ss カンナ side 01 ss
カンナは麦わら帽子をかぶり岩に腰掛け、ケンタが落ちた例の滝壺の畔で釣り糸を垂らしていた。頃合いを見て引き上げると大物が釣れていた、本当は元から糸にくくりつけてあっただけなのだが。それは水から上がると勢いに任せて糸を中心にくるくると回っていた。何を隠そう、それはクマだった。
「どう、テディさん?見つかりました?」
「ケッ、扱いはヒデェのに言葉遣いは丁寧だからタチがワリィ。それと貴様が気安くテディって呼ぶな、俺様をそう呼んでいいのはアリスだけだ。」
アリスやケンタの前では決して喋らないテディがさも当然のように喋っていた。そしてカンナはそれを数ミリも驚いていない。それどころか彼女すらアリスやケンタには決してしないような口調でテディと喋っている。
「はいはい、闇の巫の使徒、ヴァッサーゴさん。ほんとにアリスちゃんにだけはダダ甘なんだから」
「貴様も人の事はイエネェだろ。神居カンナ」
「あら、なんの事かしら。私はカンナ、ただのカンナよ。ウルルの森の案内人、それだけだわ。」
言葉の端々から伝わるように、彼らの関係は決して良好ではなかった。険悪であると言ってもいい。
「ケッ、しらばっくれやがって。で、その案内人さんはなんであんなモンを探してンだ?」
「アレは処分しておかないと後々面倒なのよ。それに……もう!つべこべ言わずにとっとと探していらっしゃい」
「ケッ、わカァったよ。この貸しはデケェかンな」
「うふふっ、ほんと根は優しいんだから」
「ァンか言ったか?」
「ううん、ほら潜った潜った。」
カンナの魔法で探すことも出来たのだが、彼女の魔法は水中の生態系に影響を与えかねないのでこの方法を取っているのだ。カンナはテディの周りに防壁魔法をかけてから糸を下ろした。彼はカンナのなすがままに滝壺の深くへと沈んでいく。それを確認したカンナは暇を潰すかのようにボソッとつぶやいた。
「だけと、まさかこんなにすんなり事が運ぶなんてね」
ふふっ、と笑ったカンナは、自分が『あの人』のしていたような表情を浮かべていた事に気づき、怪訝な顔をした。
「結局私も、あの人と同じ事をしてしまうのね…」
それは昔、カンナが恋に落ちた思い人。幼きカンナを騙した悪魔のようなペテン師。彼女が大好きで大嫌いで、それでも大好きだった人。
カンナは嘘が嫌いだ。彼のような嘘つきが大嫌いだ。優しい嘘も優しくない嘘も全部等しく嫌いだ。だから彼女は、嘘つきな自分が…世界で一番大っ嫌いだ。
これはそんな彼女が悪い男に騙される、
彼女の昔の、SAD SIDE STORY
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カンナは焼きたてのパイのカゴを持ちルンルンと上機嫌に森を歩いていた。今日は『あの人』が旅から帰って来ている日だった。彼女は彼の住む家の扉をリズムよくトントンと叩く。
「おじさーん!入るよー!」
鍵のかかっていない扉を開けた。こんな森の中で戸も閉めずにいるのは自殺行為だったが、おじさんは別だった ーーなんせおじさんはさいきょーなんだから。
「おじさん、今日も人を探してるの?」
「ああ」
扉を開いた先には日光に照らされ薄っすらと紫色に光る髪をした二十歳ほどに見える好青年がいた。そんな彼も当時のカンナにとってはお兄さんではなく立派なおじさんだった。彼は椅子に腰掛け脚を組み、なにやら本を読んでいる。机のコーヒーは冷め切っており、他に何か飲食をしたあとはなかった。
「もう!ちゃんと食べてるの?体壊しちゃうよ!ほら!」
そう言ってカンナは火照る顔をそらしながらパイの籠を彼に渡した。
「いつも、ありがとうな」
彼の感謝の言葉には一欠片の感情もこもってないように聞こえた。だがそれを聞いたカンナは嬉しそうに顔に花を咲かせたかと思うと、それを隠すように下を向き、よりいっそうモジモジし始めた。彼が受け取った籠を机に置くのを確認すると、カンナは近くにあった高い椅子をせっせと彼の隣へ運び、よじ登るように座った。
「おじさんの探してる人見つかった?」
「いや、まだ見つからない」
「大変なの?」
「ああ」
「ならカンナが探してきてあげる!」
「まだ君には危ないよ」
「うぅ…」
カンナは子供扱いされた悔しさと彼が心配してくれた嬉しさの混ざった複雑な感情になった。そして妙な感情の波が彼女を大胆にする。
「ならなら、おじさんと一緒に探す!カンナもおじさんと旅したい!」
カンナはエルフだったが、少し複雑な事情がありエルフの里には歓迎されていなかった。彼女は里での生活が息苦しかったのだ。だから彼女に普通に接する彼に特別な感情を抱いてしまうのは仕方のないことだった。
ーーあぁ、彼とこの森を抜け出せたらどれほど幸せだろうか。
そう思っていたカンナは思い切って彼に言ってしまったのだ。
彼はおもむろに立ち上がると上着を羽織り本を一冊手に持ち扉の前に立った。
「おじさん?」
口数の少ない彼は扉を開けたままカンナの方を少しだけ振り返ると肩越しに言った。
「ほら、行くぞ」
「!!!」
パッと驚きと喜びの入り混じった表情をしたカンナは机にあった籠を持ち椅子を飛び降りて、彼のあとを早足で追いかけ広大な森へと飛び出すのだった。
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ピクピクと竿の先が揺れた。カンナはゆっくりと引き上げる。紐の先のテディがなにやらグロテスクな肉塊を抱えていた。カンナは釣竿を片手に持ったまま、もう片方の掌を糸の先に向けた。
『塵まで燃えろ』
彼女がそう唱えるとその肉塊はテディごと青く燃え上がった。しかしなぜかテディは肉塊ほど燃えてはいない。
「オイ貴様、俺様もちょっとは熱さ感じンだぞ」
「すぐ水に入れてあげるから我慢してて」
「ケッ、貴様が光の巫じゃなければ今頃貴様を…」
「あら、そんなこと君にできるの?」
「ケッ、ウッセー」
そのうち毛玉でも飛び出しそうなくらいケッケッと悪態付くテディはその綿の顔にどこか悔しそうな表情を浮かべた。
「しかしコイツはスゲェ、まだ生きてんぞ」
「なんせ、神様の右足だからね。そこからまた新しく生命が生まれてきてもおかしくないんだよ」
「ケッ、ほんとあんなヤツが次の神様だなんて、まだ信じらんネェぜ」
「ほんと、アリスちゃんが彼を召喚するだなんて、運命は恐ろしいわね」
「ケッ、言ってろ女狐。貴様が魔法陣に細工したンだろ」
「君もノリノリで手伝ってくれたじゃない。それに良かったでしょ、新しい魔力タンクができて。あっ、そろそろ死んだかしら。残りはあげるよ悪魔くん」
「ケッ、いちいちイラつく奴だな貴様は」
そう言うとテディは燃え残ったモノを全て飲み込んでしまった。
「あら、そんなこと言っちゃっていいのかしら」
そう言うとカンナはまだ燃えているテディをそのまま滝壺に沈めた。ぬいぐるみのテディはカンナの魔法がないと無力にも水面に虚しく浮かぶことしかできない。
「ケッ、いつかぜってーに殺してやる」
物騒なことを言うぬいぐるみは巻きつけられた糸によって岸まで引き上げられていった。テディの溜まった鬱憤は後々全てケンタに発散されるのは、もやは自明である。




