3-13 学歴コンプレックスは当然ある。
サービスの検索は本当に時間を食う。
いや、別に難しい操作が必要なわけじゃない。
目移りするのだ。
あー、このサービスを利用すればあれが出来るな、これが出来るな。
こっちと組み合わせれば面白いことが出来そうだ。
アイディアは色々と浮かぶが、値段のことを考えて断念する。
そんなことの繰り返しだ。
そのうち、じゃあ、買える物と組み合わせてみたらなんてことをやり始めるとあっという間に時間が過ぎていく。
本題の証書の買取サービスは、大して時間もかからなかったのに結構深夜まで検索を続けてしまった。
ちょっと疲れた。
俺は、愛飲していた缶コーヒーを飲みながら、見つけたサービスの内容を確認する。
正確には、証書の買取サービスではない。
あくまでも、換金の代行を行う換金代行サービスだ。
なので期日前の証書の換金率は悪くなる。
その上で、額面の一割が手数料として取られてしまうので、あまりおいしさを感じられないサービスと言っていいだろう。
とはいえ、緊急で現金が必要となる場合には重宝するサービスだろうな。
何せ、時間と空間を節約できる。
とりあえず、このサービスをよく使うサービスとして登録しておく。
大分寝る時間が遅いが目覚ましをかけて寝よう。
ちょっとでも寝ないと、大して性能の良くない頭が更に回らなくなる。
俺はウィンドウを消して、目を閉じた。
目覚ましが鳴り、俺はうつらうつらと目を覚ました。
なんだか暗い。
大きなあくびをして起きる。
眠い。
そして、寒い。
布団にくるまりながら呻く。
そういえば、この部屋暖房もないんだよなぁ。
布団はちゃんとした奴をかぶっているので、布団にくるまっている限りは寒さに震えることはないけど。
多分、外は雪なんだろうな。
出かけたくない。
いや、でも今日は魔術師と会えるチャンスだ。
純水の件もあるが、それ以外だって聞きたいことがある。
俺はうだうだと布団の中で身もだえながら、ようやく体を起こす。
ふと窓に目をやれば、びっしりと雪に覆われているのが見えた。
今日休んじゃ駄目かな?
駄目だよな。
俺は、カールを起こし朝食の準備を始めた。
雪は家を出た時点で足下を覆うくらいまで積もっていた。
グラスコーに連れられて、街を歩き先生と呼ばれる魔術師の邸宅に向かう最中も雪はやまない。
すっかり凍えた頃にようやく到着できた。
こんな雪じゃ辻馬車も走ってない。
辺りは綺麗に区画整理されているが、妙に薬臭い。
魔法にも薬品はつきものなのかね?
「先生ー!!来たぞー!!早く開けてくれ!!寒くて死ぬ!!」
グラスコーが切れ気味に声を張り上げ、戸を乱暴に叩く。
お待たせしましたと声がかかり、戸が開かれる。
んー、不用心な気もするけど監視する呪文とかもあるかもしれない。
こちらが気を回すことでもないしな。
開かれた玄関の先にはメイド服を着たウサギがいた。
あー、正確に言うとウサギの頭が乗った妙にナイスバディなメイドさんだ。
さすがにミニスカートでもないし、胸を強調するような切れ込みとかもない。
オーソドックスなメイド服だ。
でも、スタイルの良さが身を包む布地を押し上げている。
ただ、その……
頭が、体のサイズに合わせたウサギのそれなんだよな。
露出している手も毛で覆われているが、形は人間のものだ。
ちょっと不気味に感じる。
「どうぞグラスコー様。お寒い中、ようこそお越しくださいました。主人がお待ちしておりますので雪を払ってお入りください。」
礼儀作法に則った挨拶なんだろうけど、ちょっとびっくりするな。
頭の構造からしたら、発音とか人間とは違う気がするんだが全く問題ない。
と言うか、むしろ流暢なしゃべり方で気品を感じる。これ、舌の構造とかも人間と同じなのかな?
あー、いやあまりじろじろ見るのは失礼だ。
グラスコーに倣い、俺も雪を払って邸宅に足を踏み入れる。
部屋の中は、とても温かい。
光源のはっきりとしない照明があるのかとても明るく上着を脱いでも大丈夫そうだ。
マントとダウンジャケットを脱ぐとウサギのメイドさんが受け取るように待ってくれている。
「ありがとうございます。」
メイドさんは頭を下げて、防寒着を受け取ると奥へと引き込んでいってしまう。
おそらく、クローゼットか何かにしまってくれてるんだろうな。
しかし、不思議だ。
特に暖炉があって明かりが灯っているというわけでもないし、特別暖房器具があるようにも見えない。
どういう空調設備をしているのだろう?
照明も特に見あたらない。
「どうぞ、こちらへ……」
部屋を見回しているとメイドさんが戻ってきて声をかけてくれた。
俺は、ちょっと部屋のことを聞きたかったが、黙って後に付いていく。
「ご主人様、グラスコー様とお連れの方がいらっしゃいました。」
通してと声がかかるとメイドさんは扉を開く。
グラスコーは特に気にした様子もなく部屋へと入っていった。
その間、メイドさんはずっと頭を下げている。
俺ももたもたしていると大変だよな。
そそくさと俺も後に続く。
部屋の中は、緑が溢れ心地よい匂いが部屋全体を満たしている。
どこか森の中を彷彿とさせるような情景だ。
もちろん、人工物もしっかりとある。蔵書を入れる棚や腰掛けるためのソファ。
しっかりとした机やテーブルなどもある。
だが、どれも緑の中にとけ込むようにデザインされたような洗練された作りになっている。
センスがある人じゃないとこうはいかないだろうな。
「やっと帰ってきたんだね、グラスコー君。お帰り。」
声の主は、その部屋の主にふさわしい美しさを備えている。
美しい金色の髪に、白く細い指、翡翠のような澄んだ緑の瞳は書物に落とされている。
耳は長く尖り、すっと通った鼻筋と整った顔立ちがとても印象に残った。
まるでモデルだな。
いや、どちらかというと電子データの3Dモデルの方が近い気もする。
それくらい完璧な造形だ。
これで女性だったら一目惚れしてただろうな。
緑色の瞳が上げられグラスコーを見た後、視線が横の俺に向く。
「ん? おや? んー……君は日本人かな?………」
いきなり出自を当てられて俺は固まる。
どこの要素で、俺が日本人だと思ったのだろう?
「やはり当たりか。少し醤油の匂いがしたんだよ。いやいや、日本人と会うのは久しぶりだ。」
待て、俺ちゃんと歯を磨いてきたぞ?
それとも服か?
俺は思わず服をかぎそうになる。
「いやいや、そんなに強い匂いじゃないから平気だよ? 気になるなら消臭してあげよう。」
彼は、そういうと少し指を動かし呪文を唱えた。
意味合い的には、風の精霊と植物の精霊を呼びだし、匂いを変化させるという内容だ。
上手いこと言語化できないのは何でなんだろうか。
まあ、意味は何となく分かる。
「ありがとうございます。」
そういって頭を下げると、彼は声を立てて笑った。
「あー、いやいや、よくカナエちゃんも頭を下げていたからね。やっぱり日本人はみんなそんな感じなんだね。」
馬鹿にされたわけではなさそうなので、ほっとため息をつく。
しかし、カナエちゃんか。俺が見た本の著者、大崎叶のことだろうか?
「先生、あんまりうちの従業員をからかわないでもらえませんかね?」
うんざりしているような口調でグラスコーが割って入ってきた。
「何だ、君のところで雇用しているの? もったいない。商人なんてつまらないよ? ずっと金勘定ばかりじゃないか。」
心底もったいないという感じで先生はいうが、本職の商人の前だって分かってるのかな?
ちょっとデリカシーがない。
「そもそも、数字が好きなら数学をやるべきだ。あれはあれで面白い学問でね。世界の全てを数式で理解する。
なかなか芸術的で素敵な学問だよね。」
「は、はぁ……そ、そうですか……」
正直、俺は数学が苦手だ。いや、それじゃ正確じゃないな。
学問全般が苦手だ。
俺の時代はまだ、大学全入時代とはほど遠かったが、それでも勉学が好きなら高卒なんて選んでない。
と言うか、工業高校だって偏差値が低かったから選んだようなもんだ。
授業の進みも遅かったから、三角関数までで微分積分なんか習ってない。
それに習ったはずの三角関数に関しても理解してないという体たらくだ。
なんか、そんなことを考えてたらどんどん悲しくなってきた。
下手したら、中学レベルの学力もあるのかどうか……
なんか泣きたくなってきた。
「……あ。あー、いやまあ、別に勉学だけが全てだとは言わないよ? うん。その、なんかごめん。」
何かを察したご様子で、先生は頭を下げてくる。
その優しさが切ない。
「先生満足したか?」
「酷いな、グラスコー君。私も悪気があったわけじゃないんだよ。」
少し相好を崩し、先生は背もたれに寄りかかる。
「あぁ、ごめん。名前も名乗ってなかったね。私の名はアルトリウス、しがない魔術師さ。よろしくね?」
先生は立ち上がると、手を差し出してくる。
「ヒロシです。先生のおっしゃるとおり日本人ですが、そのご期待に添えるような者ではなくて申し訳ありません。」
俺は恥ずかしくなって、顔をうつむかせる。
何のためにここに来たんだっけ?
あー、なんか情けない。
「いや、本当にごめんね。悪気はないんだよ。ちょっと舞い上がっちゃってね。」
先生もばつが悪いようで、言葉を濁してる。
「とりあえず、今回は先生が悪い。大体、勉学ばっかりに励んでるから、それでしか人を見れないんだ。反省すべきだね。」
グラスコーがいきなり鼻を鳴らして、猛然と抗議する。
いや、何もそこまで言わんでも……
「いや、全く持ってグラスコー君の言うとおりだ。本当に許して欲しい。」
そういって頭を下げられた。
「いや、その気になさらないでください。私が勉学に励まなかったのは事実ですし、生来怠惰なのをそしられるのは当然です。
決して先生が頭を下げられるようなことはありません。」
俺は思わずおろおろしてしまった。
「いや、人の興味というのは移ろいやすいものさ。単にその興味が勉学以外に向いているだけのこと。
大いに結構なことさ。
発見とは、常に机上にあるものでもない。グラスコー君もそうだが、私にはそういう人は魅力的だと思っている。
引きこもるしか能のない私だが、友達になってもらえるかな?」
そういいながら、改めて先生は手を差し出してきた。
これ以上、自分を卑下にしては相手に失礼かもしれない。
「先生の友達になれるとしたら光栄です。どうか、これからよろしくお願いします。」
そういって、俺は先生の手を取った。




