学園?
朝、目が覚めた透真は伯爵家から用意された服に着替えて部屋を出たが、無駄に広い屋敷で迷子になっていた。
元の道を戻れば自室に辿りつことができただろうが、元の道すらも分からなくなっていた。
しかもいつの間にか屋敷の外に出ていて、これまた無駄に広い庭を彷徨っていた。
「はぁ、何処だよ此処。何で俺外にいんの?」
自然に出てしまった愚痴を誰も聞いてくれるはずもなく虚しく消えていく。
また暫く彷徨っていると大きな湖のようなものが見えてきた。
ここまでくると現在地が庭なのかも怪しくなってきた。後ろを振り返ってみても、木が生い茂り屋敷が見えない。
遭難レベルの迷子になっていた。
しかし今の透真はそんなことはどうでもよくなっていた。
湖の畔には大きな一本の木が立っていて、その木を背凭れに昨日の少女が座って本を読んでいた。
「良かったー、人がいた~」
透真は何も考えずに少女の方へと走る。
何かを叫びながら近づいてくる透真に気が付いた少女はビクッと肩を震わせ、オロオロと隠れる場所を探す。
此処で漸く気が付いたが、そこにいた少女は昨夜透真が見たオッドアイの少女。失敗したなと思いながら走るのを止めた。
隠れ場を探していた少女だったが、此処は見晴らしの良い湖の畔で隠れる場所といえば少女が寄り掛かっている大きな木ぐらいだった。
「おっと、ゴメンゴメン、脅かすつもりはなかったんだ。あーっと、俺は昨日伯爵様に召喚された透真っていうんだ」
少女が若干涙目になっているのに気が付いた透真は少し離れた所で立ち止まり、簡単に自己紹介をする。
少女もそれを聞いて何かを考えるように目を瞑り、暫くすると何かを理解したように声を出す。
「…勇者、様?」
透真との距離だと聞き逃しそうなほどか細く透き通った声だった。
「そうらしいけど俺はそんな柄じゃないな。それより屋敷はどっちに行けば辿り着く?」
そう聞くと少女は紅と蒼の瞳と大きく見開きポカンとすると、次にはフニャリと顔を歪めた。勇者が迷子ということが面白かったのだろう。
笑われたのは癪だが少しは心を開いてもらえたかなと距離を近づける。
「…屋敷はあっち」
小さな手で指差す方向にはやはり木しか見えない。だが、此処に住んでいる人が言うのだから間違いはないのだろう。
「そっか、ありが」「漸く見つけたぞ」
不意に透真の背後から男性の声がした。
透真も反射的に声がする方に振り返ると黒い服に身を包んだ男がいた。
「えーっと、この娘の執事さん?それとも俺の迎え?」
「………」
「やっぱり違いますよねぇ~」
「…その娘を渡せ」
透真の質問に一切答えようとはしない。それどころか腰に提げていた剣を抜く。
男が黒い服を着ていると言っても執事の様なビシッとした服ではなく、動きやすそうな黒の服にフードつきの黒いローブを羽織っている。
そしてフードをスッポリとかぶり、顔には白いお面をかぶっている。
男と判断できたのは声と体格のみだ。
これだけで考えればただの不審者でしかない。そして狙いはこの少女。
「…あの、」「邪魔をするならば斬る」
――—何故この世界の人は話を聞かないのだろう。
運悪く狙いの少女は透真の後ろ。そしてその後ろは大きな木があって逃げられない。
透真はジリジリと黒服の男に背を向けないように横に動く。男もそれに合わせて正面に来るように横に動く。
少女もいつの間にか立ち上がり透真の後ろに着いてきている。
―――—この娘には悪いが自分の命方が大事だ。此処はこの娘を囮に逃げさせてもらおう。
邪魔だった大きな木から外れ後ろに逃走経路を確保した瞬間、透真は後ろを振り返り走り出す。
…が、それは出来なかった。
「ガッ!?」
「イダッ!?ってまたかよ!!」
そう、透真が振り返った瞬間、黒服の男が透真の後ろに回り込んでいたのだ。丸っきり昨日と同じことが起きていた。
透真はまたしゃがみ込み、痛かった場所を擦る。
「この世界の奴らは後ろに回り込む習性でもあるのかよ。…って早く逃げなきゃ。えぇっと…」
「…セシリア」
「セシリア、道案内を頼む」
少女改めセシリアに屋敷までの道案内を頼む。先程までは見捨てる気満々だったが、昨日と同じ様に敵は脳震盪で気絶してくれたのだ。
自分の危険がなくなったのにも関わらず、そこまでして流石の透真も見捨てる気はしない。
兎に角、屋敷に助けを求めようと走り出そうとするがセシリアが透真の服を掴み走ろうとしない。
「…何だよ。早く逃げるぞ」
そう言っても動こうとする気配はなく、両手を広げ見上げてくる。
この行動は透真でも分かった。だが、敢えて透真は何も言わないし、行動もしようとしない。
「………」
「…走るの苦手。…抱っこして」
キラキラする純粋な瞳には透真も勝てず、大きく溜め息を吐きながらもセシリアをお姫様抱っこする。正面から抱っこするよりは此方の方が道案内をしやすいと思ったからだ。
「道案内は頼むぞ」
「ん、任せろ」
透真はもう一度大きく溜め息を吐くと走り出した。
セシリアの案内に従いつつ走ること数分。透真は昨日アリシアが言っていた事を思い出す。
この世界は魔力の量で身体能力が決まる。
透真の魔力は無駄に多い。世界の一の魔力量。
つまり、身体能力だけで言えば透真は世界一なのだ。
そしてそれを今実感している。
いくらセシリアが小さくて軽いといっても十五キロ以上はあるだろう。それを抱えて数分間も走っていられるだろうか?以前の透真は無理だっただろう。
それに軽く走っているつもりだが、景色の変化が激しい。以前のダッシュした時よりもだいぶ速いかもしれない。
「…見えた」
「お、それじゃあ、もうちょい本気で走ってみますか」
透真は屋敷の屋根が見えた所で、更に足に力を入れて走る。
「到着っと」
「…トーマ、速い」
「トーマじゃなくてト・ウ・マ、な?」
「トーマ?」
「はぁ、やっぱりそれでいいよ」
先程に続いて昨日と同じ光景を見た気がして、苦笑いする。
そんなことをしていると、玄関からアリシアが駆け出してきた。
「トーマ様、何処に行っていたのですか?それにセシリアも」
アリシアが慌てて聞いてくるので、一旦落ち着かせてから先程の事を伝える。
話を聞いていく内に真剣な顔つきになっていき、話を聞き終えると指をパチンと鳴らす。
すると何処からともなく執事が現れ頭を下げ、アリシアが要件を伝えると軽くお辞儀をして一瞬でいなくなる。
「この世界の奴は瞬間移動がデフォなのか?」
「無駄なこと言ってないで昨日の話の続きをしますわよ」
「…はい」
アリシアが冷たい。
昨日と同じ談話室へと通され、既にオッサンが座っており昨日と同じ様にお茶とクッキーが並べられている。
昨日と違うことと言えばセシリアがいる事だろうか。
「さて、昨日の続きをするとして何から話しましょうか」
「その前に一つ聞きたい。…俺が元の世界に帰りたいと言ったら帰れるのか?」
「それは…」
透真の単刀直入な質問にアリシアは言葉を詰まらせてしまう。
「…あぁ、いいよ。それで十分だ。話を続けようか」
透真にはそれだけで十分だった。いや、誰でも分かるだろう。
あの場面での沈黙は明らかにNOだ。つまり、彼女達では元の世界に帰ることは出来ない。
透真としては別にどちらでも良かったのだ。ただ聞いてみたかっただけ、それだけなのだ。出来るなら出来るでこの世界を楽しんでから、出来ないのならこの世界で楽しく生きていけば良いそれだけだ。
「トーマ様…。話を続けます。トーマ様には取り敢えず学園に通ってもらいます。その為、今日のお昼には此処を出て学園へ向かおうと思います」
「先に言っておくが、問題児の相手なんてできないし、関わるつもりもないからな」
「そ、それは分かってますよ」
「目を逸らすな、目を」
明らかに動揺して目を逸らす。
「と、兎に角!もうそろそろ此処を出て学園に行きますからね!それと、学園に行けば他の勇者様とも会うでしょうから親交を深めて下さい」
バンッとテーブルを叩いて身を乗り出しながら訴えてくる。
もう、出るって飯食ってないんだけどと透真はお腹を押さえる。
朝起きてから透真は今までずっと何時間も迷子になっていたのだ。そして今はもうお昼近く。
因みにセシリアはちゃんと朝食を摂ってからあの湖にいたようだ。
「トーマ様は馬車の中でパンでも食べてて下さい」
「…はい」
アリシアが超冷たい。
透真達は談話室を後にして玄関前に停まっていた馬車に乗り込む。
乗り込んだのは透真とアリシアとセシリア。オッサンは談話室に置いてきた。
出発する前にアリシアが例の執事から報告を受ける。
どうやら、不審者は既に逃げており、何も残っていなかったようだ。
透真もただの脳震盪だろうし、そんなことだろうなと思っていたようだ。
「では、出して下さい」
「はい」
アリシアの呼びかけに応え馬車はゆっくりと動き出す。
ガタガタと結構な揺れが続くが、レイティア姉妹はこれが普通だと言わんばかりの態度だ。セシリアに至っては何処から取り出したのかこの揺れの中、本を読んでいる。
一方透真は馬車の揺れとイスの硬さで既にお尻に限界を感じていた。
一応、貴族の馬車ということもあるのか椅子にはクッションようなモノが敷いてあるが、何しろ薄っぺらいのでほとんど変わらない。
「トーマ様、パン食べます?」
「いや、ムリ。…セシリアは本なんか読んだりして酔わないのか?」
「よゆー」
「…なぁ、学園までどれくらい掛かる?」
「一時間くらいでしょうか」
「一時間…俺、降りていい?」
「我慢して下さい」
ピシャリと言われてしまい大人しく従うが、しんどいモノはしんどい。
座っていられなくなった透真は立ち上がってしまう。
「座って下さい」
「いや、勘弁して下さい」
そんなやり取りをしながら一時間。
目的地に着いた透真はいち早く馬車から降りる。続いてアリシアとセシリアが優雅に降りてくる。
「おぉ、でかいなぁ」
馬車を降りた透真は目の前にある建物を見上げる。
それはお城のようにも見える巨大な建物で、以前観た映画の魔法学校のようだった。
「これが学園なのか?」
「えぇ、そうです。取り敢えず、学園長の元へ向かいましょう」
アリシアの後ろに着いて歩くこと十分、セシリアを背負う。更に歩くこと十分、漸く校舎内に入る。そして更に歩くこと十分、漸く目的地に到着した。
「遠くね?」
透真の呟きを無視してアリシアは学園長室と書かれているであろうドアをノックして部屋に入る。
慌てて透真もそれに続く。
「お久しぶりです学園長」
「やぁ、久しぶりだねアリシアさん」
アリシアに学園長と呼ばれた男は眼鏡を掛けた気弱そうな三十台前半の優男だった。
透真にはどうにも学園長には見えなかった。
魔法学園の学園長と言えば強い老人というイメージが大きった分、目の前に立っている男はどうにもそれらしくは見えなかった。
「おや、セシリアさんが男性に懐くとは珍しいですね」
「そういえばそうですね」
そう言いながらアリシアと学園長は透真の背中で眠ってしまったセシリアを見る。
確かに透真も最初は明らかに怯えられていた。
「おっと、そうだった。自己紹介がまだでしたね。私はノクティス魔法学園の長、ランドルフ・ハルフォードと申します」
学園長改め、ランドルフは透真へと手を差し出す。
「神楽坂 透真です」
「確か君達の世界では名前が後ろに来るんだったかな?」
―――—君達の世界?俺と同じ日本人がいる?一人じゃない。最低俺以外に二人以上。
学園長が透真が異世界人だということを知っていてもおかしくはないと思っていたが、その世界のことまで知っているとは思わなかった。
何故知っているのかといえば、透真以外に同じ世界から来た奴がいるからだろう。
しかも恐らく同じ日本人。
「さて、君達が最後で他の九組は既に到着してるよ」
学園長はそう言って隣の部屋に繋がっているであろうドアを開く。