四十九話
とか考えてるうちに、ものすごい勢いで赤羽がダッシュをかけていた。丸っきり弾丸の如く、席の列の間の通路を、ブチ抜いていく。周りがなんだと振り返る前に、一気に最前列に。そして椅子の後ろをガタタタタタっ、と押し退け――そして空いていた席をふたつ、確保した。
「おーい、ここばい上月ーっ!」
すげぇ、と正直感心さえした。
とりあえずぼくは嘉島とアイコンタクトとボディランゲージを駆使して意思疎通して、やっぱり当事者だしとぼくが残りの席に座ることになった。しかも残っていたのは、よりにもよって最前列ど真ん中の位置だった。気マズかった、こんな席に座ったことは無かった。ハラハラした、赤羽に縋った。
「な、なぁ赤羽……」
「なん?」
「あ、あのさ……この講義って、なんなの?」
「『市場領域』という概念と経済人の在り方」
「うわ、難しそっ」
「おう、おいも難しかと思うばい」
内容に期待は出来そうもなかった。市場領域――でも微かになら、興味も湧いてきたような? よくわからなかったが、まぁ内容は二の次だ。
あとは無駄口も叩かず、待った。周りにザワつきが、半端じゃなかった。やっぱり大学にはひとがとても沢山いたのだ。普段目に入っていたのは、せいぜい全体の2,30%といったところだろうか。まるでぼくの視界に捉えられる情報量のようだった。ザワつきが、耳に入る。最近すごく、自信が持てなかった。ろくでもない目に遭ってばかりだった。周りがうるさかった。おかしかった。今まではとてもうまくやってきたというのに、こんな派手な講義で、最前列のど真ん中で大学の理事長の目に留まるような位置に収まるような人間じゃなかったはずなのに、わからない、だいたいわからないことばかりだから、もう半分自棄になったのかもしれない。誰かに答えを教えて欲しかった。
彼女に、逢いたかった。
もう随分永いこと、逢っていないような気がした。
「うぉっほん」
彼女が入ってきたかと思った。
そう勘違いするくらい、その理事長は彼女と、雰囲気が似ていた。
「――な、なぁ赤羽?」
「なん?」
「理事長って……女性の、方だったん?」
「おう、オバちゃんばい」
バッカこんな最前列ど真ん中で不用意なこと言ってんじゃねぇよ、とツッコミを入れそうになったが、目の前の中年のオバちゃん失礼女性の威圧感に、なんとか自粛できた。
「――――」
雰囲気が似ている、とはどういう意味でぼくは思ったのかと考えていた。その理事長は、縦ロールだった。それだけで概ね説明できてしまいそうだが、服もひらひら付きの豪華なスーツ、それもピンクの。肉付きもなかなかなもので、まさに理事長といった威厳に満ち満ちていた。
どこだろうかと考えていて、ふと思い至った。
その、瞳。
「では、時間も来たようなので、講義を始めます。最初に自己紹介を行います。私が本大学の理事長を務めます、輿水草加といいます。宜しくお願いします。では早速本講義ですが、現代日本の経済を学ぶに際しまして、初めに把握すべき事柄と致しまして――」
つらづらと、淀みなく講義を始め、進めていく様子を見て、ぼくは密かに確信を得ていた。
その瞳。もっといえば、視界。彼女が内包する、世界というもの。
それが決定的なまで、他人と、大きく隔てられていた。
講義はつつがなく、終了した。理事長が用意していたそれを、学生が拝聴するだけで、それは時間いっぱいまで使われた。質問も、プリント一枚の資料も、パワーポイントさえ用意されておらず、ほとんどぼくは途中からテレビでも観ているような心地にさせられた。その内容は一大学生にはかなり難しく感じられ、途中から理解がついていけず興味もかなり殺がれる形となった。周辺を見回すと、それでも全体の4割ほどは熱心にノートやノートパソコン、タブレット端末などでメモなどを取っていた。他の講義とはかなり違っていた、それだけ有名な人間だということなのだろう。自分のように、東京で持っている偏差値で入れる大学という基準で選んだ人種とは違うということなのだろう。
ぼくは理事長の顔を、よく観察していた。感情の読めない、ほとんど無表情と呼べるそれをずっと保っていた。
その瞳は最初の印象通り、どこも、誰も見ていないように見受けられた。どこか、機械のような印象を受けるそれは女性だった。輿水さんが彼女の遺伝子を受け継いでいるのは、おそらくは間違いのないことだろうと思われた。
そして講義は滞りなく時間ぴたりに、終了を告げた。
「――では、これで本講義を終了致します。各自本日のレポートを担当教授に提出するように。以上です」




