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蒼の剣士 ~ fantasy ~  作者: 紅の豚丼
2/53

ドッペル・ソルドネル隊

(2)


オストブルク、東宿営地―――

朝、七時半―――晴れ。


前日の喧騒が嘘のように、オストブルクの町は静かな朝を迎えていた。歓楽街では店が泊まりの客を送り出し、旅人は通行許可を得るため門前に並ぶ。その中でも、東門の警備はこれまでにも増して厳重になっていた。さすがにいつ戦闘になるかわからないため、東を目指す旅人はほとんどいない。また、同様に東門からエルフィアに入って来る旅人も稀であった。


リシャールは宿営の廊下の端にある窓から、東の方角を眺めていた。

後ろでドアが開く音がする。リシャールが振り返ると、髪を乱し、冬眠から覚めた熊のような風情でのっそりとグリムワルドが部屋から現れた。

「お早うグリムワルド」

「早いなリシャール

グリムワルドは東を眺めるリシャールの姿に、一瞬戦士の顔に戻る。

「何か見えるか」

リシャールは首を横に振る。

「今日は非番のはずだろ。もう少し寝てたらどうだ」

グリムワルドは首を横に振る。

「腹が減った。アルキュイに行って来る」

「分かった。何かあったら、呼びにやらせる」

「すまん」

グリムワルドはショートソードを一振り腰のベルトに帯びると、乱れた髪を手でひと撫でして、宿営を出ていった。


宿営を出たグリムワルドは、同じように起きてきたジェットを伴ってアルキュイに朝食を取りに出かけた。昨日深夜まで飲んでいたにもかかわらず、天気が良いせいか、多くの傭兵たちが朝食を取りに出てきていた。そんな中、陽の当たる四人掛けのテーブルで、リーシェとラーリアが朝食を取っていた。

「ようリーシェ、お早う」

リーシェはグリムワルドに会釈をする。

「早いね」

ラーリアは二人の姿にちょっと不機嫌な顔をする。ジェットが揶揄するように言う。

「お邪魔だったかな?ハハハ」

「そんなことないけどさ」

リーシェはグリムワルドに言う。

「ラウンデルがさっき来て、『グリムワルドにいろいろ聞け』と言っていたよ」

「何をだ」

リーシェは今日から宿営に入るように言われたのだという。幸か不幸か、D・S隊の宿営には今のところ空き部屋も沢山ある。どこでも気に入った部屋を使うといい、とのことだった。

「なら、飯を食ったら適当な部屋を見繕ってやる。一緒に来てくれ」

「ありがとう」

時間とともに人通りが増え、様々な店が開き始める。荷車や馬車が行き交いはじめた。他愛のない話をしながら、グリムワルドは温かいパンと茹でたての腸詰を頬張る。リーシェは穏やかな表情でそれを見ている。ラーリアはリーシェに言う。

「どうしたのリーシェ」

「…ほれぼれする食べっぷりだと思ってね」

隣でパンを一口食べ、ジェットが頷く。

「違いねえ。グリムワルドは本当によく食うからな」

テーブルにアルキュイの看板娘、ミシェルがやってきた。

「剣士様、お勘定です」

「名前で呼んでもらっていいよ。リーシェと呼び捨ててくれ」

「じゃ、リーシェ」

出てきた勘定書きに、リーシェは頷くと、財布から小さな石を取り出した。

「生憎と、現金の持ち合わせがあまりなくてね…。これでお願いするよ」

ミシェルは掌に載せられたその石を見て仰天する。内側から光を放っているようなその石は、北部辺境、最果てのダルグリア近辺でしか取れない貴重な宝石であった。仰天したミシェルは慌ててそれを父親のところに持っていく。店の勘定場から、店主がミシェルと一緒に戻るのに、二分もかからなかった。

「リーシェ、こ、この石」

「足りないかい?」

リーシェは二人を見返す。

「と、とんでもない!店の有り金をかき集めても、釣り銭が払えんよ…」

傍で見ていたグリムワルドも、あきれ顔で言う。

「…無茶なことしやがる。幾らする宝石だと思ってんだ」

リーシェは笑って言う。

「ラウンデルはああ言ってたが、昨日の迷惑料も込みだとおもってくれ」

店主はリーシェの話に頷く。

「そう言うことなら、これからひと月、アンタの勘定は全て只にしよう。それでよければ、このまま受け取るが、いいかいリーシェ」

リーシェは頷く。

「お父さん、私にちょうだい!」

ミシェルは目を輝かせて言う。

「ば、馬鹿言うなミシェル!この石なら、安く見積もっても二千ギルダーは下らん。危なくてお前になんぞ持たせられん」

ジェットは目を丸くする。

「阿漕な親父だな。二千ギルダーだと?毎日あの宴会やっても、余るんじゃねえか」

リーシェは笑って言う。

「それならなおのこと、暫く金の心配は要らないさ」

リーシェはその小さな袋をポン、と叩く。中でジャラ…と石がぶつかる音がした。

「旅をしていると、現金は重くてね」

「なるほどな」

リーシェは四人全員分の勘定を自分につけるように、ミシェルに言う。

「リーシェ専用の帳面を、作らなくちゃ…」

といいつつ、ミシェルはカウンターの中へ戻っていった。


「どうして、旅をしていたんだ」

宿営への道すがら、グリムワルドはリーシェに尋ねる。

リーシェは黙って自分の耳を指さす。三人ははっとする。

彼の耳たぶの先は、わずかに尖っていた。

「お前、混血(ゲミシュト)だったのか…」

「言われなきゃ、気がつかんよ」

ラーリアは言葉を失う。リーシェは苦笑して尋ねる。

「やっぱり、恐ろしいかい」

「ううん…でも、びっくりした」

リーシェはぽつりぽつりと話し始める。

 

リーシェはエルフと人間のハーフである。通常は、エルフの母親と人間の父親の間に子ができることの方が圧倒的に多いのだが、彼の場合は逆であった。彼の母親は混血(ゲミシュト)の子を産んだことで迫害を受け、北部辺境のある村で幼いリーシェを残し力尽きてしまった。孤児となったリーシェは、ひょんなことからエルフである剣聖ソルフィーに拾われ、我が子同然に育てられた。同時期に、ソルフィーの高弟の一人で、現在は聖十字教国(クルーセイド)の枢機卿である「赤騎士」ことマリュー・ド・アドリアが内弟子としてソルフィーの下におり、リーシェは当時少年であった彼からも、弟のように可愛がられて育った。


それから十五年。


グランドマスターの位を授けられて後も、ヴィシリエンの北方を中心に各地を遍歴しながら腕を磨き、ソルフィーの下に戻ったリーシェに、ソルフィーは適当な国に仕官することを勧めた。幼い日に迫害を受けた記憶はなかなか抜けず、リーシェははじめ仕官を渋った。

東方の大国、ウィルクス王国には、ソルフィーの剣術を直接、または人づてで学んだものがすでにおり、指南役としてリーシェを雇う可能性は高くなかった。

では北方諸国は、というと…多くの魔族を討ち、蛮族を討ち、人々に仇なす大きな青い龍を傷つきながら倒したにもかかわらず、北方の民は混血(ゲミシュト)であるリーシェを恐れ、石もて追ったのである。

さらに北方には既に、ソルフィーの比較的年長の弟子であり、ヴィシリエンで最も尊敬を受ける遍歴騎士でもあるグランドマスター、「銀騎士シュテッケンシュテッケン・ザ・シルバーナイト」ことシュテッケン・スィスティアがいた。北方の諸都市が、この上リーシェを召し抱える…ということも、ソルフィーには想像できなかった。

聖十字教国(クルーセイド)には現在三名いるグランドマスターの中で最強とうたわれるリーシェの兄弟子マリューが仕官している。その為、ソルフィーは何度かリーシェと共に聖十字教国(クルーセイド)に連れて行き、教皇の為、マリューと共に戦ったのだが―――

その度毎に、リーシェは心ならずも大量の敵を殺し、敵の血の海の中で心身ともに深く傷ついた。仕官すれば、その罪悪感と悲しみに苛まれ続けることになる。ソルフィーとしてそれを容認することは、断じてできなかった。

そこでソルフィーはリーシェをエルフィアに送ることにした。

これもソルフィーの弟子であったが、主に南部を遍歴するエルフの騎士であるタズリウムから、ソルフィーはある程度エルフィア王国の内情を掴んでいた。それを考えると、リーシェの仕官はさほど難しいこととは思われなかったのである。渋るリーシェを説き伏せ、無理に紹介状を持たせて、ソルフィーはリーシェをエルフィアに送り出したのであった…

「先生は」

とリーシェは溜息をつく。

「いくつになっても僕を子供扱いする」

グリムワルドは苦笑して言う。

「遅くに取った弟子だしな。いきさつがいきさつだから、我が子のように可愛いんじゃねえか」

リーシェは憮然とする。

「お前も、苦労してんじゃねえか」

グリムワルドは笑ってリーシェの肩をバシバシと叩く。リーシェは笑ってグリムワルドに言う。

「痛いよグリムワルド、手加減頼む」

「おお、こいつは済まねえ」

いつしか四人は宿営に戻って来ていた。リーシェに適当な部屋を選んで、ほんの少しの荷物を部屋に入れると、グリムワルドは自分の部屋から戦斧を取って来て、手入れを始めた。手入れをしながら、グリムワルドはリーシェに尋ねる。

「そいつが有名な『蒼の剣』か」

リーシェは頷く。彼も大剣を取り出し、光を当てて丁寧に刃を調べていく。窓からの陽光を受けて、剣は空の色に輝いていた。

「ブルーメタル」

「ああ」

大剣を調べ終わると、リーシェはもう一振り、腰の剣帯から鞘を外し、片刃の剣を引き抜く。その剣も、空よりも海よりも青い色をしていた。その剣の美しさに言葉を奪われるグリムワルドに、リーシェは言う。

「『蒼の剣』は、この二振りで一対なんだ。」

リーシェはグリムワルドの戦斧を見る。

「そっちのバトルアクスこそ、凄い業物じゃないか」

グリムワルドはにんまりして言う。

「わかるか。お気に入りなんだ」

「見ていいかい」

「ああ」

リーシェはグリムワルドの戦斧をそっとひと撫でする。何事か口の中で唱えたかと見ると、彼の手が淡い光を放つ。その手で注意深く斧を調べていたリーシェが、すっと手を引く。

「魔導大戦の頃に北方で作られた物だね。」

「本当か」

「かなり高度な軽量化の呪文がかけてあるから、実際はもっと重いはず。銘は…」

リーシェは刻まれた紋様をグリムワルドに示す。

「これ、文字なのか?」

「古代語のルーンだよ。『ブラグステアード』って、聞いたことあるだろう」

傭兵たちが争って求める、北方の遺跡から出土したという魔法銀の剣に、多く刻まれている銘である。

「すげえ、これが本物なのか。知らなかったぜ」

「今となっては、この辺の武器屋で売っている魔法銀の『ブラグステアード』や『ローラン』は、そのほとんどがただの魔法銀の剣だ。仮に剣に何らかの魔力を感じたとしても、それはこの斧のように半永久的に効果が残るような高度な魔法がかけられているわけでなく、その辺の雇われ魔導士が魔力をちょっと付与しただけのものがほとんどだ。だいたい、魔導大戦期の作である『ブラグステアード』の剣の銘が、現代の共通語(コモン)で切ってある筈がないだろう」

「それを得意顔で、大金積んで買ってる奴らは―――」

リーシェは苦笑する。

「ありがとう、眼福だった。ブラグステアードに、こんな大きな戦斧の作品があったとは」

「やっぱりお前、唯者じゃないな」

グリムワルドは改めて感心したように言う。

「一応は、『グランドマスター』だからね」

グリムワルドは他にも隊の中に魔法銀の剣を使っている者がいるとリーシェに教えた。リーシェは頷く。

「ある程度は、分かるよ」

「え?」

グリムワルドはまた驚いた。

「当ててみようか?」

リーシェは、ラーリア、ラウンデル、リシャール、ジェットの名を挙げた。

「彼女の剣には、触れたからね。ショートソードだが、立派な『両刃の(ダブル・エッジド)ローラン』だった」

「本物か」

「ああ」

リーシェは言う。

「ちょっとした騎士団の隊長格が持つようないい武器が、この隊にはある。裏を返せば、それだけ武具を見る目がある戦士の集まりだ、ということだ」

「それでお前、この隊に」

リーシェは窓の外を眺めながら言う。

「比較してはこの隊に失礼だが、あの連中よりははるかにマシだと思った」

「違いねえ」


その時。


けたたましいラッパの音が、東門の方角から鳴り響いた。グリムワルドは弾かれるように椅子を立つ。

「行くぜリーシェ」

リーシェは頷くと、背に長剣を、腰にも剣を帯び、宿営を飛び出した。


わずかに五分。あっという間に二百人に近い人数が、D・S隊の宿営前に整列した。

ラウンデルが指令を下す。

「この前よりもやや少ないが、物見の報告では敵は千五百から二千。こちらの全軍に匹敵する。D・S隊は東門を出て左に布陣、各小隊長は指示を」

そしてラウンデルは、リーシェに言う。

「リーシェ、グリムワルドは、本部で俺の傍に」

「グリムワルドは小隊長じゃないのか」

リーシェの言葉に、グリムワルドはにやりと笑って言う。

「ああ。この傭兵団の副長だ」

リーシェは目を丸くする。

「実は偉かったんだな、グリムワルドは」

「ほざけ」

グリムワルドは呵々大笑する。ウィルクス王国の軍勢と、エルフィア王国の軍勢は、オストブルク東門外で、五百歩の距離を隔てて相対した。

エルフィア軍の中央には、ドナン率いる騎士団五百。右翼には、ヴェスタールが率いる装甲歩兵団。これも五百。そして左翼には傭兵が約五百。城壁の上に、パーレヴィが率いる守備隊が二百程残っているものの、現在ある全軍に近い数である。先回の攻撃で受けた損害が、回復できていない状況であった。

ウィルクス軍が整然と前進を開始する。オストブルクの東門に向け、非常に緩やかな上り坂になっているが、徐々に両軍の距離は詰まる。エルフィア軍は全く動かない。距離を百歩ほど詰めて、再度ウィルクス軍は停止した。

「盾構え」

グリムワルドがD・S隊に命令を下す。盾を装備した隊員たちが前に出る。

「来るぞ」

ラウンデルが言う。ウィルクス軍から、弩が一斉に放たれた。予め盾を準備していたD・S隊の損害はほとんど皆無であったが、乗馬していた騎士達の一部が射られて落馬し、混乱する。リーシェは溜息をつく。

「やれやれ…先が思いやられる」

そう言うとリーシェはその場に跪く。何事かを唱え始めるリーシェに、グリムワルドとラウンデルは息をのむ。リーシェの詠唱は完成した。

「グリムワルド、もうこの隊に盾は要らない」

「何をした、リーシェ」

その言葉が終わるか終らないうちに、ウィルクス軍からの二斉射目が放たれる。百程の矢がD・S隊に向けても放たれていた。が、その矢はD・S隊に近づくと、全てあらぬ方向に向かって飛んで行った。味方の被害は一人もない。リーシェは意識を集中している。

精霊魔法、とラウンデルが口にした。その間、ウィルクス軍からは三回、四回…と弩の射撃が行われる。しかし全てD・S隊には当たらなかった。やがて、ウィルクス軍からの射撃が止まる。

リーシェは低い声で続けていた詠唱を止める。

「ウィルクス軍は、矢が乏しくなったようです。もしあるなら、長弓で攻撃すべきです」

「だがこちらもかなり矢がきつくてな」

ラウンデルの表情は険しい。リーシェは再びため息をつく。

「やはり、そうですか」

ウィルクス軍から、堂々たる体躯の騎士が、馬に乗って一人進み出てきた。

長い騎槍(ランス)を構え、エルフィア軍を手招きする。

ラウンデルは腕組みし、じっと戦況を眺めたまま動かない。ややあって、エルフィア軍中央の騎士団から同様の騎士がひとり、同じように騎槍(ランス)を携えて進み出た。

両者は大音声で名乗りを上げる。そして互いに距離を取り、正対すると、互いをめがけて突進した。

ウィルクス軍から、大歓声が上がる。エルフィアから出た騎士は、ひと突きで馬から落とされ、あえなく捕虜になってしまった。

「解せないな」

「何がだりーシェ」

リーシェの言葉に、ラウンデルが問いかける

「どうして一騎打ちに、あんなカスを出すんだい」

「カスは酷いな」

「大方良い騎士を出して負けるのが怖いからだろうよ」

グリムワルドがラウンデルに代わって答える。そんなものかな、とリーシェはうなずきもせずに言う。

「しかしこれでは、受けないよりまずいだろう」

ラウンデルは、前を向いたまま深く頷いた。ことこの一騎打ちに関する采配については、彼もドナンのやり方には不賛成であった。


戦場に、凛とした大音声が響き渡る。

「エルフィア東方騎士団副長、ロストク男爵ヴェスタールである」

騎士達から大歓声が上がる。リーシェは笑って言う。

「はじめから、彼を出しておく方がいいでしょうにね」

「そうだな」

グリムワルドはリーシェの言葉に頷いた。然り、今度はエルフィア方から大歓声が起こる。ヴェスタールは同じようにひと突きで、敵を突き落としていた。リーシェは満足気にその様子を眺めている。

「まあ、奴なら大抵の相手に勝つだろうよ」

「でしょうね」

リーシェの機嫌が少し良くなった。それを見て、グリムワルドは安心したように戦場に目をやる。エルフィアの騎士団はヴェスタールの名を連呼し、鬨の声を上げる。

その時、ウィルクス軍の真ん中に、盾と剣の意匠を凝らした大軍旗が掲げられる。それを見たリーシェの顔色が変わる。いや、リーシェだけではない。グリムワルドとラウンデルも顔色を変える。

「まずい」

「ラウンデル、本陣に急使だ」

リーシェが言う。

「『アルファナイツ』が出てくる。ヴェスタールが危ない」

ラウンデルは動かない。ラウンデル、ともう一度言ったリーシェに、ラウンデルは言う。

「ヴェスタールの側で、引っ込みがつかんだろうよ。それに―――この位置からでは、間に合わん」

リーシェはグリムワルドに言う。

「馬―――できるだけ大きくて速い馬を」

グリムワルドがリーシェを見る。リーシェはグリムワルドに答える。

「ヴェスタール―――彼は、死なせるには惜しい。」

グリムワルドはラウンデルの方を振り返った。ラウンデルが頷く。

「見ているだけでは、飽きただろう。好きに暴れて来い」


先立つこと数分―――

オストブルク郊外、ウィルクス王国本陣―――


一人目の一騎討ちに出た、ウィルクス辺境の騎士「暁のガイヤール」ことガイヤール・ラスネは、エルフィア方の騎士一人を倒したものの、二人目に出てきたエルフィアの東方騎士団副長の前に一撃で敗れ去った。

「…無様な。二つ名を持つ騎士だというのに―――」

床几に腰を掛けた、総大将風の騎士が呟く。側近たちは言葉もない。エルフィア軍の大歓声が風に乗って運ばれてくる。忌々しそうに再び、総大将風の騎士が言う。

「奴を倒し、エルフィア軍を黙らせる騎士は、この中にはおらんのか」

騎士は床几を立ちあがる。彼の表情は明らかに怒気を含んでいた。

「―――俺の馬を引け。俺が相手になってやる」

「マウ様!?」

「いけません、閣下」

周囲の側近たちが彼の腕を取って抑える。

「殿、殿はいやしくもヴィエラ五世陛下の委託を受けたこの方面の総大将。そして、ウィルクス王国宮殿騎士団アルファナイツを統べる総長でいらっしゃいます、ご自重ください」

「貴様は俺が奴に負けるとでもいうのか」

「そうは申しておりません。ただ、戦場では万一ということもございます。連中の中に、一騎打ちをなさる閣下を長弓で狙うものなどおれば―――」

ウィルクス軍の指揮を執っていたのは、側近の言葉通り、ウィルクス宮殿騎士団アルファナイツの総長、マウ・ルフ・ロディールその人であった。ウィルクス王ヴィエラ五世の覚えもめでたく、コーディリア姫の想い人として、将来はヴィエラ五世の後継者にも、と目される、若き重臣であった。彼は数々の戦場で功績をあげ、特にエルフィアや北方との戦で多くの勲を打ち立てていた。剣聖ソルフィーに師事したこともあり、彼自身が極めて優秀な武人であることに加え、若いに似ず知勇のバランスが取れた優秀な指揮官でもあった。その彼をしても、味方が送り出した騎士があっけなく一騎打ちで敗れることは、無条件で容認できることではなかった。

「総長、私が参ります」

「ラルフォンか」

一人の騎士が、重々しく立ち上がった。均整の取れた体つきをした、長身の堂々たる騎士である。おお…と本陣に詰めていた騎士たちの間からどよめきが起こる。

「敵も副長。ならば私が出ても、不足はありますまい」

マウは即座にラルフォンの出陣を許した。

「アルファナイツの軍旗を掲げよ。出る以上は、負けは許さん。一騎打ちを挑む敵は、その方に任せる」

ラルフォンはマウに対し騎士礼を取る。

「はっ。では出陣いたします。」

「武運を祈る」


「ウィルクス王国宮殿騎士団副長次席、ラルフォン・ベヒシュタイン」

ヴェスタールは、自分の前に進み出たウィルクスの騎士が、これまでに対峙した騎士の中で最強クラスであることを肌で感じていた。全身の毛が、恐怖で逆立ちそうになるのが、自分でもわかった。

アルファナイツ。

その名がエルフィア軍兵士に与えるものは、恐怖。そして死、流血。

その一人一人が一騎当千の豪傑であるばかりでなく、軍を率いてもそれぞれが極めて優秀な指揮官たち。まともに戦って、勝てる相手とは思われなかった。

しかし、ヴェスタールはやはり逃げることができなかった。これだけの数の味方が見つめる中で、一騎打ちで敵に背を見せることはこの上ない不名誉である。

敵わぬまでも、せめてひと槍。

ヴェスタールは敵と正対し、どちらからともなく馬を走らせた。

二頭の馬が、馳せちがう。


一瞬ののち、一方の馬上に、乗り手の姿はなかった。


ウィルクス軍の陣から、大歓声が沸き起こった。


馬から落ち、ヴェスタールは背をしたたかに打っていたが、痛みに耐え何とか起き上がろうとする。その喉元に、ラルフォンの長剣の先が突きつけられた。

「命乞いをするなら、聞いてやらんでもないぞ」

ラルフォンは言う。封土や爵位を持つ貴族であれば、身代金を積んで生命をつなぐこともできるだろう。むしろ、戦場で戦う騎士や傭兵たちは、可能であれば敵を殺すのではなく、身代金を得て豊かになることを望む者の方が圧倒的に多かった。しかし、いかに騎士団の副長とはいえ、ヴェスタールにはそれだけの財産があるとはいえなかった。

「残念だったなアルファナイトよ」

「何」

「俺はまだ若く、大身の騎士ではない。俺の為に陛下が高額の身代金を積むことはないだろう」

ラルフォンは頷くと、では死ぬがいい、とだけ言った。そして剣を振り下ろす。ヴェスタールは目を閉じ、一瞬後に来るであろう死を覚悟した。


高い金属音が響いた。ラルフォンが振り下ろした剣は、ヴェスタールが取り落とした騎槍(ランス)に受け止められていた。


「何奴だ!邪魔立てするか!?」

ラルフォンは言うと、長剣を構え直す。

「ウィルクスの騎士、僕が相手になろう」

「推参笑うべし」

ラルフォンはやってきたエルフィア方の兵士をあざ笑うかのように言う。見れば目の前に現れた若者は騎槍(ランス)も携えず、どうやら騎士ではないらしかった。

「逃げるのか」

リーシェはラルフォンに言う。

「こんな若造ひとりを、怖がるのか、アルファナイト」

そこまで挑発されて、流石にラルフォンの足が止まった。

「生意気な若造めが」

「おや、ちょっとはやる気になったかい。槍でも剣でも、どっちでも相手になるよ」

「ほざけ!」

ラルフォンは持っていた長剣でリーシェに一撃を加える。危ない危ない、といいながら笑顔でリーシェはそれを避ける。

「なるほど結構鋭い。さすがは次席とはいえ、アルファナイツの副長の一人だな」

「首が飛んでから、後悔するな」

ラルフォンはリーシェに向き直ると、剣を構えなおした。

「貴様の名は要らん。死ぬものの名など、必要ないからな」

「強気だねえ。…じゃ、僕も名乗らないよ、ラルフォン・ベヒシュタイン」

リーシェは持っていたランスを後ろに投げ捨てると、ヴェスタールに言う。

「申し訳ないが、この一騎討は僕がいただくよ、ヴェスタール」

「礼は言わんぞ」

ヴェスタールはどうにか立ち上がると、槍を拾って自分の馬に跨った。彼が騎士団の本陣に向かったことを確認すると、リーシェは背の鞘から剣を引き抜く。

その剣を見て、ラルフォンはあっ!と声をあげた。

リーシェはここまで抑えていた剣気を全て解放する。

彼の剣から、脈を打つように蒼い光の波動が溢れ出ていた。


ラルフォンの顔色が蒼白になる。


ヴィシリエンに住まう戦士達にとって、敵として戦ってはいけない武人が何名かいる.

眼前の蒼い大剣を構えた剣士は紛れもなくそのうちの一人。

剣聖ソルフィーの弟子、「蒼のリーシェ」であった。


「僕が誰だか、どうやら分かったようだね」

揶揄するようにリーシェは言う。


マウは凄まじい剣気を感じて、陣幕の外に飛び出した。妖しい蒼色の光の糸が、規則正しく脈を打つように伸縮している。とんでもなく、空気が重く感じる。

これはいかん。マウは即座に事態を悟った。

「引き鉦を打たせろ。ありったけの力で打つのだ!」

すぐにウィルクス王国の陣で、退却を命じる鉦が連打された。それも尋常の速さではない。

若い騎士が、マウに尋ねる。

「副長殿を、退かせるのですか?!」

「馬鹿者!」

マウは質問した若い騎士に叱責を浴びせた。

「あれを見て何も感じないのか?奴は、ヴィシリエン全土に三名しかいない、『グランドマスター』の一人、『蒼のリーシェ』だぞ!」

蒼のリーシェ。

その名に、ウィルクスの陣がざわつく。「魔落とし」「龍殺し(ドラゴン・スレイヤー)」など、口々に呟く。」

マウは自分の旗本に命じた。

「俺が出る。ラルフォンを何とか救い、そのまま全軍退却だ」

「退却!?」

マウは馬に飛び乗りつつ叫ぶ。

「五百や千で、グランドマスターを止めることはできん!フィルカス将軍の応援なしでは、無理だ!」

マウは先頭に立ち、矢のようにラルフォンのところに向かう。五十名程のマウの旗本が、一糸乱れずについて走る。

間に合ってくれ。

マウは必死で祈りながら馬を走らせた。


対峙する二人の姿がどんどん大きくなっていく。

あと少し!という所で、ラルフォンが奇声を上げ、リーシェに斬りかかった。

「ダメだラルフォン!やめろ!!」

ラルフォンの剣が、リーシェを両断した…!

…と見えたその時、まるで幻のようにリーシェの姿が平行移動する。


ラルフォンの左腕は、肩口から失われていた。

腕の付け根から、まるで噴水のように鮮血がしぶいた。


幻影斬ファントム・スラッシュ


まるでスローモーションでも見るかの如く、ゆっくりとラルフォンがその場に倒れ伏す。

リーシェは大剣についた血を一振りでふるい落とすと、剣を背の鞘に戻す。彼は徒歩で、やってきたウィルクスの騎士たちに正対した。


「お久しぶりです、マウ師兄」

「エルフィアに、仕えたのか」

マウはやっとそれだけ言った。リーシェは既に剣気を収めている。しかし、彼の技を目の当たりにしたウィルクスの騎士達にとっては、あまりに大きいその落差こそが恐怖であった。誰よりも、目の前の若者の恐ろしさは、一時期修行を共にしたマウ自身がもっともよく知っている。リーシェ・フランシスの持つ数々の秘剣の一つ、幻影斬ファントム・スラッシュを彼が見るのはほぼ十年ぶりであった。

「正確には、エルフィア王に仕えたのではありません」

いつの間にか、リーシェの後ろに、二百程の傭兵たちが陣を敷いていた。ラウンデルが前に進み出る。

「ロディール卿」

とラウンデルはマウに呼びかける。

「…また貴殿か、ラウンデル」

マウはラウンデルの姿を見て、事の推移を悟った。

「そうか、傭兵に」

リーシェは頷くと、マウに問いかける。

「どうします。続けますか、この戦」

「続ける、といったら」

リーシェは再び剣気を解放する。周囲にいた両陣営の騎士達や傭兵たちが、思わず後ずさりする。騎士を乗せた馬の中にも、おびえて暴れるものがあった。

「師兄、貴方を斬る」

リーシェは刀に手もかけていない。

恐怖にわななく膝をひと殴りして、若いウィルクスの騎士がリーシェに突撃した。

「無礼者め!これでも喰らえ!」

「止せ、コーンウェル!」

マウは突撃した若い騎士を制止しようとするが、間に合わない。長い騎槍(ランス)を構え、騎士はリーシェを一突きしようとする。間合いが全く互角ではない。騎士の槍がリーシェの喉を捕えようとしたその時、またしてもそれはリーシェの影をすり抜ける。

「うわっ、わあっ」

コーンウェル、と呼ばれた騎士の乗っていた馬が、縦に真っ二つに断ち切られて崩れ落ちる。コーンウェルは地面に落ち、もがいているところをD・S隊の面々に取り押さえられてしまった。

衝撃斬(ソニック・ブレイド)

衝撃波を作りだし、それを使って敵を攻撃する技である。

「やれやれ…師兄の言葉を、無視する者もいるようですね。捕虜にしていいですか」

「ラルフォンは返してほしい」

リーシェはラウンデルを見る。ラウンデルは頷いた。

「良いでしょう。手当すれば、まだ命は助かるかも」

リーシェは条件を出す。

「ラルフォン殿と、こちらで最初に戦った騎士の身柄を交換でお願いします。コーンウェル殿の身代金は、後程ご請求いたします」

「ではそれで。我々は退却する」

リーシェは再び剣気を収める。

「お見事です、マウ師兄」

マウは馬首を返す。

「お前がここにいては、オストブルクは落ちん。此度は我々の負けだ」

リーシェはマウに一礼する。

「師兄は真の名将です」

マウの表情は蒼白であった。

「また会うだろう、リーシェ」 

「ええ。楽しみにしております」

全軍後退!とマウが声をかける。整然と、ウィルクス軍は後退していく。壊乱でも、敗走でもなく…

その様子をエルフィア軍は眺めていた。

「ラウンデル、ドナンから軍使だ」

グリムワルドが言う。

「今日の戦の勝鬨は、D・S隊に、とのことだ」

グリムワルドは続けて言う。

「珍しいじゃねえか、奴らが譲ってくれるなんてよ」

ラウンデルは静かに言う。

「我々に、じゃない」

「?」

ラウンデルはリーシェの肩を叩く。

「アルファナイツの総長を戦わずして退かせた、グランド・マスターに敬意を表したのさ」

リーシェはグリムワルドに言う。

「任せるよ、副長」

「じゃ行くぜ!」

グリムワルドが鬨の声を上げる。D・S隊の全員が唱和する。それにエルフィアの全軍が唱和する形で、鬨の声が響き渡っていった。

――――――――――――――――――――――――


同日夕刻―――

オストブルク、三番街 居酒屋「アルキュイ」―――


D・S隊の面々は、いつもと同じようにアルキュイで酒を飲んでいた。

前日までと違うことが、一つあった。


ラウンデル、リシャール、ジェット、ラーリア、グリムワルドらの隊長格は、いつもと同じく店の中央のテーブルに座って思い思いに酒や食べ物を詰め込んでいた。

その傍で、リーシェが静かにリュートを奏でていた。


いつもの喧騒はなく、皆静かに、静かにリーシェの奏でる音楽に耳を傾けていた。



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