百八話
これほど広大な街を、神殿を、作る必要がなぜあったのか? ぼくみたいな凡人には計りかねる問題で、とても理解は出来ない。だがこの不気味な部屋もおそらくは、科学的に――もしくかしたらオカルト的なもの、西洋東洋あらゆる根拠を用いて、辿り着いた境地なのかもしれない。研究とともに儀式的な意味合いも、含んだものなのかもしれない。
そんな彼女の、内包する領域。
誰も寄せ付けない、絶対の空間。
「……ぼくは、」
無力だ。
それをぼくは、実感していた。いつでも、昔から、今まで、本当にぼくは、無力だった。なにも出来なかった。誰にも、なにも、してあげられなかった。今もこうして、目の前で掛け替えのない恩人が孤独の淵から飛び降りようとしているのに――
ぼくは。
オレは。
「――俺はっ!!」
叫んだ。もちろん彼女はこっちを見ない。そうこうしている間にも命を散らそうとしている。
知ったことか!
ぼくは倒れ伏す彼女の両肩を掴み、引き起こした。
彼女の瞳が驚愕に見開き――揺れる。
「ひぇ? わっ……え、あの……へ?」
「俺はっ、貴女に、生きていて、欲しいんですっ!!」
面と向かってぼく――俺はめいっぱい、叫んだ。
彼女は目をくるくるさせて、最初を思い出させた。
ぼくはもう死ぬほど、頭に血が上りきっていた。
「は? え、でも、そっ……ぇえ?」
「なんでかって!?」
ぶんぶんぶん、と彼女はすごい勢いで頭を上下に振りまくっていた。
俺は目を閉じ、歯を食い縛り、腹に力を込めて、一回だけ大きく息を吐き、吸って――
「それは――俺が輿水さんを、好きだからだああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
頭、真っ白になった。
心臓の音しか、聞こえない。例えるなら、世界そのものが心臓の音になってしまったかのようだった。
喉を突き抜けていった魂の雄叫びは、むしろ魂まで吐き出してしまった感があった。
俺は一瞬、空っぽになっていた。
「……………………え?」
人生賭けた告白の返事は、とても切なくなるものだった。だけどあんだけの音量で、届かないわけは無いと思うのだが――だが相手はあの、輿水菖蒲。
その絶対空間との波長が合わなければ、なにを届けることも出来ないのだろう。
って、俺、もっかい告白しろってこと?
「え……いやその、それは、ちょっと……」
「その……」
ビクッ、とした。マジで体が、総毛立った。ビリビリビリ、と体が痺れる心地だった。
「な――んで、す、か?」
カチッコチッカチッ、とロボットにでもなったようにギコチなく、振り返った。
気づけば輿水さんは、ぼくの目の前にまで迫っていた。
深い瞳が、ぼくを映し出していた。
心臓が嘘みたいにバックンバックン、鳴っていた。
「……あ、の?」
「いま、なんて、いったんですか?」
さっきまでの彼女じゃなかった。
初めて会った時の彼女でもなかった。
今まで見てきた彼女とも、少しづつ違っていた。
けれど今まで見てきたどの彼女とも、少しづつその側面を保有していた。
これって――
「いま……俺、は……貴女が好きって、いったんです」
透明だった。ぼくはそう感じていた。純粋だった。さっきもそう感じた気がする。純粋な、水のようだった。輿水菖蒲。いい名前だと思った。なんて美しく、綺麗な名前なのだろうと感じていた。
穴を掘ってるからなんて、所詮口実だった。
俺はその在り方に、最初から惹かれていた。
「貴女が、好きです……たぶん最初っから、好きでした。貴女のすべてを、細胞で感じていました。それをねじくれていた、マトリョーシカなせいで、理解できていませんでした。でも今なら、今でも、今こそ――」
「……わたしが、見えるんですか?」
それは最初に問われた、始まりの交錯。
俺はなにも考えず――考える必要さえ脳裏に浮かべることなく、答えていた。
「見える」
「本当に?」
「本当に」
「わたしを――」
「見えるさッ!!」
いつの間に俺は、彼女を抱き締めていた。
いつの間にか俺は、メチャクチャ泣いていた。
「……なんで、泣いてるんですか?」
「貴女を思うと、哀しくて、切なくて、泣きたくなくても泣けて泣けて仕方ないんですよ!!」
「……わけ、わかんないですね」
「わかんないですよっ!!」
「ハハ……」
「笑っちゃってくれても、いいですよ! 酷いですよ、自分でも思いますよ、好きだとか言っておきながら先にキスしちゃってるし、返事も待たずに抱き締めちゃってますし、勝手にひとりで自己完結して泣いてて、みっともなくて、カッコ悪くて、もうそれでさらに泣けてくるっていうか、その――」
「……ありがとう」
声が、震えていた。
ぼくはハッ、として、肩に沈めていた顔を上げて後ろに引いて、確かめた。
確かめてしまった、失礼とは思いながらも。
「……バカ」
顔をくしゃくしゃに歪め、顔中涙にぬらしながらも、バツの悪そうな表情をしながらも――
「ホント……デリカシー、無いんですね」
彼女は哀しくなるほど嬉しそうに――笑っていた。




