再編成
(9)
東部辺境、オストブルク
三番街、アルキュイ
午後六時半ーーー
「ーーーされば、まずは近衛騎士団長の人選から」
リーシェは口を開く。
「そこにおられる、リシャール・ヴァンダム・コーディアス卿を。そう考えております」
「リーシェ」
リシャールがリーシェに言う。リーシェはリシャールにも言う。
「君が受けないのであれば、僕は指南役を引き受けない」
王はリーシェに言う。
「もう一つは、何じゃな」
「私が直に手合わせして、許した者のみを、近衛騎士団の騎士としてお抱え下さいますように」
リーシェは続ける。
「騎士の名にふさわしからぬ腕、凡そ騎士らしからぬ腕の人間に、血筋のみを理由として高い俸給や封土を与え好き放題させることが、国を弱くします。名ばかりの近衛騎士団の指南役など、御免こうむります」
リーシェの話を聞き、王はソルフィーを見て苦笑しながら言う。
「そなたの申した通りじゃ。いやはや、キツイのう」
ソルフィーはリーシェに言う。
「申したいことは、それだけか」
リーシェはソルフィーを見る。
「聖十字教国のことは、良いのか」
リーシェは、あっ…という顔になる。それを見て、ソルフィーは言う。
「陛下、聖十字教国の枢機卿、マリュー・ド・アドリアは、このリーシェと同じグランドマスターです。兄弟のように育ち、共に剣技を磨いた仲。腕も現在は甲乙つけがたいものです。戦えば必ずどちらかは死に、他方も無傷では済みません。できれば戦わせたくない」
「何がしかの形で、好を通じればよい、そう考えておる」
王は頷いた。
「伺ったところでは、そなた枢機卿猊下の義妹君と、許嫁だということじゃが」
リーシェは、喋ったのか…という抗議の視線をソルフィーに向ける。ソルフィーは、明後日の方向を向いて知らんぷりをしている。
「…私が幼少の時、先生とマリュー師兄の一存でお決めになった事です。私は、まだ早いと…。何より、彼女のお気持ちがどうだか―――」
ソルフィーがリーシェの言葉を捉える。
「そうか、彼女が望めば、すぐにでも受ける、ということじゃなリーシェ」
リーシェはしまった、という顔をするが、ソルフィーは容赦ない。
「それだけ聞けば十分じゃ」
「おお、剣聖殿、感謝いたしますぞ」
嵌められた、という顔で下を向くリーシェ。王はリーシェに言う。
「そなたが言う二点については、何の問題もない。そのようにいたそう」
あまりにもあっさり王が要求を呑んだので、リーシェは愕然とした。さらに、王が言った次の一言も、皆を仰天させるのに十分であった。
「ラウンデル、ドナン、パーレヴィをここに残す。D・S隊の他のメンバーについては、王都に来るかどうかを選ばせよう。今回リシャール、リーシェ殿に率いてヴィサンに入ってもらうメンバーは、連れて来た三千を含めた内から多くても一割…と考えておった」
リーシェはびっくりしてラウンデルを見る。ラウンデルは頷く。
「俺がここに残れば、マウだけで簡単に仕掛けてはこれまい。」
「しかし、フィルカスが」
「だから」
とラウンデルはリーシェに言う。
「聖十字教国に…マリュー殿に動いていただかねばならん」
リーシェは苦渋の表情を浮かべる。
「僕は―――僕はどうなってもいい。でも、彼女を政争には巻き込みたくないのです」
そのリーシェの表情に、ミシェルの顔から更に血の気が引く。
「その話は一旦おこう。先方がどうだか、ここではわからん。こちらの体制を整えるのが先だ」
「今すぐとは言わぬ。東方の視察をする間に、返答を聞きたいのじゃ」
リーシェは無言で、王に頷いた。
午後八時―――
珍しく早い時間に、アルキュイから客の姿がほとんどなくなった。
リーシェはカウンターに肘をついて、無言で物思いにふけっている。
宴の片付けの終わったカウンターから、ミシェルがそれを心配そうに眺めている。
ラーリアは、リーシェの隣に座っていたが、彼にかける言葉を持っていなかった。
「リーシェ」
ミシェルがリーシェを呼ぶ。リーシェはミシェルを見る。
「…王都に、行くの」
リーシェはそれには答えない。ラーリアも言う。
「これから、どうなるの」
「道は二つだ」
リーシェは独り言のように言う。
一つはこのまま東方に残り、エルフィアの守りを固める。当面の危険は少ないし、生活や環境の変化を気にしなくて済む。しかし、それではそう遠くない未来にD・S隊の戦力は擦り減り、隊を維持できなくなるだろう。そうすれば、東方はウィルクスの手に落ちる。僕がやられることは恐らくないが―――この街を永遠に守ることは不可能だ。
もう一つは、陛下の申し出を受けヴィサンに赴き、近衛騎士団の指南役となる道。―――少なくとも三百人を選別し、優秀な人材を集めた上で、王都に戻らねばならない。大変な作業だ。と言うより、近衛騎士団から来た三千人弱の中に、王都での任務に耐える人材がいるとは、僕には思えない。それを考えただけでも、気が重い作業だ。幸いラウンデルがここに残ってくれるので、D・S隊の全員がヴィサンに行くわけではないから、この街を守ることは以前よりむしろ容易だ。その間に、王都で体制を整え、新たな近衛騎士団を少数精鋭の、真の「近衛」にすればいい。―――しかし、エルフィアの王権は弱い。他の王族、十五朝の諸侯の中でも、陛下に逆らい、王位を狙う者が何人かいる。恐らく、王都に行けば———
リーシェはそれきり口を噤んだ。ラーリアは彼が言おうとしたことが分かった。
王に逆らう諸侯たちの護衛士隊との、血で血を洗う抗争が待っているのである。
敵を力で完全に屈伏させるか、全滅させるか、あるいは徳で心服させるか…いずれにせよ、連れていく仲間達には危険な戦いが待っている。
「アタシは」
とラーリアが言う。
「リーシェが行くなら行く。…行かないなら、ここに残る」
リーシェはラーリアに言う。
「王都の護衛士隊には、とんでもない悪党が沢山いる。毎日命の危険にさらされることになるよ」
「どのみち、どこにいても危ないんでしょ。…だったら、リーシェの側にいるのが一番安全だわ」
ミシェルの瞳から、涙があふれる。リーシェはミシェルに言う。
「暫くは、戻ってこれないだろうと思う。…しかし、ウィルクスが出てくれば、ことと次第によっては近衛騎士団が出張らねばならないだろう。早馬を使えば、二日もあればここに着く」
「私も、一緒にヴィサンにいきたい」
ラーリアはもらい泣きする。
リーシェは二人に言う。
「ヴィサンに行くと決めても、それから人選をしないといけない。三千人を僕一人で見るのは不可能だ。…リシャール、ラウンデル、そして先生、ヴェスタールあたりに手伝ってもらわないと」
それでも、一人当たり担当する人数は六百名。一日六十人見たとして、十日はかかる。リーシェはその作業にもうんざり、という顔をする。
ようやく涙がおさまったミシェルが、リーシェに言う。
「許嫁、っていう女性のこと、教えて」
リーシェはミシェルの顔を見る。ミシェルは涙の後の残った瞳で、じっとリーシェを見た。
リーシェは溜息をひとつつくと、話し始める。
聖十字教国の枢機卿、マリュー・ド・アドリアには、異母妹がいた。マリューの父、故アドリア侯爵が、エルフの歌姫との間に産ませた庶子であり、名をフェリア・ヴェア・アドリアといった。フェリアは若くして母を失い、アドリア侯爵の正妻であるマリューの母に育てられた。マリューは十歳下のこの妹を大変かわいがっていたが、聖十字教国では混血の子はその力故に恐れられ、迫害されることが多かった。マリューの留守に、一人聖十字教国の都ロードポリスに着いたリーシェが、アドリア侯爵家を訪ねた時、混血であることを理由に使用人たちから叩きだされそうになっていたところを、フェリアが見つけて助けたのである。リーシェはそれを誰にも語ることはなかった。魔族や蛮族の襲撃を受け、ロードポリスに戦火が及んだ時も、リーシェはアドリア侯爵家の屋敷を文字通り死守し、フェリアを護ったのである。
「フェリア様は、お優しい方だ。…こんな血まみれの手で、触れていいお方じゃない」
「でも、同じ混血なのでしょ?」
「リーシェのこと、どう思ってるのかな」
リーシェは溜息をつく。
「彼女を、政争に巻き込みたくないのね」
「ああ、勿論だ」
「もし妹君が、あなたとの結婚を望んだら…どうするの?」
リーシェはラーリアを見つめた。
「僕からは、お断りできない。マリュー師兄と先生のおっしゃることだ」
ミシェルはゆっくりと口を開く。
「なら、フェリア様のお気持ち次第ね。ここで思い悩むことじゃないと思うわ」
ミシェルはそう言うと、リーシェに水の入ったグラスを手渡す。
「あなたは、王都に行かなければいけない。―――もともと、そうなる予定だった筈よ」
「ここが」
とリーシェは言って、頭を抱える。
「ここが、居心地が良すぎるんだ。―――僕の一生の中でも、ここで過ごしたことを、今後忘れることはないだろう」
リーシェは呻く。
「―――行きたくない。でも、それはやはり許されない」
「お水を飲んで、リーシェ」
リーシェはミシェルに言われるまま、グラスを干す。
「もう今日はおしまいにしましょ」
リーシェはミシェルに頷くと、席を立つ。
「ラーリア、リーシェをお願いね」
ラーリアもミシェルに頷く。二人はそのままアルキュイを出て、宿営に帰っていった。
オストブルク、中央広場―――
近衛騎士団に激震が走った。
「そんな、そんなバカなことがあるのか!?」
ラスカー卿はにべもなく言い放つ。
「そなたらは、十分の一以下の東方騎士団と傭兵隊の最精鋭に守られる、という失態を犯したのだ。陛下は近衛騎士団の醜態に失望されたのだ」
「われらは、代々騎士の家柄だ。近衛騎士団に所属する権利を持つはずだ!」
セギエ卿がそれに対して言う。
「権利を主張する前に、近衛騎士たる資格を見せていただきたいものですな」
「何をしろと」
「然様…近衛騎士たる資格があるかどうか、試験を受けていただく。すなわち、近衛騎士団を『再編成』しよう、ということなのです」
広場に集まった近衛騎士の前に、王が現れた。
「皆、集まったか」
近衛騎士たちは王の登場に、口々に叫ぶ。
どういうことだ!
我々はどうなるのだ!?
王は片手をあげてそれを制する。広場は静まり返った。
「聞くが良い!余はこれより、近衛騎士団を再編成し、真にエルフィアを代表する騎士の集まりとする!」
その言葉に、一人の騎士が進み出る。
「真にエルフィアを代表する騎士、その中に間違いなく私が入るはずだ!」
騎士の名は、ヴィセンシア・ド・ヴェスティア。十五朝のひとつ、ヴェスティア公爵家の二男坊であった。
「ヴィセンシアか」
「陛下!わがヴェスティア公爵家は、間違いなくエルフィアを代表する貴族の家柄のはず、違いましょうや!」
王は頷く。喜ぶヴィセンシアに、王はしかし続けた。
「その一族であるそちが、近衛騎士であるに相応しい、腕と人格を備えておるかどうか、これより試験を行う」
「!?」
王の傍に、数名の人影が現れた。
「試験官は、この者たちじゃ」
その顔ぶれを見た近衛騎士たちは、言葉を失った。
ヴィシリエン最強の剣士、アルウェン・レオンハルト・ソルフィー。
その高弟にして、グランド・マスターを許された、「蒼の剣士」リーシェ・フランシス。
傭兵隊「D・S」隊長、ラウンデル・ジャン・ルーヴィンシュタイン伯爵。
東方騎士団副長、ヴェスタール・ド・ロストク男爵。
リシャール・ヴァンダム・コーディアス。
最期に、現在の団長、ラスカー卿。
「この六名で、ざっと三千名を試験する。我と思わん者は、順に彼らと手合わせせよ!彼らの眼にかなったものを、新たに近衛騎士として王都に連れ帰る!」
ラスカーが王に続いて言う。
「現在王都に残した者たちも、同様の試験にかける。不合格となったものは、近衛騎士の名を剥奪し、新たな任務に就かせるものとする!」
近衛騎士たちの中に、戦慄が走った。
リシャールが大喝する。
「実際に王を守れぬ者に、近衛騎士の名は不要である!新たな近衛騎士隊長、リシャール・ヴァンダム・コーディアスの名において、武芸無き者、勇無き者、知無き者、徳無き者が、近衛騎士を名乗ることは、今後一切許さん!」
近衛騎士を含め、広場に集まった者たち全てに、王は言う。
「近衛騎士、東方騎士団、並びに傭兵団の勇士たちよ。我と思わん者は全て、彼ら六名の試しを受けよ!これから二週間の間、この広場で毎日、朝九時から夕方四時まで試験を行う!」
中央広場の五か所が、闘場として区切られた。六名のうち五名が同時に試験を行い、一人は休憩できる。順に休憩と食事を行い、一日に二百名程を調べることが可能である。
「俺の試験官は、誰だ!?」
ヴィセンシアが勢い込んで一の闘場に姿を見せる。他の闘場にも、順に騎士たちが歩み入る。
休憩を引いたソルフィーが、声をかける。
「では始めい!」
ヴィセンシアの前に現れたのは、リーシェであった。ヴィセンシアは白銀に輝く見事な長剣を手に、リーシェに対峙する。
一方のリーシェは、剣に手もかけない。
「抜け」
リーシェは動かない。
「おのれぇ!」
ヴィセンシアが仕掛けようとした瞬間。
一の闘場の周囲に、リーシェが剣気を解放した。ヴィセンシアの顔面が蒼白になり、脚が震えだす。並んでいた騎士たちも、顔面蒼白になり、その場にへたり込む者もいた。
「く…くそ…!」
ヴィセンシアは何とかリーシェに駆け寄り、剣を振り下ろす。
リーシェはすっ…と体を開いてそれを躱すと、ヴィセンシアの懐に入る。リーシェはヴィセンシアの鎧の胸の部分に掌を当てた。
次の瞬間。
鈍い音がして、ヴィセンシアは吹っ飛ばされていた。
彼が着ていた鎧の胸の金属板が、大きくへこんでいた。
リーシェがたった一発の掌底突きで、ヴィセンシアを弾き飛ばしたのである。
血反吐を吐いて、ヴィセンシアがうずくまる。
「立て、十五朝の御曹司。それでもヴェスティア公爵殿の子か。恥を知れ」
「く、くそ…」
立ち上がったヴィセンシアは、剣を振り回してリーシェに襲い掛かる。
しかしその剣は、またしてもリーシェに当たらない。
リーシェは今度はヴィセンシアの鳩尾に掌底を見舞う。同じように転がされ、悶絶するヴィセンシア。
「まだやるか」
リーシェはヴィセンシアを見下ろす。
「やるなら、今度が最後だ」
リーシェは背の剣に手をかける。凄まじい殺気をヴィセンシアにぶつけた。
「ま、参った…」
リーシェはヴィセンシアに言い放つ。
「近衛騎士としては、修行が足りん。―――ここで東方騎士団として務めるか、僕に斬られて死ぬか選べ」
ヴィセンシアは、リーシェの殺気に押される。
「とと、東方騎士団に入る!」
リーシェは殺気をおさめると、次…と声をかける。
続々と騎士たちが試験を受けるが、どの闘場からも合格者は一人も出ない。見物に来た町の住人達も、繰り返される試合で無残に近衛騎士たちが敗れ去る様に、ため息をついた。
ヴェスタールの闘場に、一際大きな男が上がった。
「よう、ヴェスタール」
「グリムワルド殿か。よく来られた」
「いっぺん本気でやって見たかったんだ。よろしく頼むぜ」
グリムワルドは愛用の大きな戦斧を構える。
ヴェスタールも応じる。
「こちらこそ」
それまで闘場に上がった近衛騎士たちとは、段違いの気を、グリムワルドは放っていた。さしものヴェスタールもその気に押されて、一歩退がる。
「うおおおおお!」
グリムワルドが声を上げ、大上段から一撃を放つ。ヴェスタールはすんでのところでそれを躱し、グリムワルドの懐に飛び込もうとする。が、その足が止まった!
グリムワルドは振り下ろした斧の勢いで体を回転させ、既に第二撃の構えを完成している。
「たあっ!」
ヴェスタールが攻撃をかける。グリムワルドは大きな斧を盾のように使い、ヴェスタールの攻撃を余裕を持って受ける。見ていた騎士たちや町の住人達から、歓声が上がる。
「さすがはグリムワルド殿だ」
ヴェスタールは肩で息をしている。グリムワルドはまだ余裕綽々である。
「この人数を、六人で…ってのは、無理があるなあ」
「やらねばならんのだ!」
二人は間合いを詰め、競り合いを演じる。グリムワルドが横に斧を払う。ヴェスタールは持っていた盾の上部を斬り飛ばされた。彼は盾を投げ捨て、剣を構えてグリムワルドに捨て身の一撃を放つ。グリムワルドは斧でそれを弾き、左へ躱す。二人は間合いを取った。
「そこまでじゃ」
見ていたソルフィーが割って入る。
「ヴェスタール、どうじゃ」
「言うまでもございません。グリムワルド殿、合格といたします」
ヴェスタールの闘場から、全体の中で初めての合格者が出た。
傭兵隊D・S副長、クラム・グリムワルドである。
彼は即日近衛騎士に叙任された。
「もう嫌だ」
リーシェはアルキュイのカウンターで溜息をつく。グリムワルドが高笑いして言う。
「そりゃあ、無理ってもんだぜ」
リーシェの闘場からは、初日一人の合格者も出なかった。他からは、合計で九名の合格者が出た。内訳は、近衛騎士団から三名、東方騎士団から二名。あとはジェット、ラーリア、グリムワルド、ギュンターの四名のみであった。
「してみると、このオストブルクで最強なのは、やはりD・S隊ってことかな」
「僕のところには、誰も来なかった」
リーシェは悲しそうに言う。
「よりにもよって、家柄自慢のカスばかり。剣を抜く気にもなれないよ」
彼は初日だけで最多の七十人の相手をしたが、そのことごとくが彼の目から見て合格に値しなかった。全て東方騎士団のドナンに預けることになったが、彼の苦労を思うとリーシェの心は痛んだ。とはいえ、自分が彼らを連れて王都に戻ろうとは、リーシェはこれっぽっちも思いはしなかったが。
「リーシェがあんなに強いなんて」
リーシェが戦う所を初めて見たミシェルは、今日何度目かわからない位そのフレーズを繰り返していた。
「僕が強いんじゃない。彼らが、弱いんだ」
「きついな、リーシェ」
リシャールはそう言って笑う。
「でも、三百人見てたったの九人か…先が思いやられる」
リーシェは再びため息をつく。ラウンデルは笑う。
「ま、俺の見立てでは、ざっと見て二百五十位かと思う。三百にこだわる必要はないぞ、リーシェ」
ラウンデルはそう言うと、
「数じゃない。本物をいかに集めるか、が重要だ」
「ありがとうラウンデル」
「その意味で、今日残した九人は、完全に本物だ。間違いないさ」
リーシェはラウンデルにも言う。
「ラウンデル…ここの守りは、大丈夫なのか」
ラウンデルは頷く。
「とりあえず、俺が残れば兵を育てることもできる。戦ってはいけない相手とは、戦わないことも可能だ」
「それはそうだけれど…」
「心配するな」
ラウンデルはリーシェに酒を注ぐ。
「お前は、納得のいく人材を一人でも、見つけてくれればいい」
同日同時刻―――
オストブルク庁舎
王の本陣―――
「やれやれ、大分数は減りそうじゃな」
王は名簿を見ながらため息をついた。
「仕方がありません。これまでが異常だったのです」
ソルフィーは王を慰める。
「まあ、この東方でウィルクス相手の戦をすることで、彼奴等を鍛えるとお考えになれば、よろしいでしょう」
「剣聖殿にそう言っていただくと、少しは気が楽になる。王都の千名も、恐らく一割も残らぬじゃろう」
「一割、ですか」
王妃の言葉に、ソルフィーは首を横に振る。
「その半分も残れば、奇跡でしょう、王妃様」
王妃は絶句する。三千名が、三百名になる…それだけでも驚きであるのに、そんなに一気に減らして大丈夫なのか、王妃ならずとも不安になることは避けられなかった。
「ラウンデルには、考えがあるのです」
「まあ、ルーヴィンシュタイン伯爵に、どんなお考えが」
ソルフィーは笑って言う。
「王都で贅沢な暮らしに慣れ、戦いを忘れたぼんぼん共を、最前線に送って目を覚まさせよう、という考えでしょう」
「つまりは、戦いの中で彼らを鍛えよう、ということか」
「御意」
王の言葉に、ソルフィーはすまして答える。
「しかし」
王は心配そうな顔を崩さない、
「王都には、各諸侯の護衛士隊が数多くあるぞ。それでなくても我物顔で跋扈しておるというのに―――」
「数はどのくらいですか」
「多い家で、三百程。王都にそう多くの侍を抱えておける諸侯は、なかなかおらんでな」
ソルフィーは笑う。
「ならば心配には及びますまい。リーシェ、リシャール、グリムワルド、それに…ジェットとラーリア、ラスカー、ヴェスタールの七人で、事足りる家もありましょう」
「本当ですの?」
シャルロット姫もさすがに不安げに言う。
「リーシェが本気を出せば、五百や千の敵など、皆殺しに出来ましょう。…本人が喜んでそれをやるとは思いませんが」
いつしか、風が吹き始め、パラパラ…と雨が降り出していた。
「―――明日は休みのようじゃな。これでは手合わせはできぬ」
それから一週間。
リーシェ達は中央広場で手合わせに明け暮れた。近衛騎士団の中でも、武勇に優れ、人格も立派な数少ない騎士を、皆残さず見つけて新たな近衛騎士として取り立てていった。武芸の未熟なもの、心の未熟なものは、それぞれに新たな任務を与え、東方騎士団の中の諸隊に再編成していく。傭兵隊の中からも、少なからぬ手練が新たに近衛騎士として叙任された。そうして、新たな近衛騎士団の人員が徐々に決まってゆくにつれ、手合わせを待つ人数も少なくなっていった。
ドナンとパーレヴィは、新たに補充された騎士を中隊・連隊に組織した。無論各隊の隊長には、実戦経験を持つ東方騎士団の老練なメンバーが選ばれ、これまで家柄のみで幅を利かせていた旧近衛騎士の面々は、最下層の平隊士からの再出発になった。武勲なくして、出世なし。仁徳なくして、出世なし。東方の民を苦しめる者、死罪。騎士にあるまじき卑怯な振舞い、死罪。命令違反、死罪…東方騎士団の軍規は、一気に引き締められた。降格され、リーシェに完膚なきまでに叩きのめされたヴィセンシアは、その腹いせにオストブルクの街中で若い娘を襲った。しかし、その呆れた振舞いを恥じた同中隊の騎士達によって捕えられ、罪状を付けた上で縛り首にされたのである。大諸侯の息子とて、軍規違反は容赦なく罰する、という東方軍団の方針は、即日全軍に伝わった。
なかなか合格者が出なかったリーシェの闘場からも、若く熱意があり、高潔な騎士が、数名リーシェの許しを得て近衛騎士団に加わっていた。そのうちの一人が、ランスロット・ソミュールという、銀髪の若者であった。王都の西に領地を持つ小領主の家に生まれ、武芸を磨いて近衛騎士団に取りたてられた彼は、リシャールには一歩を譲るもののなかなかの手練であった。今一人の有望株は、ベルンハルト・バルムグレンという、これまた若い騎士だった。彼は非常に沈着冷静で、リーシェとの間に絶望的な力の差を見せつけられても、怯まず決して諦めなかった。何よりもリーシェを感心させたのは、彼が古代語魔法を使った点であった。追い詰められたベルンハルトは、リーシェに対して魔法の矢を放ってきたのである。無論古代語魔法に精通しているリーシェに通じるレベルではなかったものの、新隊において彼が戦力足り得ることは間違いがなかった。数は少ないものの、リーシェの闘場からはそうしたキラリと光る逸材が出ていた。
新たに任じた近衛騎士団から五十名を選抜し、グリムワルドとラウンデル、ソルフィー、そしてジェットを中心とするメンバーが護衛して、王とセギエ卿を中心とする廷臣を伴って周辺の諸都市を巡回にでてから三日。残されたリーシェ達は今日も手合わせに追われていた。
四時の鐘が鳴る。とうとう、残る候補者は三百弱まで減った。あと一日で、全ての手合わせは終わる。
「さすがにくたびれた」
リシャールがそう言って石畳に座り込む。リーシェは笑って言う。
「ご苦労様。さ、食事にしようか」
「その前に風呂にしたいよ」
リシャールもリーシェにそう言って笑う。本部の天幕から、王妃とシャルロット姫がやって来る。
「リーシェ様、リシャール、冷たい飲み物をどうぞ」
「ありがとうございます、殿下」
リーシェは水筒から一口飲む。順に、リシャール・ヴェスタールと飲み物を回し、最後にラスカーが水筒を王妃の手に戻す。
「しかし、よくここまで手合わせし切ったものだ」
「ラスカー卿も、お疲れ様でした」
「なんの」
とラスカーは首を横に振る。
「リーシェ殿が沢山見て下さったので、私などは楽をさせていただいた。それなのに、この涼しい顔…やはり、リーシェ殿は桁違いだ」
「恐縮です。…リシャール、今夜はこちらをお願いするよ」
リーシェはリシャールに本営に残るように言う。リシャールは頷き、シャルロット姫の顔が喜びに輝く。
「リーシェはどうするんだ」
リーシェは言う。
「アルキュイで食事して、ゆっくり休むさ」
手合わせの後始末が行われるのを見届けると、リーシェは一人アルキュイに向かった。
中央広場から、アルキュイまでリーシェは一人で夕方の道を歩いていた。あと何日、この街にいられるだろう。そんな思いが彼の胸の中にふと沸いた。
気が付くと、アルキュイに来ている。傭兵隊を中心に、客はいるものの、主要なメンバーが出払っているアルキュイは、落ち着いた雰囲気であった。
「いらっしゃい、一日お疲れ様」
ミシェルがリーシェを迎え、労いの言葉をかける。カウンターのいつもの席に座ったリーシェの側に、ラーリアが歩み寄った。
「リーシェ、お疲れ様」
「おや、近衛騎士ラーリア・フライブール殿」
リーシェはおどけて言う。
「お食事ですか」
ラーリアはリーシェを肘でつつく。
「もう、そんな言い方しないでよ」
「あはは、ごめんよ」
リーシェは笑って言う。
「ラーリアもこれから食事かい」
「ええ」
リーシェは小麦麺と、煮込料理、そして白麦酒を頼んだ。ラーリアも同じものを、と言い、店の中を眺める。
「―――誰もいないと、寂しいね」
「まあ、主要メンバーが陛下について行ってしまったからね」
ミシェルが持ってきたジョッキで乾杯すると、二人は食事を始めた。ミシェルがカウンターの中から、二人に言う。
「明日には、試験は全部終わるんでしょ」
「そうだね」
とリーシェは答える。
「―――もうすぐ、お別れだね」
ミシェルは寂しそうに言う。リーシェは首を横に振る。
「一生の別れじゃないさ。―――多分、遠からずまたここは戦場になる。」
「そしたら、みんなまたここに来るかもしれないってことね」
「だからラウンデルたちに、これからも旨いものを食べさせてやってほしいんだ。僕らがまたここに、帰ってくる日まで」
ミシェルは力強く頷く。
「分かった。あたしたち、ここで頑張る。だから、リーシェもラーリアも、元気でいて。死なないでね」
「ありがと、ミシェル。アタシも頑張るよ」
リーシェ達残留の試験官による審査が完全に終了したのは、翌日の午後一時過ぎであった。その日はまだ王の一行が周辺諸都市の視察から戻らなかったため、彼らの王都への出発は無かったが、遠からず王の一行が戻り次第彼らは王都へ出発する運びになっていた。出発時の三千を、その一割弱まで減らしての帰還は、視察に加えて東方への補充と援軍の派遣の色合いを強くしたものになっていた。それもまた、ラスカーやラウンデルが考えた対ウィルクス王国の作戦の一貫であった。
「いよいよね」
シャルロット姫が、リシャールに言う。
リシャールは彼女の隣で街並みを眺めながら、無言で頷いた。
彼の着ている上衣には、近衛騎士団の紋章が描かれていた。
「これで、元通りに戻れるのかしら」
リシャールは首を横に振る。
「以前より、お互い忙しくなる」
その言葉に、シャルロット姫は頷く。
「そうね」
「もっと状況をよくできるように、全力を尽くすよ」
「リシャール」
シャルロット姫はリシャールの腕の中に滑り込んだ。
暫くの間、二人は互いの命の温もりを確かめあうように、しっかり抱き合っていた。
今は、まだその時ではない。
しかし、時が来たら、必ずリシャールを自らの夫に。
シャルロット姫は心に固く誓っていた。
「私は、必ず望みを叶えてみせるわ、リシャール」
リシャールは頷く。
「必ず、君を守ってみせる、シャルロット」
「リシャール…!」
リーシェは短い間寝起きした宿衛の部屋を引き払う準備を終えていた。
荷物と言っても大したものも持たずに旅をしていた彼のこと、新たに支給された上衣を纏い、剣帯をかけ、両刀を背と腰に帯びて、既に何時でも王都に迎える状況になっていた。
おそらく、今夜か…或いは、明日の夜がオストブルクでの最後の夜になるだろう。
リーシェはそう確信していた。
彼はまとめた荷物をそのままに、宿営をでて、三番街へ足を向けた。