百六話
ぼくはベラベラと言葉を綴りながらも、本音との齟齬を感じ取っていた。
嘘だ。すべて。常識、当然の疑問を、さも自分のもののように並べ立てて、それらしく振舞っているだけだ。
逃げるなって、言ってんだろうが!!
「――違います。ぼくが聞こうと思ってたのは、言おうと思ってたのは、そういうことじゃない。そうじゃないんです。ぼくが、ぼくが言いたいのは……」
「耳が、聞こえないわけじゃない」
読心術。
じゃなくたぶん話の流れ、目線、声の抑揚その他もろもろから統計的に判断する、プロファイリング。
ぼくは息を吸って、吐き出した。気分が微かに、落ち着いた。
「……なぜ、今まで?」
彼女はそこで自然に瞼を開けて、そしてしたり顔で耳に指を突っ込んで、そこから――耳栓を、取り出していた。
どこかで予感めいたものが、あった。
だからぼくは、どんどん冷静に――本当の自分に、近づいてきた。
自分を騙し、罰しだす前の、そのままの自分に。
忘れかけていた、元来の自分に。
「……キミは、椿樹くんと、会ってたんだよね?」
「わたしは、わたしの目的を、達することが出来ました」
「それはおめでとう。心から、祝福するよ」
「ありがとうございます」
「でも、死んじゃいけないよ」
ぽっかりと、空白が訪れた。それはいわゆる単なる沈黙の時間ではなく、心のブランクだった。
ぼくの言葉は、彼女に届いていない。
もっといえば、彼女に響いていない。
ぼくは、彼女と視線を交えた。
以前畑で見たような、深く、底の知れない瞳だった。
「死のうと、してるんだろ?」
「死ぬわけじゃないです」
「だったら、なんなんだい?」
「肉体の支配からの、脱却です」
「それって、つまり……幽体離脱とか、そういうことかい?」
「世俗的な言い回しですね」
彼女は少し、笑ったようだった。
今まで見たことが無い――だけどなぜかよく似合う、酷薄な感じで。
「そう、かな?」
「位相を、ズラしたんです。彼に、至る為に。彼を、観測できるようになるために。彼に、観測されるようになるために。その為に、人体という不便に不都合なものから解き放たれて、もっと自由で汎用性の高いものに乗り換える必要があった。ただ、それだけのことです」
「ひとを、越えるって?」
「別のものになるだけです」
「夢物語だね」
「あなたは、みたのでしょう?」
その深く計り知れない瞳は、確実にぼくの心を捉えていた。
「あなたは、視たのでしょう?」
「視たよ」
数秒の沈黙が流れた。
ぼくは一度目を閉じてから、現実に目を向けた。
「……彼の肉体は、いま、どこに?」
「そこです」
そんなに近くだとは、思っていなかった。
ぼくは彼女が指差す――左の奥に、視線を移した。
ドックン、と心臓が脈打った。
そこには、SFアニメかなんかで見るような――液体で満たされた巨大な楕円形のカプセルの中に、ほとんど傷ひとつ無いような幼児というか胎児の肉体が浮遊していた。
本当に、傷ひとつさえ確認できなかった。へその緒さえ繋がっていれば、今すぐ出産されるといっても疑わなかったかもしれない。
「こ、れが――」
「椿樹くん」
彼女は立ち上がるでもなく視線を送り――そのカプセルを愛でるように、撫でていた。
ありえない。横たわる彼女とカプセルは、ざっと3メートルは離れてる。いったい、どうやって――
彼女は肉体から、解き放たれていた。
ぼくが視ていたものは、コレか。
「輿水さん……」
「もう、少し……もう少しで、椿樹に会えるよ? ずっと待たせて、ゴメンね? けど、わたし、頑張ったんだよ? 椿樹くんに会いたくて、椿樹くんに逢いたくて――」
「ダメだ」
ぼくは。
ほとんど反射的という感じで、彼女の独り言に口を挟んでいた。
彼女は振り返ることはなかったが――ぼくの方もそんなこと、知ったこっちゃ無かった。
「ダメだ……ダメだ、死んじゃ、死んじゃ、だって、それで、もう、終わって……」
「それはあなたたちの考え方、世界の捉え方であって、死は現代医学において無数の解釈があり、脳死が――」
「知りません。知ったこっちゃありません。ぼくが、嫌なんです。オレが、イヤなんです」
「……なぜ、ですか?」
「輿水さんはぼくは、救ってくれたじゃないですか?」
ぼくはずっと、オジとオバに負わされた業に囚われてきた。
自分を許せず、罪を重ね、それから目を逸らし、気づかず、けれど罪からは逃げられず、自分を見失い、生きていながらそれは半分死んでいるような生き方だった。
それをぼくに突きつけてくれて。




