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蒼の剣士 ~ fantasy ~  作者: 紅の豚丼
3/53

修行

(3)


オストブルク三番街、アルキュイ―――


数曲を弾き終えて、リュートの手を止めたリーシェに、ミシェルが酒を注ぐ。リーシェは頷くと、静かに一口。ミシェルはリーシェの前に、黙って小麦麺の皿を置く。

「リーシェ、働いたら食べなきゃ」

リーシェはミシェルを見上げ、小さく頷く。彼が食べ始めるのを合図に、いつもの活気が店に戻ってきた。曲の合間に、急いで注文をしようとする各テーブルを回って、マスターもミシェルも大わらわであった。

「まるで、別の店になったようだな」

ラウンデルがリーシェに酒を注ぎながら言う。

「この店で、音楽とは」

「今まで誰も弾かなかったのか」

リーシェは先程まで奏でていた美しい銀色のリュートをひと撫でして言う。

「勿体ない」

グリムワルドが何かに気付いたかのように言う。

「さては、リーシェお前これも」

リーシェは頷く。

「ご明察」

リーシェはグリムワルドにリュートの銘を見せる。

「『グアダラーニ』?」

読んで聞かせたリーシェの言葉に、グリムワルドはよくわからない、という顔をする。ラウンデルは笑って言う。

「それこそ無駄だリーシェ、武器ならともかくグリムワルドに楽器のことなど、分かるはずはない」

「随分な言い様じゃねえか隊長」

グリムワルドはふくれっ面になり、大きなジョッキの中に残った葡萄酒を喉に放り込む。

「しかし、グリムワルドの戦斧(バトルアクス)が、かのブラグステアードの作だったとはな」

リーシェは頷く。フォークで器用に巻き、一口麺を食べてから彼は言う。

「見る目がある、ってことさ」

「お前は分かってる!」

グリムワルドは嬉しそうにリーシェに言うと、酒のお代わりを頼んだ。


リシャールは何かを深く考えるような顔で、酒を飲んでいた。

「どしたのリシャール、深刻な顔しちゃって」

「ラーリア」

突然声をかけられ、リシャールは我に返ったようにラーリアを見た。

「考え事?」

リシャールは頷く。テーブルのメンバーの視線が、リシャールに集まる。リシャールはリーシェを見て、思い切って尋ねた。

「あの技―――『幻影斬ファントム・スラッシュ』、一体…」

リーシェは笑って言う。

「それを考えていたのか」

「教えてくれ」

リーシェは首を横に振る。

「言葉で教えて、分かるものじゃないよ」

リシャールはやはり、と溜息をつく。それを見てリーシェは語り始める。

幻影斬。それは、リーシェの持つ技の中で、一対一の剣技では最も強力な技の一つである。敵の攻撃を全てすり抜け、一太刀で敵を両断する。リーシェに攻撃を当てること自体が、ほとんど不可能になる技である。しかし、リーシェは言う。

「あれは決して無敵の技じゃない。事実、あれが恐らく通じない相手が、このヴィシリエンに何人かいる」

驚くリシャールに、リーシェは順に名を挙げていく。

わが師、ソルフィー。

聖十字教国(クルーセイド)の「赤騎士」枢機卿マリュー・ド・アドリア師兄。

北方の遍歴騎士、「銀騎士(シルバーナイト)」シュテッケン・フォン・スィスティア師兄。

「…そして、マリュー師兄の好敵手である、ウィルクスの『魔戦将軍』フィルカス・ドワイトフォーゼ。」

「聞いたことがある名だな」

ジェットが一口葡萄酒を口にして、言う。

「かすり傷でも、敵を殺す技を持っていると聞くが―――」

リーシェは頷く。

「技じゃない。ま、技も危険なのだが…奴が使う大剣『黒死剣』が余りにも危険なのでね」

リーシェはしばらく考え込み、リシャールにこう告げた。

「僕と互角に戦えれば、奴ともいい勝負ができることは間違いないだろう」

「ということは、マウには勝てる、ということだな」

ラウンデルの問いに、リーシェは頷く。

「勝てる可能性がある、ということなら、そうだ」

リシャールはリーシェに言う。

「明日から、俺に稽古をつけてほしい」

リーシェはにっこり笑って頷く。

「勿論OKだ、リシャール。…もとはと言えば、タズルの奴が(と言って、リーシェは忌々しげに一口酒を飲む)、君の修行を途中で放りっぱなしにしたのが悪いんだ」

リーシェは溜息をつく。

「あいつは、エルフの寿命と、死すべき人の子の寿命を同一に考えているんじゃないかと思う時がある。今リシャールに修行をつけなければ、素質ある騎士を一人ダメにしかねない」

「そんなにタズルを責めるな、リーシェ」

ラウンデルがリーシェをなだめる。

「奴は奴で、ここまでリシャールをまっすぐ育てたのだから」

「確かに…。それには感謝すべきだね、ラウンデル」


その夜は、いつになく早くD・S隊は店を出た。翌日からまた、訓練と監視の日々が始まる。

ウィルクス軍は引き揚げたが、これで彼らが侵攻を諦めるとはだれも思っていなかった。

皆、それぞれが守りたいと思うもののために、武具を整え、腕を磨く日々が、また同じように始まるのであった。



リューク十五朝エルフィア王国、王都ヴィサン…

グロワール宮殿、謁見の間―――


エルフィア国王トーラスⅢ世は、その日の謁見を全て終え、サイドテーブルのグラスの水を一口飲んで一息ついた。

謁見者たちを送り出し、宮宰コーディアス大公がトーラスⅢ世のもとに戻って来る。

「―――お疲れになりましたか、陛下」

「疲れもするわ」

トーラスⅢ世はうんざりしたように深い溜息をつく。十五朝の貴族達が封土を与えられ、自治を認められているのは、主家であるリューク本家の負担を減らす為であり、それぞれの家はその封土をよく治め、豊かにする義務を負っている。しかし代を重ねるごとに貴族たちはその本来の義務を忘れ、領内の政治よりも金儲けや権力争い―――具体的には、王位継承権争い―――に明け暮れる日々であった。挙句の果てに領内が乱れ、反乱が起こり、それを鎮圧するために国軍の出動を要請する貴族まで出る始末である。

トーラスⅢ世はその出動要請をはねつけた。もとはと言えば、要請してきた貴族――エンタナ伯爵――の部下が、無理やり重税を取り立てようとしたことに対して起こった反乱である。国王の叱責を受け、エンタナ伯爵は悄然と謁見の間を出ていった。

「…どいつもこいつも、碌なことをせんわ」

コーディアス大公も溜息をつく。

「全くでございますなあ」

その時、十五朝の一つ、東方辺境伯が、書状の小さな束を携えて謁見の間に現れた。

「陛下、宮宰殿、書状でございます」

「おお東部辺境伯か、これへ」

書記官に案内され、東部辺境伯はコーディアス大公とトーラスⅢ世の前に進み出た。

「陛下には、ご機嫌麗しゅう」

「まったく麗しくなぞないわ。先程まで、無能な貴族を叱っておったところだ」

「それはそれは…では、このお手紙でご機嫌が少しでも良くなればよろしいのですが」

辺境伯は三通の手紙をコーディアス大公に手渡した。大公は注意深く手紙を確かめ、国王の表情をちら、とうかがう。トーラスⅢ世は無言でコーディアス大公に頷き返す。開けよ、ということだと見て取ると、大公はサイドテーブルの上のペーパーナイフで手紙を開く。

一通は、東方騎士団長ドナンからの手紙であった。

ウィルクスの三度の攻撃を何とか撃退したものの、損害もかなり大きく、補充および増援を必要とすること。長弓(ロングボウ)の矢が欠乏し、早急な補給を必要とすること。傭兵隊D・S(ドッペル・ソルドネル)の働きめざましく、敵宮殿騎士1名を一騎打ちで捕え、宮殿騎士団副長の一人に重傷を負わせたこと。また、一騎討ちで副長ヴェスタールが二つ名を持つウィルクスの騎士を1名捕えたこと。委細は傭兵隊長ラウンデル・ジャン・ルーヴィンシュタインの書状とも照合し確認されたし、云々。

もう一通は、傭兵隊長ラウンデルからの手紙。

三回のウィルクス軍の攻撃に際し、敵の攻撃の方角・攻撃方法、陣形や指揮官等を事細かに記録した報告書であった。特に二度目の攻撃に際し、突撃した騎士隊が弩の一斉射撃に射すくめられ大混乱に陥り、敵の突撃を許した際に、D・S隊の精鋭により組織された決死隊を用いて、敵軍の小隊指揮官を狙い撃ちにした抜刀攻撃を行い、どうにか撃退したこと。副隊長グリムワルド、小隊長リシャール・ラーリア・ジェットらが多くの敵小隊指揮官を倒したこと。その攻撃で、定数三百名のD・S隊の約三分の一を失ったこと。また、三回目の攻撃を前に、D・S隊にヴィシリエンで名高い剣豪、「蒼のリーシェ」ことリーシェ・フランシスが加わり、敵ウィルクス宮殿騎士団副長ラルフォン・ベヒシュタインの左腕を、その秘剣で斬り落としたこと。総大将にしてウィルクス宮殿騎士団長である、マウ・ルフ・ロディールは、同門のグランドマスターであるリーシェを恐れて全軍を後退させたこと。跳ね上がりの宮殿騎士を一人、リーシェが難なく捕えたこと。

「なぜ『蒼のリーシェ』が、傭兵隊に?ソルフィー殿の紹介状を、持っていたのであろう?」

「…こちらに記載がございます」

二人の手紙には、共通して、エルフィア王国騎士にして武術指南役のガイウス・リュカスが、女傭兵1名を5名の騎士で囲み、乱暴しようとしたことに憤ったリーシェが、5名全てを一太刀で倒し、問責に訪れたヴェスタールに格の違いを見せつけ圧倒した件が書かれていた。ガイウスが殺された現場から逃れ、ヴェスタールに虚偽の報告をしたガイウスの従者が、騎士道不覚悟の罪で斬首されたことも、ドナンの書簡、ラウンデルの報告書に共に書かれていた。

最後の一通は、剣聖ソルフィーからの手紙である。弟子であるリーシェに、この者をぜひ宮殿騎士団の指南役に、と推薦する手紙を持たせてヴィサンに向かわせたが、その後音沙汰がないため、無事にヴィサンに到着したかどうか、また近くソルフィー自身もヴィサンに向かい、暫くトーラスⅢ世の客になりたい旨を書いた手紙であった。

「剣聖ソルフィーその人の手紙じゃ」

トーラスⅢ世は誇らしげに手紙を掲げる。…しかし、彼は不安な顔になって言う。

「しかし、肝心のリーシェ殿がこちらにおらず、ラウンデルのもとにおると知ったら―――」

コーディアス大公は笑って言う。

「陛下はとんでもないお叱りを受けるかもしれませんなあ、剣聖殿から」

「想像するのも嫌じゃ。悪いのは、余ではないではないか」

王は溜息をつく。

「全く、宮殿騎士に欲しい、と思う騎士は皆東部戦線に出張ってしまう。あまつさえ、またしても傭兵とは…」

「申し訳ございません」

コーディアス大公は深々と頭を下げる。王は表情を和らげ、大公にこう言った。

「…そなたを責めておるのではないのだ。ただ、あまりにもオストブルクにおる騎士が良く見えるので、な」

元気でおればよいのだが。そう、王は呟く。


「お父様」

謁見の間に、トーラスⅢ世の一人娘、シャルロット姫が現れた。

「東方からお手紙ですって?」

「そちに見せるようなものはなにもないぞ」

「まあ、そんな意地悪をおっしゃらないでください、お父様」

「手紙なら、大公がお持ちじゃ」

シャルロット姫はコーディアス大公に優雅にお辞儀をする。大公も礼を返す。姫は大公に、手紙を見せてほしい旨を告げた。苦笑しつつ、大公は姫に三通の手紙を渡す。一通目はドナンの手紙。二通目は、ラウンデルの手紙。そして最後に、剣聖ソルフィー直筆の手紙。シャルロット姫は暫くの間手紙に目を通していた。

安堵の表情を浮かべ、シャルロット姫は最後にラウンデルの手紙を大公に返す。

「良いお知らせでも、ございましたか」

シャルロット姫は満足げに頷く。彼女が気にしていたのは、想い人であるリシャールの安否。ただ、父親であるコーディアス大公に形の上とはいえ勘当され、罪人であるリシャールの名を、彼女が公的な場で口にすることは許されなかったのである。そんな姫の様子を、トーラスⅢ世は複雑な表情で見つめていた。

もう、許してやったらどうだ。王都に呼び返してはどうだ。…王は大公に、何度そう言ったか分からない。しかし、身を盾にしても王家を護る、高い忠誠心を持つコーディアス大公も、王のその言葉に対してだけは首を縦に振らなかった。卑怯にもリシャール一人を囲み殺そうとした、騎士の風上にも置けぬドラ息子たちとはいえ、それを返り討ちにされて殺された諸侯のいわば逆恨みを、コーディアス大公は非常に恐れていたのであった。それと知ってからは、王はリシャールを許してやれ、と言わなくなった。シャルロット姫も、父のそうした思いは言わずとも悟っていた。エルフィアという国は聖十字教国(クルーセイド)やウィルクスと違い、十五の王位継承権を持つ大諸侯の連合王国であり、主家であるリューク家は権威を持つものの軍事力において他の諸侯全てを圧倒する程の力を持ってはいなかった。

そんなリューク家にとって、十五朝の中でも「義」の人として人望の厚いコーディアス大公は、最も頼りになる家臣といってよかった。コーディアス家に対して、一対一で戦を挑むことができる諸侯は、十五朝の中には存在しない。裏を返せば、この世代の十五朝の中には有力な人材が乏しく、ためにエルフィアは他国との戦いで後手を踏み苦戦することが多かったのである。

「東部辺境を慰撫するため、早期に視察をしたく思うのだが」

トーラスⅢ世は信頼する宮宰に、そう話を振った。宮宰はまず、傍らに控える大蔵卿セギエ候爵に視線を向ける。セギエは手にした厚手の諸票に数ページ目を通し、宮宰に頷くと、王に答える。

「国庫には余裕がございます。戦地となった地方の税を減じるのがよろしいかと」

「うむ」

宮宰は頷き、次に近衛師団長であるロタール伯爵エマニュエル・ラスカー卿に問いかける。

「近衛師団は東方に出陣可能であるか」

「は」

ラスカーは武人らしく、短く簡潔に答えた。コーディアス大公は、その答えに頷くと、セギエとラスカーの両名に、王を守護して東部辺境の視察を行うべく、三千名をもってオストブルクへ出撃する計画を立案するよう命じた。

「立案に何日必要か」

二人は短く視線を交換すると、揃って、二日あれば。と言い切る。

コーディアス大公は頷き、王に言う。

「留守は私にお任せください」

「うむ」



東部辺境、オストブルク

三番街、広場―――


白銀に輝く魔法銀の剣を構え、リシャールがわずかに間合いを詰める。

対峙するは、グランド・マスター、「蒼のリーシェ」。

こちらは樫の木で作られた木剣を手にしている。


リシャールの剣は、魔法大戦期に北部辺境の名匠ローランによってつくられた、「両刃のローランダブル・エッジド・ローラン」という名剣。刃渡りは通常のロングソード程度。幅がやや広く意匠を凝らした細かなルーンが無数に彫り込まれており、それが美しい縞の紋様を描いていた。高度な軽量化の魔法と、攻撃力向上の魔法がかけられた剣で、ヴィシリエン全土でも滅多に見ることのできない名剣であった。並の鎖帷子位なら、布を断ち切るがごとく両断することが可能なその切れ味は、リシャールをして、猛者ぞろいのD・S(ドッペル・ソルドネル)隊でも指折りの使い手にならしめていた。剣の柄はこれまた魔法銀の意匠を凝らした細工に、黒い革を丹念に編んだものがきっちりと巻かれており、長い握りによって、必要に応じて両手で剣を扱うこともできた。

リシャールがリーシェに打ち込みをかける。リーシェは一歩も動かず、躱しもしない。

リシャールの剣が、リーシェの木剣によって受けられる。

その瞬間、リシャールの手に妙な手ごたえが残る。

いや、正確には、何の手ごたえも残らなかった。しかし、彼の剣はリーシェの木剣に受け止められている。手に打ち合った感触、剣と剣が触れ合った瞬間の衝撃がくる筈なのに、リーシェと打ち合った瞬間の衝撃が一切なかったのである。驚いたリシャールが一瞬、リーシェの顔を見る。それまで微笑をたたえていたリーシェの顔が、一瞬で引き締まる。

リーシェが右手に持った木剣で軽く押さえていたリシャールの剣に、一瞬凄まじい重量がかかった。まるで剣の棟に巨象が飛び乗ったかと思う程の―――

「甘い」

リシャールの左の頬を、平手打ちのようなリーシェの一撃が襲った。二メートルほど右に跳ね飛ばされ、リシャールは石畳の上に転がる。

「どこを見ている。…僕の顔など見ても、何の答えもないぞ」

よろよろとリシャールは立ち上がる。そしてリーシェに一礼し、剣を拾い上げるとまた構えを取る。

リシャールが再びリーシェに斬りかかる。渾身の一撃。速く、そして重い一撃である。

しかし、リーシェは何事もなかったかのように、樫の木剣でやすやすとその打ち込みを受ける。やはり一歩も動いていない。本来ならば、リシャールの剣でリーシェの木剣を受けることなどできるはずがない。木剣を斬られてしまう筈である。しかし、現実にあり得ないことが起こっていた。

リシャールは異常と危険を感じ、もとの間合いに戻る。距離を取り直して、構えを…とみると、彼の懐にリーシェがいつの間にか踏み込んでいた。

「!?」

「遅い」

リーシェの掌底突きが、リシャールの顎を打ち抜く。がっくりとリシャールはその場に崩れ落ちる。

「…弱い。そんなことでは、そのローランが泣くぞリシャール」

リシャールは立ち上がろうとするが、一時的に脳震盪を起こした身体は言うことを聞かない。リーシェはため息をつくと、少し休憩だ、という。見ていた傭兵達から、ため息をつく音が聞こえる。

リシャールは、D・S隊でも一二を争う剣の使い手である。実際に剣を取って戦場で負けた、ということは一度もない。しかしその彼をしてもなお、グランド・マスターであるリーシェとは赤子と大人程の力量差があることを、傭兵達はまざまざと見せつけられた。ようやく身を起こしたリシャールに、リーシェはもう少し横になっているように、と告げ、広場のベンチに腰を下ろした。

リシャールには理解できなかった。リーシェがどうやって、木剣で自らの剣を受けているのか。鋼鉄の鎧をも紙のように貫くはずの彼の剣が、何故なんの変哲もない、宿営の壁にかかっていた樫の古い木剣を両断することができないのか。リーシェがなんらかの魔法で剣を強化した形跡は見られなかった。仮にあったとしても、リシャールにはそれがわかるとは思えなかったが。

理解できない点はもう一つある。両断できないにせよ、軽く自分の剣に添えられていただけのリーシェの木剣から感じた重さが、何故突如リシャールが剣を取り落とす程の重みに変わったのか。そうでもない限り、リシャールが剣を取り落とすことはありえなかった。

「わからないだろう?」

リーシェに言われて、リシャールはビックリして跳ね起きる。まだわずかに、ふらつく感覚が残っている。立ち上がろうとするリシャールを手で制し、リーシェは続ける。

「タズルは、この稽古を君につけなかったようだね」

「剣がぶつかった際の手応えが全くなかった」

「驚いただろう」

「ああ」

リーシェは頷く。

「この稽古で、僕の木剣を斬れたら、その段階で『ソード・マスター』の称号をあげるよ」

リーシェの構えた木剣を斬る。

リシャールは、どうすればそれが可能になるのか、まるでわからなかった。


午前十時に始まった稽古は、昼食を挟んで午後三時まで続いた。

リシャールはへとへとに疲れ切っていた。

「お疲れ様。ゆっくり休んでくれ。当面これを毎日続けよう」

リシャールはげんなりした。さらにリシャールを落ち込ませたのは、リーシェが息を乱していないばかりか、汗一つかいていないことであった。何百回リーシェに攻撃をかけただろうか。リーシェの足は、最初に立っていた位置から半径五十センチを出ることはなかった。

「アルキュイ」に向かい、歩み去ったリーシェを見送って、リシャールは石畳の上に座り込んでしまった。

このままではだめだ…。

溜息をつきながら、リーシェが立っていた位置をぼんやり眺めたリシャールの目が、驚きに見開かれる。


リーシェが立っていた位置の石畳に、無数の細かいひび割れが入っていた。


いつの間にかリシャールの後ろに、ラウンデルが立っていた。

「流石はリシャール」

「ラウンデル」

ラウンデルは口元に微かに笑みを浮かべ、リシャールを見る。

「―――この稽古を受けて初日にこれに気付いた男を、私は初めて見たよ、リシャール・コーディアス」

「じゃ、これはリーシェの踏み込みで…」

ラウンデルは石畳に一瞥をくれると、頷いた。

「…といっても、『踏み込む』という言葉ほど、彼は今日は足を使っていないが」

リシャールは剣を構え、同じように思い切り踏み込んで攻撃をかけてみた。

石畳は、びくともしない。ラウンデルは笑う。

「気づいたとして、今日の今日それができたら、修行をつける意味がなかろう」

「ラウンデル、貴方はこれが…」

ラウンデルは黙って剣を抜く。そしてリシャールの位置から数歩下がった。

「…行くぞ」

言葉とともに、ラウンデルがリシャールに大上段から打ち込みをかける。

鋭い金属音とともに、リシャールの剣が弾かれて転がった。

ラウンデルの足元の石畳の継ぎ目のセメントに、ビシリ…と深いひびが刻まれていた。

リシャールは剣を拾って立ち、ラウンデルに騎士礼を取る。ラウンデルは頷く。

「これは剣聖ソルフィー直伝だからな。リーシェには及ばぬだろうが」

「ありがとうございました」

「礼などいい」

ラウンデルはリシャールに、行くぞ…という。リシャールはラウンデルの後をついて、「アルキュイ」に向かった。


オストブルク三番街、居酒屋アルキュイ…

午後五時―――


リーシェはアルキュイのカウンターの席に座って、魔法銀のリュートで明るい軽やかな曲を奏でていた。ミシェルはきびきびと給仕をしながら、時折カウンターのリーシェの前に小さなつまみを乗せた皿と、南部のバレスティア産の最高級の白ワイン―――発泡酒であり、甘すぎず辛すぎず、広く愛飲されている―――を、専用のクリスタルのグラスに満たして置いていくのであった。リーシェは曲を爪弾き、一段落するとワインとつまみを少し口にし、また曲を爪弾くことを繰り返していた。

「今日のリーシェは、なんだかご機嫌な様子だ」

グリムワルドは、カウンターで曲を弾き続けるリーシェを眺めながらそう言った。リシャールも体の所々をさすりながら、嬉しそうに酒を飲んでいる。

「ボコボコにされてたみてえだが、それに見合った収穫はあったようだなリシャール」

「まだまださ。すべては、これからだ」

五曲目を引き終えたリーシェを、周辺の娼館から来ていた艶やかな女たちが取り巻く。どうやら女たちはリーシェに歌をせがんでいるようであった。リーシェは困った様子であったが、カウンターの中からミシェルも声をかけ、弾き語りをせがんだようであった。

「リーシェはミシェルの言うことは、大抵聞いてやるようだからな」

「それでリーシェの酒代が決まるんだろうから、納得さ」

グリムワルドの言葉に、ジェットが訳知り顔で言う。ラーリアはふくれっ面をしている。

「アタシが頼んでも、歌ってくれないくせに。」

「むくれるな、ラーリア。始まるぞ」

リーシェは魔法大戦期の武勲詩(ジュスト)の中から、「聖騎士サルナート」を歌いはじめる。


歌え、大いなる勲を

歌え、気高きその心を

正しき者を護り 過ちを許し

神を称え 魔を滅し

誠を貫き 愛を広め

世にあまねく光もたらす

聖なる騎士の(うた)


ヴィシリエンでも有名な武勲詩(ジュスト)の一つである「聖騎士サルナート」は、実在した北部辺境の騎士の物語である。魔族の来襲を幾度も退けた勇者として知られているサルナートは、しかしながら最後は味方であった一人の聖騎士の裏切りによって命を落とす。その裏切りは嫉妬によるものであり、サルナートを裏切った聖騎士は己の罪深さに苛まれ、できた隙を魔族に突かれて戦死する。二人の聖騎士に愛された姫君は、己を愛した男を二人ながら失い、絶望して自ら命を絶つ。話としては悲劇であり、悲恋の物語でもある。リーシェの弾き歌いは本職の吟遊詩人もかくや、という見事なものであった。

序の段を歌い終わると、拍手の中リーシェはリュートを置き、ミシェルに言う。

「…今夜はここまでにしておこうか」

ミシェルは頷くと、再びリーシェのグラスにバレスティア産の白ワインを注ぐ。女たちはリーシェの傍に座ろうと熾烈な椅子取り合戦を始めようとする。リーシェは逃げるように、グリムワルドたちがいるテーブルにやってきた。

「助けてくれグリムワルド」

「やっと来たな、さあ、一緒に飲もうぜ!」

赤いドレスを着た美しい娼婦がグリムワルドに言う。

「グリムワルド、アタシたちも混ぜておくれよ」

「そうだよ、あたいだって『蒼のリーシェ』と楽しく飲みたいよ」

「わかったわかった、みんな座れ…ミシェル、リーシェに酒だ」

ミシェルはリーシェが飲んでいたバレスティア産の白ワインの瓶をテーブルに持ってくる。

「凄い酒飲んでるんだな」

「この店で、一番いいワインよ。リーシェ、おいしい?」

ミシェルはリーシェに言う。リーシェは頷くと、確かに最高だ、とミシェルに答えた。

「しかし、どうして僕の食べたいものが分かるんだい、ミシェル」

ミシェルは満足げににっこり笑うと、

「三日も通っていろいろ食べてもらえば、どんなものが好きだかある程度見当がつくわ」

「じゃ、つまみと酒はミシェルにお任せするよ」

ミシェルは様々な料理をここぞとばかりに運んでくる。テーブルはご馳走で一杯になった。

 

その夜遅くまで、いつにもまして華やかな宴は続いた。支払いをツケにせず、気前のいい傭兵たちは、オストブルクの歓楽街ではどこでも人気が高かったが、その中でも最強であるD・S隊は、女たちに引っ張りだこであった。グリムワルドのように、娼館の「ハシゴ」をする、とまでは行かなくとも、傭兵の中には馴染みの女がいるものが少なくなかった。

それもそのはず。どこの町でも戦続きで、男の方が少なくなっていたのである。

その夜アルキュイに集まった傭兵たちの中には、娼館に行く者、宿営に帰る者、様々であった。ようやく店が静かになり、片付けが終わるところで、ラウンデルとリーシェは最後に店を出た。また来てね、というミシェルの声に、リーシェは軽く手を上げて答える。

三番街から宿営までの近道である裏通りを歩きながら、ラウンデルは言う。

「王都の大公閣下から、手紙が来た」

「それを僕が聞いても差し支えないのか、ラウンデル」

「知っておいてほしいことが多くてな。あそこでは話せん、宿営でだ」

「それにしても、なんであんなに人が多かったんだろう」

ラウンデルはリーシェの言葉に、苦笑して言う。

「自分で客を集めておいて、何を言ってる」

リーシェはラウンデルの言葉に、ぺろりと舌を出す。

「そうか、僕としたことが迂闊だった」

「悪かったとは言ってない。音楽も歌も、良かったぞ。」

石畳を歩く二人の足音が、不意に止まる。

二人は背中合わせになる。

「ラウンデル、僕から離れるな」

「分かった」

リーシェは低い歌のような詠唱を始める。高く、低く…リーシェの詠唱は完成した。

ひゅっと風を切る音がして、二人の方に何かが高速で飛んでくる。しかし、飛んできた物はあらぬ方向に曲げられ、石畳に小さな金属音を立てて落ちる。

「そこだ」

リーシェはブーツからナイフを抜くと、右後方に投げ返す。ギャッ!という悲鳴がした。

リーシェは腰の剣を抜くと、声の方に突進した。ラウンデルも剣を抜き、リーシェに続く。

建物の影に逃れようとした人影に対し、リーシェは剣を一閃した。受けようとしたショートソードを、リーシェの蒼の剣が真っ二つにする。どうやらリーシェとラウンデルを襲った刺客は二人で、一人はリーシェのナイフを受けその場に倒れていた。リーシェは敵の喉元に剣を突きつける。

「剣を捨てろ。お前に僕は殺せない」

リーシェはラウンデルに言う。

「ラウンデルは下がっていてくれ。こいつらの武器には、全て猛毒が塗ってある」

「なぜわかる」

リーシェはラウンデルに答える。

「こいつらはウィルクスの、魔戦将軍フィルカスの手の者だ」

「『黒の使徒』」

「ご明察。僕に任せてくれ、こいつらとは北方で大いに戦った」

リーシェは倒れている一人に向かって、何事かを語り掛ける。いや、それは節と音程のついた、歌のようなものであった。ラウンデルは慌てて膝をつき、両耳を塞ぐ。リーシェの歌う歌を聞いた二人の暗殺者は、手にした武器を取り落とし、呆然とリーシェに向かって立ち尽くした。

リーシェは短く古代語のルーンを唱える。中空から細い銀色の鎖が下りてきて、二人の暗殺者をがんじがらめに縛る。二人は無抵抗でその場に倒れ伏した。リーシェはラウンデルに声をかける。

「ラウンデル、もう手を放してもいいよ…って、聞こえないか」

リーシェは身振りでラウンデルに伝える。ラウンデルはよろけながら、剣を拾って立ち上がる。

「いきなり『呪歌』は酷いぞ」

「すまない。久しぶりに二人で戦ったので呼吸が、ね」

ラウンデルは二人の暗殺者に歩み寄ろうとする。リーシェは手で制する。

「まだ恐らく、吹き矢を口の中に仕込んでいる。もう二歩離れてくれ」

リーシェは二人に語り掛ける。流暢な北方の言葉であった。

「誰を殺すのだったかな」

「…オストブルクの…ウィルクス軍の要人…騎士団長ドナン…傭兵隊長ラウンデル…蒼の剣士…」

「吹き矢は大丈夫かい」

「ここにある」

二人は口の中から小さな管を吐き出す。リーシェは頷くと、二人に問いかける。

「我らに命を下した方は」

「魔戦将軍、フィルカス閣下」

それを聞いて、リーシェは頷くと、物も言わず剣を二閃した。二人の男の首が、まるで剃刀か何かで切ったように、音もなくころり、と石畳の上に落ちた。一瞬後、首から垂直に鮮血が吹き出す。リーシェは顔色一つ変えずに二人の刺客を始末すると、ラウンデルに言う。

「他にもここに刺客が入っている可能性があるよ、ラウンデル」

「わかるのか」

リーシェは目を閉じ、かすかな気配を探る。

ややあって、リーシェはラウンデルに言う。

「…どうやら今夜は、こいつらだけだった様だ」

リーシェは手巾で剣を拭うと、それを死骸の上に投げた。

「騎士団は大丈夫だろうか」

ラウンデルはドナンを気遣う。

「寄ってみるかい」

リーシェはそう言うと、ラウンデルを伴って騎士団の宿営に向かった。


オストブルク、西五番街…

東方第一騎士団宿営―――


「遅かったか」

騎士団の宿営では、ドナンを護って、襲ってきた刺客に傷を受けた若い騎士がひとり、丁度息を引き取ったところであった。

「応援かたじけない、お二方」

ドナンはやつれた表情でラウンデルとリーシェに礼を言う。リーシェもさすがに沈痛な表情で答える。

「裏通りで襲われて…。もう少し早くこちらに着ければ…。おくやみ申し上げます」

「敵は追い詰められて自害した。もう一名は、ヴェスタールが仕留めた。危なかった」

参謀長パーレヴィの言葉に、二人は頷く。リーシェは賊の死骸を改めると、ドナンに言う。

「我々二人を襲った刺客と同じです。紛れもなく、魔戦将軍フィルカスの手の者、『黒の使徒』」

騎士団の面々も、一様に表情を固くし、声もない。リーシェは彼らの武器には全て致死性の猛毒が塗られている旨をドナンに告げ、身辺に注意するように助言した。

「こんな状況では、陛下にこちらに来ていただくわけには」

ドナンの言葉に、ラウンデルが思い出したように言う。

「そうだ、リーシェお前に伝えたかったのはそれだ」

ドナンはラウンデルに対し頷くと、近衛軍に守られて国王トーラスⅢ世がここオストブルクに向かっていることをリーシェに話した。リーシェは呆れたように言う。

「こんな状況の辺境に、たった三千の護衛で来るのかい」

豪胆というべきか、愚か者というべきか…そう言ったリーシェを、流石にラウンデルがたしなめる。

「俺の前でなら問題ないが、騎士団の皆様の手前、不敬罪になるぞ」

「じゃ、控えめに言うとして、ここに来ることは全くお勧めできないね」

ドナンも頷く。

「しかし、東部辺境を固めるためには、どうしても陛下が民の前に顔を見せる必要がある。」

「僕がフィルカスなら、その情報が入った段階で即、暗殺を狙うよ」

ヴェスタールがリーシェに言う。

「蒼の剣士リーシェ、貴公とフィルカスが戦ったら、どちらが勝つのだ」

リーシェはヴェスタールに言う。

「他に何の条件もなく、単に一対一での勝負なら…しかし、誰かを守りながらだと自信はない」

「では、アルファナイツの長マウ・ロディールよりも」

リーシェはヴェスタールの問いに頷く。

「その通り。明らかにフィルカスの方が強い」

リーシェはヴェスタールに、フィルカスの魔剣「黒死剣」のことを話して聞かせた。かすり傷一つでも、死に至る剣の話に、居合わせた騎士たちは言葉を失う。

「フィルカスともしも対面したら、可能なら全力で逃げてくれ。そして僕を呼んで欲しい」

「それが賢いな」

リーシェはラウンデルに言う。

「ラウンデル、貴方ならフィルカスと対峙しても身を護ることに徹すればある程度は確実に渡り合えるはず。手合わせしたこともあるでしょう」

ラウンデルは頷く。

「だが、俺の腕では奴を倒すことはできまい」

ヴェスタールは身震いする。参謀長パーレヴィがヴェスタールに言う。

「ヴェスタールでも、震えることもあるのだな」

リーシェはパーレヴィに言う。

「震えない方がおかしいよ、参謀長閣下。僕だって奴の魔剣を受ければ命が危ないのは変わらない」

「では、少しは陛下を安全にする策を考えてみることにしようか」

ラウンデルが頷く。

「必要なら、いつでも手を貸す。策の方は任せるぞパーレヴィ」

パーレヴィはラウンデルに頷く。リーシェとラウンデルは、騎士団宿営を後にし、一路D・S隊の宿営を目指した。降るような星空の下、しかし二人にそれを眺める心の余裕はなかった。


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