レポート 009 「戦闘型ロビーのお姉さん」
それは心地よい寝覚めだった。
柔らかいゆりかごの中で揺れているような気分だ。異世界に来て初めて平穏に目覚めたような気がする。しかし初日のように、体は重かった。少しでも体を動かすと筋肉に痛みが走る。
「イテテ」
「ごめんね、重症部以外回復魔法は使ってないんだ。体の回復速度を上げるように促しただけなの。後のことを考えるとそっちの方がいいかなって。」
「それは暗に筋肉つけろって言ってんのか。というかそれより、何なんだこの状況」
「ん?」
カンナはその細い腕で俺を持ち上げながら森の中を歩いていた。どうやら俺は彼女にお姫様だっこされているようだ。美女に抱擁される夢のシチュエーションなんだが、とても恥ずかしい。というか、見えるんですけど!目の前にユートピアが見えるんですけど!揺れてるんですけど!ユートピアが揺れてるんですけど!俺は何とか平常心を取り戻し、確認しなければならないことを言った。
「アリス…アリスはどうしたんだ?」
「彼女は君ほど重症じゃなかったから、すぐに元気になったよ、ほら」
カンナの視線を追うように少しだけ状態を起こすとアリスがいた。彼女と目が合う。どうやら心配してくれていたようだ。大丈夫?といった顔でこちらを覗き込んでくる。俺は痛む腕を持ち上げて親指を立てた。するとアリスは無邪気に微笑んだ。そのあどけない仕草に心を癒されると同時に、自分が情けなく感じた。彼女はちゃんと自分の足で歩いているのに俺は女の子にだっこされているのだ。
「カンナ、ありがとう。もう歩けるよ。」
「別に無理しなくても…」
「無理なんかしてないさ、ただちょっと恥ずかしいんだ」
そう言うと俺はカンナの抱擁から抜け出した。名残惜しい気持ちもあるが恥ずかしさが勝った。自分で歩かなければと思った。とんだ痩せ我慢だ。一歩進むたびに足が軋む、もつれる、今にも倒れそうになる。それでも俺は進んだ。これ以上自分の弱さを認めたくなかった。それでも足取りは重く、皆んなが合わせてくれているのが嫌でも理解できてしまう。
「あともう少しだよ」
「ケンタ!がんばれ!」
彼女たちの励ましの声が俺を余計に惨めにする。やめてくれ。結局俺は何もできなかったんだ。だから一言でいい。俺を叱ってくれよ。俺が期待されてないみたいじゃないか。そんなことで励ますなよ。歩くことすらままならない子供みたいじゃないか。もっと強くなれよ。守ると決めたものを守れるように。
背後から射し込む夕日までもが俺の背中を押すように辺りの森を赤く照らし出している。ケンタはもうそれを不快に思うことはなくなった。
「で、デケェ。なぁアリス、カンナは小屋に住んでるんじゃなかったのか?」
「アリスのしってるとこ ここじゃない」
どうやら目的地に到着したらしいが、なんだろう、一言で言うなら旅館だ。大きな旅館が森の中に建っていた。
「こんなに客こないだろ」
「怒るよケンタ、国王軍とかが来た時には部屋が足りなくなるくらいなんだからね!私だって接客が追いつかなくて大変なんだから!」
「国王軍がこんな山中に…ってここがカンナの宿だったのか!」
「そうだよ。ようこそ、世界で一番の冒険者の宿、『神居亭』へ!」
開かれた扉から溢れ出てきたのは目がくらむほどの期待に満ちた白い光だった。
「「「いらっしゃいませ!」」」
「うぉーー!」
「うわぁー!」
ロビーに着いた俺たちは思わず感嘆の声をもらした。外見の古風な木製の壁からは想像できないほど内装が凝っていて、床には埃一つ落ちていなかった。恐らく俺たちを迎えてくれたこのメイドさんたちが毎日丁寧に掃除しているのだろう。
「「「カンナ様、こんばんは」」」
「こんばんは。ふみよさん、今日は何部屋くらい埋まってる?」
「シングルが7部屋、ツインが5部屋、ダブルが1部屋、スィートが2部屋となっております。」
「なら特上スィート1部屋を貸してあげて!料金は私持ちで!」
「ペントハウスですね。かしこまりました。」
しかしさっきからこのメイドさんたちになにか違和感を感じる。なんだろう、動きというか行動がどこか…機械的、そう機械的なのだ。というか待て、いま特上スィートルームって言わなかったか⁈
「いや、さすがに悪いって、普通の部屋で大丈夫だよ。」
「オーナーの私が言うのもアレだけど、普通の部屋は最低限のものしかないの。お世辞にも心地いいとは言えないわ。連泊する冒険者のための部屋だから。」
「なるほどね、質は悪いけど格安ってことか。」
そういいながらも俺は近くにあった巨大なソファーに腰を下ろした。うん、とてもふかふかだ。誰だよ質が悪いとかディスったやつ、最高じゃねぇか。俺はつりそうな足を伸ばし、緊張していた体を緩ませた。疲れ果て、半ば放心状態の俺に元気な少女の声が聞こえてきた。
「ケンター!アレみて、アレ!」
ロビーを走り回っていたアリスが何かを指差している。つーか、あいつは疲れてないのかよ。長い距離歩いてきたはずなのに。…寝てたから知らんけど。
「えっ、でっか!」
それは巨大な水晶だった。洞窟にあったものとは少し色が違うが、いままで見た水晶のどれよりもでかかった。それは床を破るように地面から生え出てきている。広いロビーとはいえ、それはどう見ても邪魔だった。
「なんでこんな場所に建てたんだ?もしかして後から生えてきたとか。」
「逆だよ逆。この宿はこの水晶を中心に建てたの。洞窟の結界覚えてる?あれと同じものをこの宿の壁全体にかけてるの。その魔力の源がこの水晶なの。他にもこの水晶は彼女たちの動力源なのよ」
「動力源って、まさか、」
ケンタはメイドたちに感じていた違和感の正体をようやく察した。
「多分君の想像通りだよ。彼女たちはロボットなの。メリケン帝国から輸入したものを少し改良した戦闘型ロビーのお姉さんなの!」
「戦闘型ロビーのお姉さんって、どんなジャンルだよ…」
「こう見えて結構戦えるのよ、たまにいる迷惑な冒険者をズドーンって」
「さ、さようですか」
「でもね、最近わざと殴られに来る変なお客さんがいてね。私も頭にきちゃって彼を外に蹴りだしたら、嬉しそうにまた戻ってくるのよ、ほんと困っちゃうわ」
「そういう奴には相手にしないほうが効くと思うぞ」
放置プレイすら喜ぶ変態だったらどうしようもないがな。というか蹴られて喜ぶ変態なんて本当にいるんだな。…踏まれるくらいならアリかもしれない。
「そうだ、お礼を言わないと。ケンタくん、ありがとうね、アリスちゃんを守ってくれて。」
「いや、俺は別になにも…」
なにも、本当になにもやっていないのだ。俺はカンナのまっすぐな瞳を直視できなくなっていた。
「ううん、君とテディがいなかったら今頃アリスちゃんは死んじゃってたかもしれないんだから」
「テディ?あのぬいぐるみか?」
「うん、あの子が私を見つけてくれたのよ。そして白い鳩を使って案内してくれたの。」
「あいつ、そんな事してたのかよ」
「あっ!そういえば君、いつの間にかスキルを一個獲得していたね!ならもう鎖の世界には行ったのかな?」
「ああ、あの鎖がうじゃうじゃ生えてるとこな。なぁ、あれは一体何なんだ。」
「うじゃうじゃ生えてる、か。やっぱりそうなのね。」
「なぁ、おい。勝手に納得してないで説明してくれよ」
「ごめんごめん。あの世界はね、次元の狭間なの」
「うわっ、出たよ、謎の世界観。」
「えっ?」
「なんでもない。続けてくれ。」
「えっとね、並列世界って多分知ってるよね」
「パラレルワールドか」
「そうそう、様々な選択によって分岐された並行世界、それが時の大流を逸脱してあらぬ方向に飛ばされないように縛り付けているのが『鎖の世界』なの」
「それで、それはスキルとどう関係しているんだ?」
「世界を縛り付ける鎖、つまり世界を矯正する力が『スキル』なの。そしてそれはこの世界に住む何百億もの生物が獲得して、支えているものなの。あの鎖が一本でもなくなったら世界はあらぬ方向へと飛ばされてしまうの。」
「なるほど、だから鎖に触れることでスキルを手に入れることができたのか。だけどこの前の話だと『ユニークスキル』っていうのは数人しか使い手がいないんじゃなかったか?そいつらが一斉に死ぬとどうなるんだよ、割と簡単に世界が崩壊しちゃうんじゃないのか?」
「そうだね、『ユニークスキル』っていうのは文字通り少し特殊でね、その能力を司る鎖の自我が強いのよ。だから宿主が死んだ時にだけ他の候補者を探すの。そして見つからなかったら終わり、世界の終わり。そんな気まぐれなスキルなの。」
「鎖に自我があるって…急に喋ったりするのかよ」
「ふふっ、ごめんね少し語弊があったかな。あの世界の鎖にはその宿主を選ぶ意思のようなものがあるんだよ。それが個人の潜在能力に関わってくるんだけど、強いスキルであればあるほどその意思は強く反映されて、滅多に人に宿らないんだ。だから一般人の『鎖の世界』にはあの広い空間に鎖が4、5本しか現れないんだ。」
「俺がいっぱい鎖が見えるってことは俺が全てのスキルに選ばれている証拠ってことか。」
「そういうこと。そういえば、君はいっぱいあるスキルの中からどうやってその身体能力向上スキルを見つけたの?そんなに都合よく分かるようなものじゃないと思うんだけど」
「変な蝶が教えてくれたんだよ」
「蝶が?」
「ああ、一回目に白く光る鎖を触った時に見えた蝶が誘導してくれたんだ」
「一回目…まさか君はあの世界に二回行ったの。」
「えっ、うん。言ってなかったか?」
「それで、一回目に白く光る鎖を触ったの?」
「うん、そう言ったじゃないか。どうしたんだ顔色変えちゃって。」
ケンタの言う通り、カンナの顔からは穏やかさが消えとても深刻な顔つきになっていた。彼女はボソッと呟く。
「まさか、あの洞窟の結界を破ったのはアリスちゃんじゃなくて…」
「えっ?なんて言った?」
「ごめん、ケンタくん。ちょっと確かめたい事があるからちょっと出かけるね。はい、これ部屋の鍵ね。場所はうちの使用人に聞いて」
そう素早く伝えるとカンナは未だにロビーを大冒険しているアリスのとこへ行き、何かを言ったかと思うと彼女からテディを受け取り、外へ出て行った。
代わりにアリスが近くにいた他より少し小柄なメイドを連れてテクテクと近づいてくる。他のメイドとは違って彼女はメガネをかけていた。
「ケンター、カンナお姉ちゃんお散歩行くって」
「あぁ、聞いたよ」
「それとそれと!アリスね、新しいお友達ができたの!」
じゃーん!とアリスが示す先にはメイドしかいなかった
「えむ えー あーる さんさんさんごう ちゃん!」
「MAR 333号ちゃん、かな?よろしくね!…ってなるか!アリス、そいつ人間じゃないんだぞ!」
人間じゃないと言った途端、MAR333号は本物の少女のようにしくしくと泣き出した。メガネと頬の間から透明な液体が流れ落ちる。マジか、クオリティ高すぎるだろ。と悠長なことを考えていたら、MAR333号は片腕を伸ばし拳を握った。やばい殴られる、と思ったが違った。規模が違った。
ぱか、チャキーン、パチッ、キュイーーーーン、ガガガががが
あっれ〜、女の子の変身ってもっとプリッとかキュアッとかプリキュアッとか可愛らしい効果音じゃなかったっけ?これどちらかというとむさい男が野太い声でトランスフォーームッとか言っちゃうやつだよ。
彼女の変型した腕はどこから見てもドリルだった。俺は忘れていた、彼女たちは戦闘型ロビーのお姉さんだったことを。
「ちょ、それ冗談じゃ済まされないから、冗談じゃ済まされないから!」
「ケンタ!謝って!さんさんさんごうちゃんに謝って!」
「わかったよ、すみませんでした!貴女はどこから見ても普通の可愛い美少女です!」
あれ?普通ってなんだっけ。腕にドリル生やしてるメガネ美少女って普通だっけ。普通だよね。普通だな。うん。
そんなことを思っているとMAR333号はドリルを止めて腕に収納した。どうやってそんな細い腕に収納してるんだよ。
「も、申し訳ありません、です!」
「いや、俺も悪かったよ。人間じゃないとか…ちょっと無神経だった、ごめん。」
まだありもしない仲を直したはいいものをMAR333号がさっきから顔を合わせてくれない。赤くなった顔を斜め下に向けている。
「あの〜333号ちゃん?まだ怒ってる?」
ケンタは彼女の顔を覗き込むように言った
「怒ってない、です」
すると彼女はまた目が合わないようにすっと顔をそらす
「なら俺たちの部屋に案内して欲しいんだけど…」
そう言って肩を触ろうとしたら、
「さ、触らないで!」
盛大に拒絶された。顔に両手を当てながら走り去っていくメイドは本物の女の子よりも生々しく男の子の心を抉り取って行った。
「あいつ人間よりもトゲトゲしくないか…物理的にも」
「…333号ちゃん、嬉しそうだったよ?」
「どこをどう見たらそうなるんだよ」
こうしてケンタの思い出したくない思い出第2位が決定した(暫定)
「申し訳ございませんでした。333号はまだ見習いで入ったばかりでございまして。代わりに私がお部屋にご案内いたします。」
代わりに来たメイド、ふみよさん?だっけ。彼女に鍵を渡すと未だにロビーを冒険したがるアリスを引っ張って階段を上った。そういえば聞いてて思ったが、このメイドたち敬語がおかしくないか?特にさっきの333号。語尾が「ですます」とか、どこの新入社員だよ。
とか色々考えて気を紛らわしていたが、長い。階段がとてつもなく長く感じる。体が癒えていないこのご老体にはちょっと辛いものがあった。
「あの、エレベーターとかは?」
「エレベーター…とはなんでしょうか?」
「あっ、はい。なんでもないです」
未だに治らない筋肉痛を我慢しながらケンタは部屋へと向かうのだった。




