十七話
動悸が、止んだ。震えも止まった。心も落ち着いている。というか頭、真っ白だった。
――わたしが、みえるんですか?
散々話してきたじゃないか。散々やり取りしてきたじゃないか。それなのに今さら……みえるか、だって?
ヤヴァい。いや確かに今までも相当ヤバかったが、今回のヤバさはヤヴァ過ぎる。人間本当にヤヴァい場面に出くわすと、ここまでなにも考えられなくなるんだな、と逆の意味で勉強になっている今日この頃だった。
さすがは大学、さすがは東京。まさか人間以外の生物に遭遇する日がくるなんて。
てゆうかそんなワケ無いってわかってはいるけれど、一応。
とまぁ色々考えて、ぼくは次の行動を決めた。
「――だったらオレは、今まで誰と話してたんです?」
少し、醒めた目をしていると自分でもわかった。さすがにぶっ飛び過ぎている。今まではまだなんだかんだ言って理解は出来たが、今回のは次元が違っていた。だとしたら今までの会話にやり取りは、なんだったというんだろうか? いやまぁ確かにこんな大学の、片隅とはいえ中庭をボコボコ掘っててなにも言われないんだから、半分幽霊みたいなもんなんだろうか? そういやオレ、霊感あったっけ?
それに彼女は――なぜか申し訳なさそうに後ろを、指さしていた。
目を、瞬く。
「? ……? ??」
目を凝らして見ても、そこにあるのは壁っていうか土っていうか、そういうものだった。よく見ると鉄柱が埋め込まれているからどんだけ本格的に掘ってんだよとは思ったが、しかし一体――
「あの……その、どゆこと?」
ちょっと変な口調になりながら再度尋ねると、輿水さんはうろたえるような瞳でこちらを見たあと、再度プルプルと震える人差し指である一点を――
ぅえ?
まさか――
「あの……まさか、その……」
その指先は、少しづつ移動していた。その先をさらに集中して見つめてみると――微かに蠢く、黒い影。
アハハハそっかーオレ今までその芋虫と話してたんだー。
「フザけんな」
久っしぶりに、こめかみに青筋が浮いた。イラっとした。どんだけバカにしてんだよと。不思議ちゃんで許されるのは犯罪犯した人間が精神鑑定で認められた時だけだぞ。今まで怯えるフリしてたのも腹の底ではニヤニヤしてやがったのかこの野郎、野郎じゃねーけど。
「ひっ!」
案の定ビクッとしたけど、そんなの関係ねーの気分だった。っていうかおかしいだろ、この場合。ここはキッパリ、男らしく言うこと言おう。
ぼくは軽く息を吸い込み、
「……芋虫と? オレが? 話してたって?」
ついつい詰め寄るような口調になり――
「だからっ!」
弾けるように、彼女は叫んだ。
初めて聞くような、大声で。
「錯乱されてると、思ったんですよ!」
シーン、とやけに静かになった。なんにも聞こえない。ついさっきまで、ぼくも彼女も心の中も芋虫だってチマチマ動いて色んな演出してたのに。真っ白、僅か1分くらい前にタイムスリップしたような気分。
――錯乱?
ぼくが?
「な、なんで……」
やっと絞り出すように、それだけ尋ねた。
それに彼女は両手で守るように顔を包んでガタガタ震える体をなんとか抑えつけるようにしながら、
「だ……だって、この、穴の中に、いる、から……きっと間違って、落ちちゃって、それで……あ、頭を打って、わけ、わかんなく、なっちゃってるのかな、って……」
「…………」
異次元。宇宙空間。もう何度目だ。それだけが温泉から湧き出る泡のように心に現れ、そして消えていった。
尋ねる。
「……なんでそれで、きみは返事を?」
「だ、だとしたら……可哀想だな、返事も無いと寂しいだろうな、って……それで、お節介かもしれないけど、でも……」
一応優しい子だということ、なのだろうか。大変に変わった切り口だということを別に考えれば、だが。
この周波数に合わせるように考えて――質問。
「……だったらその、みえてるんですかっていうのはどういう意味なんです? きみは幽霊か、なにかなんですか?」
出来るだけ怯えさせないように、言葉を選んで冷静に、尋ねた。
彼女は自分の手で作った防空壕から涙ぐんでじゃないかってくらいの弱々しい視線をこちらに向け、
「あの…………だってずっと、わたし……透明人間だって、言われてきたし」
ビリッ、と背筋に電流が走った。氷柱が差し込まれたり真っ白になったり忙しいなと自分でも思うが事実なんだから、仕方ない。
彼女の正体に、ぼくは事ここに至って、気づいた。
彼女は――イジメられっこだ。