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蒼の剣士 ~ fantasy ~  作者: 紅の豚丼
16/53

歌姫

(16)


エルフィア王国、王都ヴィサン…


新しい年が始まった。

グロワール宮殿では、年賀の挨拶をするために、多くの貴族や騎士たちが国王トーラスⅢ世のもとを訪れていた。年に数度しか王都に顔を出さない諸侯も、この年賀の挨拶と新年の宴には顔を見せることが多かった。

リシャールは一月一日に、近衛騎士団屯所で近衛騎士の総見を行い、新年の礼拝を行った後、手合せ始めを行った。指南役であるリーシェは欠席であったが、第一中隊の奮戦はそれを補って余りあるものであった。最後はラーリアがグリムワルドに敗れ、準優勝であったものの、第一中隊は負けてなお強し、を印象付けた。ヴェスタールは最後の最後にラスカー卿を倒し、最弱の隊となることを免れた。第四中隊の騎士たちは感涙にむせび、第二中隊は新年早々お通夜のような雰囲気に包まれた。


「油断いたしました…」

ラスカーは王の前で項垂れる。

「そち程の使い手が率いる隊が、よもや最下位となろうとは―――」

グリムワルドの優勝に、アルトワ大公は目尻が下がりっぱなしである。出会う貴族皆から祝福され、大公のご機嫌はすこぶる良かった。マリエルはグリムワルドにぴったり寄り添って、幸せいっぱいの愛らしい笑顔を振りまいていた。

「ご機嫌斜めだね、ラーリア」

「リシャール、姫様」

シャルロットはラーリアを慰める。

「惜しかったわ、ラーリア」

ラーリアはシャルロットの慰めに首を横に振る。

「―――アタシ、もっと修行しなきゃ。あの(ヒグマ)、次に当たったらぎったんぎったんにしてやるんだから!」

新年を祝う晩餐会の会場前では、食前酒が振る舞われ、騎士たちは皆正式な儀礼服を身にまとっていた。女たちは美しいドレスを身に着け、様々な宝飾品で身を飾っていた。

会場が歓声に包まれる。

「武術指南役エッシェントゥルフ侯リーシェ様、ご入朝でございます」

王がおお、と喜びの声を上げて玉座を立つ。入口で多くの貴族たちとにこやかに挨拶を交し、近衛騎士達や諸侯の護衛士たちと騎士礼を交し、純白に金糸で龍の紋章を刺繍された近衛騎士の儀礼服を一部の隙もなく着こなし、腰の長刀だけを帯びて、リーシェは王の前に進み出た。

「陛下、ご挨拶が遅くなりまして申し訳ございません」

「この雪の中を、よくぞ…」

王は玉座を下り、リーシェの手を取る。

「新年あけましておめでとうございます、陛下。本年もお健やかにお過ごしになりますことを、臣は心よりお祈り申し上げます」

「ブラウエンブルクは本当によくおさまっておる様じゃ。そなたの努力、余の耳にも届いておる。必ずや、必ずや報われるであろう。」

王はリーシェの手を取ったまま立たせると、彼の手にも食前酒のグラスを渡す。恐縮するリーシェに、リシャールとシャルロット姫が歩み寄る。

「両殿下には、ご機嫌麗しく」

「侯爵様、昨年は本当にありがとうございました。本年も夫を助けてやって下さいませ」

「ご安心ください殿下、私の命に代えましても」

リシャールとリーシェは抱擁する。

「俺たちの間で、堅苦しい礼など不要だというのに」

「公式の場では、形式が重要なのです、皇太子殿下」

リーシェは茶目っ気たっぷりに言う。仕方なくリシャールは、リーシェに従う。

「指南役殿、本年も近衛騎士団をご指導ください」

「団長閣下の仰せのままに」

リーシェは美しい騎士礼をリシャールにとる。居合わせた近衛騎士達が皆、リーシェ同様リシャールに礼をする。

「さ、皆の者、新年の祝いじゃ!」

宮中の大広間で晩餐会が始まった。食事の間は沢山の暖炉で暖められ、ずらりと並べられたテーブルに席が設けられていた。その席順は十五朝の一つ、典礼卿ヨッフェンハイム侯爵が割り振ったものであった。

「なんと、俺がこんなに上座にいていいものか」

グリムワルドの驚きも無理はない。彼の席は宮宰コーディアス大公と向かい合わせ、アルトワ大公と妻マリエルの間であった。コーディアス大公がグリムワルドに説明する。

「アルトワ公、あなたももはやリューク十五朝の一員であられる。アルトワ公爵家はこの国の貴族では最上位の家格ゆえ、陛下のお側にあることが当然じゃ」

「ありがとうございます、宮宰閣下」

王はグリムワルドに言う。

「グリムワルド殿は一騎当千の豪傑ながら、こうしたことに関しては非常に素直じゃな」

マリエルはにっこりして言う。

「仰せの通りですわ、陛下」

リューク十五朝の中でも、家格を下げられた家の当主たちに代わって、最上位のテーブルに並んだのはソシエール公爵であった。また、王位継承権が無い貴族の中でも、上位の貴族たちは、王の近くのテーブルに配されていた。そのうちの一人が、リーシェであった。リーシェのテーブルには、パリス侯爵夫妻とその娘ユージェニー、リヒテンヴァルト侯爵夫妻とその息子と娘、リュッツエン子爵婦人など。そしてリーシェの隣にはアルマノック男爵夫人ラーリアが配置されていた。

「武名名高い指南役殿との同席、光栄の至りです」

パリス侯爵はリーシェに丁重に礼をする。

「副官のアルマノック男爵夫人も、初手合わせの準優勝おめでとうございます」

「ありがとうございます、侯爵様」

ユージェニーはラーリアをまぶしそうに見る。

男爵夫人(バロネス)はお美しいのに、なぜあんなにお強いのですか」

「東方で、多くの戦いを潜り抜ける中で、技や力を磨いたことが大きかったのかしらね」

リヒテンヴァルト侯爵はそれを聞いて息子に言い聞かせる。

「トーマス、そなたも体を鍛え、技を磨いて、お国の為に勇気を見せるのだ。近衛騎士団の騎士たちは、皆敬虔で誠実、そして勇気があり強さを兼ね備えているぞ」

「エッシェントゥルフ侯爵閣下、私も、いつか近衛騎士団に入れるように、一生懸命修行いたします」

「光栄です。お待ちいたしております」

「リーシェ、修行にいらしていただいたら?」

ラーリアの言葉に、リーシェは答えて言う。

「それもいいだろうけれど、いきなり近衛騎士団の修行は大変だから、僕が一度リヒテンヴァルト侯爵閣下の護衛士隊に出稽古に寄せていただくのがいいと思う。そこに、トーマス様にご参加いただけばいい」

「光栄です」

トーマスは顔を輝かせる。近衛騎士団に所属することが、既に王国の騎士の中で選ばれたエリートであることの証になりつつある様子に、リーシェはラーリアと顔を見合わせて満足げに頷く。

「油断なく修行をせねばならぬぞ。近衛騎士には、文武両道、優れた人格を持たないとなれぬからな」

リヒテンヴァルト侯爵がそう言うと、夫人が相槌を打つ。

「どちらかというと、トーマスは武術の腕の方が心配ですわ」

「母上は心配しすぎです」

トーマスの言葉に、皆が笑う。

晩餐会は落ち着いた中にも華やいだ雰囲気で、何処のテーブルでも和やかな会話が聞かれた。舞踏会は1月5日に行われる予定になっていたため、新年の晩餐会では行われない。また、旅の芸人や楽人などが宴に華を添えていた。冬の間旅をすることが難しい旅芸人達にとって、宮廷での芸の披露は大切な収入源の一つであった。披露する芸能によっては、大人数の前で披露しづらいものもあるため、食事の後は様々な芸能のサロンが設けられ、客は好きなものを楽しむことができるようになっていた。

食事を終えたリーシェは、近衛騎士達の挨拶を受けていたが、小姓が二人近づいて、リーシェに言う。

「お話中申し訳ございません。エッシェントゥルフ侯爵様」

「何事ですか」

王の小姓はリーシェに、両陛下、両殿下、アルトワ大公・公爵ご夫妻、並びにソシエール公爵、アルマノック男爵夫人が、彼を呼んでいるとの言葉を伝えた。

「済まぬ、ランスロット、ベルンハルト」

「いえ、お急ぎください閣下」

「皆様首を長くしてお待ちでございましょう」

ランスロットとベルンハルトは笑って言う。お早く、と小姓に急き立てられ、リーシェは王の陣取るサロンへの廊下を急いだ。

多くの芸能の催されるサロンがそれぞれ賑わいを見せ、中央の部屋に料理や酒が用意されていて、そこにも多くの客が姿を見せていた。小姓は振り返り振り返りしながら急ぎ足で歩く。宮中を走ることは禁じられているのだが、それにしても早い。小姓は一際多くの客が訪れ、空いた扉からのぞいている客もいる、最も奥のサロンに到着した。

「陛下、エッシェントゥルフ侯爵リーシェ様をお連れいたしました」

部屋の中から小さなどよめきが起こり、人垣が二つに割れてリーシェをサロンに迎え入れる。サロンの中央の豪華なソファセットに、王・王妃、アルトワ大公、リシャールとシャルロット、グリムワルドとマリエル、ソシエール公爵とラーリアの九人が座っていた。

「おお、やっと来たのかリーシェ」

王は立ち上がり、リーシェを自分の側に招く。リーシェはそのソファの末席に座ろうとしたが、王がそれを遮って言う。

「そんな端っこではろくに話も出来ぬ。四か月ぶりに姿を見せたというのに、もっと余の側に来ぬか」

リーシェは言われるままに王の側に小さな椅子を寄せる。ソシエール公爵がリーシェにグラスを渡す。彼の好む、聖十字教国(クルーセイド)産の銘柄の林檎酒(カルヴァドス)であった―――但し、リーシェの表情に微かな驚きが走る。ソシエール公爵がニヤリと笑う。

「そなたが好きだと聞いたのでな、ソシエール公爵に取り寄せさせたのじゃ」

王も悪戯っぽく笑う。市場に滅多に出回らない、最高級の林檎酒(カルヴァドス)であった。

「私などの為に勿体ない、ありがたき幸せでございます」

「好きな物で釣らないと、リーシェは来てくれないから」

ラーリアは快活に笑う。サロンの雰囲気が一気に明るく和む。ソシエール公爵が口を開く。

「旅芸人たちの音楽も芸も素晴らしいが、王都にも素晴らしい楽人たちがおります。今夜はヴィサンに名高い歌姫を招いておりますので、皆様お楽しみください」

宮廷付きの女官に誘われて、サロンの真ん中に、銀色に輝くリュートを手にしたリリーが進み出た。客の中にはリリーの店「リリーズ」の常連や、お忍びで通う貴族たちも多く、大きな拍手が沸き起こった。リリーは美しいセルリアン・ブルーのイブニングドレスに身を包み、長く美しい金髪を高く結い上げていた。リリーは王のいる中央のテーブルの側に歩み寄り、優雅に一礼する。

「陛下、今宵はお招きいただきまして誠にありがとうございます」

その美しさに、居並ぶ男性客からは嘆息が漏れた。

「噂はソシエール公爵や男爵夫人(バロネス)から伺っておるぞ」

王は目を細めて言う。

「しかし、本当に美しい。ここまでとは―――」

ラーリアは王に言う。

「はい陛下、私も彼女の店には沢山通いましたが、今宵の彼女がこれまでで最も美しいですわ」

「ありがとうございます、男爵夫人(バロネス)

ラーリアは苦笑して言う。

「いいのよ、私とあなたの仲だもの。いつものように、歌を聞かせて」

「では」

リリーは中央の椅子に腰を下ろし、長い足を組むとリュートを乗せる。ポロポロ…と弦の調子を合わせると、小夜曲(セレナーデ)を一曲弾き始めた。

恐らくは、美しい白銀に輝くそのリュートは、魔法大戦期に作られた逸品、「グアダラーニ」。彼女の手にかかるとリュートがひとりで歌っているようであった。深々と静かに降る雪の中、彼女の爪弾くリュートから放たれる音の一つ一つは、深藍の夜空から落ちて来る星屑のように煌めいていた。

あっという間に。そう言うほかはなかった。彼女のリュートの素晴らしさに、皆魂を抜かれてしまったかのように呆けていた。

拍手をする間も与えず、彼女は歌いはじめる。


今夜もあなたは帰らない

私でない誰かの側で

私でない誰かを抱いて眠る


今夜もあなたは帰らない

私でない誰かを愛し

私でない誰かに口づけする


世の中うまく行かないもの

やって来る男は皆誰も

私に優しいけれど


一番優しくしてほしい人は

今夜も私の側にいない


今夜もあなたは帰らない

私でない誰かに抱かれ

私でない誰かの愛を受ける


今夜もあなたは帰らない

私でない誰かを見つめ

私でない誰かに見つめられる


世の中うまく行かないもの

寄って来る男は皆誰も

私を求めるけれど


求めてほしいあなたは

今夜も私の側にいない


一番側にいてほしいひとは

私のものではない 今夜も…


一曲歌い終え、彼女は立ち上がって優雅に一礼する。割れんばかりの拍手と、賞賛の声がサロンを満たす。アルトワ大公が王に言う。

「陛下、我がエルフィアにこのように若く、見事な歌い手がおるとは、寡聞にして聞いたことがございませんでした」

「大公のおっしゃる通りじゃ。ソシエール公爵、アルマノック男爵夫人、よくぞこんなに素晴らしい歌い手を見出したものじゃ」

「畏れながら陛下」

ソシエール公爵は恭しく王に言う。

「私を『リリーズ』に招待してくれたのは、エッシェントゥルフ侯爵でございます」

「なんと、リーシェ」

リーシェは赤面して顔を伏せる。悪戯っぽくソシエール公爵が言う。

「リーシェ、やはり君がいるといないで、リリーの歌は天と地ほども違うよ」

「アーク様もお人が悪い」

王は不満げにリーシェに言う。

「そなたこそ人が悪いぞリーシェ。アルクタス(と、王はソシエール公爵を指さして)は彼女の店に招待したのに、余を連れて行ってくれぬとは」

「そうですわ、リーシェ」

王妃も言う。

「オストブルクでは、あの店でそなたも見事な歌を聴かせてくれたでしょう。私も彼女の店に行きたく思いますわ、あなた」

リリーは椅子に腰を落ち着けて、リュートをポロ、ポロ、と爪弾きながら語り始める。


では、私とリーシェ様、そして男爵夫人(バロネス)ラーリア様がどのようにして出会ったのか、お話することにいたしましょう。暫しの間、私の問わず語りにお付き合いください…


リリーはいつも店で曲の間にそうするように、リュートでBGMを奏でながら語り始めた。

グラン・マルクト広場の一角に、家族で切り盛りする彼女の店があること。いつもお客様がたくさん来てくれて、忙しく幸せな毎日を送っていたこと。

高名なヴィシリエン最強の剣士、アルウェン・レオンハルト・ソルフィー様がヴィサンに来る度に、必ず寄ってくれたこと。幼い自分を抱いて、頭を撫でてくれたこと。

四年ほど前から、店のステージで歌い始めたこと。

しかし、いくつかの諸侯の護衛士たちが店に出入りするようになってから、乱暴に言い寄って来る護衛士が出始めたこと。護衛士たちがつけで酒を飲み、踏み倒されたこと。泣き寝入りするしかなかったこと。中でも、いくつかの家の若殿たちから、愛人になることを強要されたこと。必死でそれを断り続けたこと。その日も、名を言うのも憚られる謀反人エルサール家の、ルイ・エルサールに言い寄られ、店から逃げ出したものの、二十名の護衛士に囲まれたこと―――

彼女はそこでいったんリュートを弾く手を止める。

サロンは静まり返り、息をひそめて彼女の次の言葉を待つ。

「―――そんな時、私のもとに救いが遣わされたのです」


走れば疾風(かぜ) 撃てば斗波

囲む護衛士次々に 徒手で打たれ倒れ伏し

蹴り伏せられて逃げ散りぬ


抜き放つはその名高き 二振りの蒼の剣

目にせし者恐れ慄き 震えあがり許し乞う

彼のひとは言う…


リリーはそこで再びリュートを弾く手を止め、リーシェをじっと見つめた。

その時のことを思い出すように、彼女は言った。

「…覚えておきたまえ、エルサール家の御曹司。王都の民に無体なことをするものを、近衛騎士団は決して許しはしない。次に同じことをしたら、一人残らず根切にする…」


彼女が真似して語った口調は、まさにリーシェの言葉そのものであった。居並ぶ聴衆から、大きな拍手と歓声が起こる。当のリーシェ本人はというと、あまりのことに真っ赤になって、背を丸めて小さくなっていた。

リリーは再び明るい曲調の静かなBGMを爪弾きながら言う。

「…その日からなのです。私の店で、皆様が安心してお酒を召し上がり、私の歌を安心してお聴きになることができるようになったのは…」

語り終えたリリーに、ラーリアが立ち上がり、声をかける。

「リリー」

リリーはラーリアのその一言で彼女と目を合わせる。一瞬、二人が見つめあう。

「歌って」

「そうだリリー、歌え!」

ソシエール公爵も力強く言う。リリーは二人に大きく頷いた。


彼女はポロポロ…と弦の調子を再び合わせ、一番高い音の弦をピン!…と弾いて、音の反響を確める。そして、暫く目を閉じて息を整えると、意を決したように蒼く澄んだ目を開いて、静かにリュートを爪弾きながら歌い始めた。


北の国 火の山 蒼き龍が棲み

街を焼き 人を焼き 全て喰らい尽す

滅びんとするその時に―――

蒼き両刀携えて

一人の剣士来たりけり

蒼の剣士が来たりけり―――


サロンにいたすべての客の目が、その瞬間リーシェに注がれる。しかし、彼の瞳はリリーに吸い込まれるように釘づけにされていた。

彼の脳裏に、北方での日々がありありと浮かぶ。

青龍(ブルー・ドラゴン)との死闘が、目の前のことのように思い出される。

多くの人々を吐息で焼き殺した龍を、傷つきながらも見事に倒したこと。

それでありながら、混血(ゲミシュト)であるが故、北方でその力を恐れられ、安住の地を見つけられず、さすらう他なかった悲しみ…

何時しかリーシェは瞳を閉じ、彼女の歌に聴き入っていた。彼の閉じられた瞳から、一筋の涙が流れて落ちた。

民を救ったにもかかわらず、その力故畏れられ、石もて追われる蒼の剣士。

聴衆の中からすすり泣きが聞こえた。シャルロット姫も、リシャールに寄りかかり、涙を流していた。

彼女はいつものように静かに歌い終えた。ラーリアとソシエール公爵が、ソファから立ち上がり、拍手を送る。

「見事…。見事だ、リリー!」

ラーリアの両目からは、涙が溢れていた。リリーは歌い終え、立ち上がって一礼する。椅子に座っていた聴衆は、総立ちになり彼女に拍手を送っていた。しかしリリーの瞳に、涙はなかった。彼女は満足気に大きく深呼吸して、再び椅子に座を占める。みな急いで席に座った。

彼女はいつものように、サラサラ…とリュートをかき鳴らし、いつも店で歌うように、誰でも知っている恋の歌を一曲歌った。それが彼女のステージの終わりを告げることを、店の常連ならば今や誰でも知っていた。


私の大好きなあなた

たとえ会えない日も

いつも大好きなあなた

とても優しいあなた

私の我儘をいつも

許してくれるあなた

あなたは私の全て

他に何もいらない

欲しいのはあなただけ

欲しいのは―――

あなた だけ


「皆様、お時間を頂戴いたしましてありがとうございました」

万雷の拍手の中、リリーは立ち上がり、深々とお辞儀をする。客は総立ちになっていた。

彼女が下がったステージには、聴衆から文字通り金貨の雨が降った。とんでもない枚数である。

「いや、素晴らしい!」

王はリリーをテーブルに招く。リリーは王のテーブルの傍まで来ると、絨毯の上に跪いて頭を下げる。

「ヴィサンでこれまで幾度こうした宴を開いたかわからぬが―――ここまでの歌を聴かせてもらったのは余の記憶にない。」

王妃も王の言葉に頷く。シャルロット姫も、まだ涙を流している。多くの聴衆が王のテーブルを取り囲み、口々にリリーを賞賛する。

「望みの物を褒美に取らせたく思う。何でも、遠慮なく申してみよ」

その言葉に、リリーは震えながら王を見上げた。

「何でも…で、ございますか…?本当に…?」

サロンからざわめきが起こる。王は鷹揚に言い切った。

「これだけの歌を聴いたのだ、何を物惜しみする必要が―――」

リリーは首を横に振る。

「欲しいものがございます…陛下、欲しいものがございます」

「何じゃ、申してみよ」

リリーは王を見上げて言う。

「陛下…『蒼のリーシェ』を…『蒼のリーシェ』を…今宵一夜、どうぞ私に賜りませ…後生でございます!」

おお…!

サロンを驚きのざわめきが満たす。リリーの両目からは、涙が流れていた。

王はリーシェを見た。リーシェは赤面して俯き、顔を上げられずにいた。

王妃がリーシェに言う。

「―――エッシェントゥルフ侯、王妃たる私、ロザムンデ・リュークの名において命じます。この美しく素晴らしい歌姫の望みを、叶えてやりなさい」

「王妃よ、リーシェを物のように―――」

「あなたは黙っていてください」

止めようとした王に、王妃はぴしゃりと言った。

彼女はリリーに向き直り、言う。

「エッシェントゥルフ侯爵には、あなたもご存じの、彼の師である剣聖様がお決めになられた許嫁がおいでです。」

「存じております、王妃様。その上で、お願い申し上げます」

リリーは王妃を涙にぬれた瞳で見上げて、そう答える。

王妃はリーシェに向き直ると、言う。

「この素晴らしい歌に、今宵一晩では引き合いませぬ。そなたは一月四日まで、グロワール宮殿への出仕まかりならぬ。あなたの時を丸二日、この美しい歌姫リリーにお与えなさい」

リーシェは王妃の顔を見上げる。彼は首まで真っ赤になっていた。

「―――ヴィサン一の歌姫を、慰み者に…それでは、私が退治した狗と同じでございます」

王妃は首を横に振る。

「違いますよ、リーシェ。あなたが領地に下がってから四か月…あなたを慕う娘にとって、それがいかに長い時間か、あなたは仕事に没頭し、気付かなかったのでしょう。それはブラウエンブルクの民にとってはこの上なく幸せなことですが…。彼女自身がそれを望む以上、話は全く別です。あれだけの彼女の歌に、少しでもご褒美をあげよう、とは思わないのですか?」

リーシェは王妃の言葉に、観念したように首を垂れる。

「王妃様の仰せのままに」

「よくぞ申しました、リーシェ・フランシス、それでこそ『蒼の剣士』」

王妃に手を取られ、立ち上がった二人を、ラーリアとソシエール公爵が挟んでソファに座らせる。王と王妃、アルトワ大公一家、リシャールとシャルロット姫を交えて、再び楽しい会話が始まった。

「素晴らしい音楽を聴いたら、なんだか腹が減ったぞ。軽食を、酒もじゃ!」

王の言葉に、待ち構えていたようにウェイターやメイドたちが銀の皿を手に入って来る。


王のサロンにはその後は楽人たちは入ってこなかった。酒と軽食を楽しむ貴族達も、夜が深まるにつれ少しずつ自らの上屋敷や王宮であてがわれた寝室に引き取っていった。

しかし、王のサロンではバレスティア産のワインの栓が抜かれ、暖炉の火が絶えることはなかった。リーシェの左腕を抱き、彼の横顔を幸せそうに見つめるリリーと、はにかみながら常と変わらず林檎酒(カルヴァドス)を口にするリーシェを見ながら、ラーリアはソシエール公爵に言う。

「今回のことで思ったんだけど、アーク、アンタいい人だね」

ソシエール公爵はラーリアと乾杯しながら言う。

「なんだ、やっとわかったのか?」

「いつも、いろんな悪いことたくらんでいそうだったからさ」

ソシエール公爵はラーリアに言う。

「きついな。だが君も、優しいし魅力的だ」

彼はラーリアに言う。

「どうだろう…この際、私の妻になってはくれないだろうか」

「はあ…?」

ラーリアはにわかに返事をしかねる。リーシェに寄りかかって甘えていたリリーも、びっくりして身を起こす。

「本気?こんな成り上がりの、傭兵上がりの、あばずれ女のどこがいいの?」

ソシエール公爵は真顔で言う。

「十五朝を含め、宮廷で寄って来る令嬢達は、みな頭が卵で出来たお人形さんのようで、私は魅力を感じない。しかし、君はいつも生き生きしている。物事にとらわれず、本質を見ている。私にはない、強さを持っている。快活だし明るいし、優しいし美しい」

ラーリアはソシエール公爵を見る。

「アタシがリーシェのこと好きなの、知ってて言ってる?」

「勿論だ」

ソシエール公爵は即答する。

「じゃあどうして」

その問いに、ソシエール公爵は会心の笑みを浮かべながら言う。

「―――世の中には、絶対に手に入らないものがある。だから、面白いんだ」

ラーリアはその言葉に、ソシエール公爵を見る。

「その意味で、私たちは似た者同士だし、同じ思いを共有できるだろう。そう思ってね」

ラーリアはリーシェを見る。リーシェはにっこり笑って頷いた。

「変わり者だと思ったけれど」

ラーリアは頷く。

「アタシの条件を飲んでくれれば、OKするよ」

「条件とは?」

ラーリアは一息ついて、答える。

「アンタと結婚するのは、リーシェが許嫁と結婚してから。それでよければ」

ソシエール公爵は頷くと、王の前に跪く。

「陛下、私ソシエール公爵アルクタス、婚約することにいたしました」

王は呆れた表情で言う。

「いやはや、そなたには本当に驚かされるの」

王妃は苦笑して言う。

「でも、お似合いの夫婦になるかもしれませんよ。どうやらリリーの件は、二人が筋書きを書いた様ですわ。そうでしょう、公爵」

「御意」

ソシエール公爵は頷いた。リーシェが苦笑して言う。

「だからアーク様は、恐ろしいと申し上げたのです」

「どうか怒らないでくれリーシェ。リリーが毎日嘆くのを、見ていられなくてな」

「顔で笑って、心で泣いてたものね」

ラーリアはリリーの手を取って言う。

「歌を聴いてれば、分かるのよ、そんなことは」

リリーはラーリアに抱き付いて言う。

「ありがとうございます」

「何言ってるの、お礼なんていいのよリリー」

「でもありがとう…ラーリア」

リーシェは再び側にやって来たリリーから、銀色のリュートを受け取る。

彼の見立てに違わず、リュートには古代語(ルーン)が刻まれていた。

「『グアダラーニ』…。懐かしい」

グリムワルドが言う。

「よう、何か弾いてくれ、リーシェ」

リーシェは苦笑する。

「彼女の後に弾く曲を、僕は持ってない。耳汚しだよ」

グリムワルドは首を横に振る。

「東方での俺の思い出を…マリエルと義親父殿(オヤジどの)にも、聞かせてやりたい」

彼はマリエルに言う。

「『楡亭』は料理は旨いが、音楽はないからな」

「そうですわね。リーシェ様、私からもお願いしますわ」

リーシェは頷くと、弦を合わせ始めた。そして、リリーがしたように、最後に小さく一番高い弦を弾く。天井まで届くような、水晶が震えるような響きが、部屋を満たす。

リーシェは長い足をソファで組み、その上にリュートを乗せると、静かに弾き始めた。


千金を動かす大富豪も

万乗の王侯貴族も

美しい娘たちの

恋の病は治せない


恋の病の薬は三つ

愛しい人の口づけと

旨酒佳肴 耳に歌

恋の病の薬は三つ


「見事じゃ」

アルトワ大公はリーシェに言葉を与える。

「そなた、本職の吟遊詩人(トルヴァトーレ)もかくや、という歌い手じゃな」

「恐れ入ります、リリーの後ではお耳汚しでしたでしょう」

その言葉には、マリエルが答える。

「リーシェ様を先に見初めておりましたら、リーシェ様に求婚していたかもしれませんわ。素敵」

グリムワルドは笑って、マリエルに、こら!と言う。てへっ、という表情で、マリエルは舌を出す。

「マリエル様、ご冗談が過ぎます」

リーシェは苦笑して言う。

「でも、素敵なのは本当。―――伝説の傭兵隊、『D・S隊(ドッペル・ソルドネル)』は、本当に凄い傭兵隊でしたのね」

マリエルの言葉に、リシャールが頷く。

「今にして思えば、凄いことだ」

リシャールはリーシェに言う。

「時にリーシェ、領地の方はどうなんだ」

リーシェは首を横に振る。

「酷いものさ」

前領主に収斂され、リーシェは民を労わることに苦心していた。

「―――確かに、イビスは水が乏しいからな」

ソシエール公爵はそう言って考え込む。

「しかし、かなりの金がかかるだろう」

リーシェはソシエール公に言う。

「アーク様のおっしゃる通りです。ブルックドルフ侯爵が貯めこんだ財宝や美術品はその大半を売り払いましたし、館の装飾に使った貴金属類も同様です」

「思い切ったことをしたのう」

王は感心しきりであった。

「しかし、それでも足りないのです…」

リーシェは暗い顔になる。

「リーシェ、あの宝石は?」

ラーリアが言う。いぶかる皆に、グリムワルドが言う。

「ダルグリア産の宝石を、袋一杯持ってたんだ」

ソシエール公は仰天する。

「どれだけの金になるか、分からないぞ」

リーシェは悲しげに言う。

「―――この冬を越す食料が無かった。全て金に換えて、民に食料として与えてしまったよ」

その言葉を聞いて、リリーはリーシェに言った。

「リーシェ様、お願いがあります」

「何だい、リリー?」

リリーは先程のステージで客から集めた金貨の袋を持って来させた。宮中の下男たちが台車に乗せて運んできたが、少なく見積もっても五百枚は下らない。とても一人や二人で運べる額ではなかった。

「―――凄い」

リーシェは絶句する。

グリムワルドが言った。

「少なく見積もっても、五千ギルダーはあるぞ」

リリーはリーシェに言う。

「私には、お店がありますから、食べていくには困りません。それよりも、リーシェ様がお困りなのを見るのが辛いのです」

「リリー」

「リーシェ様が、…そして、リーシェ様のご領地にくらす方々が、喜んでくださるなら―――みんな差し上げます」

リーシェはリリーに言う。

「ありがとう、リリー」

「お礼なんて…リーシェ様が私にしてくださったことに比べたら、何でもありません」

グリムワルドはリーシェに言う。

「この()を邪険にゃ、しねえよな、おい」

「当たり前だ」

リーシェはリリーの髪を撫でながら頷く。

「いつか、ブラウエンブルクに連れて行ってくださいませ…。リーシェ様の奥様、リーシェ様のお子様にも、お目にかかりたいのです…。」

リーシェは頷く。

「…それにしても、これだけの美人を措いてお前が操を立てる許嫁は、一体どれだけの美女なんだ」

グリムワルドはリーシェに尋ねる。

「…なんでも、兄弟子である例の坊さんの、妹御だそうだが」

リーシェは頷く。

「その話は、またにしてくれ」

リーシェはそう言って、リリーの肩をそっと抱いた。


静かに降りしきる雪の中…

グロアール宮殿の車寄せに、リーシェが乗ってきた馬車が寄せられていた。

「侯爵様、娘の願いを叶えてやって下さって有難うございます」

リリーの母親はリーシェに頭を下げる。

「店は明日から三日間、休みます。リリー、侯爵様にくれぐれも失礼のないように」

「ありがとう、母さん」

リーシェは母親に頷く。リーシェはリリーに手を与え、馬車のステップを上らせる。

「後は頼む」

リーシェはグリムワルドに言う。グリムワルドはニヤリとして頷く。

「心配するな。任せておけ。」

「金は明日にでも、バスティアンに送っておく」

ソシエール公爵が、馬車に乗り込むリーシェに声をかける。お願い致します、と言って、リーシェは馬車に乗り込む。ドアを閉める馭者に、リーシェは短く、上屋敷へ、とだけ言う。雪を踏みしめながら、馬車は静かに宮殿を出て行った。



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