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蒼の剣士 ~ fantasy ~  作者: 紅の豚丼
7/53

東部辺境、オストブルク(2)

(7)


 東部辺境、オストブルク———


 やって来た王の一行に、街は沸き返った。大歓声で民衆は王を迎える。留守を預かっていたドナンとパーレヴィが国王一家を中央広場の本陣(=町の庁舎)に案内する。近衛騎士たちは東方騎士団の宿営の建物と、その敷地内の天幕に引き揚げる。そして傭兵隊と輜重隊はそれぞれの宿営に引き上げた。

 リーシェは宿営でシャワーを浴び、着替えを済ませると、魔法銀のリュートを持って「アルキュイ」を目指した。すでに時刻は四時を回っている。街には多くの人が繰り出し、賑わいを見せていた。見慣れた三番街の道を歩き、広場に出ると、店の前にはいつものように多くのテーブルが並べられ、傭兵たちでにぎわっている。D・S隊の留守部隊の仲間がリーシェを見つけ、手を振ると、店の中に向かって、リーシェが帰ってきたぞ!と叫ぶ。ほとんど音速で店からミシェルが飛び出してきた。

「ただいま、ミシェル」

 リーシェはそう言うと、ミシェルにリュートを差し出した。ミシェルはそれを受け取らず、リーシェに抱き付いて涙を流す。暫くして落ち着くとようやく彼女はリーシェに、お帰りなさい、というと、カウンターの席に彼を案内する。リーシェから受け取ったリュートを元のように壁にかけ、厨房に入ると、白麦酒のジョッキとトマトソースのかかった温かい小麦麺を持って戻って来る。リーシェも何も言わずフォークを手に取ると、白麦酒を一口飲み、麺を口に運ぶ。リーシェの席からは店とその外の広場が見渡せた。

「だいぶ、人通りが多いね」

「ええ」

 リーシェの言葉に、ミシェルが頷く。

「でも、近衛騎士団には、街中で羽目を外さないようにお触れが出ているらしいの」

 近衛騎士団の不甲斐なさに意気消沈していたラスカー卿の顔を、リーシェは思い浮かべた。

「そうだろうね」

 リーシェの隣に、ラーリアがやって来て座る。ミシェルはラーリアにも声をかける。

「ラーリア、ありがとう。リーシェを無事に連れて戻ってくれて」

 ラーリアは苦笑して言う。

「どっちかというと、アタシ達がリーシェに護ってもらったんだけどね」

 ラーリアはリーシェに、近衛騎士団の平騎士たちには、三日間の禁足と訓練が言いつけられている旨を告げる。

「どこで聞いて来たんだい」

「ん、ラスカー卿本人。王様の前で言ってたわ」

 ラーリアはリーシェと同じように白麦酒のジョッキを傾けながら言う。

「そのくせ幹部連中は、街の庁舎での歓迎式典で楽しむらしいわよ。―――しょうもない」

「どこの組織でも、そんなものさ」

 リーシェは白麦酒をもう一口飲む。ミシェルは、茹で立ての胡椒のきいた腸詰を、小皿にいくつか乗せてリーシェの前に置く。ありがとう、というとリーシェはそれをフォークで刺し、口に運ぶ。彼はもう一口白麦酒を飲み、活気がある店の中を再び見回した。

「お、帰って来たか!」

 グリムワルドがリーシェの三倍程の大きさのジョッキを片手にカウンターにやって来る。リーシェは、留守番ご苦労様、とグリムワルドに言うと、ジョッキをカチン!と合わせ、残った白麦酒を一気に飲み干す。

「お前がいないアルキュイは、火が消えたようで寂しかったぜ」

「そんな、大袈裟な」

「嘘じゃねえ」

 グリムワルドはニヤリと笑って言う。

「一番元気がなかったのは、そこの看板娘だぜ」

 毎日溜息ばっかりついてよ、と言ってグリムワルドは哄笑する。グリムワルドったら!とミシェルは真っ赤になって抗議する。ラーリアはそんなミシェルをなだめながら、リーシェに言う。

「リーシェは、庁舎の方には呼ばれなかったの?」

「今日は、近衛騎士団を歓迎する宴だからね」

 彼はミシェルからワインのグラスを受け取ると、いつものようにバレスティア産の白ワインを注ぐ。細かい泡が立ち、それが落ち着いたところで一口。

「じゃ、断ったの!?」

「あっちで飲むより、ここの方が落ち着くから」

 あちらは先生にお任せしたよ、とリーシェは言う。その通り、歓迎式典にはヴィシリエン最強の剣士である、剣聖ソルフィーも出席していた。

 リーシェの言葉を聞いて、ミシェルがリーシェに歩み寄る。左の頬に軽くキスをして言うと、再び厨房に引っ込んでいった。

「だからリーシェ、大好き」

「こら、ミシェル!!」

 ラーリアは色をなすが、リーシェが彼女のグラスにワインを注ぐと、ばつが悪そうに押し黙った。グリムワルドがリーシェに言う。

「もうすぐリシャールとジェットも来る。テーブルで、一緒に()らねえか」

 リーシェは返事の代わりにミシェルを呼ぶ。ほとんど音速でミシェルが飛んでくる。リーシェはミシェルに、皿と酒をテーブルに移してくれるように頼む。ミシェルは銀の盆にリーシェの皿と酒を乗せ、グリムワルドの隣に席を用意する。


「リシャールがねえ…」

 グリムワルドはジョッキで赤ワインを飲みながら、リシャールの顔をしみじみと見る。

「よく命があったな」

「全くだ。俺自身も信じられないよ」

 リシャールはグリムワルドとグラスを合わせると、生ハムを一切れ口に運ぶ。ウィルクス最強の「魔戦将軍」と渡り合ったリシャールの武勇伝は、既に出動した隊員達から留守部隊の面々に語られていた。

首無騎士(デュラハン)を何体も操りながら、あの強さだからなあ…我ながら、よく命があったと思うよ」

 ジェットはリシャールの言葉に、うんざりしたように言う。

「その首無騎士(デュラハン)だって、十分すぎる位強かったぜ。…何とか勝てたからよかったけどよ」

「リーシェは一太刀で真っ二つにしてたわよ」

 ラーリアは揶揄するようにジェットに言う。ジェットは笑って言う。

「そりゃあ俺には無理ってもんだぜ、ラーリア。グランドマスターと一緒にするなよ」

 ジェットはリーシェにも言う。

「しかし、『蒼の剣』が二本で一対だっていうの、実際に見て分かったが凄いよな、やっぱり」

「ありがとうジェット」

 リシャールも言う。

「先生から、リーシェの『受け』を学べ、と言われたんだ。…衝撃斬(ソニック・ブレイド)をあんな風に受けるなんて、想像もできなかった」

「あの距離からなら、ね」

 リーシェはこともなげに言う。

「それより、あっち(=庁舎)に行かなくてよかったのかい、リシャール」

 リシャールは笑ってリーシェに言う。

「リーシェやグリムワルドと、一緒に飲みたかったんだ。」

「やっぱり、お前は分かってる!」

 グリムワルドはリシャールの肩を抱いて言う。D・S隊万歳!という声が店のあちこちで起こり、乾杯が叫ばれる。夜はまだ始まったばかりであった。


 同日同時刻―――

 オストブルク、街の庁舎

 大広間―――


 王と王妃、そしてシャルロット姫、そしてラスカー卿とセギエ候爵、近衛騎士団中隊長以上の幹部、ドナン、パーレヴィ、ヴェスタールと東方騎士団の幹部、並びに街の顔役や古老たちが集まり、盛大な歓迎式典が開かれていた。王は玉座で、周辺の都市からやって来た顔役の挨拶を受け、古老たちに労いの言葉をかけていた。式典にはヴィシリエン最強の剣聖ソルフィーも顔を見せ、若い騎士達に囲まれていた。しかし、そのソルフィーの機嫌は、お世辞にも良いとは言えなかった。理由は明らかであったが―――

「あの我儘者…面倒事をみな私に押し付けおって…」

 ラウンデルがソルフィーをなだめる。

「まあまあ。騎士団と傭兵は、仲が悪うございますので―――皆遠慮したのでございます」

「だからといって、こんな所で有象無象の挨拶をいちいち受けても、何も面白くない」

 ラウンデルと二人になると、ソルフィーは小声ではあったが憤懣をぶちまける。

「だいたい、そちもそちじゃラウンデル」

「何がです」

「何が、ではない。例の店に、案内してくれるのではなかったのか」

「はあ」

「今この時にも、連中ばかり楽しくやっているかと思うと…溜息しか出んわ」

「ご辛抱ください。何卒、何卒…」

 ラウンデルは笑いをこらえながら、必死にソルフィーをなだめる。

 そこに、美しい純白の絹のドレスを纏ったシャルロット姫がやって来た。彼女はソルフィーの前で優雅に礼をすると、

「剣聖様、本日はこちらの宴にいらしてくださって、本当にありがとうございます」

「おお、これは殿下…」

 ソルフィーは目を細め、姫に礼を返す。盛装したシャルロット姫は、まるで光を纏ったようであった。スポットライトでもあたっているかのように、彼女の周りには明るさと華やかさがあった。

「リーシェ様がいらっしゃらなくて、お寂しいのではございませんか」

 ソルフィーはシャルロット姫に図星を指されて苦笑する。

「それをおっしゃるなら、殿下こそ」

 ソルフィーはその後を続けなかったが、シャルロット姫は首を横に振る。

「リシャール様は、この街に―――同じ空の下に、元気でいます。沢山の仲間達と、楽しい時間を共にして―――」

 彼女は一瞬、リシャールがいるであろう方角に目をやる。

「―――私は、それだけで幸せなのです。」

 ソルフィーは慈しみを込めた瞳を、シャルロット姫に向ける。

「彼に護ってもらった命です。彼のために、いいえ、エルフィアのために、私が今できること、すべきことを一生懸命したいのです」

「大人に、なられましたね」

 ソルフィーの言葉に、シャルロット姫は幾分羞みながら、苦笑して答える。

「私はまだまだ子供ですわ、剣聖様。―――ともすると、ここを逃げ出して彼の元に走って行きたくなるのですもの」

「おや、気が合いますね」

 剣聖ソルフィーは、ころころ…と快さそうに笑った。

 そこに、ヴェスタールが現れた。ヴェスタールはラウンデルとソルフィーに拱手して礼をすると、今回の任務の成功を嘉し、協力に感謝した。

「そなたも首無騎士(デュラハン)を一体仕留めたのであろう?見事であったな」

「お褒めにあずかり、恐悦至極でございます」

 ソルフィーはヴェスタールとグラスを合わせながら言う。

「リーシェから、ヴェスタール殿は東方騎士団一二を争う使い手であり、得難い将であると聞いた。立派なものじゃ」

 ヴェスタールは笑って言う。

「そのリーシェ殿がいなければ、今回の任務は完遂できませんでした。ラウンデル殿、改めてD・S隊のご協力に感謝申し上げる」

「ヴェスタール殿が総指揮を取っていればこそです。お互い、無事で何よりでありました」

「色々あろうが、騎士団と傭兵団が協力してこそ、エルフィアの東方は安定するのじゃ。」

 ソルフィーは二人に、以後も励むように、と激励の言葉をかけ、国王の方に歩み寄る。

 一通り周辺諸都市の顔役たちの挨拶を受け終わると、晩餐会が始まった。東方の豊かな食材をふんだんに使った豪華な食事がふるまわれ、出席者は皆満足気であった。主賓の一人として王の側にあった剣聖ソルフィーの機嫌も、少しではあるが良くなったようである。食事が一段落し、場所を少し小さなサロンに移して、食後酒などを楽しみながら歓談が始まった。

「剣聖殿、今宵はおいで下さって大変うれしく思いますぞ」

 王はソルフィーに丁重に頭を下げる。

「恐縮です、陛下」

「本当なら、愛弟子と酒を酌み交わしたいところでしたでしょうに」

「それを言うなら、姫殿下こそ」

 シャルロット姫はソルフィーの言葉にクスリ、と笑う。王妃はそんな娘をほほえましく眺めている。

「こちらには暫く滞在いたします。オストブルクの街に出る機会も、きっとございますわ、剣聖様」

 ラスカー卿がシャルロット姫に言う。

「思ったよりずっと安全そうですが、どこに敵の手の者がおるか分かりません。我々も全力でお護りいたしますが、ご身辺にはくれぐれもご用心下さい、殿下」

「そうですね、ラスカー卿のおっしゃる通りです」

 シャルロット姫は素直にラスカーに頷く。

「そうじゃなラスカー。まあ、そなた達三千がおれば、ウィルクスが仕掛けてくることはまずなかろう」

 ソルフィーも頷く。

「先日ここでの戦いで、ウィルクスの『アルファナイツ』の長、マウ・ルフ・ロディールが攻めかかって来たと伺いましたが」

「然様です、剣聖殿」

 ドナンがそう答えた。

「但し彼奴は、リーシェ殿がこちらにいることを知って、尻尾を巻いて逃げ去り申した」

 そのドナンの言葉を聞き、ソルフィーはさもありなん、というように大きく頷いて言う。

「マウは正しい」

 ラウンデルも頷いた。

「彼は真の名将です。あそこで感情に任せて戦えば―――」

「五百や千なら、リーシェが本気を出せば全滅しかねんぞ、ラウンデル」

「それを堪えて引くのがマウの恐ろしいところです。青臭い奴の部下は、我慢がきかずにリーシェ殿に斬りかかって、あっさり返り討ちになり申した」

 ソルフィーは頷く。

「リーシェと私がここにおれば、我が弟子マウもそうじゃが、フィルカスも恐らく仕掛けては来ぬ。その間に、東方の諸都市を落ち着かせたい所でしょう」

 王はソルフィーに頷く。

「剣聖殿には、暫く余と同道していただけまいか。剣聖殿のお側が、最も安全そうじゃ」

「喜んで。それが民の安寧につながるならば」

 ラスカーは溜息をついて言う。

「陛下、近いうちに近衛騎士団の再編成をいたしませんと―――」

「そうじゃ、ラウンデル」

 王はラウンデルに言う。

「そなたも東方の守りに着いてから長い。多くの猛者を見出したであろう」

「は」

「これを機に、傭兵団の中からも、相応しいものを近衛に入れたく考えているのじゃ」

 ラウンデルは拱手して王に礼をする。

「東方の護りは、いかがなさいましょうか」

 王は腕組みをして嘆息する。

「そこなのじゃ…完全に傭兵団を解散するわけにも、いくまいからな…」

 ラウンデルは王に言う。

「此度陛下が直接ご覧いただいた我が傭兵隊の最精鋭の中に、お目に留まったものもおりましょう。リシャールやリーシェ殿など、お側に置きたいと思し召しなのではないかと」

「流石に聡いな、ラウンデル。そなたの言う通りじゃ」

 ラスカー卿も頷く。

「D・S隊の精鋭の中には、近衛騎士団で中隊長を張れる腕を持つ者が何名もいる。私も、ぜひともヴィサンに彼らを連れて帰りたく思っているのだ、ラウンデル殿」

「東方は、どうされるおつもりです」

 ラウンデルのその問いに、ラスカー卿は一瞬言葉を失う。

「しかし、…最悪私が現在の近衛騎士団を率いてここに暫く留まるとしても、リーシェ殿やリシャールは王都に戻さねば…」

「そこまでお考えでしたか」

「しかし、仮にマウやフィルカスがこちらに攻めてくるとしたら、現在の近衛騎士団で守ればどれほどの犠牲が出るか、私には見当もつかぬ」

 ソルフィーの言葉に、ラスカーは苦い表情になる。

「ある程度は覚悟しておりましたが…やはり、厳しいですな」

「宗家にとっては、虎の子の戦力だからな。大切にするのは良いが、甘やかせば使い物にならなくなる。それは仕方のないことだ」

 ラウンデルは言うと、ラスカーのグラスにブランデーを注ぐ。

「だが、現状ではD・S隊三百名が、近衛騎士団の千名分位の戦力、というのがいいところだ。つまり近衛騎士団は、実戦経験を豊富に積んだ同数の傭兵の、三分の一くらいの戦力としてしか計算できない」

「東方騎士団の方が、まだ大分ましですな」

 ドナンが言う。

「いずれにせよ、ウィルクスの出方が分からないと、動けないかと」

 ドナンとヴェスタール、パーレヴィが頷く。

「ヴェスタール殿は、一度は近衛に所属したほうがよろしいでしょう。恐らくはラスカー卿の人選には入るだろうと思いますが」

「パーレヴィ、そなたはどうするのじゃ」

「仮に」

 とパーレヴィはドナンに答える。

「仮に、ラウンデル殿が王都に戻られるならば、私はオストブルクに残らねばなりません。ウィルクスの手口を知るものがいなくては、まずいでしょう」

「道理だな」

 ドナンは頷く。両者のうちどちらかは、東方の守備には欠かせない人物であった。

「私は元々近衛におりましたが、ここの水が合っております。ここにおりますほうが、少しばかりではありますが国のお役に立てるかと思っております」

「暫くは、東方騎士団主体で此処を守ることになろうな」

 ドナンもパーレヴィの言葉に頷く。

「仮に傭兵たちを王都に入れたとすると、宮廷の礼儀作法も知らぬ者も多いかと思いますので、改めて教育は必要かと。もっとも、リシャールやヴェスタール殿は別でしょうが」

 ラウンデルの言葉に、王は苦笑する。

「既存の諸侯たちが、少しでも受け入れやすいように、ということか」

「御意」

 王妃はラウンデルの言葉に、溜息をついて言う。

「王都に限って言っても、近衛騎士団よりも質の悪い護衛士隊は沢山ありますわ。」

「リーシェ殿やリシャールがヴィサンに来れば」

 と王は言う。ソルフィーは頷いて王に続ける。

「―――そうした屑共は、残らず『掃除』することになろうかの」

 指南役だったガイウス・リュカスが一太刀で倒されたことを知るヴェスタールやドナン、パーレヴィといった東方騎士団の騎士たちは、ソルフィーの言葉に身震いする。

「何じゃヴェスタール、そちが『掃除』されるわけではないじゃろう」

「危なくそうなりかけた身としては」

 ヴェスタールはそう言って苦笑する。

「王都のろくでなしたちの身にふりかかる運命を、憐れまずにはおれません。」

「せいぜいこき使ってやって下さい」

 とソルフィーは王に言う。

「師匠をこんなに働かせた罰じゃ」

 彼女はそう言って快活に笑った。



 夜十時―――


 三番街―――


 既にあらかたの傭兵達は宿営に引き揚げていた。アルキュイの客も、宿営に引き揚げたり、娼婦に引かれて娼館に出かけたり、ひとりまたひとりと帰って行った。

 リーシェはカウンターにリーブル金貨を一枚置くと、ミシェルに「ありがとう」と一声かける。ミシェルもおやすみなさい、リーシェ、とだけ返事をする。彼が店を出ると、グリムワルドがそこにいた。見れば彼一人を三人の娼婦と思しき女が囲んでいる。

「リーシェ、いいところに来た」

「グリムワルド」

 リーシェの側に来たグリムワルドは、珍しく戦斧を持っていない。腰に長剣を一振り佩いているのみである。

「悪い、もう一軒付き合ってくれねえか」

「『蒼の剣士』様も来てくれるの?」

 一人の娘が色めき立つ。金髪巻髪の美しい女がリーシェの側に来る。

「ウチにも寄ってっておくれよ、剣士様」

「今夜はグリムワルド、一人だったのかい」

 リーシェの言葉に、グリムワルドは頷く。

「流石に独りで飲むのも、寂しくてな」

 リーシェはちょっと考え込んだ。その間に、さらに二人の女たちがリーシェとグリムワルドを取り巻く。

「分かった、お付き合いするよ」

「助かる、恩に着るぜ」

 女たちは歓喜の嬌声を上げる。リーシェはそのまま、三番街の脇小路にある店に入っていった。


 店にはよく磨かれたランプが明るい光を投げかけていた。見た目の割に広い店内では、数名の男たちが女たちを侍らせて酒を飲んでいた。グリムワルドはリーシェを伴って一番奥のソファの中央にどっかり腰を下ろす。リーシェはグリムワルドの左側、壁際に座った。先程の金髪巻髪の女がリーシェの右隣にぴったり寄り添って座る。ずるい!と声を上げ、もう一人の娘がリーシェの左隣に素早く席を占める。グリムワルドはリーシェに言う。

「ああ、やっと落ち着いて飲めるぜ」

「さっきまであんなに豪快に飲んでいたのにかい」

 リーシェは呆れたように言う。

「無理に連れてきたんだ、今夜は俺のおごりだぜリーシェ」

 グリムワルドはバレスティア産のワインを頼む。

「あら、グリムワルドがそんなお酒なんて珍しい」

 紫の美しいドレスを着た美女が、グリムワルドに言う。

「俺じゃねえ。リーシェの好きな酒だ」

「そうそう、あっち(=アルキュイ)では、剣士様はそれ飲んでたわ」

 ワインを持ってくるように言われた若い娘が、困った顔で戻って来る。

「どうしたの、スィスティア」

「ママ、バレスティア産の白…売り切れです」

「なんですって?」

「ロゼならまだあるのですけど―――」

 リーシェはスィスティアと呼ばれた娘に言う。

「僕はロゼでもいいよ。いいかい、グリムワルド」

「OKOK、やってくれ。俺にはブランデーだ」

 すぐさまロゼのワインが何本か運ばれる。グリムワルドは女達にもグラスを持たせ、自分はグラスに並々とブランデーを注ぎ、

「リーシェの無事帰還に…乾杯」

 というと、軽く飲み干す。リーシェもグラスを干す。

「剣士様、今夜はロザリーの店へようこそ」

 グリムワルドの隣にいた紫のドレスの女がリーシェに挨拶する。

「僕はリーシェ・フランシス。こちらこそ、宜しく———ロザリー」

「ここでは初めてね。シェーラと呼んで」

「私はエミリア」

 何人か、アルキュイで見たことがある女達がいた。皆この店のホステスとは、その時リーシェは思わなかったが、こうして見てみるとアルキュイには、傭兵目当ての水商売の女たちも沢山客として来ているようであった。成程、アルキュイの客層はこんな感じなんだな…とリーシェは思う。左隣に座った娘が、リーシェの左手を自分の両手でしっかり包み込むように握る。

「リーシェ様、指…きれいですね」

 エミリア、と名乗った娘は、両手で包んだリーシェの左手に頬を寄せる。リーシェは彼女の方に顔を向ける。エミリアはリーシェの頬に素早く口づけする。他の娘たちから嵐のような抗議の声が起こる。ロザリーがひとこと「エミリア」と窘める。エミリアはシュンとして下を向く。

「エミリア、お酒を」

 リーシェは空にしたグラスをエミリアに差し出す。はい、と返事をしてエミリアはロゼのワインを注ぐ。グラスの八分目位まで美しいピンク色の液体が満たされ、細かい泡が消えては浮かび、浮かんでは消える。口をつけ、静かにそれを半分ほど飲むと、リーシェはエミリアに話しかけた。

「僕が―――怖くないかい?」

 エミリアはにっこりほほ笑んで言う。

「いいえ、全く」

 リーシェは俯いて言う。

「―――僕は混血(ゲミシュト)なんだよ。それでも?」

「存じてましたわ。リーシェ様が混血(ゲミシュト)だということは」

 エミリアは言う。

「でも、あちらのお店(アルキュイ)でお目にかかる時は、リーシェ様はいつもカウンターでミシェルのお酒を飲んでいらっしゃるか、魔法銀のリュートを弾いていらっしゃるか、大テーブルで皆さんと飲んでいるか―――物静かな印象でしたもの」

「北方では、大分混血(ゲミシュト)を怖がったり、忌み嫌ったりするでしょうけれど」

 と右側に座った女が言う。

「ヴィシリエンでも南…特にこの地方は、割とエルフやその他の亜人種(デミ・ヒューマン)がいる所だから、そんなに皆怖がったり忌み嫌ったりはしないわ」

 彼女はリーシェにもう一杯酒を注ぐと、彼の右手に持たせながら言う。

「―――ましてや、貴方はこの街をウィルクス軍から護ってくれたひと。ヴィシリエン最強のグランドマスターのうちの一人。そしてD・S(ドッペル・ソルドネル)隊の一員で、グリムワルドの友達…。あたしたちには、それだけでもう十分なの」

「酔っぱらうとすぐにいけないことしたがる東方騎士団の連中と違って、いつも静かに飲んでるし、歌もリュートも上手で男前だし、ミシェルやラーリアに何時も優しいわ」

 エミリアは言う。

「あたし、優しい男の人が好きなの」

「リーシェはただ優しいだけの男じゃねえぞ、エミリア」

 グリムワルドはエミリアに言う。知ってるわ、とエミリア。

「お願い、リーシェ様。今夜は絶対泊まっていって。お金は要らないわ」

「ずるい、エミリア、お互い抜け駆けは無し、って言ったでしょ!」

 他の娘たちの抗議がエミリアに集中する。リーシェは少しだけ困った顔になる。

「ええと…嫌だ、ってわけじゃないんだけれど…」

 エミリアの瞳に大粒の涙が浮かぶ。

「ああ、泣かないで」

 リーシェはエミリアに言う。エミリアはリーシェの胸に縋って涙をこぼす。

「分かったよ、今夜は―――ここに泊まるから」

 女達から喜びの声が上がる。

「ありがとうグリムワルド、リーシェ様を連れてきてくれて」

 グリムワルドは苦笑して言う。

「なんだ、俺はダシか」

 リーシェはグリムワルドに済まない、という。

「とんでもない、無理に連れてきたのは俺なんだから。お疲れのところ済まんが、この子たちのお相手を頼むぜ」

「グリムワルドは?」

 リーシェが声をかけた時には既に、グリムワルドはロザリーと一緒に席を立っていた。ロザリーは女たちに言う。

「リーシェ様は、一番広いベッドのお部屋にご案内なさい。エミリア、後二人選んで一緒に行きなさい」

「はい、ママ」

 五分ののち、リーシェはエミリア、シェーラ、そしてスィスティアの三人に伴われ、二階の分厚い扉の前にいた。

 扉には、金文字で数字の1が書いてある。紛れもなく、この娼館で最も良い部屋である。

 リーシェ様、とエミリアに促され、リーシェは意を決してその扉を開けた。


 翌朝、七時―――


 三番街、ロザリーの店―――


 リーシェは目を覚ました。

 まだ頭があまりはっきりしない。左胸の上に、柔らかい栗色の長い髪の娘の頭の重みを感じた。右側には美しい金髪巻髪のシェーラが、リーシェの腕枕で満足気な寝息を立てている。彼はぼんやりした目で、部屋の中を眺めた。普通のダブルベッドのさらに一倍半ほどある広いベッドに、彼は横になっていた。羽根布団の温かいこと…彼はそこから出る気になれなかった。

「リーシェ様、お目覚めですか」

 スィスティアがリーシェの枕元に音もたてずに歩み寄ると、リーシェの唇を求める。普段ならそんな隙は見せないリーシェであったが、両腕を封じられ、リーシェは何もできなかった。

「お疲れなのではありませんか」

「少しね」

 リーシェはスィスティアに答え、身を起こす。シェーラはリーシェが腕を抜いたことに気付かないほど深く眠り込んでいたが、エミリアは目を覚ました。

「シャワーを浴びたい」

「こちらです」

 既に身支度を済ませたスィスティアが、リーシェの服を用意して先に立ち、シャワー室に彼を誘う。熱い湯を浴びて、リーシェは目を覚ます。ほんの少し気怠い微かな疲れを感じながら、リーシェは鏡の前でいつものように身支度をしていく。

 リーシェの胸に、後ろから細く白い腕が回される。

「エミリア」

 彼女は物も言わずリーシェに口づけをする。リーシェは側に合ったバスローブを、彼女に着せてやった。エミリアはその瞳に涙を浮かべて、リーシェの胸に頬を寄せる。

「どうして、夜ってこんなに短いのかしら」

 リーシェは黙って彼女の頭を撫でる。

「これで終わりなんて」

「―――また今日が始まる。僕は行かないと」

 エミリアはリーシェに口づけをせがむ。リーシェは彼女にそっと唇を寄せる。


 スィスティアに伴われて階段を下り、一階の店に降りてくると、グリムワルドがロザリーと紅茶を飲んでいた。リーシェの姿を見ると、グリムワルドは声をかける。

「よう、おはよう」

「おはようグリムワルド」

 ロザリーはリーシェに言う。

「リーシェ様、昨夜はありがとうございました」

「とんでもない、僕の方こそ―――」

「うちの娘たちは、いかがでしたでしょう…失礼なことがありませんでしたでしょうか」

 リーシェは苦笑して言う。

「三人は、きつい」

 グリムワルドは哄笑する。

「ま、これに懲りずにたまには付き合ってくれ」

「毎回これだと、僕は身体が持たないよ。グリムワルドじゃあるまいし」

 リーシェはグリムワルドと一緒に店を出る。

「さて、腹ごしらえをするか」

「食べたんじゃなかったのか?」

 リーシェの問いに、グリムワルドは笑って言う。

「茶だけだ。朝飯はアルキュイで、だろうが」


 グリムワルドに伴われて、リーシェが現れた。いつもよりも四十分以上も遅い彼の登場に、ミシェルが心配そうに彼を出迎える。リーシェは少しだけ疲れた表情で、カウンターに座る。ミシェルはいつもの朝食をリーシェの前に持ってくる。

「おはよう、ミシェル」

 ミシェルは複雑な表情をしている。

「―――行ってきたの?」

 リーシェは無言で頷く。ミシェルは溜息をつくと、リーシェのパンに大匙で二杯の蜂蜜を乗せる。温めて溶かしたバターと蜂蜜を混ぜ、パン全体にゆっくり広げていく。もう一枚のパンに、ミシェルはレバーペーストを分厚く塗っていく。ミシェルの様子を、グリムワルドが興味深げに眺めている。

「朝から、凄いメニューだな、ミシェル」

 にやにやしながら言うグリムワルドに、ミシェルは抗議の視線をちらりと向けると、

「あんまり、リーシェに無理な遊ばせ方させないでね、グリムワルド」

と言った。グリムワルドはおどけて口笛を吹く。

「はい、リーシェ」

 リーシェはミシェルが用意してくれたレバーペーストのパンと、蜂蜜たっぷりのパンを口にする。

「ありがとうミシェル、生き返るよ」

 ミシェルは溜息をつく。

「大方、グリムワルドがロザリーの店で、貴方に何人もの女の子の相手をさせたんでしょ」

 リーシェは言葉に詰まる。その様子を見たグリムワルドが大爆笑する。

「グリムワルド」

 ミシェルの声に微かな抗議が込められる。

「リーシェだって生身の身体なんだから、無茶はやめて」

「分かった、分かったよミシェル」

 ミシェルは踵を返す。

「分かればいいのよ」

 そこへ、同じように寝坊したラーリアが食事をしにやって来た。彼女はカウンターのグリムワルドとリーシェに気付く。

「おはよう、リーシェ…って、うわぁ…どうしたの、朝から凄いの食べてる」

 ラーリアに朝食を持ってきたミシェルが、その問いに答える。

「グリムワルドがリーシェをロザリーんとこに連れてって無茶させたらしいのよ。ほんと、困っちゃう」

 ラーリアの顔色も変わる。

「ちょっと、グリムワルド!」

「何だよ、一晩くらいいいじゃねえかよぉ」

 レバーペーストのパンを食べ終えたリーシェはミシェルににっこりして言う。

「これ、ニンニクとかハーブがたくさん入っていて、元気でるね」

「でしょ?」

 ミシェルはリーシェににっこりほほ笑む。

「ウチの特製レバーペーストよ。それに、蜂蜜も沢山食べてね」

 店にやって来たラウンデルが、リーシェのメニューを見て言う。

「なんだか、新婚の新郎が食べさせられるメニューの様だな、リーシェ」

「ラウンデル」

 ラウンデルは笑って言う。

「今夜は、ここで大宴会だぞ。酒がうまくなるように、日中しっかり汗を流しておけよ」

 ラウンデルが言い終えるのが速かったか、

 それとも、蜂蜜パンを食べ終わったリーシェが、カウンターに肘をついて眠り込むのが速かったか。

 結局リーシェが再び目を覚ましたのは、昼前のことであった。


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