六十三話
ドクン、ドクン、と動悸が激しい。まるで世界が、脈打っているかのように錯覚するほど。いつの間にか巨大なそれに飲み込まれ、胃袋に収められたかのように。
「……死ん、だ?」
「ハイ」
目眩が、する。視界が急激に、狭まっていく。彼女以外が、視界から消去されていく。
「……死ん、じゃったの? 深雪ちゃんの、お父さん?」
「ハイ、死にまシタ。深雪のせいで。深雪がお父さんに心配かけて、無茶な運転をさせたせいで」
手先が、痺れる。身体が、動かなくなってくる。舌も痺れて、うまく息が出来なくなっていく。
なんだ?
いったい、なにが、起こってるんだ?
「死ん、だ?」
「ハイ」
「……深雪ちゃんを、探している途中で?」
「ハイ」
視界が、光で弾けるような錯覚を起こす。動悸がさらに、早くなる。苦しい、胸を鷲掴みして抑える。冷たい汗が、噴き出してくる。なんだ? なんなんだ、これは?
「……先輩、」
やたらと優しいその呼びかけが、なんだか嫌な予感を喚起させた。
ダメだと思ったが、止める術は無かった。
「先輩が、その叔母に飛行機事故の話を聞いて、そしてかなりの動揺を感じられた後……恐縮なんデスが、そのあとのことをお聞かせいただいても、よろしいでしょうか?」
なにかが一瞬、視界が切り替わった。
「――――!」
ギシっ、と心臓にヒビが入ったような感覚だった。
ハッ、と息を吐き、胸を抑えた。
そして絞り出すように、言葉を吐き出した。
「……覚えて」
視界が、白滅した。
その合間に、なにかが見えた気がした。それは誰かの、後ろ姿。見覚えのあるソレは、見覚えのあるダイニングで、机を挟んで誰かと話していて――
「づッ!?」
唐突に、頭痛が走った。手先の痺れが、痙攣へと変わる。喉が渇いて、言葉が出ない。
恐怖に、全身が絞り尽くされる心地だった。
苦しくて、苦しくて、ぼくは、ぼくァ――
「覚えて、るんデスよね?」
キン、キン、と目の前に火花が散った。
「な、なに、を……?」
「覚えてるんデスよね、先輩?」
その火花の向こうに、見えてくるソレ。
その後ろ姿は、見紛うこともなく叔母さんのソレで、その手前にいるのは――それは見たことがない筈なのに、なぜかどこか知っているようで――
脳味噌が、切り裂かれた。
「ぐゥ!?」
と錯覚するほどの激痛が、頭部を襲った。それにぼくは呻き、頭を抑えた。身体がガクガクと、震えた。なんなんだ、これは? こんなこと、ぼくは覚えてない。知らない。そう。その、筈なのに――
「思い出してください」
深雪ちゃんの言葉が合図とするように、その見たことが無い筈の像が、徐々に結んでいく。
視えていって、しまう。
見たくないのに、知りたくないのに、それが徐々に、徐々に――!
「頑張って、思い出してください。辛いかもしれませんが、それが先輩の――」
「やめろ!」
発作的にぼくは、叫んでた。
『――――』
急に、静かになった。不意に、別の世界から舞い戻ってきたような感覚を味わう。まるでほんの十数年前にタイムスリップでもしたかのようだった。周囲で動いている人間は、ひとりもいなかった。ウェイトレスさんでさえ、食事を運ぶ手を止め、こちらを丸くした目で見つめていた。みんな唖然と言うより、ポカンとした顔をしていた。怒っている人がいなさそうなのが、優しい世の中だと思ったりした。
「…………」
顔を、上げられなかった。せっかくぼくのことを想って考えて話してくれたソレに、怒鳴ることで応えるだなんて、最低最悪もいいところだった。文字通り、顔向けできなかった。
立ち上がる、気配がした。席を立って、おそらくは帰るのだろう。申し訳ないが、しかし少しだが安堵もした。向き合う勇気は、出そうにもなかった。
「先輩、」
まさか声をかけられるとは、思っていなかった。
「……深雪ちゃん、オレ、」
「わかってマス。今日は深雪が、焦り過ぎまシタ。むしろ反省しマス、スミマセン」
「そんな……」
顔を、上げようとした。
けれど深雪ちゃんはなぜか、テーブルの上に手を置いた。それでぼくは意図が伝わり、思い留まった。
「深雪、今日はこれで帰ります。けれど先輩のことを心配してる人間がひとりでもいること、忘れないでください」
別の意味で胸が、締め付けられた。
そのあとなんの授業を取ったのか、バイトをどう攻略したのか、どこをどう通って家にたどり着いたのか、全然覚えていなかった。ただ、ベッドにダイヴした瞬間だけは覚えていた。ボワン、と跳ね返り、まるでトランポリンにでも跳び込んだ気分だった。それで我に返ったとも、いえた。
消耗していた。不思議なほどに。走ったわけでも、運動したわけでも、具体的になにか活動をしたわけでさえないのに――
理由だなんて、わからないわけもなかった。
「…………」
ぼくは、進退極った心地だった。追い込まれていた。逃げ道なんて、もう――と考えて、その勘違いに気づいた。
最初から、逃げ道なんて、無かった。無いのに逃げたつもりになって、それで結局最も辛い場所に追い込まれていたに過ぎなかった。
ひとりでは、もうどうしようもない状況だった。
「…………」




