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蒼の剣士 ~ fantasy ~  作者: 紅の豚丼
41/53

小競り合い

(41)


十月…


エルマは月初めに、玉のような男の子を産んだ。エルマの両親と妹、そしてその婿…エルマの義弟にあたる…も、お祝いに駆けつけた。幸いに産後の母体も無事で、ダリアやフェリアを安堵させた。

フェリアはエルマを厚く労い、ほかの五名を二手に分ける。ナタリー、エリザベス、チュールの三人をブラウエンブルクに残し、エルマと嬰児達の世話を命じる一方で、レミ・フローレンの二人には、自分と共に王都に来るように命じた。エルマを含め、六人の娘達は顔を引き締らせる。理由は明らかで、リーシェとグリムワルド、そして第一・第三両中隊が出陣した王都の留守を守る為であった。それをよく理解する六人の娘達は、二手に分かれ持ち場を守っていた。留守はナタリーとバスティアンに一任し、フェリアは二人の娘達を伴って王都ヴィサンに入った。

既に一歳半近いフランソアは、母親の不在にも泣きもせず、大人しくエリザベスの胸に抱かれていた。エルマは自分が産んだ息子テリウスと、フェリアの産んだ娘レスフィーの二人に乳を与え、分け隔てなく可愛がって育てた。領主夫妻の不在に、ナタリーは収穫祭にフランソアを出席させた。エリザベスの胸に抱かれて、領民達の前に現れたフランソアの姿に、領民達は熱狂し、大歓声で迎えた。フランソアは物怖じせず、領民達の中をエリザベスに抱かれて歩いた。


「本当に、大した若様ですわ」

エリザベスはフランソアを胸にぎゅっと抱きしめてやりながら言う。

「なんてご立派なのでしょう。みな、若様のお姿を見て、あんなに喜んで…」

フランソアはエリザベスの顔をじっと見つめて、にっこりする。

「もう、お分かりなのですね。お父様、お母様がお出かけで、若様がこの地ブラウエンブルクのお留守番だ、ということが」

ナタリーはフランソアにオレンジジュースを与える。フランソアは取手の付いたコップで、ちゅうちゅう…と美味しそうにジュースを飲み、満足そうな微笑を浮かべる。

「とにかく、無事に終わってよかったわ」

「ナタリー、エリザベス、お疲れ様」

二人の赤ちゃんに乳房を与えながら、エルマは言う。ナタリーは笑って言う。

「とんでもない、あなたこそエルマ」

ナタリーはエルマに優しく言う。

「栄養のあるものを、たくさん食べてね。何たって、あなた自身が姫様と弟君の食べ物になるのだから」

「そう…そうね、それも私の仕事」

チュールが皆を呼ぶ。

さ、お食事の支度ができましたよ」


王都ヴィサン

近衛騎士団屯所…


「フェリア殿」

フェリアは振り返る。一糸乱れぬ騎士礼を取ったヴェスタールとジェットがそこにいた。

「何でしょう」

「ラスカー卿からご伝言です。第一・第三中隊率いる騎兵千名、無事に聖十字教国(クルーセイド)に入ったとのことです」

「ありがとうございます」

フェリアは頷く。

「王都周辺で、変わったことは」

「今のところは、平穏です」

「わかりました。警戒を怠らずに、お願いします」

フェリアは机の上の地図を食い入るように見る。側からラーリアが言う。

「マリュー猊下も、お出になるのかしら」

フェリアは頷く。

「以前から、兄はリーシェ様と共に戦うことを望んでおりました」

フェリアはアランバードに白い駒を一つ置く。そして、青と赤の駒を東に進める。

「二人の性格から言って、必ず兄が先鋒になるはずです」

「凄いだろうなあ」

ラーリアは言う。

「あの二人が並んで戦ったらーーー」

「危なくて、側に寄れませんわね」

「確かにそうだわ」

フェリアはそう答えたラーリアに、感謝の眼差しを向ける。

男爵夫人(バロネス)…ラーリアが、王都に残っていてくれて助かりました」

「とんでもない、こっちこそ体が鈍ってたところだし、お役に立つわよ」

彼女はカチンと腰の剣を鳴らしてみせる。

「…この剣にかけてもね」

フェリアも静かに頷いた。

聖十字教国(クルーセイド)の危急を救うべく、リーシェは王に出兵を乞い、百名の近衛騎士を含む軽騎兵千名で出陣した。第一・第三中隊という精鋭中の精鋭を率いて、リーシェは出陣した。グリムワルドもそれに付き従った。

フェリアはラーリアの助けを借り、王宮を中心とするヴィサンの街と、周辺の警備を強化した。子育てが少しだけ楽になった(ソシエール公爵が乳母を三人付けたため)ので、ラーリアは近衛騎士団に復帰し、徐々に仕事のペースを上げていた。

「黒の使徒は封じましたが、ウィルクスは情報を民間からも得ているようで、容易に隙を見せないのです」

フェリアの言葉に、ラーリアは頷く。

「厳しいわね」

「ええ」

フェリアはそう応じて、窓の外に目をやった。


聖十字教国(クルーセイド)、東方辺境

トゥール砦、第二壁…


タズリウムは魔法銀の鏃を敵に向け、征矢を放つ。白銀の光が小悪魔(レッサーデーモン)を貫く。断末魔の悲鳴を上げて、小悪魔は灰と化す。

彼の長弓は百発百中。城壁に近づく魔物達は次々と倒されていった。

しかし、戦全体として見れば、聖十字教国(クルーセイド)の劣勢は覆うべくもなかった。徐々に兵を減らす味方に対し、小さいとはいえ深淵(アビス)を開き魔物を押し立てて戦うウィルクス軍には人的被害はなかった。

キリがない。

タズリウムは舌打ちする。

このままではジリ貧だ。

しかし、うって出るには兵が足りない。

「タズリウム様、矢を」

「済まぬ、そこに置け」

タズリウムは矢を放ちながら答えた。

いずれにせよ、そう長くはもう持ちそうにない。

「ギャラハッド!」

タズリウムは宮殿騎士(テンプルナイト)を呼ぶ。

「は、ここに」

「ここはもう持たないかもしれない」

ギャラハッドは唇を噛む。

「無事な兵を集め、退却の準備をーー」


タズリウムがそう言ったその時。


彼は言葉を切る。


まさか。


一人の伝令兵が、返り血に染まった顔を輝かせ、階段を駆け上がってくる。

「援軍です、援軍が参りました!」

タズリウムは南西に目を向けた。

合計で約二千程の騎兵。

恐らくは軽騎兵である。

彼が考える限り、最高速に近い速さで、こちらにまっすぐ向かってくる。

凄まじい士気の高さだ。

二千の騎兵は二手に分かれ、一隊は城壁へ、一隊は後方のウィルクス兵に突撃した。

「退却はやめだ、ここでの戦はこちらの勝ちだ」

「助かりましたな」

「当たり前だ」

タズリウムは感心したように言う。

「見事なものだ…先生も、ご覧になりたかっただろう」


クリスティンは二発目の矢を放つと、弓を弓袋に突っ込み、腰の愛剣を引き抜く。

城壁に攻めかかっているのは、その大半が深淵(アビス)から召喚された魔物達。それも、大したレベルではない。かつてオストブルクでも見たり、実際に斬ったことがある魔物が大半だった。

「半数は城壁へ、半数は僕に続け」

リーシェは側の騎兵に馬を託す。彼は馬を降り、両刀を引き抜くと凄まじい勢いで魔物を斬り始めた。

リーシェから五メートル程離れて、並んで戦っているのはグリムワルド。戦斧の一振りで四、五体の魔物を屠っていく。鬼神の如き戦い方であった。城の外には五百程の兵が残り、半数程が城壁に取り付こうとする 敵に矢を浴びせ、半数はリーシェに従って白兵戦を行っていた。

クリスティンが剣を振るう。

鋭い白銀の光が走る。あっというまに、三匹のオーク鬼が両断され、肉片と化す。

後ろを振り向きもせず、クリスティンは突撃した。

彼女の後ろから、配下のうち五十名が続く。彼女は配下の兵の多くに魔法銀の刃の長巻を持たせ、敵に近づかずに戦えるようにしていた。

無論彼女自身は、己の愛剣「白銀の精霊王」を手に、オーク鬼を斬ることに、何の不安も持っていなかった。

ーーーーーー

リーシェがギュンターを城壁に向かわせ、クリスティンを隣に置いて戦うことを、ことも無げに告げた時、ギュンターは半数を率いる責任の重さに身震いしたが、クリスティンは顔を輝かせた。

「らしくないよ、ギュンター」

「分かってるが、責任が大きいからな」

「ギュンターなら、問題なくできるさ」

「だといいが」

グリムワルドもギュンターに笑いかける。

「済まねえな、ギュンター。俺も、今回はリーシェと暴れてえんだ」

「分かってる」

「カールをそっちにつけてやるから、こき使ってやってくれ」

第三中隊のカール・スヴェートが、ギュンターに頭を下げる。

「ギュンター殿、宜しくお願いいたします」

「死ぬなよカール」

ーーーーーー

リーシェは自分の左側で魔物達を斬りまくっているクリスティンの姿を満足そうに眺めつつ、剣を振るい続ける。

後ろから続く味方が見とれるほど、彼の戦いは美しかった。特に膂力を使っているでもなく、剣気を発するでもなく、ただ技のみをもって、舞うようにひたすら魔物達を両断し続けていた。


凄い…。

後ろから続くマイアとイレーネは、改めてリーシェの技に感服した。

リーシェの妻フェリアが一目見て心奪われたというその剣技。

大した力も使わず、触れる敵を全て物言わぬ肉塊と化していくその姿は、味方にとっては勝利と同義であり、敵にしてみれば恐怖と「死」そのものであった。

「おうりゃ!どりゃあ!」

隣ではグリムワルドが嬉々として大きな戦斧を振るっている。

一見派手だが、リーシェはグリムワルドも一切剣気を使わず、斧の重さと速さを利用して敵を粉砕していることに気づいていた。

こんな敵に、大きな技を使うまでもない。

いずれもっと危険な敵が出てくるはずだ。

彼らはそれを理解していた。


トゥール砦、聖十字教国(クルーセイド)戦陣…


聖十字教国(クルーセイド)の援軍千騎を率いる、枢機卿マリュー・ド・アドリアからも、城壁に向かった魔物達が恐ろしい程の速さでうち減らされて行くのが見えていた。

「流石はリーシェ」

マリューの側で馬を走らせながら、サイモンが言う。

「感心してばかりいられんぞサイモン」

「そうでした」

サイモンは高らかに、「封魔の断章」を唱え始める。それに気付いたウィルクスの兵が、マリュー達に攻撃を仕掛けてきた。

「オルヴィエート、サイモンを護れ。俺は敵の将を狙う!」

「お気をつけて、閣下」

マリューは愛剣エストラを引き抜く。

「行くぞ!」

彼は剣を振るって敵陣に斬り込む。

瞬く間に十人程が屍と化す。流石にウィルクス兵が恐れて退がると、その分マリューが踏み込む。

ウィルクス兵がマリューの馬を狙う。マリューは馬を飛び降り、自軍の方へ空馬にして走らせる。

「かかって来い、俺一人で十分だ!」

マリューの周囲に、たちまち屍山血河が築かれる。ウィルクス軍は二方向から挟み撃ちにされていた。


ウィルクス軍戦陣…


「黒の旅団」の若き副長の一人、アルジュナ・サウルは、聖十字教国(クルーセイド)とエルフィアの文字通り最精鋭二千名による挟撃を受けていた。

つい三時間程前までは、深淵(アビス)から呼び出した魔物達を含めて五千近くあったはずの味方の軍勢は、敵の両軍の勢いに半ば壊滅しつつあった。

特にオーク鬼、小悪魔(レッサーデーモン)を中心とした魔物達は、そのほとんどが倒され、エルフィア軍は今やウィルクス軍の背後に回り込もうとしていた。「黒の旅団」の五百名を回した聖十字教国(クルーセイド)側の戦線はまだもっているようであったが、先程から幾度も感じるとんでもない大きさの剣気による攻撃から考えて、そう長くは持ちそうになかった。

「全軍に退却を」

アルジュナは迷わず命令を下す。側近達は短く返事をして、キビキビと各地に伝令を送る。

ここで死ぬわけにはいかない。

既に、自分達が命じられた役割は果たした。

無事にキサナバードに戻り、閣下に復命せねばならないのだ。今回は、自分達が生き残ることが最大の戦果なのだ。

アルジュナは自らも乗馬しようと、天幕の外に出た。

彼は目を疑った。

既にウィルクス軍の本陣まで、エルフィアの兵が迫っていた。

「そこな黒騎士、ウィルクスの将と見た。いざ尋常に、勝負!」

美しい女性兵がアルジュナに迫る。

「閣下、退却を!」

そう叫んで、二人の兵が立ち塞がる。

エルフィア兵は白銀の剣を二度左右に閃かせる。

兵達の首と胴から、鮮血が迸った。

「エルフィア王国近衛騎士団、第一中隊、クリスティン・リード、参る!」

アルジュナは剣を抜く。

金属音が響く。辛うじて彼はクリスティンの剣を受け止めた。

この女騎士、とんでもない手練だ。

自分よりほんのすこしだけ歳上らしい。

美しい顔に似ず、凄い強さだ。

アルジュナは自らの剣に剣気を込める。たちまち剣から何匹も悪霊が出てきた。

「お相手しよう、エルフィアの騎士。我は、ウィルクス王国『黒の旅団』所属、アルジュナ・サウル!」

クリスティンは剣に気を込める。彼女は古代語(ルーン)で剣の名を唱えた。

「白銀の精霊王」が、眩い光を放つ。

「な…!?」

アルジュナが剣から呼び出した悪霊達は、その光に打たれて全て灰になってしまった。

クリスティンは左右に剣を閃かせる。

「閣下、お逃げ下さい!」

槍を手にした兵が、クリスティンの前に立ちはだかる。

その身体が、三等分に輪切りにされる。

双炎旋。

アルジュナはその技を目の当たりにした。

速い。そして、鋭く強い。

なんという剣気の密度の高さか。

アルジュナは兵の犠牲で、その場から駆け出す余裕を得た。

「待て!」

クリスティンは追いすがるが、ウィルクスの傭兵達はその前に立ち塞がった。

その間に馬に乗ったアルジュナは、クリスティンに言う。

「見事だ、エルフィアの騎士クリスティン。今日のところは、我々の負けだ。勝負は後日」

言い残して、アルジュナは風のように馬を走らせ、南東方面に逃げ出した。

クリスティンは深追いしなかった。

敵の本部周辺の兵を倒し、味方の到着を待った。

程なく、まずリーシェ達が。そしてマリュー達がウィルクス軍の本陣跡に到着した。

クリスティンはリーシェの前に跪く。

「どうした、クリスティン?」

「…お許し下さい。敵の主将、アルジュナ・サウルを取り逃がしました」

マリューがクリスティンに声をかける。

「アルジュナとやりあったのか?よく無事だったな、暗黒剣を使うはずだぞ」

リーシェはクリスティンに言う。

「打ち合ったのか?」

「倒せると思ったのですが…。雑兵達に割り込まれてしまって…」

クリスティンは申し訳なさそうに言う。マリューやオルヴィエート、サイモンをはじめとする聖十字教国(クルーセイド)の騎士達は二度びっくりする。

「何人も、宮殿騎士(テンプルナイト)を倒されているのだ。奴の肝を冷やしてくれただけでも、溜飲が下がる」

マリューはリーシェに言う。

「この娘、良い腕だ。名は、何と?」

リーシェはクリスティンに微笑む。

「クリスティン・リードと申します、猊下」

「近衛騎士か」

マリューのその問いにはリーシェが答えた。

「第一中隊の副長格です、義兄上」

マリューはクリスティンをまじまじと見る。

「なるほど、クリスティン・リード…そなたがフェリア公認の」

「はい」

クリスティンはにっこりとマリューに頷く。

マリューは呆れたようにリーシェに言う。

「お前の周りには、どうしてこうも美しい娘ばかり寄ってくるのだ」

「私がお側に上がりましたのは、奥方様のおすすめによります」

クリスティンはマリューにそう答えた。

「奥方様とお二人のお子様方の御為、リーシェ様をお助けして戦う所存にございます、猊下」

「あい分かった」

マリューは頷く。

「こちらにいる間、リーシェに余計な虫が付かぬように、しっかり頼むぞ」

「かしこまりました」

マリューはリーシェに言う。

「…フェリアに二人目を産ませたこと、上出来だ」

「ありがとうございます」

リーシェは苦笑しつつマリューに答える。

サイモンが言う。

「さ、奪われた土地を回復いたしませんと」

「私が参ります、猊下」

オルヴィエートがマリューの前に跪く。

「エルフィアの皆様には、ゆっくり英気を養って頂きたく思います」

「よいか」

マリューはリーシェに言う。

リーシェはグリムワルドを顧みた。グリムワルドは大きく頷く。

「猊下のご配慮に、甘えることにいたしましょう」

「では、飲むか、グリムワルド殿」

マリューはニヤリと笑って言う。

サイモンはマリューに言う。

「宴会は猊下にお任せいたします。私は、民の宣撫に…」

マリューは悪戯っぽく笑う。

「俺の酒宴から、逃げずともよかろうに?」

「い、いえ、お許しを」

リーシェは苦笑して言う。

「義兄上、サイモンの言葉通り、宣撫を急ぎませんと。…それから、フィルカスの動向にご注意を」

「それは大丈夫だ」

マリューはリーシェに、繋ぎ狼煙について説明する。もしフィルカスが動けば、すぐに察知できる。

「…それに、奴は今キサナバードだ。何でも、ヴィエラ五世の命で、子作りに励んでいるそうだ」

リーシェの表情が引き締まる。

「やはり…。」



同日夜

トゥール砦、聖十字教国(クルーセイド)軍本陣…


マリューは陶器のジョッキで白麦酒を飲みながら言う。

「…すると、ここから戦線を進めない方がよい…そういうことか?」

リーシェは憂いに満ちた表情で頷く。

「取られっぱなしは、面白くない」

マリューも顔を顰める。しかしオルヴィエートは言う。

「リーシェ殿のおっしゃること、誠にその通りと考えます」

「オルヴィエート、どういうことだ」

オルヴィエートはリーシェをじっと見る。ため息をついて、リーシェは口を開く。

「連中の狙いは…若い兵達に、経験を積ませることであると見えました」

マリューの顔色が変わる。

「何だと?」

「敵の退き方が、余りにも鮮やか過ぎます」

ギュンターも頷く。

「俺たちが倒したのは、ほとんどが使い捨ての傭兵どもか、安い魔物達ばかり。黒の旅団は、ほとんど無傷で一目散に逃げやがった…」

リーシェは頷く。

「領土など、連中はおまけ程度にしか思っていません。それより、実戦で我々と戦い、生き残ること…生き残らせること、それこそを目的にしているのです」

「なるほど…」

マリューは茹で上がった腸詰をひと齧りする。パリッ…といい音がして、香辛料の良い香りが広がる。

「私も半信半疑でしたが…」

リーシェはクリスティンの顔を見る。クリスティンは頷く。

「猊下は、賢者ダライアス様をご存知ですか?」

「名ぐらいはな」

マリューはクリスティンに答えると、白麦酒を飲み干す。すかさず、グリムワルドが樽から新たな酒を注ぐ。おおすまぬ、とマリューが笑顔で会釈し、グリムワルドはマリューとジョッキを合わせる。

「ここまでの戦の流れの全ては、賢者様が予想した通りに進んでいます」

マリューは忌々しそうに腸詰を齧る。

「…こちらが踏み込めば、敵は更に経験を積み、こちらはすり減る、か…」

「ま、こちらも経験を積めることに変わりは無いが」

グリムワルドも同じように腸詰を齧り、感心した様に言う。

「…それにしても、旨い」

「戦場で、兵の士気を上げようと思ったら、旨い食い物と旨い酒を用意するのが一番だ」

「なるほど、猊下のおっしゃる通りだ」

グリムワルドはリーシェに言う。

「つまりは、付き合わない方がいい、と」

「そうだね」

リーシェは頷く。

「今回は、深淵(アビス)を準備する暇を与えてしまったことが、ここまで苦戦した理由だ。この砦に篭って、敵が深淵(アビス)を開こうとしたら、兎に角閉じる…それを徹底していけばいい」

それまで黙りこくっていたタズリウムが、口を開く。

「あの若い黒騎士、なかなかの腕だぞ」

クリスティンは頷く。

「分かるよ」

リーシェは林檎酒(カルヴァドス)をひと口飲むと、タズリウムに答える。

「クリスティンが取り逃がす時点で、ただ者じゃないさ」

「この娘、それ程か」

タズリウムの言葉に、リーシェは頷く。

「クリスティンの剣は、名高い『白銀の精霊王』だ。僕でも、斬られる可能性があるよ」

「何と」

タズリウムは驚きに仰け反る。

「では、悪霊など側にも寄れまい」

「皆、灰になりました」

「頼りになりそうだな」

マリューはクリスティンを褒める。

「奥方様…フェリア様からも、ご教授をいただきました」

マリューはクリスティンをじっと見る。

「…あれは、そなたを己の分身と考えているのかもしれんな」

彼は白麦酒を飲み干すと、

「グリムワルド殿とはよい勝負であろう?」

グリムワルドはマリューに言う。

「どちらかが死ぬか傷つくかするからと、リーシェに手合せを禁じられているのです」

「…もしくは、一日中やっても勝負がつかないか、だな」

マリューはそう言う。

「リーシェ」

「はい」

「お前が育てたエルフィアの近衛騎士団は、本当に強くなった。見事だ」

リーシェは首を横に振る。

「魔道軍に対する対応力に、不安があります。沢山の司祭様方のご援助を頂いて、やっと国を守っている有様です」

リーシェは林檎酒(カルヴァドス)を一口飲み、憂いに満ちた表情で続けた。

「魔法銀の矢は、魔物に通じました。長巻も有効でした…しかし、敵の魔道士や黒騎士に打撃を与えた訳ではありません」

「…深淵(アビス)さえ開ければ、いくらでも…か」

マリューは忌々しそうに呟く。

「やるなら、敵をとことんまで叩かねばなりません。しかし、それを奴ら相手に、我々二人が今やれば、フィルカスとマウ太子の思うツボです」

「デルマインあたりが、考えそうなことだ」

マリューはリーシェに言う。

「…何か、策がありそうだな」

リーシェは頷く。マリューはリーシェの顔に張り付いた深い憂いに、ため息をつく。

「…分かった、それで行こう」

リーシェの顔に、驚きが走る。

「よろしいのですか?」

己が携えてきた策を、義兄が聞かずに肯んじたこともそうだが、それよりリーシェはマリューがその策を受け入れると思わなかったのである。

「焦土作戦を取る」

マリューは言い切った。リーシェが目を伏せる。

「はっ」

宮殿騎士達が頷く。

マリューはリーシェに言う。

「実際の作業は、俺の部下にやらせよう」

「しかし」

リーシェがマリューに言うが、マリューは手でそれを制した。

「よいのだ、リーシェ…俺と、台下の名において、もう二度とお前の手を意に添わぬ血に染めはせぬ」

リーシェは項垂れる。

「賢者ダライアスの策なのであろう?」

頷くリーシェにマリューは立ち上がる。

「こちらの軍資金を、民に配分する用意だ。…代償もなしに全てを取り上げることは出来んからな」



チェディラバード

ウィルクス軍本陣…


「…そんな馬鹿な」

急使からの報告を受けたアルジュナは、色を失った。側で話を聞いたハイドラムは静かに言う。

「…さすがは、エルフィアと聖十字教国(クルーセイド)両国の一の騎士。…もうこちらの意図は読まれてしまったようですな」

「しかし…しかし、ハイドラム様」

アルジュナは憤りに声を震わせる。

「いかにそうであっても、自国の民の村や土地を、全て焼き払うとは…」

ハイドラムは頷く。

「アルジュナ殿、そなたは黒騎士として極めて高い素質をお持ちです。だが正面からの用兵だけで戦を考えるようでは、正式に軍団長を任されるにはまだまだ足りませぬ」

アルジュナは諭すようなハイドラムの言葉に、項垂れる。

「チェディラバードとトゥールの間には、一軒の民家もない徹底ぶり。これが意味することが、おわかりですか?」

「焦土作戦…。我らにとって、トゥールまで進軍することに意味がなくなってしまいました」

「そうです」

ハイドラムは表情を緩める。

若いが、聡い。

フィルカス将軍が目をかけるわけだ。

「現段階で我々がこれ以上の利を得ようと思えば、犠牲を覚悟でトゥールを落としに行かねばなりません」

「我らにそんな余裕は」

「それを見越して、敵は戦線を下げたのです。なかなかできることではありませんな」

「反発してくるかと思いました。エルフィアから、援軍が入りましたから」

ハイドラムは頷く。

「いずれにせよ、迂闊に仕掛けることはできません。フィルカス将軍がいらっしゃれば別ですが、敵に二人のグランドマスターがいては、将軍とマウ殿下が仮にいらしても勝ちの目は薄いかと」

「グランドマスター…」

「あの忌々しいエルフの騎士もおるようですし、無理は禁物でしょう」

アルジュナは嘆息して、

「エルフィアの近衛騎士団の、クリスティン・リードという女騎士が一騎討ちを挑んでまいりました…いや、凄まじい強さ。我が技は明らかに彼女には及びませぬ」

と嘆いた。

「さもあろう」

「ご存知なので?」

「オストブルクにいた例の傭兵隊の出で、蒼のリーシェが自ら手合せしてその腕を確めた手練。剣だけでなら、あのアルトワ公グリムワルドとも互角らしい。ソード・マスターだそうな」

「よく、命がありました」

「そうですな。敵ながら、多士済々」

二人は顔を見合せて苦笑する。

「それでは、今年はこれで終わり、ということですね」

「さよう、そなたは本当に聡い」

アルジュナは笑みを浮かべる。

「では、王都への報告の準備をいたします」

「報告書が出来たら、一度私にお見せください」

「はい」

アルジュナは頷く。

「閣下からも、必ずハイドラム様にお目を通して頂くように、と」

ハイドラムは、目を細めて頷く。

「何事も、全て勉強なのです。アルジュナ殿、そなたは決して死んではなりませぬぞ」

「はい」

「我国、ウィルクスの未来は、貴方達若い世代が担うのですからな」

力強く頷くアルジュナの姿に、ハイドラムも笑みを浮かべるのであった。



十一月初旬…


キサナバードに戻った若き黒騎士、アルジュナは、熱烈な出迎えを受けた。小さな勝利とはいえ、ウィルクスが聖十字教国(クルーセイド)とエルフィアから得た久々の勝利である。デルマインはこの戦果を大きく宣伝するようにアステラスに勧め、アステラスからの上表を受けたヴィエラ五世は苦笑しつつアルジュナを黒の旅団の幹部として一気に大抜擢した。

「どうであった」

ヴィエラ五世はアルジュナに尋ねる。

「エルフィアと聖十字教国(クルーセイド)の精鋭との初手合わせは」

「生きた心地が致しませんでした」

アルジュナは身震いして答えた。

魔物を駆使して、トゥール砦に迫ったこと。

エルフの騎士タズリウムが頑強に抵抗してきたこと。

あと一歩…というところで、援軍が現れたこと。

エルフィアの近衛騎士団があっという間に魔物達を一掃し、挟撃されかかったこと。

そして、近衛騎士の一人に斬られそうになったこと。

自分を庇って、何人もの兵が倒れたこと。

最後は、逃げることしかできなかったこと…。

ヴィエラ五世は目を閉じ、黙ってアルジュナの話を聞いていた。

「…無念でございました」

「アルジュナ」

ヴィエラ五世はアルジュナに声をかけた。

「は」

「よくぞ生きて戻った。そして、よくぞ若き黒騎士達を無事に生きて連れ帰ってくれた」

「勿体なきお言葉」

ヴィエラ五世は、ハイドラムにも言う。

「ハイドラム、そちの助言と魔法での援助が、此度は大きかった」

「私は魔導士長様とフィルカス将軍閣下の策に従ったまで。お二方の深謀遠慮のおかげにございます」

デルマインは目を細める。

「ハイドラム、策を立ててもそれを正確に実行してくれるものがいなくては意味をなさぬのだ。此度は敵の焦土作戦に対し、よくアルジュナを導いてくれた」

フィルカスが明るい表情で言う。

「今後も、その智謀頼りにしている」

「勿体なきお言葉、励みます」

マウとコーディリアも笑みを浮かべている。

ウィルクスの宮廷に、明るい光が戻ってきたようであった。

「今年の戦は、恐らくこれまでじゃ」

ヴィエラ五世はそう宣言した。

「皆の者、冬場は十分に休み、英気を養うが良い。沢山の子を為し、優秀な戦士を育てるのじゃ」



高級娼館「プルシャプーラ」…


寝台の上でまどろみから覚め、フィルカスは漆黒の髪を左手でかき上げる。

逞しく浅黒い彼の胸板には、いくつもの傷跡が刻まれていた。

その一つにそっと唇を触れ、ゼノビアが彼女の細い指で愛おしげに傷跡をなぞる。

フィルカスが「プルシャプーラ」に居続けすること、既に三日。

その間、昼も夜もなく、ゼノビアは片時も彼の側を離れなかった。

「いつまで、こちらにいらして下さるのですか」

フィルカスはゼノビアの言葉に、微かな驚きの表情を浮かべる。

「珍しいな」

「何がです」

「そなたが…そんなことを尋ねるとは」

ゼノビアは彼の胸に頬を寄せて答える。

「夢の様で…。いつまでも、この日々が続いてほしいのです」

フィルカスは自分の胸に、温かい彼女の涙が零れるのを感じた。

「でも、それは私の我儘…。閣下は、また戦場にお戻りになってしまう…」

「ゼノビア」

フィルカスはゼノビアを抱き寄せる。

「…安心しろ。…少なくとも春までは、俺が戦に行くことはない」

ゼノビアが涙にぬれた瞳でフィルカスを見上げる。

フィルカスは頷き、ゼノビアに口づけを与えると、

「陛下から、騎士達は子作りに励め、との仰せだ…俺を含めてな」

「まあ」

「誰が相手でもよい…というわけでも、ないのでな」

「嬉しい」


フィルカスは水を一口飲むと、背に縋るゼノビアに言う。

「時に、アルジュナはどうしている」

ゼノビアは苦笑しながら答えた。

「こちらにご一緒においでになってから、ずっとアイーシャの部屋ですわ」

「なるほど」

フィルカスも苦笑する。

アルジュナはフィルカスに、アイーシャを正妻として迎えたい、という話を既にしていた。

フィルカスは今回の彼の活躍と、敵を深追いせずに無事に戻ったこと(多少危ない目にはあったが)に対しての褒美として、彼がアイーシャを落籍することを許した。ただ、キサナバードでアルジュナが独立するための館の準備がまだ出来ておらず、その為二人は「プルシャプーラ」でずっと一緒の時を過ごしているのである。意中の相手がいる娘たちは同様の時間を過ごしていたが、そうした相手がいない娘たちはなべてご機嫌斜め。あてられっぱなしだ、と文句を言う娘もいる、という話をゼノビアに聞かされ、フィルカスは笑った。

「気の毒だな」

「全くですわ。…でも、彼女たちに申し訳ない」

「気にするな、そんなことは」

フィルカスはそう言うと、再びゼノビアを抱き寄せた。


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