表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
蒼の剣士 ~ fantasy ~  作者: 紅の豚丼
30/53

冬、東方にて

(30)


オストブルク、東門

東方遠征軍、監視塔…


ゼーミッシュは、東の方角に目を光らせていた。遠く東のウィルクス本土と、ウィルクス側から見ていわゆる「西域」を隔てるスラン山地には、灰色の分厚い雪雲がかかっていた。

「隊長殿、敵もこの天気では、出て来られないのでは?」

監視をしていた騎士の一人が、そう言った。

「それは貴公の願望であって、敵がそうしてくれるとは限らないな」

ゼーミッシュは笑ってそう言う。

「俺の上官だったギュンター殿が、教えて下さったことがある。地味な任務を、一つ一つ丁寧に、確実に、迅速に、愚直に黙々とこなすことが、味方の勝利に繋がるのだ、とな」

ゼーミッシュも十分若かったが、その言葉には重みがあった。先導(パスファインダー)としてウィルクスの陣地に先頭きって味方を導いたことが、彼に何が大切なのかを身をもって学ばせていたのである。

「地味だが大切な仕事だ。指揮所に伝令、敵に動き無し。監視を継続します、と」

「はっ、行ってまいります」

騎士は監視塔を駆け下りて行った。


「そうか、ご苦労」

指揮所にいたリーシェは、伝令でやって来た東方騎士団の若い騎士に労いの言葉をかける。ギュンターは地図をにらみながら、騎士に声をかける。

「ゼーミッシュは、さぼってなかったか」

「は?」

騎士はきょとんとしてギュンターに問い返す。

「その様子だと、しっかり見ていたようだな」

「はい、大切な仕事だ、とおっしゃって―――」

「天気はどうだった。スラン山地には、雲は」

「灰色の、分厚い雪雲でした」

ギュンターは頷く。

「そのまま三交代で監視を続けろ。ただ、寒くなるから、防寒対策をさせるように言っとけ」

「はっ」

騎士は急いで監視塔に駆け戻っていく。

「―――こっちはいいんだ。ファルカバードの方が、心配だ」

「奇襲だよな」

リーシェはギュンターに頷く。

「―――あちらに今はタズルがいるから、少しは安心だが。しかし、アルファナイツと黒の旅団が一緒にかかって来ると、守り切れない」

「リーシェ、お前があっちにいたら?」

「こちらの指揮をどうする?」

ギュンターはううむ…といって答えに窮する。

「今更だが、僕とジェットがあちら、ラスカー卿がこちらでもよかった」

「どっちにしろ、お前がいない方が手薄だ」

そこに、アンヴィル枢機卿が入って来た。リーシェとジェットは立ち上がる。アンヴィルはそのまま…と二人を手で制して、リーシェに一通の書簡を手渡す。

手紙はマリューからのものであった。

彼はオルトボレアリスを経て、最前線に近いアランバードに冬営していた。腹心、カッセル男爵オルヴィエートの軍勢と合わせ、八千近い軍勢が、ファルカバードから軽騎兵で二日の距離に駐屯している。エルフィアとウィルクスの前線が接近していることが、こうした連携を生んだのであった。ただでさえ連敗で多くの兵を失ったウィルクス軍としては、マリューの兵力に対して黒の旅団を置かざるを得ない。その黒の旅団も、オルトボレアリスの戦いで受けた痛手から回復できたとはいいがたい状況であった。

聖十字教国(クルーセイド)の密偵がウィルクスから得た情報では、ウィルクス国内、特に南東方の諸侯に不穏な動きがあり、フィルカス将軍はアランバードのマリューを警戒して動けず、マウは王都キサナバードを離れることができない。必然的に、西方への出兵は不可能に近い状況であった。

「僥倖、というべきだろう」

「まさしくそうですな」

アンヴィル枢機卿は頷く。

「今回はウィルクスにとってすべての状況が凶と出たようです。我等聖十字教国(クルーセイド)こそ、濡れ手で粟。リーシェ殿のご厚意に報いるため、義兄上様(=マリュー)にも少しは頑張っていただきませんと」

「猊下、一息つけそうです。感謝いたします」

ギュンターが立ち上がって騎士礼を取る。なんの、実際は冬営といって、温泉にでも浸かっておりましょう、とアンヴィル枢機卿は笑う。

「それよりも、猊下にご覧いただきました、例のアンドゥイルの聖なる鎚鉾(メイス)と、ダルハザンの使った『降魔の大斧(ブローヴァ)』ですが」

とアンヴィルは言う。

鎚鉾(メイス)はアルトワ公の戦利品です。アルトワ公にお返ししようと思うのですが、大斧(ブローヴァ)は聖ヴルム宮殿の武器庫に封印すべきかと思います」

「そのつもりでおりました、猊下。聖都にお戻りの際に、お願いいたします。」

アンヴィルはリーシェに言う。

「こうなると、暫くは三国とも動きづらい状況になりましょう。リーシェ殿には、如何お考えでしょうか」

「如何、とは…何についてですか」

「エルフィアは、何を目指されるのです」

リーシェはアンヴィルを見つめた。

「ヴィシリエンに、覇を唱えることをお考えですか」

リーシェは苦笑する。

「我々に、そんな力はありません」

アンヴィルはかぶりを振る。

「今は確かに。しかし、生産力から見たとき、三国のうち最強であるのは貴国、エルフィアです。もし国防が上手くいき、ウィルクスの侵攻を止めること叶えば、軍事力においても三国で最強となる日もそう遠いものではありませぬ」

リーシェはアンヴィルに言う。

「聖都に魔法学院(アカデミー)ある限り、聖十字教国(クルーセイド)の魔法戦力は常に三国で最強です。同数で戦えば、宮殿騎士団(テンプルナイツ)に敵はありません。そもそも、私は義兄(あに)に剣を向ける気は毛頭ないのです」

「…であれば、何の問題もないのですが…」

アンヴィルは溜息をつく。

「我が国は、国力…特に農業生産力においてはエルフィアやウィルクスに大きく劣っています。それを不安視する者が、色々と」

リーシェは苦笑する。

「埒もないことを…。此度イェレンスを得たことで、そうした声が小さくなれば」

「鉱工業においても、これまではエルフィアは遅れていた部分がございましたが、一気にそれを埋めました。誠、リーシェ殿はエルフィアの宝…返す返すも、我が国はリーシェ殿を余りにも酷使しすぎでした。台下はリーシェ殿からイェレンスを譲られた、とおっしゃいました。勿論お慶びでございましたが、同時に大変お悲しみにもなりました。『北方にリーシェ殿を行かせたのは、我が生涯の不覚であった』と」

リーシェは複雑な表情を浮かべ、窓の外を見る。いつしか、静かに雪が降っていた。

「…台下に、申し訳ない…。」

呟くリーシェに、アンヴィルは言う。

「きっとウィルクス王も、『何故ソルフィー殿をもっと厚遇しておかなんだか』と後悔の臍を噛んでおりましょう」

アンヴィルはリーシェを慰めるように言う。

「名誉なことだ。各国の王に、仕えることを求められるとは…」

ギュンターが呟く。アンヴィルはそれに頷く。

「その通りでございます、ギュンター殿。リーシェ殿の周りには、人材が集まっていますな」

リーシェはアンヴィルの言葉に苦笑する。

「僕の周りに、人材が集まったのではありません、猊下。…素晴らしい仲間がいる傭兵隊に入れていただいた、ただそれだけのことです」

そう言うと、リーシェは窓の外の雪を眺める。柔らかい雪が、音も無く天から舞い降りてきていた。アンヴィルも席を立ち、彼の隣でそれを眺めていた。

積もるだろう。そう、ギュンターは思った。

ドアが開く音がする。ドナンとヴェスタールが入ってきた。

「リーシェ殿、ギュンター殿、交代です」

「ああ、もうそんな時間でしたか」

リーシェはドナンにそう応じた。

「閣下、では宜しくお願いします。ヴェスタール、閣下を頼むよ」

「了解いたしました。ゆっくりお休み下さい」

リーシェはアンヴィルに言う。

「猊下、お食事でも」

「結構ですな」

アンヴィルは側仕えの司祭を一人伴い、リーシェとギュンターと共に、三番街を目指した。



聖十字教国(クルーセイド)、南東辺境

城塞都市アランバード―――


「オルヴィエート!オルヴィエートはどこだ!」

大音声が響き渡る。宮殿騎士(テンプルナイト)の制服を纏い、中隊長の腕章を付けた、カッセル男爵オルヴィエートが、マリューの前に進み出る。

「猊下、ここに」

「おお、いたか」

聖十字教国(クルーセイド)の軍権を預かる、マリュー・ド・アドリアは、最前線の城塞都市アランバードにあった。既に周辺諸都市を護る部隊と合わせると、この南東辺境には後詰の兵を合わせ一万二千の兵が冬営していた。エルフィアから依頼されたイェレンス地方の北側の穀倉地帯から上がった春小麦やライ麦は比較的豊作であり、聖十字教国(クルーセイド)としては食糧問題が大いに改善された。そのことが、マリューをして辺境に常より厚めの陣を敷くことを決意させた。

「ウィルクスの―――フィルカスの動きはどうだ」

オルヴィエートは頷く。

「いまだ、ビルシャバードから動けぬようです」

「そうだろうな。奴の兵は五千あるかないかだ。ビルシャバードに籠っていればこそ、守ることもできようが、奴が出陣するなら全軍でビルシャバードを取ってやる」

マリューはそうは言ったものの、フィルカスがビルシャバードを出ないであろうことは確信していた。影武者を置いたところで、マリューの目をくらますことは出来ない。これまでに幾度剣を交えたか分からぬ程戦ったが、そのほとんどでマリューは優位に戦いを進め、フィルカスを押し込んでいた。それでも、マリューの剛剣をよく凌ぎ、五分に近い分かれに持っていくところ、フィルカスは非凡な将であると言ってよかった。他の将がマリューの相手をすることは、困難であろう。リーシェが電撃的に東方を掠め取ったのは、マリューの存在あってのことといってよかった。

俺の存在を利用するまでになったか。マリューはリーシェの成長に内心舌を巻いていた。剣士としては、これまで幾度となくリーシェを道場の床に這わせ、愛の鞭を浴びせてきたが、ついにリーシェの受けがマリューの剛剣を超えた。しかしマリューから見れば、それも待ち受けていたこと。更に修行を積み、リーシェの受けを打ち破る技を身に着けるのみである。マリューはいずれその日が来ることを予期しており、ために昨年の春、聖都でリーシェと手合わせした際に一敗地に塗れたことを全く引きずっていなかった。

マリューを驚かせたのは、リーシェの用兵であった。エルフィアの戦略の中には、恐らくあの切れ者、ソシエール公アルクタスが考えた要素も大きいだろうが、それを具現化したのはリーシェの用兵である。今回エルフィアが打った策のことごとくが的中した。グリムワルドが、「クリムゾン・ストライク」に酷似した、とんでもなく巨大な剣気の塊で、アルファナイツの副将を鎧ごと両断した話を、マリューは既に聴いていた。それもそのはず、さして驚くことでもない。あのサイズの剣気だ。どれだけ剣気を込めても、あのブラグステアードの戦斧はびくともするまい。彼の知るマウ・ルフ・ロディールよりも、グリムワルドは明らかに強い。ということは、リーシェやソルフィーが行動の自由を得ている、ということだ。

「ここに、どちらか来てくれればな」

その一言で、オルヴィエートはマリューの意図を悟った。

「取りますか」

マリューはオルヴィエートの方を向く。どこを、とはマリューは尋ねなかった。

「お前ならどうする、オルヴィエート」

オルヴィエートは少しの間逡巡した。やがて、静かにこう言った。

「―――フィルカスを斬れるなら、それでよいのですが。しかし、また銀水晶で逃げることも考えられます。わが軍の補給線が、あまり伸びすぎることも容認しがたいかと」

マリューは腕組みをする。今が好機であることは間違いない。しかし、今の両国にはこれ以上ウィルクスに攻め込む余力は残っていない…。

「陣を並べて戦うことを、お望みでしたか」

オルヴィエートはマリューにそう問いかけた。マリューは微笑を返す。それを肯定と受け取りながらも、オルヴィエートは一方で先の自らの考えが客観的に見た現実であることを疑わなかった。

「…監視体制は任せる」

「はっ」

「…フィルカスが仮に動いたら、すぐに報せろ。俺は暫く、湯にでもつかるとする」

「ごゆっくりお休み下さい、閣下」

オルヴィエートは穏やかな笑みを浮かべて、マリューに騎士礼をとる。

状況を見るに、マリューがここにいる以上、フィルカスは絶対にビルシャバードを動けない。動けば、マリューがビルシャバードを取ってしまう。マリューがここにいることが、間接的にエルフィアへの援軍になっているのである。アンヴィル枢機卿があちらにいることで、エルフィアの魔法戦力は向上している。マウ一人では、恐らく守るだけでも精一杯だろう。とすれば、当面ウィルクスの攻勢はないとみてよい。

オルヴィエートはマリューの思いも、よく分かっていた。幾度もフィルカスに出し抜かれ、領土を奪われ、やっと攻勢に出られる。しかも、あの「蒼穹の聖騎士セルリアン・パラディン」、エッシェントゥルフ侯リーシェと、共に戦える可能性があるのである。オルヴィエートの見立てでは、二人が並んで戦えば、その前に立っていられる相手は存在しないように思われた。自分がその戦陣の端にでも、共にいることができたら、それだけでこの上ない名誉だ。ヴィシリエンにいる騎士であれば、誰でもそれを望むはずである。

それだけに、オルヴィエートには、マリューがその思いを抑えて動かずにいることが、いかに無念かが、痛いくらい理解できていた。

恐らく閣下は、私が閣下の無念さを察していることにお気づきだ。だから何も言わずに、温泉で静養を決め込んでいるのだ。

オルヴィエートはしんしんと降り続く雪を眺めながら、そんなことを考えていた。



アル・ドミナン朝ウィルクス王国

王都キサナバード、ファラージ宮殿…


ウィルクスの王、ヴィエラ五世は、居並ぶ廷臣達を前に、苦慮していた。聖十字教国(クルーセイド)とエルフィアに連敗し、多くの兵力を失ったところに、エルフィアからの思わぬ反攻を受け、イェレンスを失陥するという失態を犯したウィルクスは、さらなる試練にさらされていた。

南東辺境の諸侯達が、叛乱を起こしたのである。

ヴィエラ五世は地図を前に、いかにして叛乱に対するかを思案していた。

「陛下、あまり時間をかけますと…」

「分かっている。で、叛乱軍の軍勢はどの位になるのだ」

首席総督である、アステラス・ルフ・ロディールが駒を地図の上に置きながら答える。

「キズメット伯爵が三千。ワラキス侯爵が四千。マズーア伯爵が四千を集めています」

「厄介だな。こちらはそんなに動かせんぞ」

「然様、どれだけ軍勢を使えるか…」

アステラスは重々しく言う。

「…こちらは、すぐに動かせるのは近衛アルファナイツの一千と少し、それから西方から連れ帰った軍勢、また、援軍として送ったものを含め、六千がやっとです。…王都の護衛も考えると、よくて五千が妥当なところでしょう」

軍議の席を、重苦しい沈黙が支配した。

王妃フラヴィアの側で、王女コーディリアがわずかに不安そうな表情を見せる。それを見た典礼相スラン公爵が穏やかに言う。

「殿下、何の不安もございませんぞ。我等にお任せ下さいませ」

スラン公爵はアステラスに尋ねる。

「総督閣下、我々は今出せる最高のカードを出すべきだと思いますが、如何?」

アステラスは唸る。

「フィルカス将軍は動かせぬ…」

「必然的に、マウ殿に頼る他無いのです」

「ただ勝てばよい、という戦いではござらぬ。戦う相手も、ウィルクスの民なのですぞ」

アステラスは状況の困難であることを訴える。しかしスラン公爵は自説を曲げない。

「なればこそ、この危機を乗り越えるにはマウ殿のお力が必要なのです、総督閣下」

「…愚息は、聖十字教国(クルーセイド)に敗れ、エルフィアには出し抜かれた敗将です。謹慎させーーー」

その言葉をヴィエラ五世が遮る。

「勝敗は兵家の常。一度や二度の敗戦で、マウ程の将を謹慎など、思いもよらぬことだ」

「陛下…」

ヴィエラ五世はアステラスに言う。

「此度エルフィアに出し抜かれたは、我が迷いのせいであり、ためにラルフォンを失うことになった。それは決断を誤った余の責任であり、必死で援軍に向かい、辛くも生き残った軍勢を無事に引き上げさせたマウには、功こそあれ、罪は無い」

ヴィエラ五世は廷臣たちに宣言する。

「すぐにマウを呼べ。可及的速やかに、兵を整え、叛乱軍をうち破るように命を下す。」

廷臣たちが一斉に頭を下げる。

「デルマイン」

「は、陛下」

「ハイドラムを軍師としてマウに付けよ。そちは我が側にあって、助言を」

「かしこまりました。これで勝利疑いなしでございます」

ヴィエラ五世は満足気に頷いた。

「勅命である。皆謹みて受けよ」

アルファナイツ千名を含む五千名を率いて叛乱鎮圧に向かうよう、マウ・ルフ・ロディールに勅命が下る。廷臣たちが、ヴィエラ五世陛下に、ウィルクス王国に栄光あれ、と三回唱和する。



ファラージ宮殿、後宮…


王女コーディリアは、彼女の父親からの命を跪いて受けるマウの横顔を見つめていた。彼女の顔は僅かに青ざめ、心配の色を湛えていた。

マウ自身はいつもの落ちついた表情で、ヴィエラ五世の命を謹んで受けている。

「兵は五千で不足はないか」

ヴィエラ五世はマウに問いかける。

「十分でございます」

コーディリアの顔に、さらなる不安の色が加わる。叛乱軍の半数でしかない。

「どのように進めるつもりじゃ」

マウは笑って首を横に振る。

「ただ勝つだけならさして難しくはございません。ご心配には及びませぬ、各個に撃破致します。むしろ、いかに敵を殺さずに勝つか、が大切かと…」

ヴィエラ五世は頷く。

「うむ、それでよい。だが…アルファナイツも小粒になった。思う程の無理はきかぬかもしれぬ。慎重にゆけ」

「はっ」

マウは頭を下げ、王の前から下がろうとする。それを、ヴィエラ五世は手で制すると、

「出立は明日じゃ。今宵は王女の側におれ」

と言った。マウは一瞬躊躇するが、この命には違背許さぬ、との主君の言葉に、彼は再び頭を下げた。

王が部屋を出るか出ないか、という瞬間に、コーディリア姫は足早にマウに歩み寄り、その唇を奪う。

「マウ」

コーディリアは心配そうな表情で、愛する婚約者に言う。

「何故、全軍を動かさないの」

マウは苦笑しつつ答える。

「不安ですか、やはり」

「あたりまえよ。貴方をたった五千で送り出すなんて…」

マウはコーディリアに言う。

「私が考える理想の落とし所をもたらすのに、五千も兵は必要無いのです」

驚くコーディリアに、マウは言う。

「細かい事は軍事機密になりますので、殿下にもお話できないのですが…今回は決着を急がねはならないので、敢えて五千動かすのです」

「なら、勝てるのね」

マウはその問いに頷く。

「『赤騎士』や、『蒼の剣士』の率いる一万なら兎も角、今回の相手は然程恐ろしくはありません。どうか殿下にはお心安く、吉報をお待ち下さい。」

コーディリアは幾分安堵の表情を浮かべながらも、溜息をつきながら言う。

「…生きて帰って。無事で帰って、マウ。他の何も要らない、貴方が無事に戻ってくれさえすれば―――」

「私だけでなく」

マウはコーディリアの瞳を見つめて言う。

「―――ウィルクスを…殿下をお護りする為、各地で知恵を絞り、命をかけている者たち全ての為に祈って下さい、殿下」

コーディリアはマウをひしと抱きしめ、その胸に縋りながら思う。

ウィルクスに、彼程の男は他にない。この私、ウィルクス王ヴィエラ五世の血を引く一人娘、コーディリアの夫として、彼の他に誰がいようか。この若さで既に彼はウィルクスを代表する名将の一人。多くの民や兵たちに慕われる、アルファナイツの総長である。それをかさに着ることもなく、多くの廷臣たちに膝を屈し礼を尽くして教えを請い、年長者を敬い、弱き者を助け、信義に厚い。若くして多くの廷臣の信頼と尊敬を得ている、誠の名将。私の婚約者でなければ、多くの貴族の令嬢たちから求婚を受ける立場であろう。事実マウに懸想する娘は少なくない。私にとって、マウが婚約者であることがどれだけ誇らしいことであろうか。

マウ無しの世の中など、深淵(アビス)の底と同じ。

コーディリアはそう思っていた。

「―――戦が無くなればよいのに」

その言葉に、マウは頷いた。

「少なくとも、この叛乱を鎮圧できれば、暫くは戦をせずに済む可能性が高いでしょう。さすれば―――」

そう言ってマウはコーディリアを優しく抱き包む。

「―――殿下との婚儀の話も出ましょう」

「マウ」

マウは頷いた。先の聖十字教国(クルーセイド)との戦での敗戦を、彼はこの叛乱を早期に収拾することで雪がねばならない。多くの民や廷臣たちが、マウの働きに注目しているのである。彼が誠に、アル・ドミナン朝ウィルクス王国の王たるに相応しい資質を備えているかどうか。

「私は、皆が期待し、賞賛するような勝利を得なくてはならないのです」

コーディリアは頷く。

「民の為、兵の為、廷臣たちの為…陛下の御為、そして誰よりも―――」

マウの口が、コーディリアの口づけで塞がれる。

―――あなたの為に…殿下。

―――分かっています、マウ…。


マウは翌朝、招集された五千名の兵を率いて、キサナバードを出立した。

彼の側には軍師としてハイドラムが付いていた。

ウィルクスの南東部には雪はあまり降らない。冬期とはいえ、行軍に然程の困難はない。マウの軍勢は通常行軍よりやや速度を上げ―――といっても、強行軍、という程の速度ではないが―――、南東方面に続く街道を進んでいた。

「さて、まずはどこから―――」

ハイドラムがマウに尋ねる。マウは笑って言う。

「ハイドラム殿は、私をお試しになられるか」

「い、いえ、そのようなことは」

ハイドラムは苦笑する。マウは答える。

「仮にそうだとしても、最初はキズメット伯爵から…いかがであろう」

もっとも少ない相手から、順に片付ける。マウはそう考えていた。

「しかし、敵は恐らく籠城しております」

「引きずり出せば、楽に殲滅できる」

「策がおありのご様子」

マウは頷く。

「こんな手を考えた…」


マウの軍勢は、三日をかけてキズメット伯爵の領地に入った。略奪でも行うか、と恐れていた住民をよそに、マウはそのまま悠々と街道をワラキス侯爵領へ向かう。マウの軍勢の後ろには、多くの馬車に引かれた輜重隊が続いていた。

輜重隊を守っているのは、多くて一千。しかもそのほとんどが歩兵ばかりである。

キズメット伯爵は我が目を疑った。

これが、国中の評判の高いアルファナイツ総長、マウ・ルフ・ロディールの用兵か?

輜重隊に確かに護衛が付いているが、いかにも少ない。

我々が城を出ないと、はなから決めてかかっているような隊形だ。とすれば、あの物資をそのまま見過ごすのは得策では無い。最初の標的として恐らく狙われているワラキス侯爵への援護にもなるだろう。

キズメット伯爵は、麾下の全軍に出陣を命じた。

三千の兵が、武器を構えて正規軍の輜重隊に襲いかかる。輜重隊が全滅すればーーー

その時。

輜重隊を守っていた護衛が全て抜剣する。荷物を放置して、三千の叛乱軍に襲いかかる。その先頭に、白銀の鎧を身に纏ったマウの姿があった。

「罪将キズメット伯爵、覚悟せよ!マウ・ルフ・ロディール、見参‼︎」

「なっ、何だとぉ!?何故ここに」

わずか千程の歩兵が、凄まじい勢いで敵を蹴散らしていく。とても三千では太刀打ちできそうに無い。マウが率いていた護衛の全てが、最精鋭のアルファナイツであった。一人が四、五人を相手にする勢いであった。

「か、敵わぬ、城に退却せよ」

キズメット伯爵は城を目指して敗走する。しかしその先に、五百程の兵が先回りしていた。先頭に、白銀の鎧を身につけたコーンウェルの姿が見えあった。

「一人も通すな、挟み討ちだ」

城への道に先回りしたコーンウェルは、麾下の五百名を下馬させ、空馬を少数の騎兵に率いさせて離脱させ、キズメット伯爵を待ち構えていた。

コーンウェルの兵が少ないと見たキズメット伯爵は、強引に突破を図る。しかし、ナイトシールドを持ち、比較的重装備のコーンウェルの隊は、ガッチリ伯爵の兵を受け止める。

そこへマウ率いるアルファナイツがなだれ込む。勝敗は決した。

わずか三時間強の戦闘で、マウ率いる正規軍は、三千の反乱軍を文字通り粉砕した。マウはキズメット伯爵を捕え、檻車に入れてキサナバードに送った。さらに、間者を用いて、キズメット伯爵率いる三千の兵が、マウの前に全滅したことを南西部辺境に触れ回らせた。



辺境叛乱鎮圧軍、野営地―――


マウのテントに、コーンウェルとハイドラム、そして中隊長クラスの騎士達が集まっていた。

「皆今日はご苦労だった。今夜はゆっくり休んでくれ」

「それにしても、あっけない相手でしたな」

ハイドラムは半ばあきれ顔で言う。マウは苦笑しつつ答える。

「理想や信念のもとに立ち上がった叛乱軍なら、もっと骨が折れたでしょう」

コーンウェルも頷く。

「…しかし、連中はそうではない。王国の窮地に乗じて有利な立場を得ようという、いわば火事場泥棒のようなもの。…連中三千なら、アルファナイツの千名だけで殲滅できる、と踏んでいたが、その通りでした」

「御慧眼、恐れ入りました。閣下はまことウィルクスを代表する名将」

「軍師の賞賛、痛み入る。だが、私はフィルカス将軍には遠く及ばぬ」

若い騎士の一人が言う。

「しかし閣下、南東方面の叛乱諸侯…ワラキス侯爵やマズーア伯爵の下に、閣下程の使い手が…はたしておりましょうか?」

「油断はすべきではない」

マウはあくまで慎重な姿勢を崩さない。

「それに、思わぬところから古代語魔法(ルーン)で攻撃されるかもしれぬぞ」

ハイドラムは頷く。

「閣下のおっしゃる通りです。私も魔法感知を常に行っていますが、熟達の魔導士であれば、魔力を完全に消して接近してくる可能性もありますからな」

マウは力強く言い切る。

「ともあれ、これからが本番だ。本当は、両家の軍勢を合流させ、五千対八千の形にして、野戦で決着をつけるのが最も簡単なのだが―――」

「同じ手が二度通じるほど、敵も愚かではございますまい」

ハイドラムは言う。

「そうであれば確かに楽―――しかし、歯応えが無さすぎるのも困る」

マウは苦笑しつつ、ハイドラムに答える。

「ヴァランスの雪が消えるまでに、なんとか決着をつけたい」

騎士達は一斉に席を立ち、マウに騎士礼を取る。

「総長のお望みのままに」

「我らの命を、お取り下さい!」

マウは満足気に頷くと、小姓たちに杯を配らせる。

「今宵は共に酒を酌み、明日の英気を養おう」

マウの言葉に、男たちは声を上げて応じ、大いに飲み、かつ食べた。

わずか一週間で叛乱を起こした三つの諸侯のうち一つを撃滅したマウの手腕に、王都キサナバードは沸きかえった。マウは叛乱を起こした諸侯の軍勢は殲滅したものの、住民には一切危害をくわえなかった。のみならずマウは、キズメット伯爵が貯めこんでいた食料や財宝の一部を民に分け与えてやることもした。住民たちはマウに感謝し、王家と正規軍に従うことを約束した。

「お父様」

コーディリアは王の居間に入る。ヴィエラ五世は、魔導士長デルマインと話をしていたが、愛娘の来室に目を細めて言う。

「マウはやはり有能だ。早くも一つ、逆らう者共を討ち平らげたようじゃ」

コーディリアの顔がぱあっと明るい笑みに満たされる。デルマインも穏やかな笑みを浮かべる。

「ようございましたな、殿下。マウ殿は無事でございますぞ」

「ありがとう、魔導士長様」

「ハイドラムもついております。思ったより、早く終わりますかな」

ヴィエラ五世は首を横に振る。

「期待通りに行かぬのが戦だ。何より、当のマウがそう思っておらぬだろうよ」

デルマインは西の空を眺めながら言う。

「だとしたら、マウ殿は誠、既に王の器であられる」

ヴィエラ五世は満足そうに言う。

「だから、コーディリアの婿にするのだ、魔道士長よ」

デルマインは恭しく一礼する。

若僧め、なかなかやるわい…。ただし、ここからが正念場ぞ。己の置かれた立場を、理解しているかどうか…そして、この窮地を、切り抜けられるかどうか。

「王たる者は、運命の女神にも愛されねばなりませぬからな…」

デルマインの言葉に、コーディリアは力強く答える。

「マウは運命の女神に愛されているわ。その浮気なら、私は許してあげる」

「勝利の女神もおりますからな、コーディリア様、マウ殿はモテますぞ」

「まあ、魔道士長様ったら」

デルマインはコーディリアに戯けて見せた。コーディリアは笑顔を見せる。

「さて、私はそろそろ…では陛下、私はこれにて」

「うむ、何かあればすぐに報せよ」

デルマインは王の前を辞して、自分の執務室に引き下がった。

彼は知っていた。ワラキス侯爵の下に、一人の隠者が暮らしていることを。

元々宮仕えを好まず、ワラキス侯爵に協力しているわけではないが、民を収斂しようとすれば必ず行く手を阻もうとする筈。それを、マウやハイドラムが知っているかどうか…。

「改めて、お手並み拝見と行こうかの、ふふふ」

デルマインは含み笑いを浮かべ、窓から南の空を眺めやった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ