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蒼の剣士 ~ fantasy ~  作者: 紅の豚丼
4/53

行軍

(4)


 東部辺境伯領、スヴェーリンブルク

 辺境伯の居城、フォンテーヌ城―――


「明後日には、オストブルクでございますな」

 辺境伯はトーラスⅢ世に言う。東部辺境を視察中の国王トーラスⅢ世の一行を迎え、辺境伯領の都スヴェーリンブルクでは歓迎ムード一色であった。温厚で実直な辺境伯は、地味ながら忠実で善良な王の腹心の一人であった。その意味で、宮宰コーディアス大公の信頼も厚く、ために東部辺境を視察する国王を支える役目を負っていた。無論国庫からも費用は出るが、それ以上に辺境伯は熱心に一行をもてなしていた。

「素晴らしいお食事でした、辺境伯夫人。おもてなし感謝いたします」

「とんでもございません、シャルロット殿下」

 王女シャルロットは辺境伯夫人に優雅に礼をする。辺境伯夫人もシャルロットに答え、女たちは別室に引き取っていった。数名の護衛を次の間に控えさせ、辺境伯と一行の首脳陣は美しい装飾の施されたサロンに集まった。中央の玉座に王が席を占め、その隣に近衛騎士団長、ロタール伯エマニュエル・ラスカー卿が席を占める。一行の金の全てを預かる大蔵卿セギエ候が反対側にに席を占める。

「ここまでは、何事もなく来ましたな」

 セギエ候の言葉に、王は満足げに頷く。今年は東方は農作物の出来が良く、農民たちの表情も明るい。ウィルクス軍に深く踏み込まれているわけでもなく、東部辺境伯領はここ数年の中で最も豊かな収穫を見込めそうであった。しかしラスカー卿は王に言う。

「陛下、油断は禁物でございます。辺境のドナン殿や、ラウンデル殿からのお手紙にもございました通り、ウィルクスの刺客が陛下のお命を狙っております。」

「かの『魔戦将軍』か」

 トーラスⅢ世は顎に手を当て、考え込む。

「しかし彼奴は、北方で聖十字教国(クルーセイド)と渡り合っておるのではなかったのか」

「然様でございます」

 ラスカー卿は頷く。

「しかし、此度動いているのは彼奴めが子飼いの暗殺集団。ドナン殿も命を狙われ、ひと傷で命を落とした騎士がいたとか」

「毒か」

「御意」

 トーラスⅢ世は溜息をついて言う。

「ウィルクスの狗共め…東方でおとなしくしておればよいものを」

「ラウンデルが言うには」

 とラスカー卿は王に言う。

「リーシェ殿が、かつて北方を遍歴の際、かの『黒の使徒』と渡り合ったことがおありだとか。彼がパーレヴィ殿に協力し、オストブルクにかなり厳重な警戒態勢を敷いているようでございます」

「おお、それはよかった」

 不安そうな表情を浮かべていたセギエ候がほっとした表情を浮かべる。しかしラスカー卿は全く表情を緩めずに続けた。

「オストブルクは良いとして、敵の刺客が何名入っているかわかりません。十分に警戒する必要がございます。ゆめ油断なさいませぬよう、陛下」

「分かっておるわい…」

 厳しいラスカーの言葉に、うんざりしたように王は言う。


 陽の落ちた窓辺―――

 華やかに着飾った女官たちにかしずかれ、王妃が静かに読書を楽しんでいる。シャルロット姫はすっかり暗くなった東の方角をぼんやりと眺めていた。

「明後日には、いよいよオストブルクでございますね、姫様」

 若い侍女の一人が、シャルロット姫に声をかける。シャルロット姫は振り返ると、声をかけた侍女に答えて言う。

「長かった…でも、ようやくあの方にまた会える―――」

「姫様」

 シャルロット姫の瞳から、大粒の涙がこぼれて落ちた。

「ごめんなさい、私どうしたのかしら…」

 反対する王を強引に押し切り、今回の視察になぜシャルロット姫が同行したか、母である王妃を含め部屋にいた女たちは皆よく分かっていた。

 シャルロット姫の望みはただ一つ。

 彼女の想い人であるリシャールの姿を、生きているリシャールの姿を一目見たい。

 それだけであった。


 リシャールが形の上とはいえ父である宮宰コーディアス大公に勘当されてから暫くの間、シャルロット姫は笑顔も言葉も、涙も失っていた。

 リシャールは降りかかる火の粉を自らの手で払っただけである。彼女の目から見て、リシャールには何の罪もなかった。

 しかし宮宰は宮廷において厳しくリシャールを叱責し、近衛騎士を罷免し、傭兵として東方の最前線に送り込んだのである。


 シャルロット姫は幾度悪夢に苛まれたかわからなかった。

 血にまみれて息絶えようとするリシャールの姿が、何度も瞼に浮かんだ。

 その度に彼女の眠りは破られた。

 彼女には神に祈ることしかできなかった。


 シャルロット姫は幾度もコーディアス大公とぶつかった。一時彼女は大公を非常に憎んでいた。

 その態度は、東方から届いた一通の手紙によって劇的に変化する。


 オストブルクで非常に激しい戦闘があり、両軍ともに非常に大きな損害を出しながらもエルフィアが町を守り切ったあと、シャルロット姫のもとに署名のない手紙が一通届いた。内容はオストブルクでの戦いのこと、傭兵隊の仲間のこと…自分が生きて、戦っていること。

 父を責めないでほしい。自分は父に感謝している。あの時自分を形の上とはいえ勘当し、戦死の可能性が高い最前線に送るくらいのことをしなければ、自分が殺した連中の親共がリューク家に対し連合を組んで反乱を起こす可能性があった。だからあの時点では、あのようにするしかなかった。それが自分と、殿下をお守りする唯一の方策だ、と父は考えたのだと思う。コーディアス家にもっと力があれば。連中が協力して反乱を起こしても、難なく鎮圧できるような力があれば。幾度そう思っただろう。しかし、力で彼らの不満を押しつぶすようなやり方は、必ずひずみを生み、破綻をきたすだろう。その思いを、どうか理解してほしい…


 シャルロット姫は手紙を何度も何度も繰り返し読んだ。読んでは涙を流し、泣きながら何度も読んだ。

 そもそも、宗家であるリューク家に他家が逆らわないような力があれば、リシャールを、コーディアス家をこんな目にあわせずに済んだのである。


 彼女は大公に詫びた。

 そして、リューク家のために精力的に働いた。

 すべては、力をつけるため。国力をつけ、十五朝の全てから仰ぎ見られるような、立派な宗家にするために―――


 その彼女の想いが、もう少しで報われる。侍女たちは皆、自分が使える姫の心を理解していた。



 東方辺境、オストブルク…

 三番街、広場―――


「黒の使徒」による襲撃から半月。リーシェとリシャールの稽古はまだ続いていた。


 リシャールが凄まじい速さで連続攻撃を仕掛ける。リーシェは同じように古びた樫の木剣でそれを受け流し続ける。

 ここ二、三日は、稽古が始まった頃と大分様子が違って来ている。

 リーシェはリシャールの嵐のような攻撃を木剣で受けながら、その勢いを殺し右へ、左へ…と円を描くように受け流す。

 そう、リーシェは足を使い始めていた。

 カツッ!と音がして、受けたリーシェの木剣の刃に、ほんのわずかだったがリシャールの「両刃の(ダブル・エッジド)ローラン」の刃が刺さった。リーシェは木剣を引くと、三歩程の間合を取る。

「危ない危ない…」

 リシャールの顔に、喜びの色が浮かぶ。

 手応えが、あった。

 それまで幾度打ち込んでも、全く何の手応えもなく受け流されて―――恐らくは打ち込みの力の一切を殺されていた。

 しかし今日は違う。リシャールは剣を構え、左から右へ薙ぎ払う。

「ち」

 リーシェが身体を引く。リシャールの剣の間合いの、わずかに外…

「!」

 …に出た筈のリーシェの剣に、リシャールの剣の一撃が突き刺さっていた。

 受けた瞬間にリーシェが剣を引き、リシャールの力を受け流したため、斬り飛ばすまで行かなかったが、樫の木剣には深々と切れ目が入っていた。

 リーシェは賞賛の眼差しでリシャールを見る。ここ半月のリシャールの技術と力の向上は、リーシェにとって驚きの連続であった。

「凄いね」

 リーシェの賞賛に、リシャールは首を横に振る。

 リシャールもまた、リーシェの技に心酔していた。リシャール自身の剣技など、リーシェの足元にも及ばない。現に自分はヴィシリエンでも名の知れた名工の名剣を使い、真剣でリーシェを攻撃しているのに、彼の持つ木剣に傷一つつけることのできない日々が二週間も続いたのである。紛れもなく、このD・S隊の全員より、いやリシャールの知る敵味方のどの武人よりも、リーシェの剣技は上であった。もし彼に剣の初歩から教えたエルフの遍歴騎士タズリウムがここにいたら、どれだけの勝負ができるだろう。自分は少しでも、彼と剣を合わせることができるだろうか。そんなことをリシャールは思った。

「…ヴィシリエン全土で、これだけ短い期間で『ソード・マスター』を得る騎士は、君が初めてだろう、リシャール・コーディアス」

 リーシェは言うと、剣を立てリシャールに騎士礼を取った。そして、構えを解くと、内ポケットの革袋から小さな紋章のついた首飾りを取り出した。

「本日この日、剣聖ソルフィーの弟子である我、リーシェ・フランシスは、エルフィア傭兵D・S第一小隊長にしてコーディアス大公爵家継嗣たる騎士リシャール・ヴァンダム・コーディアスに『ソード・マスター』の位を授け、一門の剣士の座に加えるものとする」

 そう言うとリーシェは、その首飾りを握り、古代語のルーンを唱え始めた。

 リーシェの詠唱は低く、いつ果てるともなく続いた。脈を打つようにリーシェの左手が光り、その光が首飾りに流れ込んでいく。

 リシャールは自然とリーシェの前に跪き、頭を垂れていた。

「…顔を上げてくれ、リシャール」

「リーシェ」

 リーシェはにっこりして、リシャールの首に首飾りをかける。首飾りはリシャールの首で、一度大きく光り輝くと、元の魔法銀の首飾りに戻った。

「さ、立つがいいリシャール」

 リシャールはリーシェの言うがまま、立ち上がった。ラウンデルが目を細めてそれを見ている。

「…ラウンデル、リシャールと立ち会ってみるといい」

「恐ろしいことを言う」

 ラウンデルは外套を脱ぐと、腰の剣を鞘から引き抜いた。

 リシャールは剣を立てて礼をすると、ラウンデルに全力で打ち込みをかける。

 あたりの空気を震わせる高い金属音。二人の間合いは一気に詰まり、激しい鍔迫り合いが始まっていた。

「てぇい!」

 ラウンデルが凄まじい気合で剣を振るう。リシャールは鍔元でガッキとその剣を受け止めた。

 ラウンデルが一瞬身体を後ろに引き、間合いを取ろうとする。

(…リーシェの足捌きより、遅い…)

 リシャールはラウンデルが身体を引くより速く、その懐に入りこもうとする。

「!?」

 ラウンデルはとっさに剣を逆手に構えなおし、上からリシャールを串刺しにしようとする。

 もはやラウンデルに余裕は全くない。彼の凄まじい殺気に、見ている仲間たちから声が上がる。

(…凄い殺気だ。…だが、リーシェが俺にぶつけてきた殺気は、こんなものではなかった…ような気がする。)

 並の傭兵、騎士なら、ラウンデルの剣に串刺しにされていただろう。しかしリシャールは剣をぶつけてその剣先を弾き、再び間合いを取る。

 ラウンデルもリシャールも、わずか数合の打ち合いにもかかわらず、額にうっすらと汗を浮かべている。

「どうかな、ラウンデル。僕の見立ては、甘くないかい」

 ラウンデルはふーっ、と息を吐くと、

「甘いどころか…。俺ごときが相手するのは、既に大変だ」

 それを承認と見て取り、リーシェは改めてリシャールに言う。

「おめでとうリシャール。僕の認可と、見届人としてラウンデルがいる。もしここに先生がいても、君をソード・マスターに任ずるのに反対はされないだろう」

「先生…って、もしかして、あの」

 ラウンデルが頷く。

「勿論、剣聖ソルフィーその人だ。お前とタズリウムは、一門の中ではこれで同格ということになる」

 リーシェは笑ってラウンデルに言う。

「まだ奥義を持ってないから、基本技術だけだけどね。まともにラウンデルやタズルと戦ったら、まだまだだろうけど」

 といってから、リシャールをまっすぐ見て言う。

「でも、これだけのことができれば、奥義の二つ三つ、すぐに使えるようになるだろう。僕としても、少しは気が楽になる」

「そうだな、『黒の使徒』や『魔戦将軍(フィルカス)』の相手ができる者を、少しでも増やさないといかんからな」



 同日夕刻…

 オストブルク、騎士団本営―――


 国王の一行からの先駆が、オストブルクの騎士団本営に到着した。勅命を報じた伝令の到着に、小隊長以上の騎士、傭兵、百人隊長以上の補助兵士官(投石部隊や大弩隊)が集められた。これあることを予想していた士官たちの集合は速く、全員整列して跪き、勅命を待った。

「国王陛下の一行はスヴェーリンブルクを一昨日お出になり、東方街道を進みヴァンセンヌの森で野営されておられる。二日後に、東方騎士団および在オストブルクエルフィア傭兵隊は、精鋭三百を選りすぐってご一行を出迎えるべし。合流予定地はレーヌ河畔、テュール橋付近とする。上記、勅命である」

「勅命、謹んでお受けいたします。」

 ドナンが代表して言う。全員頭を下げる。勅使は安堵の表情を浮かべ、ご案内いたします、という。これに対しても形通りに、ヴェスタールが勅使にこの地に留まり、しばし疲れを癒すように言う。すぐさま騎士団から2名、返答を伝える早馬が放たれる。

「儂とパーレヴィでお出迎え致そう。ヴェスタールには留守を任せようと思う」

 ヴェスタールは頷いたが、パーレヴィが待ったをかける。

「お待ちください、団長閣下」

「どうしたパーレヴィ」

「ヴェスタール殿に出迎えに出ていただきましょう。我々がこちらに残るほうが宜しゅうございます」

 パーレヴィはそう言った。

「なぜだ」「参謀長のご存念を伺いたい」

 ドナンとヴェスタールの問いに、パーレヴィは三つの理由を挙げた。

 一つ、三名の中で最も腕が立つのは、ヴェスタールである。道中刺客に襲われた際、最も対処しやすい。

 二つ、ウィルクスがオストブルクを完全にあきらめたとはいえない以上、こちらの守りは手薄に出来ない。

 三つ、出迎え部隊の参謀については、傭兵隊からラウンデルに出張ってもらえば足りる。

「…こちらに私と閣下が残ったほうが、様々な事態に対応しやすいと考えます。」

「なるほどな」

 パーレヴィはラウンデルを見る。ラウンデルはニヤリと笑って頷いた。

「傭兵隊からは、最精鋭を五十名程出してくれ」

「五十名…承知いたしました」

 ヴェスタールは集まった面々の前で宣言する。

 明朝六時、西門前広場に集合。騎士団から二百名、傭兵隊から五十名、全て騎馬で六時半出撃。補助兵は輜重の準備をして、七時に出撃。


 D・S隊宿営―――

 傭兵隊から出迎えに出撃する五十名を、各隊の小隊長が選んでいた。

 傭兵隊を束ねるのはラウンデル。ラウンデルが出撃するため、副長のグリムワルドは自動的に居残りである。

 小隊長のリシャール、ラーリア、ジェットらが、各隊から四名を選ぶと四十九人。あとの一名に、ラウンデルはリーシェを指名した。

「陛下にお目通りしておいた方がいいだろう。仮に先生がエルフィアにいらしたとき、申し開きができるだろうからな」

 リーシェは肩をすくめる。

「仕方ないか…ま、たまには外出も悪くない」

 宿営は出撃準備で慌ただしかった。馬が用意され、出撃の支度が整っていく。

「リーシェ、あのリュート持っていくの?」

 リーシェは馬の鞍に、その小さなリュートを袋に入れて括り付けた。

「ミシェルが、貸してあげる、って、持たせてくれたのさ」

「…つまりは、『必ず帰ってこい』ということかな」

 ジェットがニヤリと笑って言う。

「色男はつらいね」

「からかわないでくれジェット」

 ジェットは大剣の手入れを終え、背の鞘に納める。

「明日は早いぜ。…寝坊すんなよ、ラーリア」

「うるさいよジェット。その言葉、そっくりアンタに返してやる」

 既に深夜。皆思い思いに自分の部屋に戻り、短い眠りに落ちるのであった。


 翌朝…


 五時半。既に大半の傭兵は準備を終え、食事を済ませて馬を引き出していた。

 リーシェは悠々としたもので、青毛の馬に乗り、鞍壺には長弓と二十四本の矢が入った矢筒。背にはいつもの長刀、腰にも対になっている剣を帯びていた。傭兵たちが馬上で使う弓よりも、一回り大きい。宿営の武器庫から適当に持ってきた、とリーシェは言ったが、明らかに並の兵が使う弓ではなさそうであった。他の傭兵は同様に矢筒を携えていたが、弓はやや小ぶりの複合弓であった。

 眠そうな目をこすりながら、ラーリアが現れる。

「酷い顔だな」

 ジェットの軽口にも、ラーリアは生あくびで応じる。傭兵たちは二列縦隊を作り、西門を目指し出発した。リーシェはグリムワルドに片手をあげて挨拶する。見送るグリムワルドも、大斧を掲げて見せた。


 往復四日分の食料と飲料。そして予備の矢。それらを積んだ輜重隊を伴って、部隊は西を目指していた。リーシェは馬上で目を閉じ、微動だにせずに馬を歩ませていた。遠目には眠っているかのように見えるが、その手は手綱を握り、まるで目が見えているかのように馬を御していた。リシャールはリーシェの直後にいて馬を歩ませていたが、十分もせずにリーシェの馬術に戦慄を覚えていた。

 リーシェが一度だけ軽く手綱をしごく。ほんの少しだが、行軍のペースが上がったようであった。リーシェはリシャールを振り返る。

「ヴェスタールは、少し逸っているかもしれない」

「わかるのか」

 リーシェは自分の隣にいた傭兵にリシャールと位置を換えるように言う。リシャールが隣に来ると、リーシェは馬を歩ませながらリシャールに言う。

「通常行軍より、若干だが速度が速いように感じるんだ」

 リシャールはリーシェの言葉に、落ち着いて周囲を眺めてみた。成程、言われてみれば通常行軍よりも速いように感じる。しかしその差は恐らく僅かで、言われなければ気が付かないレベルであった。

 長距離の行軍で、最もやってはいけないことは、替馬がない状況で馬を乗り潰すことである。その段階で前進も退却も困難になってしまうからである。若いとはいえ、歴戦の騎士であるヴェスタールがそれを知らないはずはない。しかし、決して安全とは言えない東部辺境に国王一家を迎えるにあたり、辺境の軍勢を代表して王を出迎える役目を受けたヴェスタールには、気負いと焦りは確かにあるようであった。

 何がしか手を打つべきか。

 リシャールがそう思ったその時。

 ラウンデルが列の先頭の方へ馬を飛ばして近づいていく。それを見たリーシェは微笑して頷き、再び馬上で目を閉じる。程無くして、行軍の速度は気持ち緩やかになった。

「リーシェ」

 リシャールはリーシェに問いかける。リーシェはリシャールの方を向き、目を開くと答えた。

「僕が気付く程度のことを、ラウンデルが気付かないはずはないさ。それより、周囲の気配を感じることの方が大切だ、リシャール」

「寝ていたんじゃないのか」

 リーシェはリシャールの言葉に、くっくっ…と小さく笑う。

「目を閉じていても、手に取るように見えるものもあるよリシャール」

「信じられない…」

「いずれわかるさ。しっかり周囲に気を配るんだ」

 リーシェは前を見据えると、こう言った。

「…残念ながら騎士団からの二百名は、腕は立つかもしれないが、『黒の使徒』の奇襲を防ぐ手助けにはならなそうだから」

「なぜそう言えるんだ」

 リーシェは溜息をつくとリシャールに言う。

「気ばかり焦って、前に進むことしか考えていない連中が、周りに細かく注意を払っていると思うかい」

 あっ…という顔をするリシャール。リーシェは溜息をつく。

「どちらかというと、君もそちら側の人間に近いからな。ラウンデルや僕とは言わないが、もう少し状況を俯瞰して見ないといけない」

「すまない」

「いいんだ。…君はいずれ、この国の全軍を率いるようになると見たから、こんな話をしたまでさ。」

「本当かい?…俺が…?」

「少なくとも」

 とリーシェは言う。

「これから会う方々は、君にそうなってほしいと思っているはずだろう。特に、姫殿下はね」

「からかわないでくれリーシェ」

 赤面して抗議するリシャールに、リーシェは笑うと、再び静かに目を閉じた。


 午後四時―――

 タルソ村郊外、アンヴィル丘陵―――

 オストブルクからの三百名の出迎え部隊は、予定通り街道沿いのアンヴィルの丘で野営の準備をしていた。慣れた手つきで、天幕を張り終えてしまうと、リーシェは弓を手に近くの林に入っていった。リーシェの立場は傭兵隊長付参謀であり、D・S隊の武術指南役と言ったところである。彼はラウンデルと一緒の天幕に寝床をあてがわれており、D・S隊本部付きとして、リシャールの第一小隊と共に食事や夜の歩哨に当たることになっていた。リシャールはリーシェが出かけたことに関してラウンデルに声をかけたが、ラウンデルはこともなげに答えた。

「多分、飯の種を取りに行ったのだろうよ。彼ならすぐ戻る、気にするな」

「でも、いいのかラウンデル」

 ラウンデルは笑って言う。

「あれ(リーシェ)より確実な偵察部隊はない。仮に、あの林に(と、ラウンデルはリーシェの入っていった林を指さす)『黒の使徒』が一個小隊いたら、我々は既に奇襲を受けているはずだからな」

 ラウンデルはリーシェが入っていった林を眺める。

「…もっとも、リーシェ一人行けば、『黒の使徒』一個小隊なら確実に全て倒せるだろうがね」

 ラウンデルはリシャールに言う。

「それより、すぐに薪を集めて火を起こせ。あまり大袈裟でなくていいが、それなりに火力は欲しいはずだからな」

 ラウンデルの言葉に、本部小隊と第一小隊合計十名は、竈を作り火をおこし始めた。近くの川に水を汲みに行く者、麦飯を炊き始める者、酒樽を運んでくる者、皆慌ただしく動き始めた。

 陽が西に傾き、空が茜色に染まってきた頃、リーシェが林から戻ってきた。丸々と太った鶉を二羽、そして山鳥を一羽。その全てを、どうやら彼は一矢ずつで射止めてきたようであった。

「ただいま、ラウンデル」

 リーシェは獲物をラウンデルの前に置く。ラウンデルはニヤリと笑って答える。

「当てにしていたぞ、相変わらず上手いな」

「お世辞はいいから、手伝ってくれないか」

 リーシェはそう言うと、鶉の羽をむしり始める。ラウンデルは手近にいた傭兵に、山鳥の羽をむしるように言いつけると、リシャールにも言った。

「焼き串が必要だ。ばれない様に、十本確保して来い」

「ラウンデル、リシャールは正直者だから、こっそり何かをさせるのには向かないよ」

 リーシェがラウンデルに声をかける。

「何事も勉強だ」

 ラウンデルはリーシェに笑いかける。それもそうだね、とリーシェは言うと、輜重隊に行って焼き串を借りてくるように言う。

「正面から行く方が、いいだろうからね」

「分かった、任せてくれ」

 リシャールは輜重隊の天幕の方へ走っていった。

 十五分程して、リシャールは大きな焼き串を人数分確保して戻って来た。辺りには夜の帳が落ちかけていた。きれいに羽をむしり終えた鶉と山鳥を、リーシェは手際よくばらしていく。大きなナイフで一口大に切り分けられた肉を、若い傭兵が二人がかりで十本の焼き串に刺していく。荒塩と胡椒をふりかけ、焼き串が火にかけられる。ラウンデルが竈番の傭兵に声をかける。

「ギュンター、大丈夫だとは思うが、焼き加減に気を付けろ。生焼けも、黒焦げも許さんぞ」

「分かってますよ、隊長。任せて下さい」

 リーシェは輜重隊から配給されたジャガイモや人参を一口大に切り、豆と一緒に水を張った大鍋に入れると、串に刺さらなかった山鳥や鶉の余り肉と一緒に煮込み始める。肉が焼ける良い匂いが辺りに立ち込めた。あちらこちらの小隊から、同じような炊煙が上がり、食事が始まったようであった。麦飯あるいは麦粥と、野菜と豆のスープに加え、D・S隊の本部小隊・第一小隊ではリーシェが獲ってきた獲物の肉が食事の内容を豊かにしていた。酒が配られ、焼きあがった肉が串ごと皆の手に渡り、大鍋からいい匂いがし始めると、十名での食事が始まった。リーシェは串から鶉の肉を一口かじると、竈番の腕を絶賛する。

「最高だギュンター。ありがとう。僕自身では、こうはうまく焼けない」

「『蒼の剣士』のお墨付き、嬉しい限りだ」

 褒められたギュンターは誇らしげに言う。ラウンデルも満足そうに肉を噛んでいた。

「このあたりはご禁制の狩場でもなし、腕さえたてば獲物には事欠かないはずだからな」

「隊長は、ご存じだったんですね」

 ラウンデルはリシャールの言葉に笑って言う。

「こいつ(リーシェ)は餓鬼の頃から、弓は上手かったからな」

「いい運動になったよ。時間があれば、明日もやろうか」

 ラウンデルは頷く。

「こちらが先に到着すれば、時間は取れるだろう。」

 大鍋を見ていた若い傭兵が、肉が煮えたことをラウンデルに伝える。ラウンデルは皆に野菜と肉をよそうように彼に命じ、木のコップに残ったワインを飲み干す。旨い、温まる…。皆口々に言い、大鍋に煮込んだ野菜と肉はスープごとあっという間に空になった。麦飯をスープに入れ、雑炊のようにして食べる者もいた。とっぷりと日は暮れ、辺りはすっかり闇に包まれた。東の空に、もう少しで満月になるであろう月がのぼってきつつあった。

 手際よく食事の後片付けを終えた隊員たちに、ラウンデルが号令をかける。

「腹はふくれただろう。次は、夜の見張りだ」

 ラウンデルはてきぱきと指示を出し、朝四時まで二名ずつ五交代での見張りを命じる。

「仕掛けてくるとすれば、夜だ。くれぐれも警戒しろ。残りの者はしっかり休み、見張り中に眠り込まないようにしろ」

 傭兵たちは順に持ち場に向かった。また、見張り番でない者は、天幕の中に潜り込むと、すぐに寝息をたてはじめるのであった。


 こうして、行軍初日の夜は何事もなく過ぎていった。

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