3日目 槍ヶ岳山荘
朝から快晴。
常念岳も槍ヶ岳もよく見える。
修三と陽介は西岳山荘を出発した。隣に寝ていた変な登山者は「絶対、あとから追いつくから」と声をかけてくれた。よほど体力に自信があるらしい。
二人は200メートルほど下り、また登りなおす。朝からハードだ。それでもだんだんと槍ヶ岳が大きくなってくるのが嬉しい。
槍ヶ岳3180m。日本第5の高峰である。尖ってピラミダルな頂上の形は有名で多くの登山者の憧れである。
1時間ほど歩いたところで、あの登山者が追いついてきた。
「速いですねえ」
「まだまだ若いものには負けんよ。お先に」
「、お気を付けて」
彼はひょいひょいと登っていった。体力もそうだが身軽というのは大きい。
すごいなあ、と陽介がうなった。全くだ。
やがて稜線上に登ると眼下に槍沢が見えた。巨大なカール(斜面をスプーンで抉ったような谷。大昔の氷河の跡)だ。時折槍ヶ岳の頂上を背景に写真を撮る。雲一つない青空に槍の穂先が映える。
10時半、二人は稜線を歩き続けて槍ヶ岳山荘まであと少しというところで、カールの向こう、奥穂高へ続く稜線に、あの登山者の姿を見つけた。もう槍ヶ岳は登頂し終えたのだろう。向こうもこちらに気付いた。そして大きく何度も手を振った。楽しそうな顔をしているのが遠目でもわかった。修三と陽介もトレッキングポールを振って応えた。彼は奥穂高へ向けて元気に歩いて行った。
11時、槍ヶ岳山荘に着いた。頂上の直下だ。
休憩後、リュックサックを置いて、貴重品とおやつとカメラだけ持って槍の穂先に挑んだ。鎖と梯子のロッククライミングをこなすと頂上だ。最後の鉄梯子を昇った。頂上は狭く、小さな祠があった。人が多く30分も居られなかった。チョコを食べ茶を飲んだ。そして全周絶景であった。
山荘前のベンチに戻ってアイスを食べていると、またもヘリが飛んできた。網に包んだ荷物をぶら下げている。食糧などの消耗品を運んで来たのだろう。とりあえず撮影。
カールの底にある槍沢の登山道を見るとたくさんの登山者が歩いている。
「見ろ、人がまるでゴミのようだ」修三は言った。
「あなたはいったい誰?」
「実は私も古い秘密の名前を持っていてね」
「、(ドキドキ)」
「ノムスカ・パロ・ウル・テツヤ(天空の城)」
「あっは、本当そのネタ好きだな」
この頃既にてっちゃんは勇名を馳せていた。
二人はいつでもどこでも馬鹿な話ばかりしている。
その後は槍沢をひたすら下る。
雪が少し残っているのに暑い。
名も知らない川の源流に浸したタオルで顔を拭いて「くうう~」とやっていたら、下から登って来たおじさんがカメラを構えた。
「気にしないでいいよ」とおじさんは言うが意識してしまう。修三はポーズを決めて青空の下、濡れて輝くタオルで顔を拭いた。「似合わんなあ、爽やかじゃないよ」と陽介が笑った。「コンクールに送るけど良いかな?」とおじさんが言った。二人はとりあえず頷いたが、送った結果どうなったのか今もわからない。
うんざりするほど、足が痛くなるほど歩いて16時、上高地に着いた。
上高地から新島々へのバスではひたすら寝た。新島々から松本への電車もひたすら寝た。松本駅前のビジネスホテルに投宿して居酒屋で乾杯したが早めに切り上げて寝た。
修三が、ノルマとして月一度の登山を己に課したのは、それからのことである。