六十話
なにかが。
なにかが軋みを立てるような音が、聞こえた気がした。
顔が、勝手に――笑みを作る。
「は……ハハ、な、なに言ってんの?」
「大丈夫デス」
なんでそんなに、繰り返すのか?
意図も意味もなにもかも、わからなかった。
「な、なに言ってんの? いやそんなことより、その時思ったこと――」
「先輩は、被害者なんデス」
会話にならない。
ぼくは徐々に、焦燥感までも覚え始めていた。
「……ちょっと、待ってくれないか? ぼくが、被害者? というか会話の内容が、すり替わってないか? 深雪ちゃんは、いったいなにを――
「先輩は、確信に迫る話になると、それを誤魔化す癖がありますよね?」
笑みが、苦笑いに変わる。
「な、なにを……そんな、バカな」
「馬鹿じゃないデス」
深雪ちゃんの瞳は、どこまでも真摯で、真剣だった。
ぼくは焦燥感を越え、狼狽え始めていた。
心臓がまた、早く高鳴り出す。
「あ、う、うん……」
「先輩の、その癖は別に悪いことじゃないデス。というか深雪も、普通にそういう悪癖がありまシタ。ですからそういう意味では先輩は、同士デス」
「今、悪癖って言わなかった……?」
「イイんデス、それより同士デスよ? 同士。この天才堀深雪と同士なんデスから、もっと喜んだってイイんですよ?」
ぐいぐい、キタ。
それにぼくは、ややたじろぐ。この子、訳がわからん。なにがしたいんだ、どうしたいんだ、会話の内容が自由すぎる、カオス過ぎる。
ぼくはどうするのが、正解なんだ?
「あ、う、うん……あ、ありがとうございます、光栄で、す……?」
「なんで疑問形なんデスか?」
「イエ、なんでもないデス」
本当に実りの無い会話だった。
『――――』
そして再度、沈黙に陥る。なんなんだ? 本当になんなんだ、と思う。わけがわからない、いみがわからない、相手が天才少女だし、まるでドイツ語かなにかで会話しているような気分にさえなる。
――でも本当は、
「先輩、わかってますよね?」
なにがだ、と咄嗟に返しそうになった。
けど、でも、やっぱり、と三段活用を経て、ぼくは決めた。
避けてきた、取り繕ってきた自分との、訣別を。
「……………………」
これだけ真っ直ぐ、向き合ってくれているのだ。これだけ、ぼくのことを考えてくれているのだ。それを躱すだとか流すだとか、それは失礼なことこの上ないと思えた。
だったらぼくは、ぼく自身とも真摯に向き合わないと、それもそれで失礼なのかもしれないと、だんだん混乱してきた。
バクバクバクバクとまるでドラムロールかなにかのような勢いで脈打ち出した心臓を無視して、ずっと目を"逸らしてきた"その記憶に、目を向ける。
最初に浮かんできたのは、生温かい、感情だった。
「……生温い水を、頭から掛けられた気分だった」
身体が鉛でもつけられたように、重くなってきた。
「驚きを越えて、頭真っ白になったのを覚えてる……現実どころか、想像をすら越えてた……受け入れられるられないどころか、その文章の意味を咀嚼することさえ、出来なかった。だから、聞き返したんだ。お父さんとお母さんが、なんだって? もう一回言ってよ、オバさん。え? わからないよ。ヒコーキがオチタって、どういう意味なの? セイゾンシャはイナイって、どういうことなのさ!?」
「先輩っ!」
悲痛な叫びに、ぼくは我に返り、顔を上げた。
深雪ちゃんがいた。心臓がうるさい。全身から、汗が滝のように流れていた。身体がひんやりする。心臓を、鷲掴みにされている心地だった。頭が凄まじい勢いでシェイクされたあとのような気分だった。
なんなんだ?
なんなんだ、これは?
「あ、うん、その……あ、な、なんのはなしだったっけ? そうか、うん、今聞いた通り、なにも――感じなかったわけじゃ、無かったみたいだね、うん。自分でも、よくわかってなかったみたい、だね。ハハ、なんか自分のこと、さえよくわかってなくて、なんか情けない、ね、ハハハ……」
「大丈夫ですっ!」
びっくりした。
深雪ちゃんが必死に声を張り上げ――そしていつもクールなあの無表情を歪め、泣いていた。
なんで?
なんでキミが、泣くんだ?
「……深雪、ちゃん?」
「先輩は悪くないデスっ! 先輩は全然ふつうデスっ! だから先輩は、あんなこと気にさんけ――――っ!!」
「…………」
泣きながら、ほぼ号泣しながら、深雪ちゃんはぼくの胸に縋り、だんだん、と小さい握りこぶしの底で、ぼくの胸を叩く。
あんなこと気にさんけー、と叫ばれても普通はよく意味はわからない。
けれどそのトーンが、その行動が、慟哭が、ぼくの胸を貫いて、意図を全身に叩きつけてきていた。
ぼくは、どう思えばいいんだろう?
不意に、ぼくは右腕を頬にやっていた。そこに当たる、冷たい液体。
泣いてるのか?
泣いてるのか、ぼくは?
「……深雪ちゃん、」
もう、限界だった。
「キミは……天才、なんだよね?」
「――ハイ、天才デス」
「だったら……教えて、くれないか?」




