九十三話
もっともな意見だった。ぼくは申し訳ない気持ちで、俯いた。ただ実際わからなかったのここまで事実だったのだから、世の中難しいコトだらけだった。
そして改めて、ぼくは校門を見上げた。
夕暮れ時の大学は、どこか不気味な様相だった。
カァ、カァ、と空には黒い影が舞い、血のように朱い逆光を受けて校舎とこちら側は漆黒の世界と化していた。
もはや肉眼では、正面玄関までが見て取れなかった。
別にたまたま、こういう配置になっているに過ぎないというのはよくわかっている。
だが、予感がするんだ。
もう、理屈じゃないんだ。
「……いきましょうか?」
ぼくより2歳も年下の彼女から、促された。
いつもいつもぼくはカッコつかないな、と苦笑いしようとしたが、うまくいかなかった。ここから先に起きるであろう事を考えると、顔が強張っていた。
ゆっくりと正面玄関まで、ふたり並んで歩いていった。もうそこからは、会話はなかった。重苦しい緊張感に、心臓がバクバクと鳴り出した。掌にもべったりと、汗が浮かび始めていた。足取りがどんどんと、重くなっていった。以前、輿水さんを合コンに誘ったときを思い出す。
たぶん一人だったら、以前と同じように立ち止まってしまっていただろう。
隣に深雪ちゃんが、確かにともに歩いている気配があったから、年上としてひとり立ち止まることを許さなかったから、そのまま進むことが出来た。
正面玄関に着いた時、ぼくの方が先に出て、扉を押し開けた。よく考えれば目的地がソコならば、中に入る必要はなかったのかもしれない。
だけどぼくが開いた扉から、深雪ちゃんは中に身体を滑り込ませた。それにぼくも、半分無意識に続いた。
大学の中にいると、まるでなにもかもが嘘のように思えた。それも当然だった。事実昨日まで、ぼくたちはこの大学に当たり前の大学生として通っていたのだから。
だがなにが変わったといえば、別になにも変わってはいないのかもしれなかった。
いやだがぼくい関していえば、大きな恥を晒しっぱなしだった。ぼくが、この僅か一週間のあいだにぼく自身の人間性を思い知らされていた。
その正体を、一言でいうのなら――それは、混沌だろう。
「……マトリョーシカ」
ぼくの心を正確無比に表現してのけた菅原さんには、脱帽するばかりだった。こうなると、最後の場面に導いてくれたのも深雪ちゃんだし、男の情けなさに涙が出そうになるばかりだった。
ぼくでいいのか?
キミを救いにいくのがぼくで、果たしていいのか?
「…………」
疑問だらけだった。なんの確信も持てなかった。根拠も乏しい――と、これは深雪ちゃんにも失礼か。
なのになぜ、ぼくの足は真っ直ぐにその場所に向かうのか?
なのになぜ、ぼくはそうだと思っているのか?
まともに理屈を考えている暇もなく、ぼくは階段まで到達し、そして直角にその向きを変えていた。
ガラス戸から見えるそこには、やはりなにも無かった。
「…………」
ぼくは無言で、ガラス戸を押し開けた。かなり人影が少なくなった構内では、その音は大きく響いた。
ギギィィイイ、となにかが軋むような音がした。
それに、ぼくの心まで軋みそうな気がした。
「――――」
深雪ちゃんが、空を見上げた。それにぼくも、倣う。
いつの間にか、朱い空は姿を消していた。その代わりに、深い深い闇が世界を覆い尽くしていた。
まるで、魔界にでも迷い込んでしまったような錯覚を起こした。
まるで、アンダーグラウンドにでも陥ったように勘違いした。
まるで――
「…………」
ぼくは、もうウダウダと色々考えることをやめた。やめて、視線を下げて、中庭に向けて真っ直ぐに歩き出した。
さく、さく、と土を踏みしめる暢気な音がした。後ろから深雪ちゃんも続き、二重にその音が響いた。小さい音が、静寂の中庭に不気味なほどに響き渡った。まるで音響効果のある巨大なホールにでも来たかのようだった。
真っ暗な中。
いつ最後の幕が上がるのか、ぼくはツレの女性と一緒にひたすら待って――
「……せんぱい、」
小さな声が、少し後ろのほうがから響いた。
それにぼくは、少しだけ覚悟して振り返った。ちょうどその場所に、ピンポイントに雲の合間から、月光が差し込んだ。その様はまるで、スポットライトのようだった。
「これ……」
そこで深雪ちゃんは、"地面をめくっていた"。
「あぁ……」
それを見て、ぼくは思わず声を漏らしていた。遂に来た。最初はそんなこと、想像すら出来なかった。だが、事実だった。彼女の言葉はすべて、誠実なものだった――




