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二話


 大学での日々は、それまでの学校でのソレとまた一味違うものだった。完璧にスケジューリングされ、管理され、培養されてるような感覚から、ソレは少し外れていた。世は自由、もしくはレジャーランドという言い方も流行った時期があったらしい。なるほどその表現は言い得てそう間違いでもないかもしれない。

 海外には、フリースクールというモノがあるらしい。感覚的にはソレに近いように思えた。机の上に座り込むようなラフプレーこそないが、席順も決まっていないし、服装も自由だし、ある種出席の可否さえ各々の裁量に任せられているといえた。これはこの段階が学校過程最後の砦だというのも、納得の事実だった。最初にここを味わってしまえば、他のレベルの校則に戻ることは不可能といえた。

 その自由さがぼくに与えたものは、初めは戸惑いで、次に驚きと理解で、最後に適応と安穏だった。

 ここにはぼくに指図するような人間は、誰もいなかった。そして同時に、ぼくを気遣う――つまりは気を遣うことを求めるような人間もまた、いなかった。

 ぼくはそこで、空気のように生きた。誰とも関わらず、誰にも迷惑をかけず、誰からも優しくされず、ぼくはただただ慎ましく、スケジュール通りに課目を履修していった。

 友達はあえて、作らなかった。出来るだけ誰とも顔見知りにならないよう努めた。スーパーに行く時も、顔を伏せて歩いた。そんな風にまるで隠れるようにして、ぼくは日々を過ごした。面倒だったのだとも、少し違った。ただ両親がいなくなって以来、常に好奇の視線に晒されてきた自分としては、ただのなんにもない当たり前の一般市民として振る舞えるのは新鮮で、離し難い、そういう感覚だったのだ。

 ぼくは別に、慰めが欲しかったわけじゃない。特別扱いして欲しかったわけじゃ、なかった。じゃあ逆に適当にあしらわれたいかといえばそれも少し違う気もして――というわけでぼくは自分で自分の気持ちに、整理がついていなかった。

ただそれじゃないという逆説的な確信だけが、あった。

 ただ。

時折ふとした瞬間に、形容し難い妙な感覚に襲われることがあった。あるべきものがないというか、欲求に焦がれているがなにをどうしたらいいのかわからないというか。

 ただ、なんというか――自分で自分の心が、わからず。

生きているという実感が少しだけ、欠けていた。

「…………ふぅ」

 そんなよくわからない想いを今日も抱え、ぼくは眼を覚ます。強烈な西日に、眼を細める。いい加減、カーテンをつけなければならないかとも思う。

 ひとり暮らしを始めた時、揃えたものは最小限だった。引っ越し業者を見送った次の日から、IKEAとビックカメラを回ってベッド、洗濯機、冷蔵庫、炊飯器に僅かな食器類と、布団に毛布を買い揃えた。その後一週間くらい、それこそ死んだように眠った。たぶん、一日14時間くらい眠ったと思う。環境の変化や居候を終えた安堵感、その他諸々でいくら眠っても寝足りなかった。そして残りの一週間で料理や掃除などの家事を練習して、アルバイトも決め、その後入学式を迎え、さらに2ヶ月経った現在に、至る。

 ひとり暮らしは、生きている心地がしなかった。ひととの接触が、何も無い。だから自分の人生計画を、100%完璧に遂行することが出来た。7時半に起きて8時に朝ご飯を食べて8時半に出かけようと思えば、その通りに出来た。それを妨げる事象は一切なかった。番組権を争う必要も無く、ひと目を気にせずエロ本も読み放題、どれだけ夜更かししても偏食しても文句のひとつも出るわけもなかった。

 自由だった。

 自由過ぎた。

 ひとの行動を縛ることが、結果としてそのひとの実在を顕す――観測者の有無。ひとりが過ぎると、哲学者にもなるというのも発見だった。油断すると、すぐにでも自堕落に陥りそうだった。とりあえず入学してまだ一年目の、前期。堕落するのは、まだ早いと思えた。

 だからまだ眠い瞼を擦り、覚醒しきっていない身体を動かし、ジャージからTシャツとジーンズに着替え、目玉焼きとベーコンとトマトにトーストという簡易な朝食を胃袋に詰め込み、コンバースのスニーカーで足元を固め、玄関の扉を開けた。眩しいソレに、手庇を作って眼を細める。

 さて、今日も一日が始まる。


 大学に着き、なんとなしに周囲に目をやりながら、ぼくは構内を歩いていた。大学の中ではバスケサークルの連中が3on3に興じ、視界の端では男女が仲睦まじく談笑に花を咲かせ、反対側ではメガネにリュックの三人組がなぜか一冊のアニメ雑誌を仲良く食い入るように見つめていた。

 そこにはいわゆる、青春の群像が繰り広げられていた。みな、それぞれの春を謳歌していた。仲間、恋愛、趣味。そして他にも目に見えない所でみな、この自由で人生の夏休みといえる日々を楽しんでいることだろう。

 それは一種の楽園。理想郷ユートピアともいえる代物だった。小学校から高校までを監獄のように感じていたぼくからすれば、それはそういうモノに映っていた。

 花が芽吹き、蝶は舞い、天使たちは美しい歌声を振りまく。なんと幻想的で、眩しくて、そして遠いソレは景色なのだろうと思ったりした。


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