九十九話
視線は向こうを向いたまま、輿水さんは応えるような引き継ぐような形で、語っていた。たぶん、天井という意味で言ったのだと思ったのだが――直感的に天上かと、連想したりした。
寒気がするほど、それは有り得ない発想だった。
なのにぼくは、たぶん合っているとなんの疑問もなく確信していた。
「それに、ぼくもついていっていいかな?」
初めて、彼女は振り返った。
ぼくはそれに、めいっぱい素敵に見えるであろう笑みを浮かべた。
彼女はぼくに対して――やたらと冷たい視線を、向けた。
「なんで……死にたいんですか?」
たぶん、前半の文章と後半の文章の間には、目に見えない丸がついている。
だからぼくも、それに対応した。
「キミの、高みに……死にたい、わけじゃなかな?」
我ながら、わけがわからん。
だけど彼女は、
「……死にたくないなら、帰ったほうがいい」
「死にたくないけど、帰りたくはない」
ぼくは語りながら、一歩一歩と階段を上っていった。目算しての彼女との距離は10段分、だいたい3メートル弱。
高さで言えば、ひと一人分というところか。
もう少しで、ぼくはキミの高みに――
「……いいですけど、」
彼女は――初めて見るような、酷薄な笑みを浮かべた。
「いいんですけど……なら、いきますか?」
彼女はぼくのことを慮るような様子もなく、さらりと言ってのけた。
それにぼくは、冷たいだなんだと思う前にすごく本音でなと、気持ちよさすら感じた。
だからぼくは、恐怖に囚われるより先に、足を進めていた。
すべて、捨ててもいいだなんて一瞬、浮かぶくらい。
彼女との距離は、一歩も縮まることはなかった。なぜなら彼女もまた、てんじょうとやらを目指していたから。ぼくと彼女はまったく同じ歩幅で、螺旋階段を上り続けていた。ふと、いつまでこの階段は続くのかと疑問が湧くこともあった。内壁を伝うような形で作られたとてつもなく大回りな螺旋階段のせいで、僅か四階分の高さにたっぷり時間が掛かっている気がした。なぜこんな造りにしたのか、疑問が湧いた。
ぐるぐるぐるぐる回って、ふと、これが蛇なのかと思ったりした。
そして唐突に、彼女は足を止めた。
ぼくも間合いは詰めず、彼女の背中を見つめた。その向こうに、扉が見えた。おそらくあれが、てんじょうに続く入口だ。あそこに至る為の、これが今までの永い道程だったんだろう。
ぼくは彼女の反応を、待った。疑問が湧かないわけでもなかったが、ぼくはこの異常ともいえる状況に適応し始めていた。だんだん、なにも言われなくても、彼女の気持ちが空間に溶け込んで、こちらの心に染み込むような気がした。
彼女は、待っていた。
ぼくと、同じように。
ぼくとは違う、なにかを――
胸が、痛んだ。
「あの……輿水さん、」
咄嗟に呼びかけたその言葉を合図とするように、彼女はフッとさりげなく当たり前に自然に、扉を開けていた。そしてその体を、中に滑り込ませていた。動けなかった。本当にそれは心の隙間をつかれた、一瞬といえた。
ぼくは体感で3秒くらい呆けてから、慌てて走り出した。カンカンカン、と音を立てて残りの四段を駆け上がり――ぼくの目の前で扉は、閉ざされた。
ぼくは、叫んだ。
「なんでだよっ!!」
ガンッ、扉を叩いた。扉は鋼鉄製のようだった。めいっぱい叩いても、ビクともしない。ちくしょう。ぼくはもいっぱい、握った手の底で叩いた。微かに揺れもしない。なんだよ。ぼくは拳を作り、叩きつけた。
ビリリリィ、と肩まで突き抜けるほどの衝撃がきた。拳が、ひしゃげたんじゃないかと疑うほどの痛みが襲った。
ふと、赤羽を思い出した。
あいつを殴ったのが、人生初めての経験だった。
「ああっ、うぁ、くあああ!」
ガン、ゴン、ガッツン、とぼくは両の拳を振り回した。そのたび拳は最凶度の痛みに意識が飛びそうになった。拳が変形し、肩が外れたような感覚に晒され、それらに脳が焼き切れそうになった。
なんで。
なんで。
なんで、ここまで来て――
「ぼくじゃ、駄目なのかっ!!」
ぼくは咆哮し、何度目かになるかわからない拳が血で滑り、それでバランスを崩し、その場に倒れこんだ。
その途端、あまりの痛みに、ぼくは一種の金縛りのような状態に陥った。
「――――!!」
指一本、動かせない。大の字になって、首すら回せなかった。
ここまで、きたのに。
やっとキミのレベルまで、追いつけたと思ったのに。
こんな、ことって――
「だから言ったじゃないデスか?」
天から助けが、降ってきた。




