撃退
(44)
リーシェは黒鹿毛の馬の手綱をしごく。
早々に乗り手を失い、力を余していた馬は、風のように走る。
リーシェは背の大刀を抜き放ち、立ちはだかる蛮族の騎兵を立て続けに両断する。
己の剣気を大量に精霊に喰わせ、消耗しているはずのリーシェであったが、それを感じさせない剣技で、彼は蛮族たちを葬り去っていく。彼が駆け入る陣が、さあっ…と二つに割れる。
既に、蛮族たちは逃げ腰である。周辺に向かった小部隊も、足止めされるか、壊滅させられるかしているものが多い。
今さらのことながらリーシェはグリムワルドの武勇を、力を「ありがたい」とかんじていた。
魔法の援護の無い部隊ならば、グリムワルド(と、ベルンハルト・カール)に任せておけば事足りる。
それに、最多数の魔道士を抱えていたズアーヴ族は、既に退却している。
リーシェは虚空に古代語を書きつける。文字はそのまま上空に浮かび上がり、大きく膨らんで光を放つ。
その光に、血まみれになって剣をふるい続けるクリスティンが気付いた。
「サイモン殿、サイモン殿!!」
「どうなされた、クリスティン殿」
「あれを」
彼女には古代語を読むことはできなかったが、彼女は、サイモンなら必ずどういうことか理解できるだろう、と考えた。そしてその期待は、最高の形で報われることになる。
「リーシェがグワルダルガとズアーヴの族長を退けた。あのルーンの下に、一人で戦っている」
「迎えに行かねば、サイモン殿!」
クリスティンは逸る。サイモンは苦笑しつつ頷く。
「そうだな、リーシェもそれを望んでいるようだ」
クリスティンの顔に驚きが走る。
危険だから、離れていろ…。
そう言ったリーシェが、あの魔王の眷属を退け、ズアーヴ族を追い払ったリーシェが…
「おそらく、かなり消耗しているのだろう。剣気や魔力が完全につきても、古代語そのものの力を利用することはできるが―――」
クリスティンは状況を悟った。疲れ切ったリーシェが、最後の力を振り絞って蛮族と戦っている。
「サイモン殿、急ぎましょう」
彼女は周囲の味方に声をかける。
「われに続け!エッシェントゥルフ侯爵閣下を、お救いするのだ!」
クリスティンの剣が、白銀に輝く。味方の百名の士気が一気に高まる。
「閣下はご無事だ、魔王の眷属も退けた。だが、消耗して敵中に単騎でいらっしゃる、一刻を争うのだ!」
「馬をつぶすな、クリスティン殿」
サイモンの言葉に、クリスティンは頷く。
「連れて帰って来なければ、意味がないのだぞ」
「ありがとうございます、サイモン殿」
クリスティンは八割程の速さで馬を走らせる。彼女の後ろに、サイモンと百の精鋭が続いた。
彼らはまっすぐに空に浮かんだ古代語を目指していた。
既に陽は西に傾き、空は茜色に染まりつつあった。
クリスティンは馬を走らせ、小高い丘の上を目指す。
そこでは、一人の騎士が剣をふるい、近づく蛮族の騎兵をひとり、またひとり…と倒していた。
「先鋒は、抜刀!」
クリスティンの声が響く。彼らは雄叫びをあげ、襲い来る蛮族の騎兵に突撃して行った。
「リーシェ様!」
クリスティンがリーシェに馬を寄せる。
「ありがとう、助かった」
サイモンもリーシェの傍に馬を寄せた。
「だいぶ消耗しているようだな」
「危なかったよ」
リーシェは疲れ切った表情を見せる。サイモンがニヤリと笑う。
「それでこそ、僕がここにいる意味があるというものさ」
サイモンは両手を天にかざし、高らかに断章を唱える。
全て生きとし生けるもの
全知全能の主の思し召しのまま
その命の尽きる前に召されず
その命の尽きし後に生かされず
魔落としの業
聖なる角笛
主の戦士力尽きること無し
主の御名の下
疲れは癒され
再び光を永久にあらしめんことを…
リーシェの身体が、美しい空色に光り輝く。純白の光を帯びた美しい天使達が、白い翼をはためかせリーシェを抱きすくめ、かわるがわるその唇を奪う。リーシェは無抵抗でそのすべてを受け入れていた。
「…すごいな、サイモン」
リーシェはサイモンに礼を言う。
「もう一度、奴と戦っても―――行けそうな気がする」
「すごいのはお前だ、リーシェ」
サイモンは舌を巻く。
「何人の天使の力を吸ったんだ?並の消耗の仕方じゃない」
「覚えてない」
リーシェは苦笑する。
「いずれにせよ、陽が落ちる。各隊を陣に戻し、被害状況を確認しなくては」
「そうだな」
その時、エルフィア・聖十字教国軍の陣から、角笛が響き渡った。
「さすがに心得てる」
リーシェはそういうと、クリスティンに言う。
「長居は無用だ、クリスティン」
「はい、急ぎましょう」
午後七時…
エルフィア王国・聖十字教国連合軍、本陣―――
ヴァルス侯爵が、今日幾度目かわからない賞賛の言葉を口にする。
「―――リーシェ殿の鍛えた、エルフィアの近衛騎士団は素晴らしい」
誠に、とそう言って、宮殿騎士の一人がリーシェに酒を注ぐ。
幾分はにかみながら、リーシェは感謝してその杯を受ける。
エルフィアの近衛騎士団から参戦した百名のうち、戦死者が三名。負傷者が十二名。千名の騎兵のうち、約一割弱が失われていた。
「まずまずだな」
グリムワルドはリーシェに言う。
「敵の兵力のうち、八千近くを潰しただろう。向こうは二割の損害、こっちは一割弱だ」
リーシェはグリムワルドに頷く。
「―――いきなり、ズアーヴ族とやり合うと思わなかったからね」
「しかし、あの調子だと…また出てまいります」
クリスティンが心配そうに言う。
「その度に、リーシェ様は―――」
「ボディヤ…そう言ったか」
リーシェは林檎酒を湯で割ったものを一口飲む。
「若いに似ず、いい腕だった」
サイモンが言う。
「恐ろしい使い手だったな」
「北方では、現在のところ、まず一番だろうね」
リーシェはグラスを両掌で包み込む。グラスから立ちのぼる、アルコールと微かな甘い林檎の香りを楽しみながら、彼はこう続けた。
「あいつらと互角にやり合えるのは…タズリウムか、先生…そして、義兄上のくらいのものだろう。サイモンとアレクサンドラ二人でなら、勝てる可能性は高い」
リーシェはベルンハルトに言う。
「ベルンハルト、君がしっかり修行を終えて来てくれれば、奴らを短期間なら足止めできる可能性が高い」
「おっしゃる通りです」
ベルンハルトは頷く。
「やはり、対抗呪文の腕を磨かないと―――」
「魔法でもやはり、受けを優先するのだな」
ヴァルス侯爵はリーシェに言う。
「そうです、閣下」
リーシェはヴァルス候爵に言う。
「仮に死の雲や核撃を使われれば、最悪一撃で千名の損害が出ます」
「カウンターできれば、損害はゼロだからな」
サイモンは言い切る。アレクサンドラが頷いた。
「敵の残りのドゥルイド・ドゥルイデスは四名。ズアーヴ族の魔導士が皆退却したのが大きいわ」
「賢者様、どの位の力を持つ魔導士が?」
イレーネが尋ねる。
「そうね、イレーネ…四人とも、大した魔力は感じないわ。魔物を召喚できるとしても、よくて大悪魔」
「十分脅威じゃねえか、嫌になる」
ギュンターが憂鬱そうに言う。アレクサンドラが笑って言う。
「でも、大悪魔なら、リーシェは一太刀で倒せるはずよ」
「アレクサンドラ」
リーシェが窘めるように言う。
「無理なことは言わないでくれ」
「嘘」
アレクサンドラは言う。
「あなたは十二歳の時に、聖ヴルム宮殿の地下宝物庫で、その『蒼の剣』の封を解く時…、その蒼の剣無しで、一太刀で両断しているはずよ」
「古い話を…」
アレクサンドラは言う。
「その剣…古代から伝わる精霊剣『蒼の剣』。その精霊があなたに名を与え、あなたの気を吸って、無敵の強さを発揮するのよ。その剣をあなたが携えて戦う限り、大悪魔でも怖くないはずよ」
「あの時は…」
アレクサンドラは、なおも口ごもるリーシェに言う。
「そう、あの時はあなた、フェリアを守る為…彼女の為だけに、その気力の全てを振り絞って戦ったのよね。強かったわけだわ」
納得した顔で頷く一同の中で、クリスティンの顔を見ながら、アレクサンドラは言う。
「クリスティン・リード」
「はい、賢者様」
「あなたの剣も、リーシェの剣に劣らない…ううん、剣だけの強さならヴィシリエン全土でも一二を争う剣よ」
「そう、リーシェ様から教わりました」
アレクサンドラは目を細める。
「あなたも、剣の精霊から名を許されるところまでは来ているのね」
「はい」
「ならばあなたにも、活躍してもらうわ」
アレクサンドラはそう言ってグラスを傾ける。リーシェが苦笑して林檎酒を彼女のグラスに注ぐ。アレクサンドラは軽く会釈すると、火にかけられた薬缶から熱い湯をグラスに加える。微かな甘い林檎の香りが、再び漂う。
「あなたにも、一太刀で倒せるでしょうね。…その剣の真の力を、引き出せれば」
クリスティンは頷く。
「…でも、私はまだまだ未熟です、アレクサンドラ様」
「あなたはそれを理解しているし、意識して修行をしているわ」
「はい」
「ならば必ず届くはずよ」
アレクサンドラは傍らのサイモンを見ながら言う。
「…少なくとも、うちの旦那なんか、百篇やっても剣であなたには勝てないわ」
「そんな」
サイモンが苦笑して言う。
「相変わらず、キツイな」
「剣ももっと修行しないとダメよ、サイモン」
アレクサンドラは言う。
「この子の…クリスティンの剣は、フェリアを思い出させるのよ。懐かしいわ」
リーシェはアレクサンドラの見立てに、内心舌を巻く。
「君には何も隠し事はできないな」
「あら、隠してないじゃない何も」
二人は顔を見合わせて笑う。
カール・スヴェートが串で炙った腸詰を齧りながら言う。
「しかし団長閣下、敵がこのまま引き下がるとは―――」
「そうだねカール」
リーシェも頷く。
小規模の部隊に分かれ、周辺の諸都市・農村を焼き討ちしようとした蛮族の企みを、リーシェは少数の足止め部隊を効果的に使うことで一旦は阻止した。しかし、グルヴェイグ族がそう簡単に諦めるとは、彼には到底思えなかった。
「やはり、ダンバコックを討ち取るしかないかな」
「それで敵が算を乱して退却してくれるかどうか」
グリムワルドが言う。
「連中は、物欲から何するか、分からねえからな」
「数が減れば、野盗と同じだ」
ベルンハルトはグリムワルドに言う。
「少ないとはいえ、魔法を使う者がおります。明日も私をお連れ下さい」
「そうだな、頼むぜ」
リーシェは頷く。
「明日は本陣に五百を残す。いつでも動けるようにしてくれ、ギュンター」
「分かった」
翌朝…
エルフィアの騎兵五百が、陣前に姿をあらわす。半数をグリムワルドに任せ、リーシェは残る半数を率いてまっすぐグルヴェイグ族の陣を目指した。
その様子を、ダンバコックは本陣から見ていた。
敵の指揮官は、何も考えていないか、さもなくばとんでもなく豪胆な男だ。まだこちらには三万に及ぶ兵がある。ズアーヴ族が壊滅させられたことは痛いが、然程の痛手とはいえない。敵の兵力を少しずつ削り取っていけばよいだけだ。
「騎射で攻撃しろ。敵の幹部ではなく、周辺の兵から狙え」
その言葉に、蛮族の騎兵たちが雄叫びを上げる。
向かって来るリーシェ達五百に対し、ダンバコックが差し向けた騎兵は五千。
十倍の騎兵が向かって来るのを見れば、大抵の兵は怖じて逃げ出す。
しかしエルフィアの騎兵たちは全く動じることが無かった。
蛮族軍の本陣で、ダンバコックが剣を振り上げる。
「放てぇっ」
その剣が振り下ろされると同時に、斜め上方に向け、空が黒く染まるほどの数の矢が放たれた。エルフィア軍の五百の騎兵に向け、五千本の矢の雨が降り注ぐ。
しかし、その矢は一本も彼らを捉えることはなかった。
ダンバコックは思わず腰を浮かせる。
なぜだ。何が起こった。
「精霊魔法」
ダンバコックの側にいたドゥルイド僧が口を開く。
「なんだと、本当か」
「エルフィア軍には、かなり高位の精霊使いがおります。弓矢や小さな石礫は、恐らく通用いたしませぬ」
「ち」
ダンバコックは舌打ちすると、側近に命令する。
「騎兵突撃が来るぞ。迎撃だ」
「はっ、ただちに」
ダンバコックは傍らのドゥルイド僧に言う。
「深淵は準備できたか」
「いつでもお命じ下され」
ダンバコックは頷く。
「すぐに召喚しろ」
ドゥルイド僧は頷くと、天幕の中に消えていった。
両軍の先鋒がぶつかり合う。既に蛮族軍の騎兵の先鋒は、恐慌状態に陥っていた。
エルフィア軍に一本の矢も当たらなかったからである。
「おりゃあ!とおう!」
グリムワルドは雄叫びを上げながら、大きな長柄の戦斧を振り回す。
時折放つ衝撃斬も含め、グリムワルドの進む道には死山血河が築かれた。
蛮族の騎兵たちはグリムワルドが迫って来るのを見て、さらなる恐慌状態に陥った。
「…何だ、張り合いのねえ」
グリムワルドは馬上から敵の本陣を眺めやる。そのグリムワルドにベルンハルトが声をかける。
「前方に、落とし穴です」
グリムワルドは後ろに続く味方に停止の合図をする。エルフィアの騎兵たちは、その合図に馬を止める。
「小癪な」
サイモンは短く断章を唱える。
主よ、我らを偽りでたばかる者共の罠からお守りください。
主よ、御心が行われますように。
「神我等を守りたもう!」
サイモンがそう唱え、司教杖を振りかざす。
その瞬間、大地が揺れ、布の上に土を薄くかぶせて作った蛮族たちの落とし穴は全て露わになった。
リーシェが間髪を入れずに指示を出す。
「穴を回り込んで攻撃!」
グリムワルドが再び馬を走らせる。
「おうよリーシェ、楽させてやるぜ!」
カール・スヴェートがグリムワルドに続く。ベルンハルトも遅れじとグリムワルドを追う。
本陣に肉薄するグリムワルドたちに、グルヴェイグ族の騎兵たちが襲い掛かる。
「お、ちったあ骨のある奴らが出てきたな」
「グルヴェイグの『戦士』です」
ベルンハルトがグリムワルドに言う。
「決して退却せず、武勇に秀でた兵です。ご油断なく」
「じゃ、こっちも本気で行くぜ!」
グリムワルドは一気に剣気を練る。戦斧がたちまち真っ赤に染まる。
凄まじい量の剣気を貯めこむと、グリムワルドはそれを敵に叩きつけた。
「…こんなもんだろ…行けえ!」
グリムワルドの戦斧から、深紅の剣気の塊が放たれた。
剣気の塊はグルヴェイグ族の戦士達の真ん中で弾ける。
ズシン… と、鈍い揺れと衝撃、そして眩い紅い光が走った。
濛々と水蒸気が立ち込める。
やがてその靄がおさまると、大地は蛮族たちの数限りない死体…というより、人も馬もその原型をとどめていない無数の肉片で覆われていた。
「…うへえ、容赦ないなぁ…」
カール・スヴェートが青ざめた顔で言う。グリムワルドはニヤリと笑って言う。
「よっしゃ、こんなもんだ。期待通りだぜ」
グリムワルドは再び斧に剣気を貯めに入る。その動作を見た蛮族の戦士達が、流石に前進をやめる。
「怖気づいたかぁ!行くぞぉ!」
グリムワルドは大喝すると、手綱をしごく。大きく馬がいななき、グリムワルドは更に前進した。
斧を振りかぶるグリムワルド。
その手が、ピタリと止まった。
「おい、ベル公」
「はっ」
グリムワルドはベルンハルトを呼ぶ。ベルンハルトは直ちにグリムワルドの側に馬を寄せる。
「…あの気配、分かるか」
「…来ます。恐らくは、大悪魔」
「数は」
「我々の側は、大悪魔一匹、他は小さい敵が」
「リーシェの方にも、出るな」
「そのようです。合計、四体かと」
グリムワルドはカールに言う。
「カール、お前は蛮族の兵をやれ。魔物は俺とベルでやる」
「承知しました」
カールは右側に衝撃斬を放つ。ベルンハルトは剣を構え、対抗呪文を準備する。
「一箇所に固まるな!攻撃魔法が来るぞ!」
グリムワルドはそう叫ぶと、馬から飛び降りる。後ろにいた兵に、馬を連れて退却するように命じ、グリムワルドは徒歩でじりじりと前進した。同じようにベルンハルトも下馬し、自分の馬を下がらせる。
「神我等を守りたもう!」
ベルンハルトは法力を解放する。
すげえ。
こいつ、かなり修行したな。
そう、グリムワルドは内心でベルンハルトを賞賛する。
三メートル程の巨体を揺らして、一匹の大悪魔が彼らの前に現れた。
グレーターデーモンは禍々しい声で咆哮する。
「始まったようだね」
リーシェはそう言うと、側にいたサイモンとクリスティンを顧みる。彼らの後方で、アレクサンドラが「封魔の断章」を高らかに唱え始めていた。
出てきた大悪魔は全部で四匹。それぞれが、一名ずつのドゥルイド僧によって開かれた深淵から現れたものであったが、アレクサンドラは彼女一人の法力で四つの深淵全てを抑え込もうとしていた。徐々に蛮族が開いた深淵の口は小さくなってきている。それが証拠に、大悪魔は四匹目を最後に全く出て来なくなっている。
アレクサンドラの周囲では、下馬したエルフィアの兵や近衛騎士達が、魔物や蛮族兵をアレクサンドラに一歩も近づけまいと奮戦している。マイアとイレーネは、次から次へと押し寄せる蛮族の兵を、斬って斬って斬りまくっていた。
「こちらには三匹。私が一匹頂きます」
クリスティンがリーシェに言う。リーシェはクリスティンに答えた。
「…致死毒があることを忘れるな。ひと傷でも受ければ、死ぬぞ」
「はい」
「厳しいようであれば、躊躇わず逃げろ。僕が行くまで、無理をするな」
「リーシェ様も、ご無事で」
リーシェはクリスティンに頷く。
「久々に、剣だな」
サイモンも愛剣を引き抜く。
「…とか言って、神聖魔法で焼き払うんじゃないのかい」
「ばれたか」
サイモンは笑って答える。それを合図に、三人はそれぞれ一匹ずつの大悪魔に向かって突進していった。
長引けば、味方が不利。短期決戦で行く。
クリスティンは剣の峰を左手でそっと撫でる。
O rex spiritus argentus !
彼女は剣の精霊の名を、古代語で唱える。眩い白銀の光が彼女を包む。
彼女が正対した大悪魔が咆哮を上げ、輝く光の球をクリスティンに投げつける。
「核撃」。
クリスティンはその光の球を、唐竹割りに一閃する。
左右に両断されて、光の球は飛び散り、大きな爆炎を上げる。
大悪魔は鋭い爪を振りかざし、クリスティンに襲い掛かる。
空気を斬り裂く音がして、大悪魔の爪が空を切る。振り返る大悪魔に、剣気に満ちたクリスティンの一太刀が炸裂する。
大悪魔の顔に、驚愕が張り付く。
その瞬間には、既に勝負はついていた。
クリスティンの振り抜いた剣の走った跡から、大悪魔は灰になっていく。
彼女はそれを見やりもせず、サイモンの方に急ぐ。いささかの迷いも、彼女には無かった。
リーシェ様は大丈夫だ。
サイモン様を、お守りしなくては。
クリスティンの心配は、幸か不幸か、杞憂に終わった。サイモンは迫り来る敵の兵を剣で牽制しながら、高度な神聖魔法を立て続けに放ち、大悪魔のどてっ腹に巨大な穴を穿った。断末魔の悲鳴をあげ、大悪魔は灰と化していった。
時を同じくして、アレクサンドラの魔法も完成した。蛮族のドゥルイド僧達が開いた深淵は、全て元通りに閉じられてしまった。
「う、うわあぁ」
恐慌に陥ったドゥルイド僧が、攻撃魔法を唱えようとする。しかし、その声は半ばでかき消されてしまった。
「間に合ったね」
「リーシェ!」
「リーシェ様!」
サイモンとクリスティンが、リーシェに駆け寄る。
「二人とも見事だったよ」
「リーシェ、君は」
リーシェは頷く。
「他愛もないものさ。グワルダルガに比べれば」
「比較の対象が、おかしいんだよ」
サイモンはそういって辺りを見回す。
「かたまっていると、魔法が」
クリスティンの心配に、リーシェは首を横に振る。
「『精霊の沈黙』を使ってある。こちらの三人は、もう何もできないよ」
「斬ってしまおう」
「もう、命じてある」
サイモンの言葉に、リーシェはそう答える。
「さ、次だよ」
「そうだな、行こう」
三人はそのまま、敵の本陣に向かって駆け出していた。
グルヴェイグ族、本陣
「小賢しいことを」
ダンバコックは麾下の全軍に、千騎単位の散開を命じた。
「足止め部隊は、奴等を止めよ。他の部隊は、周辺諸都市や集落を、可能な限り略奪しろ!」
ダンバコックの命令は、速やかに全軍に伝えられた。彼自身も、旗本の千騎を率いて、北西方面に転進しようとしている。
その千騎の動きが、急に止まった。
「何事だ、動きを止めるな!」
ダンバコックはそう叫ぶと、部隊の前の方を見やった。少数の敵兵が立ちはだかっているようである。
彼は漆黒の大剣を携え、陣前に進み出た。
尋常でない大馬…恐らくは、重種の馬に跨り、巨大な戦斧を振り回している男が、ダンバコックの目に入ってきた。馬も人も、血塗れである。しかしそれは、全て返り血。目の前の男がどれだけの仲間を殺したか、ダンバコックには見当もつかなかった。
「貴様が、グルヴェイグ族の親玉か!」
グリムワルドは大喝する。慌てて周りにいた兵がダンバコックの周りに集まり、グリムワルドを防ごうとする。その隙に、ダンバコックは剣を一振りする。三匹の悪霊が、剣から湧き出し、グリムワルドに襲いかかる。
「しゃらくせえ!!」
グリムワルドは戦斧の柄の真ん中を握り、軽々と水車のように振り回す。彼の気の満ちた戦斧の石突が掠めただけで、悪霊は断末魔の悲鳴をあげて灰と化す。
「グリムワルド殿!」
「ベル、周りは任すぜ、俺はこいつを殺る」
グリムワルドは叫ぶ。
「エルフィア王国、アルトワ公爵グリムワルド、参る!」
二人はすれ違いざまに打ちあう。一合、二合…。
ダンパコックの顔色が変わる。
こいつは強い。
これまで戦った聖十字教国の、どの将よりも強い。
あのヴァルス侯爵も強かったが、その比ではない。凄まじい膂力だ。気の力も、凄い。
ダンバコックは間合いを取ると、グリムワルドに言う。
「出来るな、エルフィアの大諸侯らしからぬ武勇だ」
「エルフィアの諸侯は、腰抜けばかりだとでも思ったか」
グリムワルドは揶揄するように言う。
また一合。
ダンバコックの足が二歩さがる。
長引けば、明らかに不利だ。ここは奥義をもってこの男を葬らねばならない。
ダンバコックは暗黒剣に気を込める。途端に剣が悪霊を噴き出し始める。
「結構出るな」
グリムワルドはむしろ嬉しそうに言う。
「よお、グルヴェイグ族の族長よ」
「なんだ」
「お前の剣と、魔戦将軍フィルカスの『黒死剣』、どっちが強い」
「ウィルクスのか?」
「そうだ」
ダンバコックは笑って言う。
「俺が奴と戦うことはないだろうが―――簡単に負けてやる気はさらさらないな」
「同じ位か」
「なら」
グリムワルドの全身から、剣気が吹き出す。
「お前を斬れれば、奴と戦えるってことだ!!」
その剣気に触れた悪霊たちが、片っ端から灰になっていく。
グリムワルドは斧に剣気を込める。戦斧が赤熱していく。
その姿は、まるで鬼のように見えた。
「化け物め」
ダンバコックは身震いしながら言う。これだけの相手に巡り合うことは、北方では稀である。
ダンバコックがこれまで相対した中では、この男は聖十字教国の枢機卿マリュー、銀騎士シュテッケン・フォン・スィスティアに次ぐ腕。ほとんど、グランドマスタークラスの使い手である。
何よりも、戦い方から見て、人を斬ることを苦にしない。まるで枯草でも刈るかのように、こちらの軍の兵を無造作に両断していく。それも力任せではない、高い技術を伴う戦い方をしている。この男一人に、グルヴェイグ族の兵が二千討ち取られても、何の不思議もない。
ここで倒さないと、危険だ。
ダンバコックは剣を振り抜く。衝撃斬と共に、悪霊が三匹グリムワルドを襲う。
「ぬるいぜ」
グリムワルドはその衝撃斬を剣気だけで弾き飛ばす。軽く斧を一振りして、悪霊を斬り払うと、彼は叫ぶ。
「今度はこっちだぜ」
渦を巻いて、グリムワルドの周りに剣気が集まる。とんでもない密度の、重い剣気である。
「くぅらえええええええっ!」
集めた剣気を、グリムワルドはダンバコックに叩きつける。
「!」
土煙と共に、地響きが周辺に伝わる。
土煙がおさまった後に、立っていたのはただ一人。
白銀に光り輝く戦斧を構えた、グリムワルドだけだった。
ダンバコックはグリムワルドの技をまともに正面から受け、肩口から斜めに両断されて物言わぬ骸になっていた。
「リューク十五朝エルフィア王国、アルトワ公爵グリムワルド、グルヴェイグ族の族長を討ち取った!」
エルフィア王国、聖十字教国の連合軍から大歓声が起こり、蛮族軍は算を乱して北方に逃げ出した。特にグルヴェイグ族の混乱が酷く、組織だった抵抗ができない状況になっていた。
切り札として呼び出した大悪魔が、ドルイドごと何もできずに倒され、深淵は塞がれた。小規模の隊に分かれて周辺の諸都市や村々を襲おうとしても、百人単位の連合軍の部隊が襲って来る。蛮族軍はもと来た道を、北方目指して退却する他なかった。
グリムワルドの近くに、リーシェとクリスティン、サイモンが集まった。
「ダンバコックを討ち取ったんだね」
グリムワルドは頷く。
「大した奴じゃねえよ」
サイモンが感心したように言う。
「アルトワ公爵閣下は、誠豪傑であられる。ヴァルス候でも、持て余していた相手だというのに」
リーシェは笑って言う。
「恐らく、今のグリムワルドなら、フィルカスの相手でもできそうだ」
リーシェはグリムワルドの全身を眺めて言う。
「無傷で倒したんだろう?」
「勿論だ」
グリムワルドは頷く。
「これが試験のつもりで戦ったからな」
リーシェは笑みを浮かべて頷く。
「いいだろう、仮に僕がいない時に奴が攻め寄せたら、グリムワルドも戦っていい」
グリムワルドは呵呵大笑する。
「待ってやがれ、フィルカス!」
十二月二十四日…
聖都ロードポリス、聖ヴルム大聖堂…
静かに雪が舞い降りるロードポリスの街は、歓喜に沸く人々に埋め尽くされていた。大聖堂には、生き残ったエルフィア王国の近衛騎士八十三名と、約七百弱の兵が招き入れられ、聖誕祭のミサに参列していた。
友好国の危機を救う為、血を流し、命をかけて戦ったエルフィアの兵士達は、使命を果たした誇りと満足感に満ち溢れていた。一般の参列者や、聖十字教国の騎士達は、大きな感謝と共に彼等の祈る姿を眺めていた。
バーランダー枢機卿が、ミサの終わりを告げる。鐘の音が、穏やかに聖都の夜空に響き渡った。
エルフィア王国の近衛騎士のうち、生き残った八十三名は、聖ヴルム宮殿の広間で、晩餐会のテーブルについていた。ヨハネス十二世はエルフィアの援軍の活躍と献身的な戦ぶりに謝意を示す。
「貴国と我が国が、永久に手を携え、共に神の恩寵を受けんことを…」
教皇の祝福に、エルフィアの騎士達は深々と頭を下げ、十字を切る。
「アルトワ公爵、グリムワルド殿!」
アンヴィル枢機卿が厳かにグリムワルドの名を呼ぶ。
グリムワルドは席を立ち、ヨハネス十二世の前に跪く。
「お立ちあれ、公爵殿」
「は」
ヨハネス十二世は、グリムワルドに、見事な彫刻の施された魔法銀の鞘に入った、やや幅広の剣を手渡す。
「台下、私めに?」
ヨハネス十二世は笑みを浮かべて答える。
「そなたのような豪傑にこそ、似合いの剣であろう。…普段差としてでもお使い下されば、剣も喜ぶことであろう」
グリムワルドは留金を外し、宴席に向けて剣を抜き放つ。まばゆい魔法銀の輝きが、鞘から溢れ出た。
「…ブラグステアード」
リーシェは小声で口にする。
「じゃ、俺の戦斧と同じ」
ヨハネス十二世はグリムワルドに頷く。グリムワルドは剣を鞘に戻し、押し戴くように捧げ持つと、教皇に深々と一礼した。
「しかし、流石はリーシェ殿」
ヨハネス十二世は席に腰を下ろすと、右隣のリーシェに言う。
「ひと目で当てるとは」
「眼福でございます、台下」
「凄い剣だ」
グリムワルドは身震いする。
「触っただけで分かるぜ、リーシェ」
「グリムワルドこそ凄いよ」
リーシェは感心したように言う。
「それは…大聖堂の地下宝物庫にあったブラグステアードの中で、間違いなく三本の指に入る聖剣だ」
「やはりアルトワ公爵殿には、ブラグステアードがお似合いになる」
バーランダーも目を細める。
他にも何人か若い近衛騎士達が、ヨハネス十二世から名高い剣を褒美として授けられた。マイアとイレーネには、「両刃のローラン」の長剣。二人の働きを、アレクサンドラは賞賛する。
「男爵夫人」もそうでしたが、エルフィアの女性騎士は本当に優秀な方ばかりです、台下」
「そなたが言うのじゃ、その通りであろう」
ヨハネス十二世も頷く。
「聞けば、そなた達第一中隊は、『お馬鹿隊』などと呼ばれておるとか」
マイア、イレーネ、クリスティンの三人が赤面して俯く。ベルンハルトが答える。
「ラスカー卿が、一般教養や宮廷の歴史など情報の講義と試験を行っているのですが、その点数が…」
リーシェは苦笑して言う。
「あれでは、私でも満点は無理です、台下」
「そのようなこと」
ヨハネス十二世は笑って頷く。
「彼女達の見事な戦ぶりなら、それだけでも賞賛に値する。多少試験の点数が悪かろうと、それがそなたらの価値を下げはせぬ。皆、胸を張るが良い」
クリスティンはヨハネス十二世に、溢れるような笑顔を見せる。ヨハネス十二世はクリスティンに言う。
「そなたに私から二つ名を贈ろう」
「ありがとうございます」
「『白銀の聖騎士』《クローム・パラディン》では、いかがかな?」
「勿体無い仰せ、名に恥じぬように励みまする」
聖十字教国の宮殿騎士達も、ダンバコックの弟や大悪魔を一太刀で葬った彼女の武勇には一目も二目も置いていた。多くの宮殿騎士から挨拶を受け、クリスティンはその度に深々と頭を下げ、感謝の意を表すのであった。
「もっともっと、鍛錬しなくては…」
クリスティンは水を一口飲むと、そう言った。
「まずは、食事だよ」
リーシェは笑ってクリスティンに言う。
多くの礼物を携え、エルフィアからの援軍が王都ヴィサンに戻ったのは、一月も十日になってからであった。




