
だが、僕は討伐依頼を受けているわけじゃ無いから。ここで攻撃をして、敵愾心を煽ってしまっては、目標の達成が遠のいてしまう。
「お兄さん、武器を抜かないんですか? わたしは、一度倒して、黙らせた方が良いと思いますよ」
距離が離れた隙に、ミリナが顔を出して提案してくるが……。
「いや、攻撃したら、その後、友好関係を築く障害になるんじゃないかと思ってな……」
「……はぁ、仕方ないですね。わたしに考えがあります。相手に気付かれないように崖の上まで、わたしを放り投げてください」
何をする気か知らないけれど、僕は無策だし、ミリナに賭けてみるしかなさそうだ。
次の突進を右前方に跳躍して躱し、すれ違いざま、手に隠し持っていたミリナを崖の上目掛けて放り投げた。弧を描いて飛んで行ったミリナは、無事崖の上に着地したようだ。
……恐らく僕の行動に彼女は気付いていないだろう。それで、これから僕はどうすればいいんだ?
まあ、特に指示もなかったし、同じこと続けているしかないか……。
逃走されるのを防ぐために、攻撃を躱しつつ、再び彼女が崖を背にするように立ち位置を調整していく。
連続攻撃の限界がきた彼女が、再びバックステップで距離を取った。その瞬間、崖の上に光が見えた。
その光は、真っ直ぐに彼女の頭頂部に向かって進み、直撃した瞬間『ドンッ!!』と、盛大な爆発音を立てて、赤い血肉を撒き散らした……。