まあ、何にせよ楽しい。
長くお付き合いいただきましてありがとうございます。
これにて終幕とさせていただきます。
何も暑い盛りの8月の東京に来る必要ってあったんだろうか?
いや、まあ、色々と世話になっているレイナの頼みだ。聞かないわけにもいかない。領地でのあれこれも最近はキョースケや戻ってきた義弟であるテオが代官として回してくれるし、破壊されたインフラもおおよその復旧のめどがついた。
こっちの世界で休暇を過ごすくらいの余裕は出来たし、何であれば交代で長期休暇をみんなに取ってもらうことも可能なくらいにはなっている。
だけど、さすがに始発でコミケになんか行くつもりはないんだよな。俺の趣味としては、午後に会場に足を運んで売れ残ってしまっている本を見て回って、興味を引かれた本を仕入れる方がよほど有意義だ。
今どきは、同人誌なんていくらでも通販で買えてしまうし、電子媒体で手に入れられるものだしな。
そういうのがない稀覯本はあきらめた方が精神的にも気楽だし、案外売れ残りにそういう本があったりもするし。
しかし、暑い。
絶対フランドルで過ごした方が有意義だ。木陰に入れば確実に涼しいあっちの方が、何倍もましなのは間違いない。気候の違いに眩暈がしそうだ。
できればエアコンのガンガンに効いた喫茶店にでも退避したい。
「ヒロシ、溶けちゃう。」
繋いだ手がべっとべとだし、ベネットも限界そうだ。しかし、お互い汗だくだけれど彼女はどことなく魅力的に見えた。なんだか不埒な気持ちがむくむくと湧き上がる。
いや、何考えてんだ。彼女がつけている香水のせいかもな。爽やかな香りの奥に、甘ったるく蠱惑的な匂いが混じり、俺のだらしない精神をかき乱してくる。
「待ち合わせまでしばらくかかりそうだし、どこか入ろうか。」
下手に意識しだすと本当にまずい。ともかく、どこか涼める場所を探そう。
レイナとヨハンナが揃ってコミケ会場にいるので、お台場でもう少し過ごさなくちゃまずい。あまり遠くまではいけないけど、適当な店を探そう。
「どこでもいいよぉ。お日様がない所がいい。」
ベネットは強い日差しを避けるように、目深にかぶった麦わら帽子をさらに深くかぶる。ふんわりと日に焼かれた麦わら独特の匂いが広がる。
そういえば、最近の麦わら帽子はおしゃれだなぁ。昔のやぼったい感じが全くなくて、お洒落な服装に合う感じに整えられてる。
いや、今はそんなことに気を惹かれている場合じゃない。
慌てて周囲を探すが、見渡してみても店がなかなか見つからない。チェーン店の喫茶店は数があるにはあるが、やはり同じ考えの人が多いので席はどこも満席だ。かといって日差しの強いカフェテラスなんて、この蒸し暑い中で座りたくもない。
いっそ魔法で、とも考えたが、あまり良いアイディアじゃないよな。目立ち過ぎる。
しばらく歩き回り、何とかほうほうの体でファーストフード店の席を見つけて転がり込むことができた。シェイクを二人分注文して、何とか涼しい冷房の元に逃げ込むことができる。
あー、でもシェイクは失敗だったなぁ。冷たいけど喉に絡みつく。
「んぐゅ!!」
変な声を上げて、ベネットが頭を抱えて、テーブルに突っ伏す。
「慌てて飲むから。」
こういう時は、暖かい飲み物を飲むのがいいんだよな。確か、常温の水を持ってたはずだ。インベントリから取り出して、彼女に差し出す。
「随分と楽しいそうですね。大沢広志さん。」
いつの間にか、俺の向かいの席に見知らぬ女性が腰かけていた。
年のころは10代に見えるけれど、物腰はずいぶんと老成しているようにも見える。突然現れたのなら警戒をすべきなんだろうけど、眼鏡をかけた小柄な女性に対して威嚇するわけにもいかないしな。
「いやいや、暑くてかないませんよ。お孫さんが帰ってきたら、早々にあっちに引っ込むつもりです、大崎叶さん。」
水を飲みながら、痛むこめかみを押さえつつベネットは周囲を見回していた。さりげない仕草だけれど、見る人が見ればわかるだろうな。
とはいえ、それらしい気配は感じられない。
「随分と察しのよろしいことで。あぁ、別に警戒されなくて結構ですよ。私たちは、迷子センターみたいなものですし。」
いきなり一般人のいるところでドンパチを始めるほど、日本の治安は終わってないだろうしな。
とはいえ、穏便に済みそうで幸いだ。
「それで、お話があるんじゃないですか? レイナさんがいないところに来たということは、彼女と顔を合わせる気はないのでしょうし。」
そういうと、叶は頬を引きつらせる。
「なんでそんなに察しがいいんです? 魔法ですか?」
魔法なら、俺よりも叶の方が得意なんじゃないだろうか? さっきの登場の仕方からすると、恐らくは何らかの方法で呪文を扱うことはできているんだろうしな。
「いやいや、あくまでも推測です。迷子センターなんですよね?」
言外に、異世界人や戻された転移者の対応をする部署に所属してることを伝えたかったんじゃないかな。それとも、妄想しすぎか?
「おおよそ、その推測は当たっています。過去に何度か問題があったので。」
そうだろうな。いきなり覚悟もなく異世界に飛ばされたり戻されれば、問題の一つや二つ発生するだろう。
大半は、精神異常者として処理されそうではあるけれども。
「あなたの場合、1度目の帰還の際には全く痕跡を発見することができませんでした。正確には再びあちらに戻るまではと但し書きがつきますけど。」
つまり俺は上手くやれたってことだな。
「退去勧告ですか?」
そうだとするなら、大人しく従うまでだ。こっちでやりたいことが無いとは言わないけれど、無理にでも押し入ってどうこうというつもりはない。
「いえ、特に問題が無ければ見守るだけですから。ただ、広志さんにはご協力願えないかと言う話もあります。」
あまり直接的表現が使えないので、話が漠然としてきたな。
「迷子センターのお手伝い?」
ベネットの言葉に、叶は頷く。
「ヒロシが便利そうだからですか? それって随分と勝手なお話ですよね。」
そういいながら、ベネットはシェイクをかき回し始める。甘ったるいバニラの香りが広がり、冷房が効いているのにもかかわらず俺は暑苦しさを感じてしまう。
正確に言うなら、まどろっこしいという気分だ。
「勝手なお話だというのは重々承知の上です。報酬も公的機関ですから、期待されるほどにはご用意できませんし。」
正直だなぁ。しかし、公的機関だということは……
「警察ですか?」
そういうと、叶は名刺を差し出してきた。所属は所轄署の生活安全課だけれど、警察官ではなく外部協力者という肩書になっていた。
勿論、これは偽造された身分だろうな。うまいこと考えたものだ。
「なるほど、おまわりさんに協力するのは市民の義務ですもんね。」
俺の言葉に叶は驚いた顔を見せた。そんなに驚くようなことだろうか?
「お時間を頂ければ、ちゃんとした資料もそろえてお話させていただきます。協力とまではいかなくても、ご相談させていただくだけでも結構なのでよろしくお願いします。」
何もそんなに遜らなくても。
いや、問題を起こしてきた人間はおそらく俺なんかより癖が強い人間ばかりだったんだろうな。
「時間を指定していただければ、こちらからお伺いしますよ。その時には、こちらからも提案させていただきます。
ちなみに、なんですが。」
これは確認しておかないとまずいよな。
「なんでしょうか?」
あまりストレートに言っていいものかどうか。どういう言い回しにしよう。
「会わないのは、感情的な理由からですか? それとも……」
会うことで、何かしらの不都合が生じる、パラドックス的な問題なら、こちらも気を使わないといけない。それで世界が滅ぶとか言われたらシャレにならないからな。
「……感傷のようなものです。これ以上はご勘弁願えますか?」
つまり、偶然会うような事態になっても問題はないという事か。もちろん無理に会わせる理由もないから、レイナには伏せるつもりではあるけれども。
「分かりました。じゃあ、内緒と言うことで。」
勿論、いつまでもというわけにはいかないんだろうけどな。
「ありがとうございます。ちなみに、連絡手段はありますでしょうか?」
携帯の契約は切れていない。世界を跨ぐ通信についても有効だ。
「メールでいいですか? アプリでもいいですけど。」
相手がいないので、通信アプリは利用したことが無いんだよな。
「メールでお願いします。最近は、アプリでもいいとは言われてるんですけど。」
意外と古いタイプみたいだなぁ。
「んー、浮気ぃ?」
こんなに公然と浮気なんかできるわけないだろう。
「じゃあ、ベネットのメールでいいじゃない。変なこと言わない。」
冗談じゃないと笑いながら、ベネットは叶とメールを交換する。ただ、本心としては何かを警戒していたのかもな。ハッキング程度じゃ何にも問題はないのだけれど、それ以外だってないとは言い切れない。
「楽しい時間をお邪魔してしまい、申し訳ありませんでした。それでは、失礼させていただきます。」
礼儀正しく頭を下げて、叶は店を去って行った。
「面白いね。」
店を出ていく叶の背中を見送りながら、ベネットは笑う。
一体何の事だろう?
「面白いかな?」
そういうと、ベネットは小首をかしげた。
「平和な国なのに、みんないろんなことを隠してるんだねって。私にとってはいろいろと面白いよ。
見た事のない景色や、いろんなお店、私の知らない音楽、ちょっとしたイラストだって私の知らない事ばっかり。
広志も、同じ気持ちだったんだよね。」
確かに、それは同じ気持ちだったかもな。見るものすべてが新鮮だった。
「でも、どんな所でもヒロシは一緒に居てね。じゃないと、私は迷子になっちゃう。」
迷子か。さっきの話から連想しちゃったのかな。
「俺も迷子になっちゃうかもしれないよ?」
そうだねと彼女は頷く。
「だから、友達をいっぱい作ろう。迷子になっても、友達の所に行けば何とかなるもの。
そうだよね、ヒロシ。」
思わず頷いてしまった。
「そうだね。友達をいっぱい作ろうね。」
彼女となら、どんな場所でも、友達を作れる気がする。俺は、どこまで行けるんだろう。
まだわからないけれど、今俺は幸せなんだと実感する。
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