3-1 本拠地は港町。
モーダル市。
人口は約2万人で地方都市としては割と人口が多い港町だ。
行政区分上は市となっているものの、特定の領主を持たない珍しい街で、都市運営は商業ギルドや周辺領主達の合議で行われている。
一応組織名としてはモーダル評議会と言うことにはなっているが、議事堂を持っているわけではなく、会合は有力者の所有する建物が持ち回りで使われていたりする。
香辛料流通の出発地点の一つでもあり、街はとても潤っている。
ただ、だからといって活気がある街かと言われると疑問だな。
港湾設備は古く、石造りの桟橋があるものの、荒れる波で洗われる程度の高さしかない。
小雪が舞い散る様は、風情があると言えばあるが……
正直寂れた風景と言った方がしっくり来る。
漁業は盛んではなく、もっぱら交易港という側面が強い。
なので、魚介類は貧民の食べ物って意識が強いみたいだ。
俺は魚のごった煮を鍋に入れて貰い、家路を急ぐ。
「寒い………」
一応、登山用の防寒性能が高いダウンジャケットに革製のマントを羽織っているが、それでも寒い。
この街について1週間過ぎたが、雪の降らない日はなかった。
昼間は、俺の雇い主であるグラスコーと市民登録やギルド員としての登録などに引きずり回され、夜中は無理を言って借りた間借りの部屋に這々の体で帰ってくる毎日だ。
同居人は、小さいゴブリン。
俺の奴隷であるカールだけしか居ない。
「ただいま。」
「お帰り!ご主人様!!」
げぎゃげぎゃとゴブリン語で喜びを示すカール。
意外と大人しい奴で、手癖の悪さ以外は特に面倒もなかった。
それでも、外出させるときは首輪に紐を付けているのは、やっぱり信用できてないんだろうな。
カール自身は嫌がってる素振りは見せてないが、盗みを働こうとする度に引っぱるのが、俺としては気分が良くない。
何度か身の上を聞いたが、ゴブリンの生態はよく分からないので、こいつが何を考えているのかも、あまり掴めていない。
分かったのは、カールの仲間だと思ってた奴らは、仲間ではないらしいと言うことくらいだろうか?
ここらへん、曖昧なんだが……
ゴブリンの中でもヒエラルキーは存在しているらしく、まっとうな部族に生まれればそれなりの社会が築かれているらしい。
その中で、人間に使役されるような連中はあぶれ者なんだとか。
才能がなかったり貧弱すぎたりする者は、小さいうちに捨てられてゴブリンの集落の外側に追いやられる。
そういうのでも、運が良ければ盗賊に拾われなんとか生きることが出来るのだそうだ。
ちなみに集落を形成しているゴブリンは人間を警戒しているので住処を頻繁に移転する。
だから、もはやカールの故郷はどこなんだかさっぱり分からないとか。
何とも世知辛いね。
俺は、なんの魚が入っているかよく分からない煮物を木皿に移してカールに渡してやる。
こう言うとき、保温効果のある鍋って便利だよな。
”売買”の能力で色々と日用品を買っているが、デザインが特殊なので怪訝な顔をされることがしばしばある。
そこがネックと言えばネックだろうか……
まあ、余計な詮索をする人はあんまりいないけどな。
「ありがとう。ご主人様。」
カールは、たどたどしくフォークを使い、魚を口に運んでいる。
「いただきます。」
俺も、そそくさとごった煮に口を付ける。
やっぱり箸が便利なので、箸を使っているが今のところ影も形も見ない。
長年商人をやっているグラスコーが言うには、遙か東の方から来た連中が使ってたのを見たことがあるような無いような。
そんなことを言っていた。
うーん、地理的に言うとやっぱり東側はアジアチックな文化だったりするのかね。
しかし、貧民の食べ物と言われているが、なかなかどうして……
結構旨い。
白身魚をメインによく分からない魚介が入り交じりワインベースのスープで煮込まれている。
聞いたことの無いような香草が加えられて野菜が味を調えている……
気がする。
いや、正直味の違いなんて分からんから、これが旨いのか不味いのかなんて評価できないんだよな。
とりあえず、食える食べ物であるのは間違いない。
何より安い。
後先考えず、カールを奴隷にしてしまったので下手な贅沢が怖くなったというのもある。
俺自身は、料理が上手いわけでもないし間借りした部屋にはキッチン設備なんかもない。
ベッドを二つ用意したら、机が置けないほどのスペースしか確保できなかった。
だから仕方なく折りたたみが出来るベッドと机を購入して、朝はベッドを畳んで机を広げ、寝る前にベッドを広げるという毎日だ。
なんか侘びしいなぁ……
商売の方は、100枚ずつ購入したフェイスタオルとバスタオルをギルドに下ろして一段落している。
一応、ギルドからの打診次第になってはいるが卸値で購入できる最低枚数の1000枚ずつはグラスコー持ちで発注済みだ。
ちなみに、卸値で買っているのは内緒で、グラスコーには枚数も200枚と誤魔化している。
じゃないと、売上金だけじゃなくて、グラスコーの資産を根こそぎ払って貰うことになるしな。
”売買”の能力も万能じゃなく、さすがに卸値での購入には結構な時間がかかる。
いざというとき在庫がないですじゃ困っちゃうしな。
ちょっと罪悪感があるが、ここはあえて目をつぶるしかないだろう。
だから、一応金がないわけじゃないんだが……
無いんだが、不安だ。
とにかくカールは何も出来ない。
荷運びも計算も微妙だったし、そもそも意思疎通がゴブリン語限定だ。
まだ、一緒にいる時間は1週間しか経っていないが、とても才能があるようには見えない。
文字も読めないそうなので、暇つぶしのために幼児用の絵本を渡してみたが、日がな一日それを眺めていてちょっと心配になった。
することが無くて、暴れてないかと気が気じゃなかったんだが、そういう様子もない。
手間がかからないと言えば、かからないんだけど大丈夫だろうか?
年齢を聞いたときには充分成人している年齢だったはずなんだが……
なんか、子供と居るようで居心地が悪い。
食事を終え、俺は食器を洗いに外に出る。
4階建ての建物の最上階を借りていて、水回りは建物横の共同の井戸を使わないといけない。
トイレが、備え付けの瓶でやることになってるのには驚かされた。
一応、それらを捨てる場所は指定されていて肥料として使うことになっているから窓から投げ捨てることはないそうなんだが……
さすがに気持ち悪いので、ポータブルトイレを用意してカーテンで仕切った簡易トイレを作っている。
いや、まあ……
結局汚物を外に持って行かなきゃいけないわけで、スペースを無駄遣いしているだけかもしれないんだけども。
屋外はともかく、屋内はなぁ……
なるべく水分は分離して、乾燥させた後消臭剤を使っているから匂いはさほど気にならない。
問題は分離した水だよなぁ。
一応、バケツに貯めて必要以上に貯まったら捨てに行ってるわけだが。
別に汚い水ではない。
とはいえ、飲み水に使おうと割り切れるわけでもない。
せいぜい、拭き掃除の時に使うのが俺の限界だった。
まあ、さておき食器をまとめて鍋に突っ込み、水場まで向かう。
着いたら早速、井戸から汲んだ冷たい水ですすぐ。
そして、あらかじめ用意して置いたお湯をスポンジに含ませて洗剤を使って洗っていく。
一応、この世界にも洗剤らしきものは存在するので、そちらを利用しても良いんだが何となく”売買”で利用できる
洗剤を使ってしまっている。
まず、泡切れや汚れの落ち具合は比べものにならないし、自然への負荷もこっちの方が少ない。
そう考えると、これを販売してみるのもありかもな。
どれくらいの人が興味を持つかは別の話だが……
正直なところ自然環境が云々なんて、この街の人にとってはどうでもいいことかもしれない。
ぶっちゃけた話、生活が成り立ってない人が多すぎる。
スリに遭うのも結構頻繁で、ちょっとした物ならしょっちゅう盗まれる。
強盗に直接入られたことはないが、隣近所に強盗が入って一家皆殺しなんて事件がすでに一件起きている。
これでも、治安が良いって話だったんだけど……
ともかく、ちょっと荒みすぎてる。
一応街の警備を契約している傭兵団が見回りをしているので助けを求めれば何とかなるんだろうけどね。
傭兵団と言えば、その契約している傭兵団「暁の盾」というのがベネットとトーラスの所属している傭兵団らしい。
街に着いた翌日に打ち上げをしたきり会っては居ないけれど、宿舎がこの街にあるらしいので会いに行こうと思えばいつでも行ける。
手合わせの約束もあるし、ベネットのために買ったお菓子も買ってしまっていた。
でも、なんだか会いづらいんだよな。
彼女にあんな顔をさせた手前、なんだか俺は気後れしてしまっている。
まあ、そんなにうじうじ考えていてもしょうがない。
約束を果たす為って理由もあるし、せっかく買った物を渡さないのももったいない。
明日は仕事を早めに片付けて、ベネットに会いに行ってみよう。
それに、ちょっと試したいこともある。
多分、傭兵団の居留地だとするなら射撃場なんかもあるかもしれないしな。
俺は、洗い終わった食器を鍋にまた納めて部屋へと戻る。
「ご主人様、ベッドの用意終わったよ。」
嬉しそうにカールがベッドの上で笑っている。
こいつは、本当に無邪気というかなんというか。
いや、気が利いていると思った方が良いかもしれない。
力仕事は向いていないが、部屋の片付けもこまめにやってくれている。
そう考えれば、損をしたわけでもないのかもな。
贅沢を言うなら、ダークエルフの美少女とかだったら良かったのに。
いや、それはそれで色々と問題か。
美少女に恨まれてるかもと思いながら、生活するのは今よりもっと辛いだろうしな。
とりあえず布団に入って、ネットをチェックしよう。
そうそう、パソコンが届いて驚いたことがあった。
なんと、実機を取り出さなくてもウィンドウ越しに操作が可能だと言うことだ。
だから寝っ転がりながら、中空に浮くウィンドウを眺め、視線でポインタを動かせる。
文字を打つときは、さすがにソフトキーボードらしきものを呼び出さないといけないが、それでも大分快適だ。
これは元の世界にいた時以上にネット依存しそう