2-9 調子に乗れば痛い目を見るのは当たり前なんだよな。
馬車の車軸は、一本の丸太でできている。
こういう構造を確か固定懸架って言うんだったかな。
一番古い車輪の固定方法だ。
軸受けの方もベアリングとかじゃなく、直接こすれ合う部分を滑らかにして油を塗った滑り軸受けだった。
おかげで素人でも修理が可能だ。
こういう時のためにグラスコーは車軸を何本か準備していたらしい。
意外に思ったのは、グラスコー所有の馬車にはちゃんとサスペンションがあったことだ。
がっくんがっくん揺れるので、そういう物は全くない物だと思ってたんだが……
ちゃんとリーフスプリングが仕込まれていて揺れを吸収する作りになっている。
それでもあんなに揺れるんだな。
とりあえず道の横に馬車をずらして、早速修理に取りかかることになった。
もちろん折れた後輪部分だけじゃなく、前輪部分、それにグラスコーの馬車の方も車軸の確認を行う。
見うる限り、折れた車軸以外は大丈夫そうにも見えたが、俺たちの乗っていた馬車の方は前輪の方も交換することになった。
理由としては、大抵こう言うときには衝撃が前輪部分にも伝わっているのだそうだ。
そのため、大丈夫そうに見えても折れている場合もある。それに修理周期を合わせたいという思惑もある。
だから、通常は前後同時に交換してしまうらしい。
と言うわけで、俺とベネットで車体を持ち上げることになった。
女性に力仕事させるなんてと思わなくもなかったが、聖戦士のベネットは神の恩寵で見た目に似合わない膂力を持っている。
だから、その彼女を簡単に押さえ込めた俺はもっと力があるだろうと言うことで、二人が選ばれたわけだ。
意外なことに、俺が想像するよりも馬車を持ち上げるのは簡単だった。
俺の中では、相当きつい作業だと思っていたんだけれど、それほど苦痛は感じずに済んだ。
なんだか不思議だ。
あまり重みを感じない。
これは、俺の筋力が上がったと言うより、馬車が軽くなってるんじゃないかと錯覚してしまう。
普段の生活ではあまり俺が力強いと意識することがなかったし、何かを壊してしまうようなこともなかった。
この不思議な感覚は、この世界では普通のことなんだろうか?
向かい合わせで馬車を持ち上げているベネットも別段苦しそうでもなかった。
女性らしい腕には筋が浮かんでる様子もない。
「重くないですか?」
思わず、俺はベネットに聞いてしまった。
「平気。これくらいなら、余裕があるわ。」
何が気にくわないのか、そっぽを向かれてしまう。複雑な気分だ。
ここ最近、ずいぶんとうち解けてきた気がしていただけに、こういう対応には戸惑った。
心の機微が分からないので、いかんともしがたい。
できれば嫌われたくはないんだけどなぁ……
「よし、ヒロシ。下ろして良いぞ?」
ゆっくり車体を下ろすと、ぎしっと音が鳴る。
この重量を感じさせる音からすれば、やっぱり、それなりの重さだよな。
軽く持ち上げられていたのが不思議でしょうがない。
手のひらを数回、開いたり閉じたりすればちょっとしたしびれも取れてしまった。
作業途中で、明かりをともしたりもしたので結構長い時間持ち上げていたと思うんだけどね。
なんだかなぁ……
しかし、困った。
今から煮炊きするのは、さすがに厳しいんじゃないだろうか?
夕食はいつもグラスコーに任せっきりにしていただけに、こう言うときはどうなるのかさっぱり想像が付かない。
テントすら広げられてない。
「すまんが夕飯は保存食で済ませてくれ……さすがに疲れたぜ……」
グラスコーはへたり込むように地面に座ってしまった。
そりゃまあ、グラスコーは線が細いもんな。
力仕事には見るからに向いてない。
筋力の数値だって、人間の平均値を下回っていた。
「じゃあ、テントは俺が張りますよ。それとお茶くらい準備しますね?」
湯を沸かさなくても、取り出すことは可能だ。
それくらいは準備させて貰おう。
松明の明かりを頼りにテントの準備を始める。
四苦八苦しながらも、途中トーラスとベネットも協力してくれたおかげで、どうにかテントを張ることができた。
やはり、日の出ているうちに野営の準備をしておかないと苦労するな。
あー、こう言うとき一発で広げられるテントと買ってあったような気もするなぁ……
購入しようかな。
「お茶出しますね?それと、俺の秘蔵品も出しますよ。」
鍋を用意し、お湯を注ぎ、ひっそりと購入しておいた紅茶のティーバッグを入れる。
「お、紅茶か?珍しい物を出してきたな。」
グラスコーが少し嬉しそうな声を上げる。
そんなに珍しいのか?
安いティーバッグなんだけどな。
まあ、秘蔵品はこれだけじゃないんだけどな。
「よければ、これもどうぞ?量は少ないですけど、食べやすいと思います。」
俺は包装を紙包みに変えておいたブロック状の栄養補助食品を取り出す。
いわゆるクッキーやビスケットに類する物だから、口に合わないなんて事もないだろう。
4箱しか購入してないから、一人当たり4本しか渡せない。
だから肉体労働で疲労した体には大して足しにもならないかもしれないが、固い干し肉や堅焼きパンよりは食べやすいだろう。
鍋を囲んで座り込むみんなに紙包みを渡していく。
「まあ、お茶があればなんだって食えるさ。」
そういいながら、グラスコーは鍋のお茶を自分のカップに移している。
俺もお茶を貰おう。
喉が渇いた。
久しぶりの紅茶に俺はどこかほっとした気分になる。
一口啜るとため息が漏れてしまった。
砂糖も入れてないのに、甘く感じるのは何でなんだろうな。
「しぶい……」
ベネットが不満そうに漏らした。
あー、うん、安物だからなぁ……
「馬鹿、この渋みが良いんじゃないか……あー、旨い……」
渋みを好むのはオヤジの証拠だぞ、グラスコー。
まあ本当にそうだったか怪しいし、うろ覚えなので定かじゃないが若いほど渋みは好まないらしい。
明かりが松明しかないので、細かい表情は分からないがトーラスもあんまり好みじゃないかな?
しょうがないよね、ティーバッグだし。
入れ方次第じゃ美味しくなるのかな?
根本的に好みの味じゃないって事もあるだろうし仕方ない。
「ん!!」
ベネットが呻いた。
今度は紙包みを開いて、ブロック食品を口にしたんだが、これも駄目だったか?
「口に合わないようなら、無理しなくても良いですよ?」
”不味いもの食わせやがって!!”とか言われたらたまったもんじゃない。
でも、ベネットは首を横に振りつつ、残りも平らげてしまった。
明るくないので、表情が全く掴めん。
我慢して食ってくれてるのか、口にあってくれたのか分からん。
「おぉ、これ甘いな。お茶と合う。」
トーラスは言葉にしてくれたから、気に入ってくれたのは分かった。
どうやらこっちは問題なさそうだな。
「確かに茶に合うな。ただ、逆に言うとぱさぱさしてて飲み物がないと食いづらいがな……」
その意見はもっともだな。
俺も飲み物がないと、喉を通らないと思う。
「まあ、口にあったようで何よりです。」
なんだか肩の荷が下りた気分がした。
あー、でもベネットはどうなんだろう?
「あぁ……」
恨めしそうな声が聞こえた。
どうやらベネットの口にもあったようだ。
しかし暗いな。これはLEDランタンとかも購入した方が良いかもしれない。
でも、ようやく落ち着いた。
すっかり忘れていたが、レベルアップした効果も調べてないなぁ……
とはいえ、今は気を抜ける状態でもない。
明かりがないから、周囲警戒がどうしても疎かになりそうだ。
変なことに気づいて、そっちに気がそれたら危ない。
明日明るくなってからにしよう。
「しかし、こう暗くちゃ、何もできんな。悪いが俺は先に休ませて貰うぞ?」
グラスコーはそういうと、テントへと引き揚げていった。
「じゃあ、俺たちも交代で休もう。早番は俺、真ん中はベネット、最後はヒロシで良いかな?」
トーラスの提案に異存はない。
早めに休めるのはありがたかった。
「じゃあ、すいません休ませて貰います。」
暗い中、おぼつかない足で俺も何とかテントに潜り込んだ。
うつらうつらとテントの中でまどろむ。
冷たい地面の感触でなかなか寝付けない。
そうはいっても、戦闘の後だ。
張り詰めてきた緊張で、大分疲れている。
意識が徐々に薄れていった……
そして気がつくと、俺は真っ白な部屋にいた。
あー、はいはい、定番の白い部屋ですよ。
何となくそんな気はしていた。