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六十七話

「…………」

 良い、気持ちだった。こんなに車や高層ビルなんかがないのどかな田舎道っぽい場所を、なんという目的地も無くただ歩くだなんて、以前やったのを思い出せないくらいだった。空が、青い。いわゆるスカイブルー。いつもいつも、歩くのは真っ暗な深夜だった。まるで都会のビンの底を、はいずり回っているような心地だった。

 それが今は、まるで空を飛んでいるかのように錯覚されるくらいだった。

 空はとても大きく、広かった。

「…………」

 肺の隅々まで、良い空気を吸い込む。なんだか自分の悩みがちっぽけで、どうでもよくなる心地だった。ただ散歩するだけでこんなことになるなんて、本当自分なんて小さな人間なんだと実感する。

 雲が、ひとつも見つけられなかった。その雲が、自分の迷いの象徴のような気がした。それが無くて、太陽が真っ直ぐに大地に降り注ぐ。

 あの太陽が、なんだか輿水さんな気がした。

 だったらもうどうこう考えないで、心のままに動いた方が良い気がしていた。

 それが例え、他人の心がわからない宇宙人だとしても。

 相手が、他人の声が届かない天才だとしても。

 それぞれが異端児同士として、わからないならそれなりに、自己主張を果たす方がよっぽど健全ではないかと。

 そんなことを空を見上げながら歩きつつ、思ったりした。

 ざくっ。

 いつかどこかで耳にした音を、不意に聞いた気がした。

 ぼくは吸い寄せられるように、そちらを向いた。ぼくの意志ではなかった。例えるなら、それは世界の意志というか大いなる意思というか――

 まさか、という想いは澱のように籠もっていた。

 その予測は、寸分違わず正解した。

「輿水、さん?」

 こんな僻地で、予期せずぼくはふた月ぶりの再会を、果たした。


 輿水さんと再会するのは、どれくらいぶりかと考えてみた。だいたい、二ヶ月と少しというところだろうか? よく、覚えていない。ひとりの――孤独な生活を送っていると、徐々に曜日感覚を初めとして、時間の感覚というものが失せていく。必要が無いからだ。時を合わせたり、都合を合わせたりする必要が。未だ正式な就業をしていない学生は、ほとんどすべてが自分の都合で動くことが出来る。それは他人との関わりを放棄している行為に近い。だんだん自分でもなにを言っているのかわからなくなったきたから、現実に戻ることにする。

 だって現在、ぼくはひとりで居る訳ではないのだから。

「…………」

 緊張感に、ぼくは少しの間動けなかった。じっ、と見つめる。

 輿水さんは、鍬を振るっていた。というか丸っきり振り上げ、土の上に食い込ませるその姿は、まるで本気で農夫だった。これ、アリなのか? というよくわからない疑問を浮かべてしまうほどだった。実際掘っているというか耕しているのはどう見ても畑っぽかったし。

 しかしその服装だけはモンペなどではなく、やはりいつもの純和服だった。

「……袖が、汚れませんか?」

 ボソリ、と疑問が口をついて出た。それこそさっきまで思っていた自然体に他ならなかった。こういうことだと素直に喋られるあたり、少し想うところが無くも無かった。相も変わらず回りくどかった。

 ざくっ、と鍬を打ち付ける音が響いた。ぼくはスッカリ、失念していた。だってパッと見る限り、普通で、当り前の女の子――と思うぼくは、やはり少しというかかなり壊れているとは再確認した。

 ぼくは畦道から、一歩畑に踏み出した。スゴイちょっと笑えるくらいに靴がめり込んだ、バランスを整える。新鮮だった。普段のぼくならこんなこと、絶対しないのに。

 ズボ、ズボ、ズボ、と靴を陥没させながら、輿水さんのいる場所まで辿り着いた。集中する為に自然と下げていた視線を、上げる。

 心臓が、止まった。

 輿水さんは、こちらを見つめていた。

『――――』

 時が止まったかのように、すべてが動かなくなった。すると途端に止まっていた筈の心臓の方がバックンバックンと自己主張し出した。なにも。なにも考えられない。ただただ、輿水さんの瞳が透き通っていると思っていた。あまりに透き通っていて、自分がそこに映っていた。深い瞳だった。まるでそこに宇宙の真理でも潜んでいるかのようだった。ぼくがそこに吸い込まれたかのようだった。それはまるで、彼女が神そのもののようだった。

 ぼくは彼女の、中にいる。

「――――」

 彼女の唇が、動いた。

 だけどそこから、なにか音が紡がれることは無かった。それにぼくは、錯覚する。

 音が、消失した世界。

 動いているのに、音だけが届かない世界。視界は働いているが、それ以外の呼びかけが届かない世界。

 それに、背中がザワザワする心地になった。前方以外、把握できない。横に後ろになにかあっても、気づくことが出来ない。車がプアーってクラクション鳴らしても、斜め上から隕石が落ちてきても、視界に入るまでは気付くことが出来ない。


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