八十六話
「それで……之乃くん。もう細かいこと言わないから、キミのありのままの気持ちを込めてメールを送りなさい。じゃないと、一方通行な恋になっちゃうわよ?」
「え…………いや、恋って……」
意外な言葉に、ポカンとしてしまった。
しかし以前のように愕然や呆然とすることはなかった。違和感が、抜けているように感じた。理由はわからないが、慌てることも無かった。
菅原さんは、ポンと肩を叩いた。
「勘違いから始まるなにかもあるかもね? ただキミの場合、心マトリョーシカだから、ひととは色々違うだろうし、菖蒲ちゃんもちょっと普通じゃないみたいだから……そういう二人だから、見つけられるなにかもあるかもね?」
酷い言い回しもあったものだと、少しだけ苦笑した。そして会話は、終わった。深雪ちゃんさえ口を挟まない。本当みんな、空気読んでくれる素晴らしい友達だった。友達だった。言葉にすると、信じられない心地になった。ぼくに友達が出来るだなんて、想像さえしたことも無かったのに。
静まり返った中、ぼくは自分の心と向き合った。向き合って、メールの文面を考えた。
二十分くらい考えて、メールを送った。
その十五分後くらいに、バスは目的地に到着した。みんながゾロゾロと降りるのに続いて、ぼくは最後にもう一度携帯電話を取り出した。贈った文面が正しかったのか、わからない。だけどもう一度読み返してみて、その言葉にウソや偽りが無いことだけは、確信を持つことができた。ならばそれでいいかと、割り切ることにした。開き直るといってもいいかもしれないが。たぶんに緊張しているのだろう。自分を奮い立たせよう。あの子の力に、なりたいから。
あの子の、ぼくにとってこいつらになりたいから。
バスを降りると、あの時の日差しが降り注いできた。眩しさに、手庇を作る。まるで別の県に来たように感じる。別の国に来たように、勘違いする。別の世界に来たように、錯覚する。
現実感が無い。間違いなく緊張しているのだろう。
先では、みんなが待ってくれていた。苦笑いして追いつくと、深雪ちゃんだけ苦々しい表情を作っていた。デフォでこういうツン要素が出るのだろうと納得しておくことにする。
5人並んで、畦道を歩いた。不思議なくらい、会話はなかった。もうみんな、未だ見ぬ輿水さんに頭は集中しているのだろう。
手先が痺れていくようだった
そして――
「お待ちしていました」
和服美人が両手を前に、深々と一礼してお待ちしていました。
ふと、夏休みの旅行で田舎の旅館に一泊旅行で予約してたから若女将さんがお迎えしてもらったように、錯覚した。
あげられたその顔には、以前見た面影はどこにもなかった。
「では、こちらへどうぞ」
そこにいる彼女は、まるで別人だった。
『――――』
異様な空気の中、ぼくらは屋敷の中へと進んだ。その日本家屋は、驚くほどの敷地を有しているようだった。破格の金持ちだということは、理解した。
廊下をしずしずと歩くなか、ずっと考えていた。なぜ彼女は、振り返らないのか? なぜ彼女は、なにも言葉を発しないのか? なぜ一切、訊かないのか? そこまで考えて、自分はやはり駄目だと理解した。ぼくは未だに、彼女を常識の枠に当て嵌めようとしている。
ダメなんだって。
彼女はぼくの、ブッ壊れた部分を全開にしてちょうどいいくらいなんだって。
「……あの、輿水さん」
前触れなく、ぼくは声を掛けた。
「…………」
予想の通り、彼女の返事はなかった。というか振り返ることすら、なかった。当然といえば、それは当然だった。彼女は耳が、聞こえないのだから。
そう、今までならば、それはそういう理由だと納得できることだった。
そして彼女の耳が聞こえないことは、ぼくだけしか知らないから、それは出来れば他の人間には知られない方が良いだろうから、公に声など掛けない方がよかったのだろう。
だけどぼくの心の中で、どこか警鐘を鳴らしている気がした。
確信めいた、予感があった。
自分でもわけわからんから、整理するのは諦めた。
「輿水さんは……ずっと、お兄さんに会っていないんですか?」
彼女の歩みは、止まらない。淀むことすらなく、ぼくの言葉を流し続けている。その対応に、四人から不穏な空気が流れ始める。
ぼくはあえて、フォローを入れることも無く。
ただ口が動くままに、ぼくは任せた。




