百四話
ぼくは咄嗟に、嘉島の背中にしがみついていた。予想通りというかそういうなにかに引っ張られるような感覚から、嘉島を引っぺがした。勢いあまって、後頭部を打つ。痛みは、なぜか無かった。それどころじゃなかった。
「嘉島っ!? だ、だいじょうぶか――」
絶句した。
嘉島の右腕には、文字通り蛇が二匹巻きついており手首、二の腕、肩と噛み跡があり――その二組、四本の牙は、嘉島の首筋に穿たれていた。
「か、嘉島……」
「きーちっ!!」
とつぜん、後ろから赤羽が現れていた。もう脱落したと思っていたから、かなりビックリした。赤羽は呆然とするぼくを尻目に蛇を引っぺがし、もう一匹が噛もうとしてきたのをチョップして気絶させ、二匹まとめて首根っこ捕まえて床に叩きつけ、嘉島をお姫様抱っこしてこちらを睨み、
「悪い上月、おい嘉島を病院連れて行くけん!」
一瞬だけ間をあけ、ぼくは少しだけ口元を緩め、頷いた。
赤羽はさらになにか言いそうな雰囲気だったが、ぼくの様子を確認して、なにも言わず笑った。
笑って、ぼくの肩を叩いて、そして去っていった。
ひとりになった。
ひとりになったけど――
「こ、づき……たのむ……こし……を!」
想いは、受け取った。
「…………」
ぼくはなにも言わず、黙って彼女のほうに向き直った。
無意識に、息を呑んだ。
彼女は蛇のプールの中で――全身を噛まれていた。
「…………」
どうしようもなく、吐き気が込み上げる。なんで嘉島はコレを見ても平気だったのか、理解に苦しむところだった。
赤が、網膜に刻まれる。血が、あちこちに飛び散っていた。まるでハリウッドの、スプラッタ映画だった。そう考えている間にも、新たに蛇が輿水さんの頚動脈にその牙をつき立てていた。
小石が投げられた湖水のように、血が飛んだ。
だけど輿水さんのその顔には、傷ひとつ付いてはいなかった。ただただ、白かった。血の気など、まったくないように。その両手も胸の前で組まれ、表情は信じられないほど穏やかで――まるで、死んでいるようだった。
「……輿水さん、」
ぼくは、呼びかけた。その、名を。
母親に耳が聞こえない、壊れた天才と称された、彼女に。
輿水さんは微かにも、反応を示さなかった。
「…………」
ぼくは、歩み寄った。彼女の、傍に。蛇が、のたうっていた。なぜここに手を出したのか? 嘉島の真意が、わからなかった。
わからないながらも、ぼくも、手を伸ばした。
一匹の蛇が、素早い動きでこちらに牙を、伸ばしてきた。
ぼくは慌てて、手を引っ込めた。
牙はそんなぼくの動きを追うことはなく、シャーッと鎌首をもたげて威嚇するだけだった。
彼女を、守っているのか?
「…………」
ぼくはとりあえず、彼女を見守った。無闇に手を出し、倒れて、運ばれるわけにはいかなかった。
ぼくは、考えていた。今までの、ことを。きっとみんな身を挺して、ぼくにヒントを出してくれていた。
菅原さんは、ぼくをマトリョーシカだといった。輿水さんとぼくは似ているといっていた。
美雪ちゃんは、蛇に気をつけてといっていた。彼女の底は、知れないといっていた。
嘉島は、ぼくたちふたりがなにかを求めているといっていた。そして言葉でなく、蛇に手を突っ込んでいた。
赤羽は具体的には何かアドバイスをくれたわけではなかったが、しかしその行動力、信頼が、ぼくに最後の一歩を踏み出す勇気をくれた。
だと、するなら――
「ッ!!」
歯を、食い縛って。
ぼくはそのプールに、飛び込んだ。
「オオオオオオオオオオオオオッ!!」
雄叫びをあげ、ぼくは暴れた。一瞬でも隙を見せれば、蛇に噛まれる! その前にぼくは暴れて、掻き分け、彼女の体を抱えた。抱えて穴のへりに足をかけ、一気に飛び出した。
その瞬間、アキレス腱に食いつかれた。
「くっ!?」
痛みにバランスを崩し、ずしゃーっ、と腹から滑り込んだ。それでもお姫様抱っこした彼女だけは、なんとか衝撃から守った。
摩擦熱で、火傷するかと思った。てか実際膝とか腹が擦れて、擦り傷で、たまらんかった。
「ってぇえ――――――――っ!!」
彼女から手を離し、その両方を手で押さえた。押さえながら後ろを向くと、蛇は追いかけてくる様子は無かった。焼けるような痛みってやつだった。と、思ったらアキレス腱も痛み出していた。そういえば、噛まれてた。なんかもういきなり満身創痍だった。
「っ、くくく、っつ……!」




