歯車②
辺りはまるで夜だ。
でも夜にしては景色の色が不自然に紫がかっている。
自分の目にその色のフィルターが入れられたような、そんな景色。
「レイ!?レイ!どこにいるの!?」
突然消えた友人を探しながら、ミスラは追いかけてくるバケモノから必死に逃げる。
だがおかしい。
走っても走ってもすれ違う人どころか話し声や騒音も聞こえない。
明らかに、自分とバケモノだけしか存在していなかった。
それに
(この公園通るの、何回目だろう)
先程から大樹のある公園の周りを無限ループしている。
公園から出ればまた公園の入口に戻る。
『ギュルルルルルルル』
腹に響く気持ちの悪い鳴き声を発して、黒い花のバケモノが一気にミスラとの間合いを詰めてきた。
「あ゛っ」
バケモノのムチが振り返ろうとしたミスラを襲う。
左頬に強く鋭い衝撃を受け、体は仰け反るようにして飛ばされた。
「……っ」
そのまま地面を転がり、大樹の大きな幹に思い切り背中を打ちつけた。
重い体を起こそうと腕に力を入れると、
「痛っ!?」
転がった時に擦れたのだろうか。見ると右腕から血がにじんでいた。
そして息をつく間もなく。
『ギュルルルルルルル』
公園の中に根を這わしていくバケモノ。
ミスラは背後の太い幹を盾にして、自分の身がバケモノから見えないような位置に隠れた。
恐怖と疲労で乱れる呼吸。
これまで、毎日欠かさずこの樹に願いを届けてきたが、いまほど、この幹の太さに感謝したことは無い。
ミスラは痛む右腕を抑えながら、息を整えようと、深く空気を吸い込んだ。
「これからどうしよう…」
———砂利の擦れる音がする。
それは、バケモノが幹の向こうにいて、そして動いている事を示していた。
「……っ」
考えるのは止めておこう、とミスラは頭を振って最悪のイメージを追い払う。
でも、やっぱり、どうしても気になって。
ゴクリと唾を飲みこみ、バケモノの様子を伺おうとした。
右腕を庇いながら、顔だけを、ゆっくり、バケモノの死角から出す———と。
「……!?」
目が………合った。
ミスラの、その髪と同じ太陽を思わせる色の瞳と、そこだけが不気味に光る、バケモノの目玉が。
いま、ひとつの直線の上で、重なる———
……………————刹那。
ヒュンっ
事は一瞬。
———その何もかもを吸い尽くしてしまいそうな目玉に見つかり、ミスラは身を隠そうとした。
しかしバケモノはそれを許さなかった。
ミスラが身を引くほんの少し前に、攻撃をしかけた。
微風も許さないような、いままで凍っていた世界を、その一瞬で壊してしまうかのように。
ミスラの髪が、肌が、そして空気が、震えた。
黒い花から放たれた、その強靭な茎のムチによって———
さて、先程左頬に食らったものは、こんなにも強烈なものであっただろうか。
辛うじて、瞳を動かすミスラ。
信じられない、とでも言うように、目を見開く。
今の今まで、強く、太く構えていた、その頼もしさ故に、ミスラに感謝までさせた大樹の幹。
それが。
「う、うそ…」
見事なまでに、えぐれていた。
「こ、こんなの、食らったら……」
その後の言葉を、口に出しかけて飲み込む。
こんなの食らったら———
言わずと知れて、木っ端微塵、である。
サッと、ミスラは今度こそ身を引く。
今にも倒れそうな、背中を預けるには余りにも不安が残るその幹に。
「…っ…もう少し……もう少しだけ、がんばって……」
と小声で訴えた。
右腕の痛みなどすでになく。
膝を強く抱えて。
両目に涙をいっぱいためながら。
そして願う。
「……たすけて……お姉ちゃん…」
□■□
「アオォーーーーーーーン」
突如として、街に響くは獣の雄叫び。
場違い過ぎるその声は、夜の空気に溶けてゆく。
「見つけましたわ。お姉さまっ、こちらですっ!」
獣の叫びに誘われるように、高めの少女の声が聞こえた。
その少女に文句を言うのは、歳を重ねた男の声。
「これ、お嬢。見つけたのはわしじゃ」
「エル、おてがら。そいつ、抑えてて」
と、老人を無視して、少し低い、また少女と思われる声。
「はいっ、お姉さま!」
「ふたりとも、こやつを先に見つけたのはわしじゃ」
と、吐く老人を再び無視し。
「はぁぁぁぁぁ!!」
という力んだ声と、何かを切る音が聞こえた。
バケモノの腹に響く声が聞こえなくなると、景色は元の色を取り戻した。
だが時は既に夜となっていて、天高く見えるのは太陽ではなく、紅く染まった丸い月だった。
————………
しばらくして。
「流石ですわっ、お姉さまぁぁん!」
「任務、完了」
「うむ。だがな、おふたりとも。影花を最初に見つけたのはこのわし……」
なおも講義する老人の言葉を遮ったのは。
「あれぇ、もう終わっちゃったの?」
低い男の声と。
「俺たち必要なかったみたいだね」
少し高めの、先の男とは別の男と思われる声。
「おいこら、ガキども。わしの話を……」
「ええ!あなたがたの協力なんてなくとも、お姉さま1人で充分でしたわ。ねぇ、お姉さま!」
「ちょいとお嬢……いまわしが話して……」
「ん。まだ成長、してなかったから」
「あの……」
「なんだ、雑魚だったのか。つまんなーい」
「だから、お前たち……」
「特に被害も無くて良かったよ」
「ん」
「……もう、良いわ」
□■□
えぐれた樹の後ろで、固まるようにして座っていたミスラは。
(よくわかんないけど、助かった…?)
さっきまで聞こえていた、腹に響くあの声が聞こえなくなったのを確認して、はぁ、とため息を漏らした。
そして、あのバケモノを倒したらしい集団の会話を聞きながら、思う。
(あの人たち、誰だろう)
助けてくれたということは、いい人たちなのだろうか。
だが、一つ気になることが。
(とっても出て行きづらい雰囲気だよ!!)
心の声は何に響くこともなく、ミスラが彼らの様子をおそるおそる確認しようとした時。
「……ん?この匂い……」
鼻をくんと動かしながら言う老人に、声の高い少女。
「ラム、どうしたんですの?帰りますわよ」
「ん?あぁ、そうじゃのぅ……」
と、言いながらも、ラムと呼ばれたその老人はそこから動かず。
「……ふむ、これは……。人間の臭いがする」
「当たり前でしょ、僕たち人間だよ?」
という低い声の男に、苛立ちを露にして、ラム。
「違うわ阿呆。お前たちの他に、この場に人間が居るという事じゃ阿呆」
ラムの言葉にすかさず少女、その低い声でこぼす。
「2回、言った」
□■□
「!!」
樹の陰から顔を出そうとしたミスラは、ピタリと動きを止めた。
(うそ、見つかった…!?)
想像もしなかった展開に、ミスラの身体は無意識に震えた。
パキッ。
という小枝の折れる音に、そこにいた一同が振り返る。
ミスラさえ、自分の手元を見下ろし。
あぁ、やってしまった———と。
「……そこ、誰かいる……?」
「っ!!」
明らかに自分のことを指している、少女の低い声に。
ミスラはどうするのが一番良いのか考え、だが答えは出て来ず、沈黙に徹した。
ザッザッ————
聞こえてくる足音は、次第にミスラに近づいていく。
訳の分からないバケモノから、ようやく助かったと思った矢先、これである。
少しの恐怖に加え、もう逃げ場のないこの状況に、どこか投げやりような気分になって。
ミスラはじっと、足音を聞いていた。
やがてそれが、すぐそばに来たのを確信し、ミスラはゆっくりと顔を上げた。
月が、太陽の光を反射して、樹下のふたりを照らし出す。
そこにいたのは
「………!?」
記憶の中でしか、会うことが叶わなかった
「……え………」
願わくば、もう一度だけ、その笑顔が見たいと
「な、んで……」
しかしこの願いは叶わないと、諦めていた
「どうして……あなたがここに……」
唯一の、希望。そして…光。
「……お、姉……ちゃん……!?」
「っ、…ミスラ」
ふたりの間に、涼やかな風が吹いた。
□■□
再会は突然に
偶然と見せかけた
神の策略によって———
彼女たちの運命の歯車が
今狂い、そして動き出す。
これから紡ぐは新しき『世界』の
新しき『神話』
神と人間の愛の物語———