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その後


 みんなの記憶の中に、彼女はいなかった。誰に聞いても、輿水菖蒲という名を知る者はいなかった。唯一の希望と嘉島にも聞いてみたが――申し訳なさそうに、顔を伏せるのみだった。

 消えてしまった。

 結局彼女は、世界の位相からズレるというやつを、成功させたのだと思う。さすがは我らが天才少女堀深雪ちゃんが恐れをなすほどの化け物、我々に出来ないことを平然とやってのけるそこに痺れる憧れるぅ、という感じだった。

 俺だけ、覚えていた。

 結局俺たちは、それから当たり障りのない毎日を過ごした。大学へ行き、講義を受けて、みんなと駄弁り、たまにカラオケ行ったり飲み会行ったりして、楽しく過ごした。みんな楽しそうだったが、俺は少し申し訳なかった。嘉島と深雪ちゃん、赤羽は一応名義上は菅原さんと付き合ってる的な感じになっているというのに、俺みたいのがいても空気悪くなるだけじゃないのか? と。

 もちろんいっぺんそんなん言ったら、赤羽に結構引くぐらいぶん殴られて、泣かれて、それっきりだが。

「……別に気を遣わなくても、いーのにな」

 俺はそんなことを思いながら、正面玄関の前でひとり外を見ていた。もちろんどこを見ているかといえば、中庭に決まっていた。二度と、会えることなどないことはわかっていた。

 あれから、一年。

 俺は何度も何度も――何十回も何百回も、中庭に出た。中庭に出て、あちこち掘り返しに掘り返して、彼女の世界へと続く入り口を求めた。もちろんというか哀しいまでに現実的に、そんなもの見つけることは出来なかった。何回何十回と、用務員さん的なひとに怒られたことだろう。だけど徐々に理由を明らかにしたら、最後はむしろ味方になってくれた。微妙に泣いて、わしも若い頃はとか言われたのは、なんだか胸が熱くなった。同情が、嬉しかった。

 諦めた、わけじゃなかった。

 だけど、一年だった。

「……会いたいよ」

 俺はふと、呟いていた。

 気持ちは折れそうに、なっていた。

「……どこ、行っちゃったんだよ」

 位相が、本当に住む世界が二次元から三次元、もしくは三次元から四次元くらいにズレちゃったとしたなら、それはもう――手出しのしようも、ないじゃないかよ。

「そりゃないぜ……」

 気づけば俺の右頬を、一筋の涙が伝っていた。

「俺……まだ、告白の返事も、聞いてないじゃんか……」

 一筋は二筋になり、三筋四筋五筋と増えてそれは一気に、止まらなくなっていた。

 切なかった。本当に。こんなに胸が苦しい想いだなんて、両親への罪悪感以外であるだなんて、思ってもみなかった。でも違った。

 あった。

 もっと苦しくて、切なくて、無理やりじゃなくて心の内側から染み出してくるような、そんな心の痛みを、感じるものが。

 痛い。

「痛い、よ……輿水、さん……」

 涙は、止まらなかった。止める気も、なかった。溢れ出る涙が、やり切れない想いの代替物のようだった。溢れるだけ溢れれば、少しは気持ちも楽になった。楽にして、いつも通りの日常をこなして、心配させないようにして、そして夜、独りになった時、彼女がいない世界に気づかされて、思い知らされて、絶望して、死にそうになって、月日に、夜に殺されそうになった気分で、死んだように眠りに着くのだ。

 いつか。

 老いが俺の命を、本当に奪い去ってくれるその日まで。

 俺はきっと、そんな風にして魂の抜け殻のようにして、生きていくのだろう。

「なに……やって、んだろうなぁ、俺……彼女が、俺を……まともに、して、くれたって、いうのに……本当なにして、るんだろうなぁ、俺……」

 泣けて泣けて泣けて、どうしようもなかった。本当言えば今すぐ肉体を捨てて、自由の魂だけとなって、彼女の元に旅立ちたかった。

 それが出来ないことは、十二分にわかってはいた。

 もう俺の心、ぐちゃぐちゃだった。

 マトリョーシカの、面目躍如だった。

「くっ、そが……!」

 目元をぐちゃぐちゃに、拭った。今日はいつもより、感情がコントロールできなかった。やっぱり一年という時間は、とても永かった。

 なにかを想うには。

 なにかを、なにかを――

「泣いとっとや?」

 いついたのか、全然まったく気づかなかった。

「あん……だよ、赤羽。お前、いつ……くっ……いつ、からいて……」

「泣けるよな、本当に」

 振り返らなくたって、わかった。

 こいつはいつも、激情家だから。

「っ、くっ、あ、あぁ……!」

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