四話
最初の一週間はお試し期間だとかで、その授業を取るかの猶予期間であり、かつその間にグループ構成もある程度決まるようだった。ちなみにぼくはその間バイトと学校と家事の三両立にてんてこまいプラス東京という大都会に振り回されっぱなしでそんなことはまるで気にせず惰眠を貪ることに忙しかったわけで、まぁあとは押して知るべしと言うか。
大学の教室は、広い。少なくともひとつの教室に席が50くらいは用意してあるし、大講堂に至っては、もう、なんていうか、コンサート? の域にまで達していた。それに教授も高校までの先生みたく積極的な客いじりならぬ生徒指名などもしないので、まぁ、なんというか、私語も多かった。
というわけでぼくみたく教室の隅で静かに休息をとっていた生徒は、むしろ中の上といったところだったのだろうか。むろんたぶん甘い評価であるとの自覚はあるが。
そんな生活にも慣れてきて、授業中も半分くらいは起きていられるようになったいま時分。存外にもぼくは、授業を結構楽しんでいた。それぞれの授業が、こういってはアレだが高校までのような教科書通りなスタイルではなく、それぞれが独自の視点から研究した、ある種偏ったものばかりだった。それはまさに、授ける業。自分が信じるものを後進に引き継がせ、さらにゼミという形で選択させ、研究し、高みを目指す。
言い過ぎだという自覚はあるので、反論は認める方向で。それにしても、モチベーションの高いその在り方は、望ましいモノだった。心地よい、それは在り方だった。
ぼくは夢見心地で、それを子守唄のように聞いていた。
ぼくは俯瞰でもする心地で、その光景全体を眺めていた。
視界の端で、男女がキスを交わしていた。それに教授が気づく様子は無い。その他大勢も自分たちの内職に忙しく、そんなことに気を留める者は少ない。語弊があるようだが実際全体の半分に満たないくらいはそこそこ真面目に授業を受けていたりはする、一応。
ああ、青春だな。
そんな風に思ったりした。やはりそれは、遠くに感じた。そういえば先ほども咄嗟に俯瞰という単語を使ってしまった。
愛って、なんだろうね。
こんな甘酸っぱい疑問が湧くようになったのは、両親の呟きを聞いた気がしたせいなのだろう。物心ついた頃より、あまり欲求という欲求を感じたことは無かった。それが当たり前だから、その感覚について想うことはなかった。だからずっとこうして生きてきて、このままずっとこうやって生きていくのだと思っていた。
愛は麻薬のようなものだと、聞いたことがある。その甘い響きに、心惹かれなかった日が無いとは言わない。
だがなぜ、このタイミングなのか?
両親が逝ったのは、もう11年も前のこと。なのになぜ、今さらぼくは両親のことを思い出しているのか? いや本当に思い出しているのか? なにかの啓示なのか? それともただ単に、初めての一人暮らしで感傷に浸っているだけなのか?
「…………」
大学に入り、上京して一人暮らしを始めて、考えごとをする機会が増えた。会話をする必然性が少ないので、自分の心を見つめる機会が増えたのだ。それはすなわち、自分自身と向き合う場面が増えたともいえた。
そのせいなのか?
「なんてね」
くるり、と指の上でペンを回す。高校までは出来なかったが、大学に入って出来るようになった特技のひとつだった。調子に乗って、なにかあるたびにやっていたのも、つい半月前まで。自分の飽きっぽい性格もどうにかしたいと思う今日この頃だった。
実際のところそんなこと考えたって、わかるはずもない。世の中理解出来ること、予想出来ることの方がよっぽど少ない。例えば、そう。
両親が事故に遭うだなんて予想さえできていたのなら、決して旅行になど行かせなかったというのに。
「あ……ったく、またか」
頬から流れるそれを、慌てて手の甲で拭う。イヤなのは、それをコントロールできないこと。イヤなのは、別に悲しいから流れているわけではないということ。イヤなのは――あの事件に関して、ぼくは別になんの感傷も抱いているわけではないというのに。
イヤなのは、行かせなかったという、ぼくらしくもなく強い言葉を使ってしまっているということ。
「なんで……だろうね」
ある程度溢れたそれを拭い去り、そしてカラっと笑う。ぼくらしく笑う。そして顔をあげ、授業に没頭する。必修授業でない科目の方が、ぼくは好みだった。情報Ⅰなんてただパソコンの使い方を教えるだけ、パソコン教室かとも思うし、高校の延長線のようなその在り方は――いや回りくどいな純粋にちょっと、イヤだった。
それもきっと慣れるのだろう。今は高校時代がそういう科目のみだったから、バランスの関係でそう感じているだけなのかもしれない。確証はないが、それこそ考えても仕方ない事を考えても、時間の無駄に違いなかった。
だから両親のことを考えても、きっと時間の無駄だった。そうまとめて、自分を納得させるのが日課になっている気がした。
どこか空虚で、それは手応えのない話だった。