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二十八話

 終電は、ピーク時のざっと2倍の混みようだった。ひととひとの圧迫感で、足が宙に浮いている気さえした。押し込まれ、人の体温が熱く、鬱陶しく、酒臭くて、たまらない気持ちになった。発酵させられているのは自分の方ではないかという錯覚さえ起こした。こんな状態が三十分も続くというのが信じ難かったが、なんとか耐え抜いた。そして帰りの道のりを這うようにして進み、なんとか家に辿り着いた。

 ベッドにダイヴ、気持ち悪かった、赤羽のそれに当てられたわけじゃなかったが少しだけ吐き気もした。でもどちらかというと人酔いしたというのが本音だと思う。

 ――なんで東京に来た?

 ぼくは自身に、問いかけていた。一人暮らしをしたかったからだと、親戚の保護から解き放たれる為だと思っていた。だけどそれならば東京でなくてもよかったはずだ。同じ県で別の家を借りればいいし、隣の県でもそのまた隣の県だって、いくらでもやりようはありる。

 東京で、こんな風に荒波に弄ばれる必要も無かったと思う。

 でもきっと、笑いたくなかったのだ。笑いたくも無いのに、気遣われたくも無いのに。きっと両親は、ぼくの足枷になっていると思う。あれからずっとぼくは、わかった気になり、そしてずっとATフィールドならぬ見えない壁を張って、そのなかで生きてきた。

 誰かにこの壁を、壊して欲しかった。

「っ、くそ……だいぶ、酔ってんな」

 うつ伏せにベッドに突っ伏したまま、一歩も動けそうになかった。時間が知りたかった。明日は果たして、定刻通りに起き上がれるのか? じゃないと、彼女――いや、どうでもいいか、あんな世間知らずの社会不適合者、どうなったって、別にどうでも――

 結局起きられたのは、昼も回った午前11時過ぎだった。瞼を開けて、頭をあげて、網膜を焼く強烈な西日にぼくが考えたのは、最初シャワーと歯磨きと朝ご飯を諦めるか否かで、次に考えたのは大学自体をどうするかという葛藤で、しかしそれも数秒も経つとバカバカしくなり、立ち上がって、まずは顔を洗ってスッキリすることにした。

シャワーは、諦める。続いて歯を磨いた。朝ご飯は昼ごはんとセットで、学食で食べることに決めた。そして手早く下着だけを着替え、同じ服装で玄関に向かった。

出る前に一度だけ、振り返った。こんな時誰かがいたのなら、いってきますとぼくは言ったのだろうと。

 益体のない、それは話だった。

 大学に着いたのは、結局12時前になった。もう少しで昼休みに入る。だったら先に学食でいい席をとっておこうか? ぼくは考えた。それともうひとつの案件も、先に片付けておきたいと思った。ぼくは正面玄関を抜けて、真っ直ぐ階段を目指し、例の中庭を覗こうと――

「あ」

誰かが声を、あげていた。

 反射的にぼくは、振り返っていた。

 そこに、背の低い、ツインテールが立っていた。

 思わずぼくは、声をかけていた。

「確か……掘、深雪さん?」

「――コンニチワ」

 まさか同じ大学だとは、思ってもみなかった。そして遭遇するというのも、完全な想定外だった。

ぼくは、立ち尽くした。相手も同じようなものだった。お互い見合ったような状態で、少しの時間が流れた。それはきっと数秒に過ぎない筈だったが、その時のぼくには一分にも十分にも感じられる代物だった。これが遠くで見かけただけなら、しれっと気づかないフリをしてやり過ごすところだったのに。なにしろこの子はなにをどう考えても、ぼくとは合わないタイプの人間だ。それがまさか、こんなタイミングで――

「あ」

 なにかに気づいたように、再度堀さんは声をあげた。それにぼくは、視線の先――ぼくの真後ろに、振り返る。

 そこにいた人物と、不意に目が合う。

「あ」

 それにぼくも、思わず声をあげる。

 そこにいたのは、顔を覆い隠さんばかりの長くあまり清潔とは言えない黒髪と、そして黒いシャツに黒いレザーパンツに黒の革靴と、やたらに黒ずくめな人物――

 にこり、と笑われた。

 それは、嘉島だった。


 学食についてから、そういえば中庭を見るのを忘れていたことを思い出した。あまりのショックに、すべてが頭から弾き出されていた。半分二日酔いだった頭が、強制的に覚醒させられた気分だった。

 まさか。

 まさかほとんど話さなかったこの二人が、付き合うことになっていただなんて、思ってもみなかった。

『――――』

 沈黙が、おりていた。今度はこっちがひとりで、向こうに堀さん、嘉島の順で座っている。まだ昼休み前の学食、人の入りは疎らだった。それでも人目を避け、奥の方の席に座った。頼んだメニューは、B定食。向こうは、嘉島がB定食で、堀さんはA定食。お金は嘉島が出していた、既に尻に敷かれ始めているのかもしれない。

「……えーと、」

 沈黙に耐え切れなくなり、ぼくはなにかを切り出そうとした。切り出そうとして、既に堀さんが食事を始めていることに気づいた。お味噌汁の方から、お上品に口をつけていた。完全に手玉に取られている情けない男たちだった。ぼくは助けを求めるように、嘉島の方に目を向けた。

 嘉島はこちらの視線に気づき、口の端を緩め、照れたように笑った。


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