九十七話
ふとそんな感慨に浸っているうちに、深雪ちゃんから声を掛けられた。なんの件かは、聞かなくても言われなくてもわかっている。ぼくは軽く深呼吸して、顔をあげた。
神殿だ、と思った。
「ハァ……」
思わず口から、ため息が漏れた。たぶん高さは、4階建てのビルに匹敵するだろう。その荘厳にして繊細な造型や、完璧に計算しつくされたであろう設計にも文句の付けようがあるわけもない。
見事、の一語だった。
これが、たった一人の二十歳にも満たない女の子の手によって作られただなんて、誰が信じるだろうか?
「先輩、いきますよ?」
再度深雪ちゃんに、促される。
ぼくはそれに黙って頷き、あとに続いた。同じ天才だから、この異常事態にそれほど動揺せずにいられるのだろうか? 心を強く持とうと決意を新たに、ぼくたちはその神殿に、足を踏み入れた。
ヨーロッパの、スペイン辺りを特集したテレビ番組とかで見かけた建築様式のような気がした。内部は吹き抜け、高い高い天井は天空まで繋がっているかのようだった。周りを螺旋階段とキャットウォークで囲まれている。空間を遮るものは、少ない。
あまりにスケールが大きすぎて、呑み込まれそうな気がした。
「……広い」
ぽつりと呟き、ふとまたも深雪ちゃんにツッコミを入れられるかとビクッとしたが、深雪ちゃんもまた同様に、ぼくとは違う上方を見つめていた。位置的には、キャットウォークだろうか? ぼくはなんという気もなしに、同じ方を向いた。
目が合った。
まるで人形のように冷たい瞳で、遥か高みからぼくたちを見下ろしていた。
しばらくぼくは、声も出せなかった。
「な――――こ、しみず、さ……」
ぼくは衝動に突き動かされるよう、途切れ途切れに声を漏らしていた。ハッと気づき、隣を見ると深雪ちゃんは縫い付けられたようにただその着物の幽鬼を見上げていた。
瞳が、激しく揺らいでいた。口を開き、ワナワナと震えていた。ぼくは、気づいた。
「……今度はなにが、"視えて"るの?」
この言い方は少しどうなのだろう、と自分でも感じた。
だが、深雪ちゃんは――
「……駄目、だめですよ輿水先輩……それはダメです、そんなことしちゃだめです……」
焦燥感に、背中が焼かれるように錯覚した。
それは単純な連想。高いところから見下ろし、それを見上げて危惧する。
落ちる。
墜ちる。
堕ちる。
「ま、待って……!」
ほとんど反射的に、ぼくは駆け出した。
駆け出そうと、した。
つんのめる。ぼくの右手首を、掴まれていた。
誰かと疑う必要さえ、無い。
「み、深雪……ちゃん?」
「先輩……」
彼女の瞳は、切実だった。言葉がそれ以上続かなくても、それはこちらに必死になにかを訴えかけていた。
具体的にはわからないが。
ただ――たぶん、行くなと。
「な……なん、で?」
だとするなら、ぼくたちがここまでなんの為にやってきたというのか?
「っ…………っ、ッ!」
ブンブン、と必死になって頭を振る深雪ちゃん。ほぼ、半狂乱といっていいその様子に、ぼくの心も影響されていく。伝播していく。なんだ、キミがぼくを落ち着かせてくれていたっていうのに、なんでこんな土壇場になってそんなかき乱してくれるっていうんだよ?
「み、ゆき……」
「! ――ッ、ッッ!!」
彼女は、もうダメだと思った。
意思疎通は、もはや不可能だった。彼女は決定的な"なにか"を、視てしまったのだ。それによって心が、へし折られてしまった。
頭がよ過ぎるがゆえ、理解してしまったその難易度に、挑戦するまでもなく諦めてしまった。
だったらぼくは――
「……ごめん」
一言だけ告げて、ぼくは握る彼女の手を、振り解いた。
「あ……せ、先輩っ!?」
深雪ちゃんは最初振り解かれたのが信じられないような顔をして、次に縋り付くような視線と表情と声を、ぼくにぶつけてきた。
縋りつかれても、ぼくには他の選択肢は、なかった。
「ごめん……深雪ちゃん、ぼくは……」
ぼくの方すら、言葉にならなかった。だって理屈で考えるなら、別に彼女にそこまで義理立てする必要も無い。そんな危険な予感があるとするなら、それを冒す必要なんてない。
利口な人間なら、絶対にしない。
だからぼくはもう言葉を紡がず、力なく笑みを浮かべ、そして覚束ない足取りで、螺旋階段に向かった。
最後に彼女の言葉だけが、背中に追い縋ってきた。
「せ、ぱ……ヘビに気をつけてっ!」
蛇?




