3-2 出勤するのって面倒だなぁ。
次の日、早々に俺はグラスコーの倉庫に顔を出す。
借りている部屋からはさほど離れていない。
と言うか、近いからその部屋を無理に借りているわけだ。
家賃は一年分前払いで金貨30枚。
結構高い。
相場を聞いたところ、月に金貨1枚も支払えば結構広い家を借りられるそうだが、無理を言っている手前仕方ないとは思っている。
何せゴブリンを奴隷にしている身元が怪しげな男だ。
金で解決するなら御の字だろう。
その上で、職場に近く治安もいいとなればこれくらいは仕方がない。
雨漏りもないし、水場も近い。
何より、高いと言ったら大家さんが結構な剣幕で同じ事をまくし立てられる。
黙っておく方が賢明だ。
しかし、給金のことを考えるとまっとうな職人でもかなり切り詰めないとやっていけないだろうな。
倉庫へ向かう途中でも、この寒空の下に行く当てもなく彷徨う人をちらほらと見る。
町並みはそれなりに綺麗で、家の壁は全部綺麗に漆喰で塗られている。
なのに、道いく人の服装は皆汚れていて、ほつれていた。
「旦那ぁ、お恵みをぉ。」
不意に声をかけられびっくりする。
物乞いに声をかけられるって言うのも、久方ぶりだ。
元の世界でもいないわけじゃなかったけど、それ以前に俺が街に出なくなってたからな。
俺は、銅貨を1枚取り出して物乞いの前に置かれた木皿に置いておく。
別段、この人が憐れだと思って置いたわけじゃない。
聞いた話だと彼らの中にもギルドが存在し、稼ぎの良い場所は取り合いになるそうだ。
金持ちだと思われたら絡まれるが、あまり無視し続けると嫌がらせをされると聞いた覚えもある。
家の近くにいるときは、なるべく穏便に最低限の支払いをするのがいい。
まあ、グラスコーなんかは一切渡さないと言ってたけどな。
グラスコーの倉庫に着くと、すでに事務員さんが掃き掃除をしていた。
そう、グラスコーの従業員は俺だけじゃない。
在庫と帳簿の管理、それに行政手続きをしてくれているライナさんという女性が事務員として雇用されている。
年は40近いらしく、見た目は完全なおばちゃんだ。
「おはようヒロシ。今日は早いじゃない?」
「おはようございます。今日は午後には帰ろうと思ってるんで……」
厳密な勤務時間なんて無いので、グラスコーからは呼ばれなければ1日に1回顔を出す程度で良いとは言われている。
凄く良い待遇なわけだが、あくまでもそれは俺が行商に付き合うからであって別にさぼっているわけではない。
さぼっているわけではないけれど、朝8時から夕方15時まで拘束されてるライナさんから見ればグータラ社員に見えるかもしれないな。
ちょっと視線が冷たい。
倉庫の中では、警備員兼倉庫番のおじさんがグラスコーとしゃべっている。
確か名前はベンさんだったかな?
50代だから、この世界じゃ充分おじいさんに入る部類の人だ。
「おはようございます。」
俺が挨拶をすると、二人して良いタイミングで来たなって表情で見てくる。
「おはよう。早速で悪いが、こいつをしまっておいてくれ。」
グラスコーは、樽を叩く。
普段は、がらんとしている倉庫に似たような樽がいくつも置いてあった。
「なんですか、これ?」
そういうと、ベンさんが樽のふたを開ける。
生魚特有の匂いが辺りに漂う。
「いや、漁師が取れすぎたから買い取ってくれってね。足が速いから無理だって言ったんだけど……」
恨みがましい視線をベンさんはグラスコーに投げかてる。
どうせ、飲んでるときに余ったら持ってこいとか適当なこと言ったんだろうな。
「いや、まさかこんなに持ってくるとは思わなくてな。」
小さい倉庫に山積みになるほど持ってこられるのは、確かに予想外だろうが、安易な約束するなよ。
しかし、結構な量だな。
全部しまえるだろうか?
「とりあえず、しまってみますよ。蓋してください。」
預かっていたグラスコーの荷物を半分取り出して、何とか全部収納することが出来た。
これで、鮮度を保つことが出来るだろう。
と言っても、貧民の食べ物だからな。
大して高く売れるもんじゃない。
無駄遣いだよなぁ……
何とか貴族どもに食わせて、高い金をふんだくれないもんか。
「いや、助かったよ。臭くてかなわん。」
ベンさんは、顔をしかめて顔の前で手を振っている。
顔をしわくちゃにして、参ったという様子だ。
「しかし、今日は早かったな?何か試験でもあったか?」
グラスコーは悪びれる様子もなく尋ねてくる。
「いや、秘石取扱免許も、火薬や香辛料の免許も終わってます。」
実際、名前を書いていくつかの設問に答えれば簡単に手に入る免許だ。
ギルドに支払う受験料くらいがネックなだけで、誰でも取れる。
さすがに、カールなんかは名前が書けないから無理だけど……
「ホールディングバックの使用方法についての報奨金は渡したよな?」
うん、結構な額を頂きました。
まさか、あれだけで金貨500枚ももらえるとは思ってなかった。
「先生とやらに会うのも、明後日だから今日は用事ありませんよ。」
純水の件で渡りを付ける予定の魔術師、グラスコーは先生と言っていたかな?
その先生と会う約束も今日じゃない。
グラスコーは俺の言葉にじゃあなんでって顔をしている。
「今日は、ちょっと暁の盾の宿舎に行こうと思ったんですよ。」
携帯電話もないから、連絡を取るとなると居場所が分からないと辛い。
最悪、大家さんに伝言を入れてもらえれば何とかなるが、対応が遅れる。
そう考えると、どこに行くかは最低でも伝えておくのがマナーだ。
それに、グラスコーの都合もあるだろう。
俺が居ないと何とかならない事態って言うのはそうそう無いだろうけど、さっきみたいなこともある。
歩く倉庫である俺は、言ってみればグラスコーの商品のほとんどを預かっている状態だ。
居て欲しいときにいないとか言われても困るからな。
そういえば、さっき預かった樽の中身を確認してなかったな。
何が入ってるんだろう?
ざっと見た感じスケトウダラとか、アサリの名前が目に付く。
ん?
考えてみれば、これ売り払えるんじゃないか?
他にもカレイとかヒラメとか、ワタリガニなんて名前も並んでる。
魚とか、貝とか、カニとか個体名が入ってないのは俺が知らない魚だろうか?
売値を確認してみると……
売れるじゃん。
結構良いお値段で売れますよ。
「そうか、とりあえず今日は買い入れの予定もないから問題……どうした、ヒロシ?……」
俺が愕然としている様子が分かったのか、グラスコーが声をかけてくる。
「あ、いや、この魚、仕入れの値段いくらなんですか?」
まあ、買い入れた値段が分からんと儲けが出るか分からないしな。
「そうだな。確か1樽で金貨1枚だ。」
おい!!
なんだ、そのおおざっぱな値段の付け方!!
金貨12枚で買い取りか。
ちょっと真面目に計算しないと駄目だな。
「もしかしたら、売りさばく先に当てがあるかもしれません。ちょっと値段出してみますんで、見積もりは明日にでも……」
こう言うとき、鮮度を気にしなくて良いって言うのは助かるな。
しかし、俺が売っぱらっても良いもんだろうか?
こういう捨て値のものが庶民の腹を満たしているという事実もある。
どうしたもんかな。
「高く売れるならそれに越したことはないな。まあ、任せる。」
グラスコーはにやりと笑う。
まあ、何となく察してるんだろうな。
とりあえず、魚介類の販売については夜にまとめてやろう。
俺は倉庫を後にして辻馬車に乗る。
ここから、傭兵団の居留地は5kmほどの距離しかないが割と疲れる。
馬を所有していればそれに乗っていくんだけど、維持費が馬鹿にならない。
そうそう、一つ驚いたことがあった。
この世界には自動車が存在している。
見た感じは、鉄の箱なんだがゴムタイヤまで備えている本格的な自動車だ。
燃料は濃縮アルコールらしいのだが、動く理論はファンタジックだった。
エンジンにピストンがあって爆発を起こしてカムを回す仕組みまでは、通常の内燃機関と一緒だ。
だが、爆発を起こしているのが濃縮アルコールを貰った火の精霊の助力によるものなんだとか。
時速は最高で30km程度しかでないが、水陸両用、オフロード対応という結構な代物だ。
今も、俺が乗る辻馬車の横を走り抜けていっている。
これならいっそ、スクーターかなんかを買って、新しい発明と言い張っても良いかもしれない。
そういえば、グラスコーも自動車の購入を検討しているそうだ。
価格に関して言えば結構高くてしかもオーダーメイドだ。
金貨1000枚くらいは覚悟しないといけない。
それなら、普通に”売買”で自動車を買っちゃう方が良いよなぁ。
水陸両用って言うあたりに興味が湧くと言えば湧くけど……
どの程度の性能なんだろう?
川を渡るくらいなら、日本車でも出来るんじゃないか?
まあいずれトラックとかも買おうかと考えていたし、俺にとっては好都合だな。
しかし、本当に火の精霊なんか使ってるのか?
来訪者の誰かが思いつきで作った気がしなくもない。
もしくは、本当にそんな発明家が居るのだろうか?
そんな人がいるなら一度話をしてみたいもんだ。
そんなことを考えながらぼんやりと外を眺め、ゆらゆらと馬車に揺られる。
購入したクッションのおかげで痛みはないけれど、やっぱり辻馬車も板張りなんだよな。
クッション素材という概念がないんだろうか?
自動車にはゴムタイヤを使ってるわけだから、無いわけがないと思うんだが……
まあ、庶民レベルには安くない装備って事なのかもな。
個別に持ち運べるクッションでも販売してみるか。




