深夜の声
愛してる、という言葉が耳に残っていた。
ぼくは生まれてからずっと、愛という単語の意味を知らずに生きてきたように思う。ぼくには両親がいない。小学校2年生の時に、夫婦水入らずの海外旅行から帰りの飛行機事故で、いなくなってしまったのだ。当時7歳だったぼくにはそれは、本当にいなくなったようにしか感じられなかった。
両親は年に一回、一週間ほどまとめて休みをとり、海外旅行に行っていた。その間ぼくは大好きないとこの家にお泊り出来た。ぼくはそれが嬉しくて、その日もめいっぱい大好きないとこと遊び回り、おばちゃんの美味しい料理をお腹いっぱい食べて、ぐっすり寝て、次の日も楽しく一日を過ごすことを夢見ていた。
だから次の日に目が覚めて、飛行機事故で御両親がとか、機体は滅茶苦茶で遺体は見つからないとか言われても、なんの実感も湧くことはなかった。
そしてそのまま、ぼくは大人になった。保護者不在となったぼくはそのままいとこの家にお世話になり、小学校を卒業、中学を過ぎ、高校を終え、奨学金を得る形で、大学に入った。なにを考えていたわけでもなかった。ただ流されるままに、ここまできた。
大学は、上京した。ひとり暮らしを決めた。仕送りは、遠慮した。自立するための第一段階として、ぼくはアルバイトで生計を立てることを決めた。大学に通う為、選んだのは居酒屋のウェイター。睡眠時間は、一日4時間ほど。最初の頃は耐えきれずに、講義は寝てばかりいた。でも大学では、高校の時のような教育的指導は行われなかったので、なんとかやり過ごすことが出来た。
そしてそんな生活も、1ヶ月半も経てば慣れきた。うまい具合に気を抜く方法や、少しの空き時間に熟睡する術を身につけていた。そうこうしているうちに、一日8時間のアルバイトと、大学と、すべてひとりでやらなければならない不慣れな家事諸々のひとり暮らしも、なんとかやっていけるようになっていた。
そんな折り、ふと、夜中、誰かの声を聞いた気がして、ひとり眼が覚めた。
愛してる、と誰かがいった気がしていた。もちろんそんな言葉、生まれてからずっと言われた覚えはない。だから空耳。そうは思っていたのだが、横になって眼を閉じていると、改めて想う所があった。
――それは父の声だったのではないか?
――それは母の声だったのではないか?
そういう風に、想えるのだ。当時ぼくはまだ小学校2年生だったから、物心はつくかつかないかぐらいの頃。父や母の面影や、声の名残りくらいはあるような気がするレベルだ。そしてなぜ今さら、この歳になってとつぜんなのかもわかってはいない。
だが心の奥底に、確信めいたものがあるのもまた、事実だった。
愛してる。
不思議な、それは響きだった。胸の中がふわりと、むしろずしりと、しかしどの言葉もどの形容詞もピタリとハマるものなく、そしてそれはやはりとても不思議なとしか言いようのない感覚のモノだった。
愛。
その意味を知りたいなと、なんとなく考えたりした。