六十九話
それにぼくの波立った頭が、収まっていく。
冷たい、それは手だった。なのにそれは、安らぎをぼくに与えた。どこかで心が温かいひとは手が冷たいと聞いたことがある気がした。
柔らかいその手は、ずっと重ねているとほんのり温かくなってきた。生きているのだと、訳のわからないことを思ったりした。独りじゃないのかもしれないと、錯覚しそうになったりした。正体不明の不安に、ぼくは発作的に手を離そうとした。
ぎゅっ、と握られた。
それにぼくの胸が、どきんと跳ねた。
「…………なん、で?」
かすれた声で、問いかけた。
彼女は――喋ることなく、ただ顔をあげ、笑みを浮かべ、そして今度は両手で、ぼくの右手を包み込むような形を作った。
ぼくは――動けなかった。
心臓が訳わからないくらい、ドクドクと脈打っていた。
心は凍りついたかのように、微動だにしないというのに。
「なん、で?」
冷静さを取り戻したぼくは、再度その疑問を、口にした。
彼女は笑顔でただ二、三度首を振り、そして再度顔をあげて笑顔を作り、ギュっ、とぼくの右手を握った。
「喋れよ」
ふと、口をついてしまった。どうせ聞こえないだろうという薄暗い考えもあったのかもしれない。
唇は、動かさなかったつもりだった。
「なにを、聞きたいんですか?」
瞬きを、二回した。
――聞こえた?
「や、いや、あの……」
ぼくは戸惑いに、二の句を繋げることが出来なかった。今、確かにぼくは、口は動かさなかった――筈、だ。でも腹話術なんてやったことないから、まったく動かなかったかといわれると自身は無い。無い、が――
「……あの、輿水さん?」
「なんですか?」
その瞳に、動揺の欠片も見て取ることは出来なかった。だからぼくも、すんなり覚悟を決めることが出来た。
もうまどろっこしいのは、ナシだ。
「ぼくのこと、どう思いますか?」
初めて。
通算して最初に見かけたから初めて。
彼女の動きが、止まった。
「――――」
まるでDVDの、一時停止画面のようだった。ピタリと、動きを止め、微動だにすらしない。笑顔でこちらに顔を上げ、口を僅かに開けた状態で、呼吸すらしていないように錯覚するほどだった。
それほどの、問いかけだったろうか?
「……あの? …………あの? その?」
まずは様子を見て、次に声をかけ、反応が無いのにさらに声をかけ、最後に顔の前でヒラヒラと手を振った。
そのどれも、反応はなかった。
その容貌と相まって、まるで等身大の日本人形のようだと思った。
コレが動くだなんて、とても信じられない心地だった。
「――――」
一瞬。
ぼくの精神は、宇宙の彼方に消え去った。
ぼくは気づけば、彼女とくちづけしていた。
「――――」
彼女はぼくの蛮行にすら、なにも反応を見せなかった。それにまるで本当に人形とくちづけしているように錯覚しかけたが、その唇の感触は、本物だった。
柔らかかった。そしてプルルンとしていた。そして冷たかった。まるでひとの、唇の形をしたゼリーと触れ合ってるように思えた。
拒絶も。
受け入れることも。
一切なにも、ぼくに意志を示すことは、なかった。
「――――」
ぼくは、彼女と唇を重ねながら、その身体を抱きしめた。今度は柔らかいだとかなんとか俗世的な感想より、ただ華奢だなと感じた。どうしようもないほどに、少し力を入れればポッキリと折れて、死んでしまいそうだと思えるくらいに。
そう考えたら、なんだか切ない気持ちになった。
「…………なんで、」
唐突に、人形が動き出した。
まるで口の中から、声が出されたかと思った。
ぼくはゆっくり、と唇を離した。本当に微かに、液体が引いた。
ぼくは、尋ねた。
「――なにが、ですか?」
間髪入れず、返答が来た。
「なんで、泣いてるんですか?」
ハッ、とした。
「!? なっ、や、あ、くっ……!!」
ぼくは電撃速度で、自分の頬に手を当てた。
彼女の言う通り、そこには冷たい液体がついていた。くそっ! なんだよ、と悪態をつき、めちゃくちゃに拭う。だけど今回は拭っても拭っても、液体は溢れて零れてきた。なんだよ、なんだよこれっ!? なんだか悔しい気持ちにさえなってきた。自分の身体も、心さえもろくにコントロール出来ないなんて――!
「なんで、」
再度質問が、投げかけられる。
そちらに顔を向けると、涙が散った。くそっ、オレはスプリンクラーかよ!? なんだか怒りさえ、湧いてしまった。
その勢いのまま、声をかける。
「な、なにが、あ……っ!」
「なんでそんなに、我慢してるんですか?」
ピシッ、と心にヒビが入った。
頭が、真っ白になった。
「――――は、や、あ、え?」
「あなたをそんなに苦しめているのは、なんですか?」
「いや、あの……な、なんの話を?」
「なんで無理するんです?」




