暗黒
(43)
十一月十五日…
リーシェ率いる千の軽騎兵は、昼過ぎにオンタリアの聖十字教国軍宿営に到着した。
聖十字教国軍の士気は、いや増しに上がった。
「蒼のリーシェ」着陣の知らせは、風のように戦線に広まった。
味方にも、そして四万を超える、北部辺境から侵攻して来た蛮族軍にも―――。
「―――最悪の状況は、免れているようだ」
リーシェはようやく安堵の表情を浮かべた。
彼にとっての「恐怖の戦略」を、蛮族軍が取っていなかったことに、心から安心した様子であった。
「してみると、蛮族共も案外馬鹿の集まりかもしれんな」
グリムワルドは揶揄するように言う。しかし、リーシェはそれを窘める。
「これからでも、敵はその手を使うことができるよ」
グリムワルドは押し黙った。
「そうされたら―――」
リーシェは表情を押し殺して言う。
「―――僕やグリムワルドは、一人で千人単位を相手にしなくてはいけないかもしれない」
「気持ちのいいもんじゃねえな」
リーシェは自嘲的な笑いを浮かべてグリムワルドに言う。
「その通りだね。正気を保つのも、大変だと思うよ」
クリスティンが言う。
「一つ間違えば、気が狂うかもしれません…危険すぎます、リーシェ様」
「心配いらない」
リーシェは力強く言い切る。
「たとえ千人、二千人斬らねばならないとしても、必ず耐えられる」
リーシェはクリスティンに言う。
「―――先回は、非戦闘員まで皆殺しにしなければいけなかった。確かに、こたえたよ」
サイモンとアレクサンドラが心配そうにリーシェを見る。しかし、リーシェは笑って言う。
「でも、サイモンとアレクサンドラの二人は、僕がどうしてそれに耐えられたか、よく知っているはずだ」
その表情に、アレクサンドラもわずかに笑みを浮かべる。
そうだ、彼もまた、生身の人間。
耐えられる、と自分に暗示をかけようとしているのだ。
「そうね、リーシェ」
クリスティンはアレクサンドラの方を見る。アレクサンドラは頷く。
「あの時リーシェは、ロードポリスで帰りを待つフェリアを守るため…その為に、ただその為だけに、敢えて手を汚したのよ。並の精神力じゃ、発狂するわ」
リーシェは配下の近衛騎士達に言う。
「グルヴェイグ族は、こちらの一人を三人で狙って来る。必ず三人一組で戦え」
「はっ」
「グリムワルドにはベルンハルトとカール・スヴェート」
ベルンハルトとカールが頷く。
「アレクサンドラにはマイアとイレーネ」
「はい」
「そして」
リーシェはサイモンとクリスティンを顧みる。
「お任せ下さい」
リーシェはクリスティンの言葉に頷いた。
「ヴァルス侯」
ヴァルス侯爵はリーシェに頷く。
「うむ」
「わが軍は、明日払暁に隘路を抜け、グルヴェイグ族に攻撃を仕掛けます」
「心得た。儂は敵の連携を断つ」
「お願いいたします」
翌朝…
聖十字教国軍から、約三千の軽騎兵の一団が、隘路を抜けてオンタリアの北、レーヴの森を望む平原に出てきた。
ダンバコックは、四万の味方を前に言い放つ。
「敵はたったの三千だ。蹴散らせ、さすれば聖十字教国は俺たちの物だ!」
蛮族たちが大歓声を上げる。
その時。
エルフィア近衛騎士団の中から、細身の女騎士が一人現れた。
そして、蛮族軍に対して手招きする。
ゾショーがダンバコックに馬を寄せる。
「兄者、なかなかの女と見たぜ」
「どうやら、一騎討を挑んでいるようだな」
「面白え」
ゾショーは馬を一歩前に出す。
「兄者、俺にやらせてくれ」
「また、悪い癖が出たか」
「あんないい女、ただ打ち殺すのはもったいねえ。たっぷり味わってからにするぜ」
ダンバコックは溜息をつく。が、弟に言う。
「油断するなよ。任せる、好きにしろ」
「恩に着るぜ」
ゾショーは従者に大声で命じる。
「俺の剣をよこせ!」
すかさず従者が二人、巨大な剣をゾショーに手渡す。
「手を出すな!グルヴェイグ族の長、ダンバコックが弟、『鬼のゾショー』様が相手になってやる!」
グルヴェイグ族から、ゾショーの名が連呼され、大歓声が起こる。
ゾショーは舌なめずりをしながら、大きな鹿毛馬を一直線に走らせて、女騎士の方に向かった。
「また、デカいのが出てきたぜ」
グリムワルドがリーシェに声をかける。
「大丈夫だろうな?」
リーシェは微動だにしない。それをリーシェの答えと受け取ったグリムワルドは再び、進み出たクリスティンの後ろ姿に目をやる。
クリスティンの気は、全くいつも通りであった。グリムワルドはクリスティンの勝利を疑わなかったが、それでも蛮族軍が何かしてこないか…と心配であった。
「サイモン」
リーシェがサイモンに声をかける。
「リーシェ、何か」
「敵の魔導士は…どのくらいいる」
サイモンは馬上で十字を切り、上位古代語を唱える。
ややあって、サイモンが口を開く。
「―――深淵を開けるドゥルイド、あるいはドゥルイデスが七人…八人か。そのうち一人は、かなりの魔力だな」
アレクサンドラが短く古代語を唱えた。宿営の前で、何カ所か光がぶつかり合う。
敵の魔導士が唱えた遠視の魔法を、アレクサンドラが跳ね返したのである。
「…なかなかやるわ。恐らく、ズアーヴ族の陣から」
リーシェはアレクサンドラの言葉に頷いた。
かなりの魔導士がいる。間違いない。
少なくとも、自分の仲間達にとっては、これまでで最も危険な戦いになる。リーシェはそう確信していた。
「サイモン」
リーシェは言う。
「可能な限り、敵の魔導士の位置を特定してくれ」
「どうする気だ」
リーシェは言う。
「…直接、攻撃をかける」
サイモンはリーシェの顔を見る。
彼はリーシェを止めようとして、諦めた。
「かなり危険な賭けだ」
「分かってる」
サイモンは断章を唱える。
「特定できてから、攻撃だ。…それまでは我慢だぞ」
リーシェは頷く。
クリスティンは陣前に出てきた敵の将に正対していた。
「グルヴェイグの族長の弟か」
クリスティンはそう言うと、剣を抜く。
「俺の名は、ゾショー…人は俺を鬼と呼ぶ」
「エルフィア王国近衛騎士、クリスティン・リードだ」
ゾショーは舌舐めずりをして言う。
「貴様は殺さぬ。捕らえて、俺の妾にしてやるわ」
クリスティンは笑って言う。
「お前ごときが、私を捕らえることなど、不可能だ」
彼女は高らかに言う。
「私の身体を自由にしてよい男は、ヴィシリエンにただひとり…グランドマスターにしてエッシェントゥルフ侯爵『蒼のリーシェ』様をおいて、他にない!」
クリスティンは堂々と言い切ると、古代語を唱える。
O rex spiritus argentus !!
その瞬間、彼女の剣から眩い光が迸った。
「な…、何だとぉ⁉︎」
光がおさまる。
クリスティンの身体は、白銀の剣気に包まれていた。まるで四枚の銀の翼が生えたかの様な、銀色の剣気に…。
彼女は馬を一直線に走らせる。
右手の剣が閃いた。
ゾショーの身体に、深々と斬撃が刻まれる。
一瞬の後、思い出した様に鮮血が噴き出す。
物言わぬ骸になって、ゾショーは馬上からまっ逆さまに落ちた。
クリスティンは馬を立て直し、蛮族軍を見据えながら、剣を持った右手を高く上げる。
エルフィア・聖十字教国の連合軍から、大歓声が沸き起こった。
ズアーヴ族の陣地…
屈強な戦士達に囲まれながら、ボディヤは一騎討を眺めていた。一太刀で決着がつき、エルフィアの女騎士が剣を高く掲げるのを、彼女は何の感情も見せずに眺めていた。
「…あのゾショーが、まさか一太刀で…」
思わず口にした若い側近に、ボディヤは冷たく言う。
「言ったであろう、すぐ終わる、と」
「しかし、これほどとは」
「タンブル」
と、二本の角のついた兜を被った初老の戦士が窘める。若い側近は、申し訳無さそうに口をつぐみ、引きさがった。
「見る目の無い孫で申し訳ございません」
「構わぬ、タンブルは初陣であろう」
ボディヤはそう言うと、再び視線を前に向ける。
蒼の死神の妾か、あの女…。
…道理で、肝が座っている。
「…弓を使う様ですぞ」
グルヴェイグ族の騎兵達が、手に手に弓を持ち、女騎士に向けてバラバラ…と矢を放つ。
「『勝てばいい』か…」
誇りや面子、そういった物とは、蛮族は無縁である。ダンバコックがそうした命令を下すであろうことは、ボディヤには容易に想像できた。そうで無いとすれば、蛮族としてはむしろ異常である。腰抜けが、戦士を率いることはできない。
しかし数百の矢は、一本も女騎士には当たらなかった。先の一騎討の結果には何の表情も見せなかったボディヤの周囲の戦士達も、流石に小さなどよめきを上げる。
ボディヤが溜息をつく。
「…お前達、さっきから何を見ていたのだ」
ただひとり、何の反応も見せなかった先程の初老の戦士が、ボディヤに言う。
「…かなり強力な精霊剣ですな」
「ゴファン、分かるか」
「はい」
ゴファンと呼ばれた戦士はもう一度女騎士の方を見やると、低い声でゆっくりと言う。
「恐らくは…、『白銀の精霊王』という、ヴィシリエンでも希少な、オリハルコンの剣です。対になっている『黄金の精霊王』は、かの剣聖ソルフィーめの剣だと、記憶しております」
「その様だな、奴もそう唱えていた」
「…あれでは、矢が無駄でございましょう」
ボディヤは彼に言う。
「どうだ、出てみるか」
ゴファンは笑って首を横に振る。
「…あんな小娘ひとり、我等が本気で狙うに値しますまい」
ゴファンは穏やかに言う。
「我等の狙うは、『蒼の死神』ただ一人。ここにある三千全て死に絶えても、奴にひと傷一太刀浴びせずにはおれません」
「そうだな」
ボディヤはそう言うと、目の前の戦に再び目を向ける。
「ドゥルイドは密集するな。いつでも、指示した時に動けるようにさせよ」
「は」
「心を鎮め、魔力を抑えさせよ」
ボディヤは言う。
「奴らは、こちらの魔導士を探している。見つけ次第、狙って斬り込んで来るはずだ」
ボディヤは続ける。
「その時は、味方に構わず、『死の雲』でも『核撃』でも、何でも使え。私もそうする」
「かしこまりました、すぐに伝えまする」
ゴファンの言葉に満足したように、ボディヤは言う。
「お手並み拝見といこうか、ダンバコック…。」
クリスティンは無傷でエルフィア軍の陣に駆け戻った。エルフィア軍から再び勝鬨が起こる。
「御苦労様、クリスティン」
リーシェはクリスティンを労う。クリスティンは溢れる様な笑顔を見せる。
「ご褒美を、宜しくお願い致します、リーシェ様」
「まあ、しっかりしてること」
アレクサンドラが苦笑して言う。
「貴方も大変ね、リーシェ」
「分かるかい」
リーシェも苦笑しながら、クリスティンに頷く。クリスティンは再び、この上もない幸せそうな笑顔を見せる。
「斬り込むか」
グリムワルドがリーシェに尋ねる。しかしリーシェは首を横に振る。
「グルヴェイグ自体は、然程怖くはなさそうだけれど」
とリーシェはそこで言葉を切る。
「…魔導士をたくさん抱えているズアーヴ族が、怖い」
「そんなにか」
「サイモンとアレクサンドラが、正確に察知できないというのは…」
リーシェはグルヴェイグ族ではなく、数の少ないズアーヴ族の陣地を注視していた。
「…余程の将が率いてきた様だ」
サイモンも頷く。
「魔力を絞っている様だ。大まかにしか、位置を特定出来ない」
「本陣にひとり」
リーシェは地図で示す。以下、九ヶ所に印を打つと、リーシェは言う。
「踏み込むと、味方ごと大魔法で殺そうとするだろうね」
「まさか」
マイアの言葉に、ベルンハルトが言う。
「閣下のお言葉通りだ。間違いなく、核撃か死の雲が来る」
その言葉に、イレーネも身震いする。
「…事実、私もその手を喰らった」
「戦ったことがあるのかい、ベルンハルト」
ベルンハルトは頷く。
「ズアーヴ族の長は、女魔導士だそうです」
「ほう」
グリムワルドが意外そうな顔をする。
「強いのか」
「少なくとも、上位古代語は覚悟しないといけないね」
「かなりの魔物を、召喚してきます」
リーシェはクリスティンに言う。
「聞いての通りだ、クリスティン」
「はい」
「精霊王の力は、なるべく温存するんだ。何が出てくるか、わからないからね」
「大悪魔、とか」
「もっと上位の魔王の眷属も…ありうるさ」
リーシェはそう言う。
「…僕も、久々に本気を出さないといけないかもしれない」
サイモンが苦笑して言う。
「いつ以来だい、リーシェ」
「サイモンには、見せたことがないと思う」
その言葉に、サイモンとアレクサンドラの顔色が変わる。それと察して、リーシェは二人に言う。
「北方で、ドラゴンと戦って以来だから」
ダンバコックは苛立ちを隠せなかった。
目の前の敵は僅かに軽騎兵が三千。
しかし、ほとんど効果的なダメージを与えられていない。逆に、自軍は少なからぬ出血を強いられている。何よりも、そのことにより味方が敵を恐れ始めている。ダンバコックはそれを鋭敏に感じ取っていた。武芸ばかりで女にだらしがない弟と異なり、ダンバコックは非凡な将の器であった。それゆえ、彼には自軍の弱点も理解できていたのである。
寄せ集めの蛮族軍は、利に聡く、義に薄い。勝っているうちは良いが、負け出すと脆いのである。だから敵の総勢が高々六千であっても、全く油断はできないのである。そもそも、聖十字教国の騎兵のうち、少なく見積もって五百は聖職者だ。ということは、何らかの神聖魔法を使うことができる、ということである。単純な五百と見做すことはできない。また、エルフィアからの千名についても、緒戦のあの若い女騎士の腕から見て、とんでもない精鋭の集まりだ。こちらの騎兵を二千や三千ぶつけても、到底止められまい。
「止むを得んか」
ダンバコックは全軍に号令をかける。
「千騎ずつに分かれ、周辺の略奪と焼き討ちに向かえ」
「ここは、どうなさるので」
ドゥルイド僧の問いに、ダンバコックは悪辣そうな笑みを浮かべる。
「なに、ズアーヴの奴らに任せればよい…それが、奴らの望みだ」
エルフィア軍の陣地で、敵の動きを見ていたリーシェの顔色がさっと変わった。
大多数の敵騎兵が、千名ほどの単位で移動を開始した。
リーシェはすぐに指令を出す。
「グリムワルド」
「おう」
「百を率いて、西側に向かった部隊を」
グリムワルドは頷く。
「委細承知…いくぞ、ベルンハルト、カール」
「はっ!」
三人を先頭に、百程の騎兵が風の如く出陣していった。リーシェは矢継ぎ早に命を下す。
「アレクサンドラ」
「はい」
「二人を使ってくれ。南西方向に来る隊を頼む」
「任せて」
アレクサンドラはマイアとイレーネに目配せをする。二人は畏まって命を受け、馬を走らせる。その様子を見もせず、リーシェはギュンターに言う。
「ここを頼む」
「支えきれなくなったら、狼煙上げるぜ」
「そうならないように、頼むよ」
「厳しいな」
リーシェはサイモンとクリスティンを顧みる。二人は頷くと、馬上の人となる。
「サイモン」
「何だ」
リーシェは真顔で言う。
「…もしも僕に万一のことがあったら、彼女を必ず逃がしてくれ」
「リーシェ様⁈」
クリスティンには一顧も与えず、リーシェはサイモンに言う。
「深淵が開いたら、全力で頼むよ」
「任せろ」
そこではじめて、リーシェはクリスティンに命じる。
「僕からの命令だ」
クリスティンは黙ってリーシェを見つめる。
「何としても、サイモン殿をお守りせよ」
クリスティンは黙って騎士礼を取る。
「それと、万一魔王の眷属が現れたら」
リーシェは厳しい顔で言う。
「…くれぐれも、僕の側に寄るな。危険すぎる」
「しかし」
「敵は高度な魔法を使う。…君を守って戦う余裕はない。だから、君には魔法を使わない敵の相手を命じる。サイモン殿の側に、敵を寄せ付けるな。いいね」
クリスティンは黙って頷いた。
「いい子だ」
リーシェは馬上の人になる。
彼は麾下の百騎に、突撃を命じた。
「ほほう、流石に対応が早いですな」
ズアーヴ族の陣地では、ゴファンがそう言って目を細める。ボディヤはゴファンに言う。「陣を下げるぞ」
「側面を突いたりは、なさらないので?」
「構うな、蒼の死神に正対したまま、ゆっくり後退させよ」
ボディヤはダンバコックの隊から離れるように、北東方向に徐々に後退する。
馬鹿どもに、付き合う必要はない。グルヴェイグなどの軍勢が、二万なら二万、四万なら四万、覆没しても問題ないのだ。
「奴の周囲に兵は」
「騎兵が百程」
若い物見の兵が間髪を入れずに答える。
「その中に、例の女騎士と、司教級の聖騎士がおります」
ボディヤは席を立つ。
「もう少し後退する」
側近達は、彼女の意図を正確に汲み取っていた。
リーシェの率いる百騎に、厳しい二択を迫るためである。
「止まるか、グルヴェイグに向かったら、一気に攻撃をかけよ。こちらに来た時のことは、頭に入っているな?」
「はっ」
エルフィア王国軍のうち、リーシェが率いる本隊(といっても、既に百騎しか残していないが)は、前方左右にグルヴェイグ族の本陣と、ズアーヴ族の本陣を見る位置まで前進していた。
リーシェは、グルヴェイグ族の本陣に目もくれず、ズアーヴ族の本陣の方へ馬を向ける。
そこには一瞬の逡巡もなかった。
サイモンはリーシェの決断を全面的に支持していた。
もしグルヴェイグ族に突っ込もうとしたら、彼はリーシェを諫めるつもりであったが、それは全くの杞憂であった。重要な場面での彼の選択は、これまで間違っていない。
サイモンと同様に、ヴァルス侯爵もリーシェの決断に呼応した。
「我ら二千は、右からグルヴェイグ族の本陣を衝く。リーシェ殿の背後に、突っ込ませるな」
神我らを守りたもう!
神我等を守りたもう!
神我等を守りたもう!
三度全軍で唱和すると、ヴァルス侯爵率いる聖十字教国軍の騎兵隊は、ヴァルス侯爵の指令に従って、エルフィア王国軍百名の後を追うように右からグルヴェイグ族の本陣に襲い掛かる。
その動きは見えていたが、グルヴェイグ族の本陣は突撃してくる聖十字教国の騎兵隊の圧力に圧され、反応が遅れた。
「天の高きに栄光あれ!」
ヴァルス侯爵は断章を唱えると、剣を振り下ろす。
「敵の本陣を、殲滅せよ!」
エルフィア王国軍は、たった千名の兵を十に分け、その百騎ずつで敵の千騎をそれぞれ足止めしていた。各々の隊に最低一人の司祭級の僧を入れ、敵の魔法による攻撃から身を守りつつ、軽騎で騎射を使いながら足止めをする。一撃離脱を繰り返し、焦れて出てきた兵を三名一組で片付ける。それを徹底し、各々の隊がほとんど被害を出さずに敵の兵を削っていった。
その中でも、グリムワルドの隊は直接敵の中に騎兵突撃を行っていた。
通常の軍馬の倍近い大きさがある重種の軍馬に跨ったグリムワルドは、目の前に立ちふさがる蛮族兵を片っ端から粉砕し、肉片と血漿に変えていった。グリムワルドに続く兵もそれに倣う。巻き込まれないようにある程度距離を取りつつも、カールとベルンハルトはグリムワルドの左右斜め後方を走っていた。無論彼らの前に立った敵も、グリムワルドの前に立った敵程でないにせよ、似たような結末を迎えるのであった。
グリムワルドの隊が三度目の突撃を行ったところで、最初に接敵した千程の蛮族の騎兵隊は蜘蛛の子を散らすように潰走した。
「逃げる蛮族は追うな!次だ、俺に続け!」
グリムワルドは次の目標に馬首を向け、大きな戦斧を振りかざす。
「アルトワ公爵グリムワルドだ!命が要らぬ蛮族共、かかって来い!」
グリムワルドが大音声を上げる。彼の斧が凄まじい剣気を噴き上げる。
それまで武器を振り回して戦っていた蛮族の兵が、グリムワルドを見て悲鳴を上げ、算を乱して潰走する。グリムワルドはたった百騎で、千騎程の蛮族の騎兵隊四つを立て続けに駆け割った。千名が全滅したわけではないが、エルフィア王国の騎兵が駆け割った後には無数の蛮族の騎兵隊の屍がうち捨てられていた。
「グリムワルド殿、千程が西に!」
ベルンハルトが叫ぶ。グリムワルドは戦場の一番外を、西の方角の川に向けて逃げていく千程の騎兵を見やる。
「あれは放っておいていい」
「なぜです、辺境の諸都市が」
グリムワルドは馬を返す。
「あっちには、ご老公が待ち受けているはずだ。…千程なら、生かしては返さないだろう」
グリムワルドはリーシェからそう聞いていた。北方の諸都市には、エルフィアと聖十字教国が協力して蛮族と戦うことを伝えてあり、討ちもらしたものが北西諸都市に向かう可能性があることを書簡で伝えてある。銀騎士シュテッケンが、それに備えていないはずはない。
「さ、馬に息を入れたら、もう一度敵陣に突っ込むぞ」
グリムワルドは斧を一振りして血糊を振るい落とすと、手近な敵を物色し始める。
「あれですね」
カール・スヴェートが彼らに突っ込んで来る蛮族の騎兵隊の新手を指さす。
「よくよく今日は獲物に恵まれる日だぜ」
グリムワルドは戦斧に剣気を集める。たちまち彼の戦斧は真っ赤に染まり輝く。
鐙を踏ん張り立ち上がると、グリムワルドは迫りくる敵の先鋒めがけて、集めた気を無造作に叩きつける。
「喰らえ!」
瞬間、鮮やかな緋色の剣気の珠が蛮族の騎兵隊の先方を飲み込む。
大地にズン…!と鈍い揺れが走り、うっすら積もっていた雪を吹き飛ばし、濛々たる土煙が上がる。
土煙がおさまると、そこには直径六、七メートル程のクレーターのような浅い穴が穿たれていた。まだ痙攣している、首を失った馬の死骸や、切り口が焼け焦げたように真っ黒な炭になった蛮族の騎兵の上半身等、三十名程の物言わぬ骸がたった一撃で大地に転がった。
グリムワルドはもう一度大声で吠える。まるで獲物を見つけ、威嚇する巨大な灰色熊の様であった。一瞬前までこちらに向かって来ていた蛮族の騎兵たちが、あまりの凄まじさにぎょっとして戦意を失い、踵を返して逃げようとする。
「怖気づいたかぁ!!逃がさん!」
グリムワルドはそのまま敵の騎兵隊に突撃する。前方が見えない敵の中軍や後衛は、前衛で起こったことを知らない。前衛はグリムワルドの技の凄まじさに、既に戦意を喪失し一目散に逃げようとして、後方の味方の隊列に突っ込んでいく。
敵の騎兵隊は大混乱に陥った。
「わっはっは、こりゃあいい!斬り放題だ、野郎共!可能な限り殲滅しろ!」
グリムワルドは衝撃斬を横薙ぎに何度も放つ。その度に三名程の騎兵が馬上で腰斬され、首を失った馬ごと大地に倒れる。それをみたベルンハルトも、自分の右前方に衝撃斬を連発する。グリムワルドはベルンハルトに叫ぶ。
「そうだ、同じように俺の討ち漏らしを刈り取れ!」
「了解しました!」
「カール、テメエもだ!」
カール・スヴェートは返り血で真っ赤になりながら叫ぶ。
「りょ、了解です…うわ、この…!」
「上衣の裾で拭え!」
グリムワルドはそう声をかけた。カールは素早く裾を捲って顔をひと拭いする。
「ああ、見えた」
「ったく、下手くそだなあテメエは!」
「す、すみません、閣下」
「ベル公を見習え!!よっぽど戦慣れしてんだろうが」
「はい」
ベルンハルトは苦笑して言う。
「私が左に入りましょう。カール、右に」
「はい、ベルンハルト殿」
利き腕と逆の方に衝撃斬を放つのは、利き腕の方に放つより難しい。ベルンハルトは手綱を左手で引きながら、器用に自分の左側に向けても衝撃斬を放っていた。
「だいぶ、慣れたな」
グリムワルドは五度目の突撃で、衝撃斬で騎兵たちを薙ぎ払うと効率が良いことを発見し、三人で並んでそれを行った。どのくらいの蛮族の兵を斬ったであろうか。
彼らの後に続く騎兵達も、手に手に魔法銀の長柄を振るい、蛮族を斬り、突き、物言わぬ肉塊に変えていた。既にグリムワルドが西側(=敵にとっては、右側)から突撃した蛮族の騎兵隊は、いくつもの隊が大きな打撃を受け、潰走に近い状況になっていた。
「取りあえず、まずは一息だ」
グリムワルドは馬に息を入れる。
「東側は、どうなってるか…」
グリムワルドの言葉に、ベルンハルトが心配そうに戦場を眺める。
リーシェ率いる百騎は、ズアーヴ族の三千名の兵と激突していた。
リーシェは敵のただ中に斬り込む。
そのリーシェの馬に、五人の槍兵が突撃を仕掛ける。
リーシェでなく、馬を狙った攻撃。
立て続けに五本の槍を突きさされ、悲鳴を上げて馬が倒れる。
「皆退がれ!ここは、僕一人でやる!」
リーシェは悟っていた。
これは、明らかにズアーヴ族が用意した罠。
恐らく、標的は自分一人。
であれば、他の仲間達を巻き込むのは、得策ではない!
「サイモン!」
「リーシェ!」
「みんなを連れて、退がれ!」
「分かった!!」
サイモンはクリスティンに言う。
「リーシェの足手纏いになるな、退却だ」
「しかしサイモン様、あれでは———」
サイモンは素早く古代語を唱える。
大きな光の球が、彼の手から放たれる。
それはズアーヴ族の兵の真ん中辺りに落ちると、眩い光を放ち、大爆発を起こす。
核撃の呪文を一つ、サイモンはリーシェの援護に放ち、無事な兵を率いてズアーヴ族に背を向ける。
ズアーヴ族は彼らを追わない。そして、三千名でリーシェひとりを包み討ちにしようとする。
決死の兵が何人も、分厚いフェルトの布を何枚も重ねたものを手に、リーシェに襲い掛かる。リーシェの顔色が流石に変わる。
リーシェの剣は、そのフェルトを寸断する。
しかし、一人を斬るとその後ろから、屍を盾にするように新たな兵が現れる。
ひとたびフェルトを斬りそこなったら、その布に包みこまれて、決死の兵ごと無数の槍で串刺しにされて終わりだ。生きては帰れない。リーシェ一人の周囲に、あっという間に百から二百の兵が押し寄せた。
キリがない!
リーシェは全力で二振りの蒼の剣を振るい続ける。
彼のすぐ側で、紅蓮の炎が吹きあがった。
いけない、北方の火の酒だ!
白磁の瓶に入った酒に、導火線をつけ、数限りなく投げつけてくる。
リーシェの周囲を取り囲んだ味方の決死隊が炎で焼かれることなど、まるで気にしていない。
何百人死なせても、リーシェ一人を殺せば、それで目的は達成できる…
そう考えているかのような、執念に満ちた攻撃であった。
「く」
リーシェはたまらず、一つの方向に三度衝撃斬を放ち、道を作って脱出を試みる。
しかし、その道の先に突如凄まじい大きさの黒紫色の雲が出現した。
―――これは―――「死の雲」―――!
リーシェはそちらへ脱出することを諦め、再びズアーヴ族の重囲の中に戻る。
―――このままでは、長くはもたない―――
リーシェの足を、大地に倒れた瀕死のズアーヴ族の戦士が掴もうとする。
その手を大刀で斬り払うと、リーシェは剣気を全開にする。
彼は、意を決したようにひとこと古代語を呟く。
「Cypher」
「来たか」
ボディヤは杖を振り上げる。
「こちらも、始めるとするかな」
ズアーヴ族の本陣のど真ん中に、とんでもない大きさの魔法円が出現した。あっという間にその魔法円に逆五芒星が刻まれ、深淵が開かれる。
その中から、禍々しい気が湧き出し始める。
リーシェの身体が美しい蒼い光に包まれる。
彼を取り囲んでいた百名以上のズアーヴ族の兵が、同心円状に十メートル程吹き飛ばされ、リーシェの周囲に円形の空間が見える。吹き飛ばされた兵たちは、全て両断され、こと切れていた。
美しい蒼い光に包まれた、絶世の美女。
彼女はリーシェの周囲に近づく蛮族の兵たちに向けて、優雅に舞うが如く腕を数回振るう。
その度毎に、薄く巨大な蒼い光の刃が彼女の手から放たれ、リーシェを囲んでいたズアーヴ族の兵は徐々にその数を減らしていく。
「見事だ、流石は『蒼の死神』、リーシェ・フランシス…」
黒紫色のローブを纏い、長く禍々しい形の杖を手にした若いドゥルイデスが、リーシェの前に現れる。
「僕一人に用があるようだね。お望み通りに、来てあげたよ、ズアーヴ族の将」
ドゥルイデスはローブのフードを外す。
長く美しい黒髪の、やや小柄な娘であった。
リーシェは一目で、その娘の素性を悟った。
「…あの二人の…。」
「ほう、覚えていたか」
「眼で、思い出した。あの二人の妹か?」
「いかにも」
ボディヤは自分の名を名乗る。
「ヤグーディンは兎も角、ダルハザンに似なくてよかったね。なかなか美しい」
リーシェは揶揄するように言う。
「よく、ダンバコックが手をつけなかったものだと思うよ」
ボディヤは笑って受け流す。
「ダンバコックは自制心のある男のようだな。ま、私は女を武器にする気は全く無い」
彼女はそこで表情を改める。
「…挨拶はこのくらいでよかろう、『
蒼の死神』。始めるとしようか」
ボディヤは高らかに言う。
「我等が積年の恨み、思い知らせてやろう…」
リーシェはすぐ側に寄り添う、空色の美しい精霊に古代語で呼びかける。
『来るよ、サイファー』
『はい』
二人は身構える。
禍々しい気が、深淵から湧き出し続ける。
ボディヤの身体に、黒紫色の稲妻が落ちる。
『漸く、貴様と五分に戦えるようだな、小さき者よ』
ボディヤの口から、明らかに彼女のものでない声が紡ぎ出される。
『久しいね、グワルダルガ』
リーシェは剣を構える。
ボディヤは杖を一振りする。凄まじい速さで、六本の魔法の矢が、リーシェと剣の精霊を襲う。
詠唱破棄。
超一流の魔導士のみに可能な、ルーンの詠唱なしでの古代語魔法の使用。目の前の若いドゥルイデスが、北方でも最強クラスの魔導士であることを、リーシェは全く疑っていなかった。
六本の魔法の矢が、全て見えない壁に遮られ、弾けて虚空に散る。
「ほう」
ボディヤは感心したような表情を浮かべる。
「その程度かい」
リーシェは剣を構える。
「それなら、斬るよ」
ボディヤの両眼が、黒紫色の光を放つ。
「これからだ…!」
彼女が杖を振り上げると、深淵から巨大な魔物が姿を現した。
身の丈五メートル程の、アークデーモン。
魔王の眷属、グワルダルガが、その全身を深淵から現した。
『我は魔王の眷属、グワルダルガなり…小さき者よ、今日こそはその命、貰い受ける』
リーシェは剣を振るう。衝撃斬が、ボディヤを襲う。
『甘いわ』
グワルダルガが大きく息を吐く。
その息が、青い氷の壁をなす。分厚い氷の壁を、リーシェの技はぶち破りはしたが、その上でグワルダルガの硬い外皮を切り裂くことはできなかった。
ボディヤは一心不乱に古代語を唱え続けている。グワルダルガはそのボディヤのルーンから力を得ている様子であった。
『我が主人』
『何だい、サイファー』
剣の精霊の呼びかけに、リーシェは答えた。
『あちらも二人です、このままでは…』
リーシェは笑って言う。
『確かに、これまでよりはだいぶ強いね』
リーシェは剣気をどんどん高めていく。
『しかし、僕もあの時の僕じゃない』
リーシェの剣気が、蒼の剣に流れ込む。すぐ側で、剣の精霊が淫美に身体をくねらせ、恍惚の表情を浮かべる。
『死ね』
ボディヤは立て続けに金色の光の玉をリーシェに投げつける。凄まじい威力の「核撃」である。
しかしその呪文が完成することはなかった。
グワルダルガとほぼ同じ大きさになったサイファーが、爆発する前にその光の玉を両手に包み、ニヤリ…と笑うと、まるで握り飯でも握るように一つに握り直し、無造作に放り捨てる。
先程までより大きくなり、細かな稲妻をその表面に走らせながら、光の玉はズアーヴ族の中に落ちる。
瞬間、轟音と共に眩い光が迸った。
光が消えた後に、まるでクレーターのような円形の穴が穿たれ、地面が赤熱して所々泡立つ。
流石にボディヤの顔色が変わった。
彼女が連れてきていた兵のうち、一撃で千近い兵が死傷させられたのである。爆心近くの兵は、一瞬で蒸発し、その影を大地に縫い付けられていた。死傷者の正確な数は把握できそうもなかった。
「化物め、よくも」
ボディヤは怒りを露わにする。
『あら、私は何もしてないわ』
サイファーは涼しい顔で言う。
『今のはみんな、貴女の呪文の威力よ。死すべき人の身で、たいした魔力ね』
揶揄するようなサイファーのその口調に、ボディヤは激昂する。迸る魔力で、彼女の髪が逆立つ。
『怒髪天を突く…無駄に奴を怒らせるな』
リーシェがサイファーを窘める。
『もう遅いわ』
サイファーは更に身体を大きくさせる。
彼女の声にも、抑えきれない怒りが滲んでいた。
『私の主人に、いきなり核撃?無礼者め』
サイファーの背後に、六つの光の輪が生まれる。その輪の中に、それぞれ細かな六芒星の入った魔法円が描かれる。
『お前如きが、主人に傷をつけようなど、千年早いわ!』
『やらせぬ』
グワルダルガがサイファーとボディヤの間に割って入る。グワルダルガは高速で上位古代語を唱え、虚空から大悪魔を三体引き摺り出す。
『無駄よ』
サイファーが描いた六つの魔法円から、空色の光の束が六本撃ち出される。
空気が震え、近くにいた者たちは一瞬視界を奪われる。
サイファーは光の束を操るように、腕を動かし、右の人差し指を下に振り下ろす。
光の束のうち一本が、グワルダルガが出てきた深淵に直撃した。
一瞬、魔力の拮抗があった後、水晶の薄板が割れるように、深淵は砕け四散する。残る光の束のうち三本は、それぞれがグワルダルガの呼び出した大悪魔を飲み込み、まるで普通の悪霊をそうするかのように焼き尽くし、灰と化していたていた。
グワルダルガは残る二本の光の束を、己の身で受け止め、ボディヤを庇っていた。
『グワルダルガ』
ボディヤは右の肩口を吹き飛ばされたグワルダルガを気遣う。グワルダルガは意に介さない。その傷は、とんでもない速さで回復しつつあった。
グワルダルガは咆哮を上げ、リーシェにその爪で襲いかかる。とんでもない速さの一撃であった。
『サイファー、封じろ』
リーシェはそれだけ命じると、グワルダルガの爪牙を大刀で捌く。サイファーは頷くと両手で素早く魔法円を描く。
『二重詠唱だと、小癪な』
グワルダルガはサイファーの意図を察し、指を一振りして大きな火球を放つ。しかしその火球はリーシェの剣で真っ二つに切り払われる。
『何処を見ている、グワルダルガ。お前の相手は僕だ』
鋭い剣気の乗った美しい斬撃が、グワルダルガを襲った。グワルダルガは右手を切り裂かれる。再生しようとしたグワルダルガの傷口が、灰になり始めた。
『な、何だと』
グワルダルガは背後を振り返る。
サイファーが放った魔法円に捉えられ、身動きが出来ずに大地に這い蹲るボディヤの姿が見えた。サイファーは左手でボディヤを拘束する魔法円を壊そうと、古代語を上書きしようとするが、魔法円はルーンを受け付けない。
『むう』
『上位古代語を
使わせてもらったわ。我が主人の魔力の方が、上のようね』
『依代の力の差、だというのか』
『これで貴方はひとりぼっち。その娘は、もうものの役には立たないわね』
『おのれ』
歯噛みするグワルダルガに、サイファーは言う。
『私にも、貴方に恨みがあるのよ、グワルダルガ…消えてもらうわ』
『やらせぬわ』
グワルダルガは強引に、サイファーが作った魔法円ごとボディヤを掘り取り、左手に乗せると虚空に飛び上がる。
『見事だ、小さき者よ』
『逃げるのかい、グワルダルガ』
『此度は我等の負けだ』
グワルダルガは虚空に魔法円を描く。
『しかし、我は何度でも蘇る』
グワルダルガは勝ち誇ったように言う。
『我が名を伝え、我を呼ぶ者がある限り…我等は不滅…我等は不死…』
「ボディヤ様!」
四分五裂しながらも、戦場に踏みとどまっていたズアーヴ族の兵に、ボディヤは苦しい息の下から言う。
「皆、北へ逃げよ!一人でも多く、この場から逃げ延びるのだ!」
その言葉を聞いたグワルダルガは、大きく息を吸う。リーシェの顔色が変わる。
「いけない、吐息が」
リーシェがそう言う間も無く、グワルダルガの口から灼熱の炎が吐き出された。ズアーヴ族の兵を追おうとしていたエルフィアの騎兵達が、その息に足止めされる。
『また会おう、小さき者よ』
『逃げるのかい、グワルダルガ』
『依代を失うわけには、行かぬからな』
グワルダルガは自分で開いた魔法円の中に、ボディヤごと姿を消す。
ズアーヴ族の兵は、半数弱にまでうち減らされていたが、蛮族にしては驚くほど整然と退却していった。
リーシェはその場に左の膝をつく。
『主人…』
『大丈夫だ、少し疲れただけだ』
リーシェはズアーヴ族が消えていった後を暫く眺めていたが、やがて立ち上がると剣を鞘に収め、西側を見る。
グルヴェイグ族の兵と聖十字教国の兵が、真正面からぶつかっている。
未だ戦の帰趨は、定まったとはいえない。
周辺の都市や荘園を襲おうとしている蛮族達を、何としても退治しなくてはいけないのだ。
リーシェは近くにいた、乗り手を失った黒鹿毛の馬の手綱を手に取る。そして、グルヴェイグ族の本隊に向かって走らせた。




