黒死剣
(5)
アンヴィル丘陵西斜面――
ラーリアはラウンデルの隣でふくれっ面をしていた。ジェットが後ろを振り返りながら、呆れ顔で言う。
「なあラーリア、もうその位で―――」
ラーリアはジェットを冷たい目でひと睨み。肩を竦めて、ジェットは再び前を向く。ラウンデルは表情一つ変えずにつぶやいた。
「食い物の恨みは恐ろしい、とはよく言うが…」
「分かってんじゃない、ラウンデル」
ラーリアの声には熱雷がこもる。
「だが、たかが鶉の塩焼とポトフで、そんなに機嫌が悪くなるとは思わなかった」
ラウンデルの冷静な口調が、余計にラーリアを苛立たせる。
「アタシが怒ってるのは、『リーシェが仕留めた獲物』をアンタらだけご馳走になった、ってことよ。どうしてアタシを呼ばなかったの!?もう…気が利かないったらありゃしない!」
「やれやれ、そういうことか。それは済まなかったな」
ラウンデルはくっくっ…と小さく笑う。ラーリアは顔をそむけながら不貞腐れて言う。
「…次に同じ事したら、ただじゃおかないんだから」
「ではリーシェには、お前の言葉をありのまま伝えておいてやろう」
ラウンデルは一旦列を離れ、前方にいるリーシェ達の方に馬を進めながら言った。
「ラーリアが肉を食いそこなったと言って怒っていた、と」
「ちょっと、待ちなさいよラウンデル!!」
ラウンデルは冗談だ、といって哄笑する。ラーリアは憮然とした表情になる。周りの傭兵たちも、笑いを噛み堪えるのに必死であった。
そこに列の前の方から、当のリーシェが馬を返して来る。ラウンデルはリーシェのために道を開け、元の位置に戻る。
「楽しそうだねラウンデル」
リーシェの声には、若干の揶揄が込められていた。ラウンデルは微かに苦笑すると、何があったのかを確認する。
「ヴェスタールから、レーヌ河畔での宿営地割が回ってきた」
「予定から変更でもあったのか」
リーシェは表情を改めて、頷く。
「若干、だけどね」
「見よう」
周囲に緊張が走る。それを見てリーシェはラーリアに言う。
「大したことじゃない、ラーリア。みんなも、そんなに緊張することじゃないよ」
「ありがと、リーシェ」
ラウンデルがラーリアを揶揄するように言う。
「リーシェが来ると、お前はおとなしくなるな、ラーリア」
「うるさいわよ、くそオヤジ!」
周囲の傭兵たちはどっと笑う。ラウンデルはそれを見て、リーシェから渡された図面を馬上で広げる。一読したラウンデルが、かすかに眉を顰める。やはり、という顔でリーシェも頷く。
ヴェスタールから送られてきた宿営地割は、東方からの出迎え部隊側で当初作成したものから若干変更されていた。国王の一行と合流するレーヌ河畔は、西側から南にかけてがレーヌ川、東側は見通しのきく街道、そして北西側には林が広がっていた。ラウンデルは当初からこの北西側の林からの少人数での奇襲の可能性を考えており、リーシェも同じ考えであった。そこで当初計画では、本陣にある王の天幕から最も遠くなるこのエリアに、傭兵隊の五十名を配置し、暗殺者の奇襲に備えることになっていた。仮に「黒の使徒」が奇襲してきても、対峙した経験があるリーシェやラウンデルなどが前線にいる方が、対処は容易であると考えたのである。
しかしそれに対して、王都からの護衛部隊の長、ラスカー卿から待ったがかかったのである。
ラスカーも経験豊かな武人である。それ故に、彼にはヴェスタールやラウンデルの意図するところが明確に読めた。それだけに、最も危険な林に面した宿営地の護衛を、近衛騎士団側で買って出たのである。エルフィア王国軍内部での階級に関しては、当然ながらラウンデルやヴェスタールよりもラスカーの方が上位である。ラスカーから送られてきた配置図を一目見たラウンデルとリーシェもまた、ラスカーの意図を明確に理解した。それだけに、ラウンデルは微かに眉を寄せ、リーシェに言う。
「―――お互い、気を使いすぎだな」
リーシェは頷く。
「ま、この配置でも本陣を護ることはできるよ」
リーシェを自分の左に並ばせ、ともに馬を歩ませながらラウンデルは言う。
「だが明らかに、最善の策ではない」
「確かにね」
リーシェはラウンデルの言葉に頷く。ラーリアも不安そうな表情になる。それを見たリーシェは、かすかに笑みを浮かべてラーリアに言う。
「大丈夫さ、ラーリア」
「でもリーシェ、危険なんでしょう?今回の相手は…」
リーシェは確かにね、といって頷く。
「でも、分かって戦うなら大丈夫。奴らの手口は教えたから、頭に入っているだろう」
「ええ」
「僕たちが」
とリーシェはきっぱりと言う。
「奴らを止めるのさ。たとえ…」
リーシェはそこで言葉を切ると、ラウンデルと一度だけ視線を合わせてから、再び列の前の方に向かって馬を走らせて行った。
ラウンデルはその姿を無言で見送ると、ラーリアに言う。
「あいつがいて、よかったな」
「まったくね」
ラーリアもそれきり何も言わず、黙って馬を歩ませていた。
レーヌ河畔―――
午後二時、D・S隊野営地―――
傭兵たちは既に各隊の天幕を張り終えていた。馬は仮拵の柵の中に全て繋がれ、軽い食事を取り終え、既に彼らの全員が配置についていた。
林に続く道沿いを、広く近衛騎士団のために空けて、東方からの部隊は布陣を完了していた。
「ここまでは、予定通りだな」
ジェットが林の方を眺めながら言う。
「一応、東側の街道もしっかり押さえておけよ」
「はっ」
敬礼する部下に東側の監視を任せ、ジェットはD・S隊の本部にやってきた。既に、ラウンデルの側にはリシャール・ラーリア・リーシェが集まっている。
「すまん、遅くなった」
「いや、皆今揃ったところだ」
ラウンデルはジェットをねぎらう。
「近衛騎士団の到着が若干遅れている。彼らも本陣及びその他宿営を設営する必要がある。その間、東方騎士団と我々D・S隊が、全体の護衛をする必要がある」
「この広さを、たった三百で」
リーシェの顔が強張る。
「ラウンデル、無理がある」
ラウンデルも頷く。
「天幕の設営、夕食―――」
「奇襲には、もってこいの条件だな」
ジェットも表情を固くする。
「食事は何とでもなるにせよ、野営の準備中に襲われたら、近衛騎士の連中はパニックに陥るぞ」
ラーリアは溜息をついて言う。
「お飾りの騎士団、どれくらい役に立つやら」
リシャールは苦笑する。その姿に、ラーリアが気付いて詫びる。
「あ、ごめんリシャール、アンタを責めたんじゃないのよ」
「でも、ラーリアの言う通りだ、残念だが…」
ラウンデルはふうっ!と息を吐く。
「考えても仕方がない。たとえ連中が混乱しても、こちらから精鋭を回せば本陣間際で食い止められる可能性はあるだろう」
その言葉に、リーシェは苦笑する。
「そうだといいけどね。こちらも無傷じゃすまないだろうな」
リーシェはラウンデルに言う。
「―――使おうか」
ラウンデルは首を横に振る。
「精霊魔法か。それとも古代語魔法か。…いずれにせよ、もう少し後でいい。お前に負担がかかりすぎる」
ラウンデルは息をつく。
「とにかく、できることはしておこう」
その時。
見張りをしていた騎士から連絡が入った。
国王とその家族の一行を護る三千の近衛騎士の隊列を確認したとのことであった。今から一時間弱で個の野営地に到着するだろう。陽が落ちるまでに、天幕や防護柵の設営を完了できるかどうか、かなり微妙である。戦い慣れ、遠征慣れしたD・S隊の精鋭であればその半分もあれば、ある程度堅固な野営地を作ることもできよう。しかし、戦場での経験の少ない近衛騎士団に同じことができるとは、ラウンデルは全く期待していなかった。ましてや数が三千である。最悪の場合、三百の実戦部隊(=東方騎士団+D・S+補助兵)で、三千の近衛騎士を護衛せねばならない事態も想定できた。
「時間がない、各自配置につけ。リシャールは俺と一緒に、大本営だ」
リシャールは剣を立て騎士礼を取る。
「ジェットは来た道を警戒しろ」
「了解」
「リーシェ、ラーリア、お前たちは林だ」
リーシェは無言で頷く。ラーリアもショートソードを確かめ、力強く頷いた。
エルフィア軍野営地―――
午後三時十五分―――
続々と野営地に入り、東方騎士団の誘導を受けつつ、近衛騎士団が各隊の野営地に到着する。どうにかこうにか防護柵と天幕の設営に入ったのを見届け、ヴェスタールは本陣に戻ってきた。そのヴェスタールの前に、大蔵卿セギエ候爵が現れた。
「出迎えご苦労、男爵殿」
「大蔵卿閣下、遠路おいで頂き誠にありがとうございます。陛下は―――」
「ラスカー卿がお側に控え、お守りしておる」
「ともかく、天幕へ」
ラウンデルの言葉に、セギエ候は頷くと、王とその家族のために組み立てられた天幕の中に消えた。程無く、前後左右を見事な馬に乗った騎士たちに固められ、二台の馬車がやってきた。
エルフィア王、トーラスⅢ世の馬車と、王妃そしてシャルロット姫の馬車である。どちらも八頭立ての馬車であった。馬車の周りを騎士たちが固める。そのドアを、白銀の鎧に身を包んだ近衛騎士団長、ラスカー卿が開ける。王も鎧で身を固めていた。
「ロストク男爵、出迎えご苦労である」
ヴェスタールはその場に跪く。
「勿体なきお言葉」
「ここは戦地である。立礼のみでよい。ラスカー」
「はっ」
王は騎士礼を取ったラスカー卿に、ヴェスタールから状況を報告させるように言う。ヴェスタールは現状をありのまま報告した。
「これはラウンデルからの報告なのですが、急ぎ近衛騎士団の野営地と防護柵を完成する必要があります。ウィルクスは魔戦将軍直属の暗殺者集団を動かしております」
「可能な限り急がせよう。二時間もあれば―――」
ラスカー卿の言葉を、哄笑が遮った。
「相も変わらず、悠長なことだ、ラスカー」
「ラウンデル!」
二人は鎧を着たまま駆け寄り、抱擁する。
「無事だったのだな、刺客に襲われたと聞いたぞ」
「『蒼の剣士』が、あっという間に二人退治してくれた。俺自体は無傷だったのだ」
ラスカーはラウンデルの側にいたリシャールにも気づく。
「おお、リシャール…!」
リシャールはその場に跪く。ラスカーはリシャールの手を取り、
「なぜ跪く。そんな必要はない、そなたはこの東方で、国防の最前線で、幾度も武勲を上げているではないか」
「私は―――私は罪人でございます」
そのリシャールに、トーラスⅢ世が歩み寄る。リシャールは首を垂れる。
「お許しを得ずに…まかり出ましたこと、平に…平に…」
「リシャール、面を上げよ」
トーラスⅢ世はリシャールに命じた。
「エルフィア王国東方軍団所属、傭兵隊『D・S』第一小隊長、リシャール…相違ないな」
リシャールは頷く。
王は剣を抜き、リシャールの左肩を軽く剣の峰で叩く。
「東方戦線での数々の武勲により、拍車の使用を許し、そちを改めて騎士に任ずる。よいな」
近衛騎士団の騎士から、歓声が上がる。
「身に余る光栄…」
頭を垂れたリシャールの瞳から、大粒の涙がこぼれた。涙は黒い大地に落ち、吸い込まれて消えていく。
「立つが良い」
王にそう言われ、リシャールは立ち上がった。
「すまぬ。余の―――宗家の力が足りぬせいで、宮宰とそちには、辛い思いをさせてしまった」
「陛下、あまりにもったいないお言葉…」
王はラウンデルにも声をかける。
「ラウンデル、よくぞリシャールを生かしておいてくれた」
「私は何もしておりません。彼はここまで、実に見事に戦ってくれました」
ラウンデルはリシャールの首にかかった魔法銀の鎖を指さす。
「そうそう、彼は私と同門の剣士で、つい最近ソード・マスターの位を許されたのです」
「立派になったのだな。…では、ソルフィー殿から?」
「いいえ、お手紙でも申し上げました、『蒼の剣士』殿から」
王は顔をほころばせる。
「そうか!で、彼はどこに?」
ラウンデルは王に言う。
「近衛騎士団の陣営が整うまで、私が連れて参りましたD・S隊の最精鋭五十名と、ヴェスタール殿が率いる東方騎士団の二百、そしてわずかな弓隊だけが、この野営地の守りでございます。現状では陛下と王妃様、姫殿下の天幕を含むこの大本営は、護衛がないにも等しい状況です」
「む…」
「ラスカー」
「ラウンデル、策は」
ラウンデルはラスカーに言う。
「近衛騎士団の半数で天幕を一気に張り、残る半数で予定の場所に防護柵を作るのだ。この季節、五時には陽が落ちる。暗くなる前に体制を整えなければ、陛下はお護りできんぞ」
「食事はどうする」
「戦時携帯食だ」
ラウンデルは当然だ、と言わんばかりに言う。
「まさか、フルコースでのおもてなしを期待していたわけではあるまい」
「相変わらず、厳しいな」
ラウンデルは溜息をつく。
「こんなクオリティの近衛騎士団では、ウィルクスに舐められてしまいかねんからな」
「ラウンデルの言うことが、どうやら現実に一番合致しておるらしい」
トーラスⅢ世は頷くと、
「襲撃があるとすれば、どの程度の人数か」
「読めません。但し、エルフィア領内に長距離を移動してきて、大舞台で襲撃することはほぼ不可能でしょう。まず考えられません」
ラウンデルは、敵は二人一組で十~十五組に分かれ、この大本営を狙ってくるだろうと予測した。自分なら、そうするのが最善だと考えている、とも語った。
「王妃様と姫殿下も、すぐに天幕に。そして、夜は決して外へ出ないように」
「分かった、そのように致そう」
ラウンデルは続ける。
「本来なら、我々が最前線で各方面を警戒するのがよかったのですが、この配置では不可能です。私とリシャールで本営の護衛に加わります。敵の刺客『黒の使徒』の使う武器には、相手をかすり傷一つでも殺せる毒が塗ってございます。くれぐれもご注意ください。」
午後四時四十五分―――
太陽はすっかり西に傾き、空は茜色に染まりつつあった。しかし、ヴェスタールやラウンデルの危惧した通り、防護柵の設置は遅々として進まなかった。どうにかこうにか、東方からの部隊が設営に加わった東側の街道に面した地域は、仮拵とはいえ人間が簡単には踏み倒せない防護柵を設置することができたが、肝心の林側のエリアは、まるで無防備なただのキャンプ場と化していた。大本営にジェットが走って来る。ラウンデルはジェットを手招きすると、状況を報告しろ、と告げた。
「東側は押さえた。無理に押し通ろうとすれば、俺たちで袋叩きに出来る」
「必ず三人一組で行動しろ。くれぐれも、無理に戦おうとするな」
「分かった」
ジェットはそれだけ言葉を交わすと、自分の持ち場に駆け戻っていった。入れ替わりにヴェスタールがラウンデルのもとにやって来る。
「ラウンデル殿」
「おお、副隊長、どうです」
「ダメです、悪い見通しばかり的中する」
ラウンデルは小さく舌打ちする。
その時のこと。宿営を、薄緑色のそよ風が吹き抜けていった。風は森を巡り、街道を吹き抜け、そしてD・S隊が陣取る大本営の東側に戻っていく。ラウンデルはリーシェが精霊魔法を使ったことを悟った。敵の位置や数を把握するため、本来ならばしっかり歩哨を立て、有事に対処しなくてはならないが、防護柵がない状況では、奇襲をさせないような情報収集をせねばならなかったのである。無論、大きな精霊魔法を使うことは、リーシェにとっても負担の小さなことではない。だからいわばこれは「奥の手」なのである。
程無くして、リーシェが大本営に現れた。リーシェはラウンデルとヴェスタールに言う。
「東から三組、計六名。林からは四組、八名。『黒の使徒』は全部で十四名だ」
リーシェはやや疲れた顔でそう言うと、一番防護柵の設置の遅れているエリアを目指す。その前を、ラーリアが率いる六名の傭兵たちが走る。
「東街道から来る連中は、俺に任せておけ」
ジェットが豪胆にも言い放つ。そのジェットのもとに、彼の率いる小隊の部下が走って来る。
「漆黒の鎧を着た完全武装の騎士が、二人で近づいて来る」
「第一級戦闘態勢」
ジェットはそう言い放つと、再び東街道の方に向かって走った。ヴェスタールはラウンデルに言う。
「私がジェット殿のフォローに参ります。林から来る刺客は、リーシェ殿、ラーリア殿、ラウンデル殿、そしてリシャール殿にお任せいたしますぞ」
「副隊長、ご無事で」
「ラウンデル殿、貴方も」
リシャールはラウンデルに言う。
「我々も出るべきじゃないのか、ラウンデル」
「ダメだ」
ラウンデルはリシャールに言う。
「―――仮に『黒の使徒』が奴らの守りを抜けて来たら、俺たちとラスカー卿くらいしか、まともに戦える腕を持った騎士はいないかもしれんのだぞ、リシャール」
リシャールは唇をかむ。そんな彼の様子を、天幕の中から不安そうに、シャルロット姫が眺めていた。
「―――ルーヴィンシュタイン伯爵…どうしてあんな剣幕で、リシャール様を叱るのかしら…」
王妃は自分の娘に諭すように言う。
「私たちと、そして誰よりも、貴方を護るためですよ、シャルロット」
「私は、リシャール様がいて下されば、何も怖くないわ」
シャルロット姫は力強く言い切った。それでも、降りてくる闇の帳に、彼女の表情はだんだん不安の色を帯び始めていた。
近衛騎士団野営地、北西地区―――
仮門入口―――
漆黒の鎧を着た騎士が二名。手には同じように漆黒の大剣。
その後ろの黒装束の男八名が、二人ずつ四組さっと散開する。
どちらを相手すべきか。ラーリアは一瞬迷う。
「『黒の使徒』が先だ、ラーリア!」
リーシェの声に、ラーリアの身体が動き出す。先頭に立って走り出した二人を、彼女は追った。
こいつら速い。D・S隊の中でも一二を争う俊足のアタシと同じか、それよりもなお―――
ギィン!
鈍い金属音が響く。ラーリアのショートソードが、敵のショートソードを受け止めていた。
「アンタらの好きにはやらせないよ」
ラーリアは姿勢を低くし、隙なく構える。
「察するところ、ウィルクスの手の者―――魔戦将軍配下の暗殺者だね?」
返事の代わりに、二人のうち一人がラーリアに斬りかかる。敵が横薙ぎにした剣を紙一重でかわすと、ラーリアは剣を一閃した。
男の首筋から鮮血が迸る。ラーリアが相手にした『黒の使徒』はいい腕であったが、奇襲でなく一対一で正面から戦えばラーリアの敵ではなかった。男が倒れるのを見もしないで、ラーリアはもう一人の刺客の方に向き直る。ラーリアが連れてきていた部下が、その男と剣を合わせていた。しかし男の剣はやはりショートソード、傭兵の剣はロングソード。それにこれあることを予想していた傭兵たちは、全員魔法銀の鎖帷子を着込んでいた。鎧通しや細い短剣、それに吹き矢の一撃さえ躱せれば、普通の剣で簡単に斬れはしない。つまり、傷を受けずに戦える可能性が高いということである。死ね!と一声かけて、ラーリアの部下は黒の使徒を斬り倒した。
「最後まで気を抜くな!吹き矢があるぞ!」
ラーリアは部下に声をかける。
「分かってますって、隊長!」
傭兵は振り返りもせずに答える。よくやった、と声をかけてラーリアは他に交戦している仲間のもとへ走る。恐らく自分が連れてきた六名では、敵の暗殺者八名のうち二名を撃ち漏らす筈。あと少しでも敵の人数が多ければ、危なかった―――門のところまで戻ったラーリアは、惨状に愕然とする。
近衛騎士団から護衛に来ていた騎士たちが何人も、たった二人の漆黒の鎧の騎士に倒されていたからである。リーシェの姿を探すラーリア。リーシェはそこから百歩程本営よりのところで、二人の刺客を同時に相手していた。ラーリアは名乗りを上げる。
「エルフィア王国東方軍団、傭兵団『D・S』所属、第三小隊長、ラーリア・フライブール!」
黒騎士のうちの一人が、ラーリアに突進してくる。大剣での一撃!ラーリアは受けずに、まずは躱すことに専念した。
速いことは速い。だが、見切れないレベルじゃない。それに、どうしても大きな武器は、鈍重になる。
どこを狙うか…?やはり、一撃で殺せるのは…
ラーリアは鎧の継ぎ目を探す。辺りは既に暗く、鎧の継ぎ目はよく見えない。禍々しい気を纏った長剣が、ラーリアの髪をかすめる。数本斬られた彼女の金髪が、宙に舞ったかと思うと…小さな悪霊がそれを喰らい尽くし、虚空に消えていく。
ラーリアの頭の中に、リーシェやラウンデルの言葉が響く。
ウィルクス最強最凶の「魔戦将軍」、フィルカス・ドワイトフォーゼが愛用する漆黒の大剣。その名も、「黒死剣」。
黒死剣で斬られた者は、魂を悪霊に食いつくされ、死に至るという。
――じゃ、アタシが今相手しているのが、その―――!?
「フィルカス…ドワイトフォーゼ」
ラーリアの言葉に、漆黒の鎧の騎士が答える。およそ生きた人間の言葉とは思えない、禍々しい声であった。
「―――ほう…我が名を知っているか、傭兵の小娘…」
漆黒の鎧の騎士は、ラーリアに斬りかかる。先ほどまでとは段違いの速さの攻撃である。
躱せない―――、完璧には―――!
金属のこすれる鈍い音がして、ラーリアの着ていた鎖帷子の袖にわずかな傷がつく。
「魔法銀の鎖帷子とは、用心のいいことだな」
「…お生憎様。今度はこっちの番だよ!」
ラーリアは臆せずに騎士の懐まで踏み込んでいく。
「小癪な」
騎士は大剣を振り回し、ラーリアの脚を狙った。しかしラーリアは右から左への一刀を身軽に飛び越え、戻りの斬撃を掻い潜り、騎士の首筋の鎧の隙間に見事に剣を突き立てた。
しかしラーリアは一気に間合いを広げる。
おかしい、首に一撃を入れたのに…手応えが、全くない!
「『両刃のローラン』か。…できるな、ラーリアとやら」
騎士の兜が、ガラン!と音を立てて、大地に転がる。
その中にあるべき首は、なかった。
「ばっ、化け物!!」
人が入っていない鎧そのものが、大きな漆黒の大剣を掴み、ラーリアに攻撃を仕掛けていたのである。さすがのラーリアも、こんな敵は初めてであった。恐怖のあまり、逃げ出したくなる。事実それを目にした近衛騎士団の騎士が数名、パニックになって本陣の方へ逃げ出した。それを見たラーリアは、逆にほんの少し冷静さを取り戻す。
「アンタ、空っぽのくせによく動けるわね」
「ほう、腕だけでなく肝も据わっているようだな」
首なしの騎士はラーリアに素早い斬撃を見舞う。辛うじて剣で受けたラーリアにとって、ズシリ…と重いその一撃は膝まで響いた。
「く…」
横殴りの一撃を再び剣で受けたせいで、身体ごと弾き飛ばされた彼女は地面に転がる。
「終わりだ、小娘」
鎧の騎士が一撃を振り下ろす。
その刃は、煌めく蒼い大刀に受け止められていた。
「リーシェ」
ラーリアが言う。
「待たせたね、よく刺客を倒してくれた」
「こいつら一体」
「首無騎士だ」
リーシェは言うと、その剣で鎧を真っ二つにした。
「き…貴様なぜ…エルフィアに」
リーシェは大地に倒れ伏した首無騎士に言う。
「久しいねフィルカス。…いや、正確にはフィルカスの思念体だろうけど」
リーシェは首無騎士がフィルカスによって操られているものだと確信していた。先に風の精霊に周辺を探らせた際に、敵の生命反応は十四体しか確認できなかった。だからそれに加えて何がしかの敵の襲撃があれば、必ず「異形の者」であろうという見当をつけていたのであった。
「本当のフィルカスなら、僕に一刀で倒されたりなどしないよ」
「お褒めにあずかり、光栄なことだ、グランドマスター…」
デュラハンは動かなくなった。大剣に宿っていた凶悪な気も、すっかり消えている。
「ありがと、リーシェ」
ラーリアはリーシェに礼をいう。礼などいらないよ、とリーシェ。
「それよりも、他の方角からの襲撃が」
リーシェの表情に焦りの色が見える。
「完全に後手後手だ。ヤツが首無騎士を使うとは思わなかった」
「本陣に戻らないと、リーシェ」
ラーリアの言葉に、リーシェは頷いた。
「その通りだ。ヤツは王の命を必ず狙う」
そう言うと、リーシェは走り出した。残った部下の傭兵達にその場の警戒を任せ、ラーリアも彼の後に続く。
リーシェは走る。
まるで風のような速さである。
ラーリアはついていくのがやっとである。黒の使徒の速さの比ではない。改めて、彼女はリーシェの力を認識した。自分たちに、エルフィアに彼がついてくれていることが、神のもたらした恩寵であるかのように思えた。彼らが戦っていた位置から、本陣の王の天幕まで、わずかに五分少々。最後の緩やかな坂を登り終えると、そこでも既に戦闘が始まっていた。何名かの騎士が地面に倒れ伏している。その全身が、まるで墨染のように黒く染まっていた。其処彼処に、悪霊が漂っている。ラーリアが思わず振るった剣が悪霊を両断する。彼女自身もその剣の切れ味に驚く。
「そんなに驚くことはないよ、ラーリア」
「リーシェ、これって」
リーシェは彼女の問いに頷く。
「その剣なら、斬れないほうがおかしいんだ。ただ、気持ちを強く持つこと。邪悪な霊に負けない、強い心を持つことだ」
リーシェは背の大刀を再び抜き放つ。その剣は、あたりを蒼白い輝きで照らし出す。
「来るよラーリア」
「わかってる」
二人の方に、坂の上から十匹を超える悪霊が飛んできた。そのうち七匹がリーシェに、三匹がラーリアに向かった。ラーリアは剣を構え、左右に振る。
絶対に、アンタらなんかに負けない!
ラーリアは剣に気合を込める。剣はその気合に答えるように、強く明るく輝きを放った。
音もなく、悪霊達は両断されて消えていく。断末魔の表情を浮かべてーーー
リーシェは、と見ると、彼は既に悪霊を倒し終え、本陣への坂を登りきっていた。ラーリアも後に続く。
そこで二人を待っていたのは、さらに凄惨な光景であった。
エルフィア王国、野営地本陣ーーー
リシャールとラウンデルは、東側から本陣を襲って来た刺客のうち二人と剣を交えていた。ジェットの隊の傭兵二人が黒の使徒の毒の刃に倒され、ジェット本人は首無騎士の一人に足止めされ、刺客を止めることができなかったのである。
刺客の刃が、リシャールの鎧をかすめる。しかし、魔法銀の鎧は毒の刃を受け付けない。もしこの鎧を着ていなかったら、彼は三度程殺されていたであろう。リシャールは改めて己れを守るこの鎧に感謝していた。
刺客が再びリシャールを攻撃する。
「リシャール‼︎」
シャルロット姫が天幕の中から絶叫する。リシャールは声の方向を見ずに叫ぶ。
「天幕を出るな‼︎」
叫ぶとリシャールは天幕を背にした。彼は己れの身を盾にして、シャルロット姫の身を守ろうとしていた。
絶対にやらせない。俺の命を、盾にする。
リシャールと姫が一直線上に重なった瞬間を狙って、刺客が口に手をやる。
吹き矢。リシャールはそう認識した。
リシャールはとっさに愛剣を立て、顔を庇う。カチン、と音がして、剣を持つ手に軽い衝撃が響く。
彼は次の一瞬敵に突進した。
「うおおお」
大音声を上げ、リシャールは剣を振り下ろす。
受けようとして刺客が構えた剣ごと、リシャールは敵を文字通り両断していた。
左の鎖骨の上から一気に心臓近くまで斬り下げる。
そして、そのままその剣を一気に振り抜いた。
大量の鮮血が辺りを濡らす。そのまま剣を止めていれば、死体にくわえこまれて抜けなくなりかねなかったが、リシャールの膂力とスピード、そして技がそれを防いだ。何よりも、彼の持つ愛剣の力に、改めて彼は感謝していた。
「見事な腕だな」
不意に左側から凄まじい剣気を感じ、リシャールはそちらを振り向いた。
漆黒の鎧。
まがまがしい気を放つ黒い大剣。
「―――ここは通さん」
リシャールは再び気を張ると、漆黒の鎧の騎士に対峙した。
ラウンデルはもう一人の刺客を追い詰めている。こちらに来る余裕はない。
近衛騎士達の中にも首無騎士に倒されたものが少なからずいるようである。既に本陣周辺に、自分の他にこの騎士を止められそうな騎士はいない。
リシャールは己を奮い立たせていた。
敵わぬまでも、この敵を止める。
自分が時間を稼いている間に、必ず彼がここに来るはずだ。
「―――名を聞いておこう」
リシャールに対峙した騎士が、口を開く。
「エルフィア王国東方軍団所属、傭兵隊D・S第一小隊長、リシャール・コーディアス」
騎士が愉快そうに笑う。
「近衛にこんな手練がいたかと驚いたが、傭兵とは…成程な」
「ウィルクスの魔戦将軍、フィルカス・ドワイトフォーゼ卿とお見受けする」
騎士は外套を翻す。
「よく知っているな。いかにも、我が名はフィルカス・ドワイトフォーゼ。一手所望する」
フィルカスは悠然と大剣を構える。リシャールは剣を構えなおす。彼の剣から、煌々と純白の光が放たれた。
鈍い金属音が響き、白と黒二本の剣がぶつかり合う。リシャールも小柄な方ではなかったが、フィルカスはリシャールよりも一回り大きかった。近くで対峙するとその大きさが改めてリシャールを威圧する。だがリシャールは後ろに下がらなかった。二合、三合…と打ち合わせる。フィルカスは間合いを取った。
「面白い。エルフィアの傭兵に、こんな使い手がいるとは―――」
フィルカスは剣に気合を込めた。シュウシュウ…と音がして、剣が漆黒の気を纏う。
「えやあ!」
フィルカスは大上段に振りかぶり、リシャールに一撃を加える。
速い!
リシャールは剣を両手で構え、上段で受ける。ズシリ、と重い一撃が彼の全身を襲った。
並の剣なら、今の気合の乗った一撃で絶対に折られているだろう。
リシャールは愛剣にまたも感謝する。そして、横薙ぎの一撃を返す。
「見事だな」
「それが名高い『黒死剣』か」
返事の代わりに、今度は袈裟懸けの一撃がリシャールを襲う。予想以上に剣が伸びる!
金属音が響き、リシャールは弾き飛ばされた。避けきれず、鎧の左胸に一撃を受けた。
しかし、傷は受けていない。彼の鎧が彼の命を救ったのである。
「わが剣を二度受けて、立ち上がった敵はヴィシリエン全土でも数えるほどだ」
「光栄なことだ」
リシャールは立ち上がると、再び天幕を背にした。じりじりと押されている。
やはり強い。このままでは長くはもたない―――
「リシャール!」
「リシャール退がれ!」
リシャールはフィルカスの一撃を三度受け止めた。
そのフィルカスに、蒼と白銀に輝く剣が襲い掛かる。
「見つけたぞフィルカス」
リーシェはリシャールとフィルカスの間に割って入る。ラーリアがリシャールを抱え起こす。リシャールは立ち上がると、再び剣を構える。
「リーシェ」
リーシェはリシャールの方を振り向かずに言う。
「よくぞ本陣を守り抜いた、リシャール。こいつは僕に任せろ」
「首無騎士か」
フィルカスは呵々大笑する。
「我を前に、首無騎士呼ばわりするとは、大した騎士だ」
「何だと、じゃ…」
リシャールは自分が対峙していた黒衣の騎士が、魔戦将軍フィルカス本人であったことを初めて悟った。
「フィルカス本人の剣を何度も受け止めたんだ。紛れもなく君は、エルフィアの『一の騎士』だよリシャール」
リーシェは剣先を下げ、フィルカスに言う。
「お前の使い魔(=首無騎士)たちは、あらかた倒されたようだよ」
フィルカスは忌々しげに言う。
「ラウンデルひとりでこんな芸当はできぬ、誰か知恵を付けたものがいようとは思ったが―――まさか貴様がエルフィアに使えていようとはな」
「あっち(聖十字教国)を放っておいていいのかい」
「良くはないが、こちらを頼む、との要請であったのでな」
「ご苦労なことだね」
その言葉を合図に、二人は斬り結んだ。凄まじい技と技のぶつかり合い。もはや他に戦っている者はいない。蒼と黒の剣が放つ光が、闇の中で輝きを放っている。
上段から、袈裟懸け、斬り上げ――リーシェの連続攻撃が、フィルカスを押し込む。速い。そして受けるフィルカスの足が、じりじり…と下げられる。一つ一つの攻撃の重さが、リシャールのそれとは段違いであった。
リーシェが攻撃の手を休めて言う。
「どうした?そんなものか」
「あの白騎士とは、大分違うな、と思ってな」
揶揄するようにフィルカスは言う。
「今度はこちらの番だ」
フィルカスの剣が、まがまがしい気を吹き出す。一振り…また一振り…
その度に、フィルカスの周囲に悪霊が現れ、それがリーシェを攻撃する。
リーシェは腰の剣を抜き、左手に。そして大刀を右手に構える。襲い掛かる悪霊の群れの中で、彼は優雅に舞うように剣を走らせた。
断末魔の叫び声を上げながら、悪霊たちが両断されて消えていく。
フィルカスが、七歩から八歩の間合いで、気合を込め剣を一振りする。剣によって作られた衝撃波が、リーシェを襲う。
衝撃斬。リーシェが使って見せた技である。
リシャールは思わず目をつぶった。
しかしリーシェはその衝撃波を、何事もなかったようにゆるゆる…と剣で受け流す。何匹もの悪霊を従えたフィルカスと対峙して、彼は一歩も引かない。
「化け物め」
フィルカスは舌打ちすると、リーシェに言う。
「マリュー師兄程ではないさ」
リーシェは笑って言う。聖十字教国の枢機卿、「赤騎士」ことマリュー・ド・アドリア。リーシェの兄弟子であり、ヴィシリエンに三人しかいないグランド・マスターの一人。そして、フィルカスの好敵手として幾度も戦っている人物である。
「それに、『化け物』の名は、そっちの方がお似合いだ。そっくりお返しするよ」
「どいつもこいつも、忌々しいことだ!」
悪霊を撒き散らしながら、フィルカスがリーシェに斬りかかる。自分に迫る悪霊たちを斬り払いながら、リーシェはフィルカスを攻撃する。そのスピードそのものが、そもそも互角でない。
しかし、フィルカスの剣だけでなく、鎧の繋目からも、悪霊が染みだして来るにつれて、リーシェが押され始める。彼ひとりですべての悪霊を斬り払い尽くすのには、無理があった。
「しまった」
リーシェが斬りそこなった悪霊が一匹、本陣の王の天幕に向かう。一瞬そちらに気を取られたリーシェを、フィルカスの黒死剣が襲う。
リーシェは側転して何とかフィルカスの剣を躱す。フィルカスが高笑いする。
「こちらは一匹でも悪霊を通せば、それでいいのだ。貴様を切る必要はない」
リーシェの表情は硬い。フィルカスの剣から、鎧から生み出される悪霊の数は、どんどん増えてきている。最早リーシェひとりで斬りつくせる数ではない。
「てぇい!」
本陣に向かっていた悪霊が一匹、両断されて断末魔の悲鳴を上げる。
ラーリアが、リシャールが、本陣に迫る悪霊を彼らの剣で両断していた。
「リーシェ、こっちは気にするな!フィルカスに集中するんだ!」
「小癪な」
フィルカスはリーシェに斬りかかりつつ、大量の悪霊を放つ。一部はリーシェが退治するが、フィルカスと戦いながらでは斬りつくすことはできない。
しかし、ラーリアとリシャールは本陣前で、その撃ち漏らしの悪霊をことごとく両断していた。飛び切り大きな悪霊が、ラーリアの剣を躱し本陣に迫る。その背後から、リシャールの放った一撃が悪霊を両断する。
「ここは通さない!」
本陣に迫る悪霊の数が、だんだん増えてくる。リシャールとラーリアは全力で戦っていたが、徐々に押され始める。二人の前に、三匹の悪霊が迫る。
衝撃斬!
一番左の悪霊が、両断されて虚空に散る。
「良くやった、ラーリア、リシャール」
「ラウンデル!」
黒の使徒を追い詰めて倒し、首無騎士を一匹対峙して、ラウンデルが本陣に駆け付けた。三人になった彼らは、それまでよりも楽に悪霊に対峙できた。しかし、時を追うごとに悪霊の数は増えていく。
「キリがねえ」
合流したジェットが、魔法銀の大剣で次々に悪霊を斬り伏せながら言う。
「このままじゃ持たねえぞ」
「あきらめるなジェット!」
リシャールはほとんど天幕の直前で、二匹、三匹…と悪霊を斬り伏せていく。
「リシャール!」
天幕の中でシャルロット姫の叫ぶ声が聞こえる。
「来るな!絶対に出ちゃダメだ!」
「リシャール!!」
シャルロット姫が天幕から走り出てくる。
「見つけたぞ!」
一声叫ぶと、リーシェと対峙していたフィルカスが、それまでとは段違いに多くの悪霊を放つ。
リーシェが止められたのは、何とか半数程度。
「しまった」
リーシェは一瞬そう思ったが、悪霊は仲間が何とかしてくれる。そう信じて、フィルカスに攻撃をかけた。
大量の悪霊を放ち、動きが止まったフィルカスを、ついにリーシェの一撃がとらえる。
漆黒の鎧の胸に、大きな斬撃が刻まれていた。
「どうやら、ここまでの様だな―――」
フィルカスが身体を半歩引いたため、致命傷ではなかったようであった。
「退かせてもらうぞ、『蒼の剣士』」
「まてっ、フィルカス!」
フィルカスは高笑いする。
「こちらの目的は、どうやら完全とは言えないまでも果たした様だしな。さらばだ…」
フィルカスは銀色の水晶をひとつ取り出すと、虚空に向けて投げ上げた。水晶がまばゆい光を放つ。
その光が消えた後には、彼の姿はなかった。
「ち…」
リーシェは舌打ちすると、本陣に駆け戻った。彼の目から見ても、最後に段違いに多くの悪霊に襲われた本陣は、大混乱に陥っているようであった。
シャルロット姫が足を取られて転ぶ。その彼女に、二匹の悪霊が同時に襲い掛かった。
リシャールは一匹を両断する。が、二匹目は間に合わない。
とっさに彼は剣を捨て、シャルロット姫を自らの身体で覆い、庇った。
頬に激痛が走る。
シャルロット姫が絶叫する。
二人を襲った悪霊を、駆けつけたラーリアが両断する。何とか立ち上がったリシャールの膝が、がっくりと折れる。
「リシャール、リシャール!!」
「なりません、姫!離れて下さい!」
「離してラウンデル、リシャールが、リシャールが!!」
シャルロット姫は半狂乱になって泣き叫ぶ。リシャールは顔の半分が黒く染まっていた。
「…来るな…姫―――来てはダメだ―――」
それだけ言うのが精いっぱいであった。リシャールは意識を失う。彼の全身が、徐々に悪霊に侵され始めた。
そこにリーシェが駆けつけた。彼は一目で事態を悟った。
「リーシェ、どうすれば―――」
リーシェは鎧の左の手甲を外すと、リシャールの傍に跪き、ルーンを唱えながら、自らのブーツナイフを引き抜くと、自分の左の二の腕にグサリ、と突き刺した。
彼の左腕から、リシャールの頬の傷に向けて血が注がれる。
その血を伝わって、リシャールに巣食った悪霊が、リーシェに乗り移り始めた。リシャールを取り巻いていた傭兵たち、あちこちでの戦闘を終え徐々に駆けつけてきた東方騎士団や近衛騎士の面々、泣き叫んでいたシャルロット姫が、言葉を失い息をのむ。徐々にリシャールの身体から黒い色が抜け、青白い顔に変わっていく。リーシェの左腕は、逆にその大半が漆黒に染まりつつあった。リーシェの額には、脂汗が浮かんでいる。
「ラーリア」
リーシェがラーリアを呼ぶ。
「リーシェ」
ラーリアはリーシェの正面に回り、彼の眼を見る。
「―――もし僕がこの悪霊に喰われたら」
「そんな」
「聞くんだ」
リーシェの息が、だんだん荒くなってくる。
「もし僕が――この悪霊に――喰われたら、…その剣で―――僕の心臓を刺すんだ」
ラーリアは目に涙を浮かべ、首を左右に振る。
「そうしないと―――僕を喰い尽した悪霊が―――数を増やして皆に襲い掛かる―――」
リーシェは必死で悪霊に抵抗していた。
「リシャールを救うには、―――こうするしか―――なかった」
リシャールに巣食った悪霊を、自らの身体に移し替えて、彼自身の気で焼き殺す。リーシェはそのつもりでいたのだが、フィルカスとの対峙は彼にとっても消耗を強いるものであった。ましてや今日リーシェは、大きな精霊魔法を既に使っている。彼にとってもギリギリの選択であった。
「リーシェ」
「迂闊だった―――でも、皆が死ぬより―――」
既にリーシェの左の肩口まで、悪霊が這い登っている。
「リーシェ!!」
ラーリアの絶叫が、遠く響き渡る。