15-15 自分が望んでやったことだ。
間違った選択をしたとは思っていません。
久しぶりに執務室で落ち着いた事務作業をし始めた。
本当久しぶり。
書類とにらめっこするのがこんなに落ち着くとは思わなかった。とはいえ、ほとんどの決裁を部長たちに任せているので、ほとんどが報告だけだ。
なんだったら、数日ほったらかしでもいいかもしれない。
執務室の扉がノックされたので、どうぞと返答する。
「暇そうだね。」
テリーが興味なさげに部屋に入ってきた。
「そうでもないよ。領地でのことは任せることができたけれど、その分、商人としての仕事は舞い込んでくるからね。」
そっちはそっちでリーダーたちが優秀なので、俺がわざわざ口を挟まないといけない事業は多くないけれど。
気球の件くらいか?
「そうは見えないけどね。
あー、そうそう。蛮地のトウモロコシ畑、壊滅したよ。」
俺は思わず眉を顰めてしまった。
いや、自分が仕掛けていたのだから、望む結果が得られて喜ぶべきだろう。
俺は、深呼吸をする。
「ランドワームに襲われたらしくて、一晩でぐちゃぐちゃ。逃げ出した人間は死ぬか、他のキャラバンに世話になるか。
まあ、いろいろ恨まれてたからねぇ。」
悪い顔をする。
こんな風にふてぶてしい表情をできるようにならないとな。
「意外だな。てっきり、他のキャラバンに潰されるかと思ってた。」
それは、テリーも同じ考えだったらしく、肩をすくめる。
「抵抗する力も残ってなかったのは確かなんだろうけど、ランドワームに飲まれるのは確かに運がないよね。」
もしかしたら、必然だったのかもしれない。
そのランドワームが魔王の手引きによって襲い掛かった可能性もあるしな。蛮地にいる魔王というのが、どれくらいいるのかが分からないので断定はできないけれど。
「ちなみに、サンクフルール側の開拓地はどうなってる?」
流石に全部が魔獣に襲われるということは無いだろうけど。
「動揺は走ってるよ。同じ目に会うんじゃないかって戦々恐々。今年の作付けは断念してるところも多いみたい。」
結果としては上々だ。思っていたよりも大きい結果に喜びを表すべきだろう。
「嬉しそうじゃないね。」
テリーは仕方ないなという顔をする。
「知らない相手に同情する癖はなかなか抜けないもんだよ。でも、いつまでも引きずっていられないけどね。」
無理やりにでも笑顔を作る。
「ところで、テリー。ベネットの聖女様扱いは何とかならないのか?」
この間の間引きについても、ベネットが率先して遺跡から這い出てくる魔物を退治するために立ち上がったという筋書で噂が流布されている。別に間違ってはいないけれど、決して善意だけで行ったわけではない。
あまりにも過剰な持ち上げ方をされると、それはそれで人は病んでしまうものだ。
「一度ついちゃった方向性を修正するのは難しいよ。下手をすると真逆の方向に行きかねないから。」
聖女扱いから一転して魔女扱い。そういう事態には絶対したくない。
「一つ手段があるけどね。」
そういうとテリーは楽しそうに笑う。
「別の生贄を捧げろって?」
テリーは嬉しそうに俺を指さす。どうやら正解のようだ。
「別に俺である必要はないだろ。というか、誰かに集中させるのは絶対破綻するぞ?」
そういうと、少しテリーは不満げな顔をする。
「色々とめんどくさいんだけど。分かりやすい話の方が人は食いつくよ?」
だから、その食いく勢いが問題だって話なんだがな。人の心がどう動くかなんて個人レベルでもわからないのに、群衆となればなおのこと分からない。
どうしたものか。
「まあ、とりあえず今はこのまま放置でいいと思うよ。問題になりそうなら、対策するってことで。
あと、ベネットが気にしてるんだったら、他のことに意識を向けさせる方がいいよ。」
別の事ねぇ。いや、普通に趣味に没頭してくれればいいのか。とりあえず、ベネットが読んでいた漫画の新刊とか出てないかなぁ。
「でも案外、ヒロシが気にしているだけでベネットは気にしてないかもしれないけどね。」
そういうとテリーは苦笑いを浮かべた。
つまり俺が気にし過ぎってことか? その可能性もないとも言い切れないけど。
寝室に戻るとマーナがまたヨハンナのよだれでべたべたにされていた。なんか切なそうに鳴かれると、俺が悪いことをしている気分になってくる。
とりあえず、すやすや眠っているヨハンナを起こさないように、クッションとマーナを入れ替えた。
「え?何、またべとべとにされちゃったの?」
ベネットが仕事部屋から戻ってきたらしく、後ろから覗きこんできた。
「みたいだね。」
ヨハンナがマーナを怖がらないし、マーナもヨハンナのことは憎からず思っているようだから、仲良くしてくれるのはうれしい。
だけど、よだれまみれにするのは勘弁してほしい。最近は《水操作》で洗ってやり、乾かした後にブラッシングするのが定番になりつつある。
マーナは俺の使い魔なので普通の狼とは違うけれど、それにしても我慢強い方だと思うんだよな。水に濡れるのは好まないだろうに身震いすることもなく毛が乾くまでじっとしててくれるし、大きな声で鳴いたりもしない。
ヨハンナが理不尽に叩いてきても、じっと我慢しててくれたりする。
いや、そこは怒ってもいいとは思うんだけども。
もちろん、本気で怒られたらちょっと困る。何せ使い魔だけに俺のレベルアップに従って能力が強化されているからだ。
下手をするとオーガより強いかもしれない。
改めて、そんな存在が赤ん坊のそばでじっとしているというのは滑稽というか、恐ろしいというか。不意に信じてくれないのという感じでこっちを見るのはやめなさい。
下手に心が通じ合うもんだから、ちょっとしたことでも敏感に反応するのも困りものだな。
そんな様子をベネットが楽しそうに見ているのに気づく。
「やっぱり飼い主に似るって言うのは本当だね。」
どういう意味だ。
「ベネットは俺の頭をかじってきたりしないだろ。」
そういう意味ではないのは分かってるけど、なんだか言い返したくなって変なこと言っちゃったな。
「んー、頭はともかく、他の所はかじってない?」
覚えがないわけではないので、俺は目をそらしてしまう。
「グラネも多分、好きだからやってることなんだよ。許してあげてね。」
そうやって、耳元でささやかれるとむず痒くなる。その気持ちがマーナにも伝わったのか、身震いして悶え始めた。
そんなところは似なくていいのに。
気球についてリーダーを通じ商会の力を使った調査をお願いしていたのだが、報告書が届いた。内容としては、実際に気球を飛ばしているという事実は確認できたし、何人かの貴族からすでに支援は受けているという情報も手に入った。
うん、これなら投資してもいいかもな。
ただ、一度会いに行くべきかなぁ。
「なんか、またおかしなものに手を出すの?」
ミリーが後ろから報告書を覗き込んでくる。
「んー?まあね。
飛行船があるだろう? あれを魔法を使わずに似たことをやれる手段を模索してるみたいなんだ。」
気晴らしに外で報告書を読んでいたわけだがいつの間にやら羊やら山羊やらに囲まれてしまっていた。
マーナを筆頭に狼たちが牧羊犬よろしく取り囲んでいて周辺の密度が上がりすぎている。
おかげで寒さが和らぐのはいいんだけどな。
「素直に魔法使えばいいじゃん。」
それはごもっともなんだが。
「魔法にも限界って言うものがあるんだよ。実際、飛行船もドラゴンコアって呼ばれる器官がなければ常に空に浮かんでいることはできないし、ドラゴンコアそのものを魔法で作り出すことはできない。
まあ、グライダーみたいに滑空して滞空時間を延ばすことはできるだろうけどね。」
ミリーが眉を顰める。
「グライダー? 何それ?」
何気に口にしたけれど、グライダーってまだないのかな?
「鳥が翼を広げたまま、空を滑るように飛ぶときがあるだろ?」
ミリーは好奇心が刺激されたらしく、笑いながら頷く。
「それと同じ方法で、頑丈で軽い板状のものを広げて空を飛ぶ道具なんだけど。
知ってる?」
そういうとミリーは目を目を見開き、はしゃぎ始めた。
「知らない!! 何それ何それ!!面白そうじゃん!! 今度買ってよ!!」
あー、うん。確かにグライダーは売ってたよな。
試しに今度買っておくか。
不意に狼たちとミリーが一斉に明後日の方向を向く。俺もつられてそっちを見ると、しばらくしてハルトがこっちにやってきたのが分かった。
なん知らんが羊や山羊たちまでそっちを見てるから、ハルトがぎょっとする気持ちも分かるな。
「な、なんだよ、みんなこっち見て。」
いや別に、何か思って見てたわけではないけれども。
「いや、みんな一斉にそっちを見てたから何かあるのかなと思って。」
狼たちや羊たちはハルトの姿が見えた時点で興味が失せたのか、すでにばらばらの方を見ている。
「なんか来るなぁって気がしてたから、そっち見ちゃった。特に意味なんかないんだけどね。」
ミリーは照れ臭そうに笑う。
「あれかな。俺が強くなりすぎて、気配で感づかれるようになっちゃった?」
なんか、この間の間引き大会から調子に乗ってるな。お調子者なのは前からだから、別にいいんだけども。
「なんだよ、冗談に決まってるだろ? まじで調子乗ってんなとか突っ込んでくれないと恥ずかしいじゃん。」
あー、突っ込み待ちだったのか。
「いやいや、ハルトさんにはかないませんとも。さすが神に選ばれし男って感じ? 1日で100体討伐という偉業には私もちょっと憧れちゃうなぁ。」
ミリーが馬鹿にした笑みを浮かべながらお世辞を言う。
いや、でも実際100体のモンスターを1日のうちに討伐するって言うのはかなり難しい。
相手も殺されたくて襲い掛かるわけではない。"探索"の能力のおかげもあるにせよ、実力も伴わなければ達成はできないはずだ。
それに、”下拵”の能力も使いこなせているようだし、本当は手放しで褒めたいところなんだよな。
「そうやって馬鹿にして。素直に褒めてくれたっていいですけど?」
うーん。心のどこかで嫉妬でもしてるんだろうか、なかなか素直に褒められない。
「その、えーっと。凄かったと思いますよ。うん。」
なんか、どう褒めたらいいのか分からん。
「なんだよ、その奥歯にものが挟まったような褒め方。そんなんだと、人は成長しないぞ?
もっと俺を褒めてくれ!! 俺は褒められて伸びるタイプだから。」
そういう態度だから誉めにくいんだよ。
「調子に乗んなよ。それより話があったんじゃないの?」
ミリーの突込みにハルトは慌てた。用件があることを、この段階で思い出したのかな。
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