十三話
唐突な言葉に、思わず軽く含んでいた水を吹き出してしまう。なんとか目の前の男には掛けずには済んだが――
「そ、それはなんていうかその……御愁傷様」
「ま、仕方なかばい。東京出るって言って、遠距離やっけんね。よか女やけん、向こうで男作ったってさ。ま、おいのせいじゃなかしね」
淡々と話しながら、頬杖つきながら、ちょいちょい水を挟みながらではあるが、しかし目も表情も笑ってはいなかった。プライドが高い男なのだろう。
「そっか……うん、まぁ、人生色々だよな」
「だよな。というわけで、女紹介してくれん?」
「は?」
いやー文脈無さ過ぎだなと、感心すらしてしまった。唐突にも程があった。まぁいずれにしても、
「いや、無理だって。赤羽も見てわかる通り、オレ、友達いないし」
「そーだよなー、てなわけで、合コンせん?」
うわ軽っ、と思った。九州男児で熱くて漢らしいと思ってたのに、評価反転だよ。ぼくはそんな荒ぶる胸のうちを見せないように気を付けながら、
「ご、合コン?」
「そ、合コン。やっぱ大学って言ったら合コンじゃなか? ってか合コンと思うとさね、それに東京やし、可愛いか子いっぱいおるやろ? 一気に知り合うには、やっぱ合コン。やろうぜ?」
「やろうぜたって……言ったように、オレには知り合いが……」
「ランクが一個落ち取るやっか。別に今すぐとは言わんけどさ、せっかく大学入っとっとやっけんさ、青春ぽいこと色々やろうぜ。ひとりでおっても、なんも楽しくなかろ。な?」
ニヤリ、と笑われる。意外と曲者かもしれない。ぼくは心の中で戦々恐々としながらも、その意見に――イエスもノーも言えずにいた。
結局そのままぼくは、バイトに向かった。その日の客は、比較的大人しい類だった。だからなのかバイトの上司もそれほどいびってこなかくて、実に平和にその日を乗り切ることが出来た。よかった、もう今日はこれ以上のインパクトはいらなかったから。そしてノタクタと帰りの道を踏破し、そしていつものようにベッドの上に倒れ込んだ。疲れた。腹も減ったけど、いいや。昼間のラーメンは美味しかったな。纏まらない頭は混沌のまま、ぼくはそのまま深い眠りに落ちていった。
夢を見た。青く長いとぐろに、身体を巻かれる夢。最初蛇かと思った。だとするならこれはフロイトの夢判断によれば、性欲がどうとかという話になる。しかしフロイトは全般的にそういう傾向があるから、ユング論も――と考えた所で、それは蛇ではなく帯ではないかという考えに至った。頭がない。だが帯にしては太い。まるでオーロラが巻きついてるように錯覚する。しかし、なんだこれは? ぼくの身動きでも取れなくしているのか? 考えてるうちにぼくは、それに締め付けられるでも、かといって解放されるでもないまま、一歩、歩み始めていた。
そのまま一歩、また一歩と、歩き続けていく。なぜかぼくはその帯を取ろうという気持ちだけは起きなかった。まるでその帯が、ぼくの身体の一部とでもいうかのように。そして当たり前に顔を洗い、歯を磨き、シャワーを浴びて、外に出かけた。行く先は、高校か大学か会社か――いや、社会か。そうかこれは象徴で、ぼくはつまり、この帯――いや。
ぼくはふと、視線を下げた。
それは――しがみつく、子供の頃のぼくと、平べったく成り果ててしまった顔の無い父親と、母親だった。
薄汚れた天井の、蛍光灯が目に入る。
「…………」
久しぶりに、とても嫌な夢見心地だった。一応頬に手を当てるが、涙は流れていない。なにかの暗示か? いやな感じだった。誰にも邪魔されずに自分のペースで起きられることが、逆に夢をじっくり吟味出来過ぎて嫌な夢の内容もハッキリ把握してしまうという両刃の刃になるとは思ってもみなかった。
ゴロリ、と横になる。小っさいプラスチックのテーブルのうえに、スープも捨てていないカップめんやカップ焼きそば、ポテトチップスの残骸たちが散らばっていた。床の上にも取り込んだだけで畳んでいないズボンや下着にTシャツ、視線を転じるとテレビのうえには埃がたまっていた。掃除もずいぶんしていない。放置されたキッチンだけ、やたらとピカピカだった。
部屋だけは立派な、大学生になりつつあった。
その事が少しだけおかしくて、ぼくは笑った。
「朝飯、どうしよっかな……」