1日目 燕山荘
修三が20代の頃の話。
盛夏。
熊本の現場をエンジン全開で片づけて、福岡の事務整理も超特急で終わらせて、修三は新幹線に乗った。そして大阪で陽介と合流し、陽介の車を交代で夜通し運転し、北アルプスを目指した。
夜2時くらいが最もきつかった。
10分運転しただけで修三は「オラ、もう駄目かも」と弱音を吐いた。
陽介が少し多めに運転してくれた。
初めての北アルプスである。地図も靴もそれなりのものを用意した。詳細なガイド本を読み込んで予習もした。それでも初めての3000m級の高峰を目指すのだ。不安はある、が二人で行けば大丈夫だとも思っている。
翌朝、車内で仮眠を取り、ファミレスで休憩してから松本の駅前に車を置き、タクシーで合戦尾根の登山口まで行った。温泉もあるので人出が多い。
合戦尾根は北アルプス三大急登に数えられるが、それほど難しくはなかった。ただし距離があり徹夜明けにはきつい。隙間の無い曇天で眺望も悪い。富士見台に着いても富士山は見えなかった。
眺望が改善したのは稜線に出たあたり。
森林限界を超え、雲より高度を上げ、遮るものがなくなり、一気に視界が開けた。近くには燕山荘と燕岳、遠くには大天井岳と槍ヶ岳が、そして槍ヶ岳まで延々と続く稜線が見える。その燕岳から槍ヶ岳の縦走ルートは表銀座と呼ばれ、北アルプス随一の人気ルートである。その理由が一目でわかった。眺望が素晴らしすぎる。稜線に出ると心地よい風が吹いていた。
なんと言うか、やる気が出る。
「すごいな」修三は言った。
「うん」陽介も頷いた。
燕山荘に投宿して併設の展望台で写真を撮ったり休憩した後、少し歩いて燕岳へ向かった。白砂とゴマを散らしたような花崗岩のコントラストが美しい。花崗岩は多く奇抜な形状をしている。大勢の登山者で賑わっていた。
近くには駒草が群生していた。小さな株に桃色の可憐な花をつけ、砂地強風の高地でもへこたれない、外見によらず強靭な多年草の高山植物である。小さな株からは想像できない、1メートルほどもある深い根を張る。高山植物の女王と呼ばれているとは後年知った。
九州の九重連峰の法華院温泉山荘も大きかったが、燕山荘は上回る。客室も食堂も売店も規模が違う。多くの客室は畳敷きで2段の雑魚寝寝台が並んでおり、修三のすぐ横には関東からの若い登山者二人組が陣取った。夕食時には100人ほども食堂に現れたか。客が多すぎて夕食は数回に分けられていた。この頃から修三は頭が痛くなってきた。夕食はカレーだったが、あまり楽しむことができなかった。陽介はそれでほどでもなさそうだった。やはり疲れていたのだろう。汗を掻きすぎてもいたのだろう。修三は早めに引き上げてすぐに寝た。
たくさん寝て翌朝起きたら、修三は完全に回復していた。
隣の関東からの二人組は、昨夜星空を眺めていたらしい。そのために関東から来たというのだ。
星か、修三にはひとつの記憶がある。幼少時の初もうでの光景だ。朝4時くらいに出雲大社へ出発する直前に庭で見上げた北斗七星が異様な鮮やかさだったのが今も忘れられない。死兆星は見えなかった。この山の上で見る星も同じような光景を見せてくれるのだろうか。
その二人はこれから下山して帰るとのこと。色々な趣味の人がいるものである。




