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カラミティロア  作者: 内藤はると
円環に連なる者
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 その事件は新しい年が明けてひと月もせぬうちに起こった。

 ブルックリン市内にあるオフィスビルが突如としてテロ集団と思われるグループに占拠され、約二十四名の社員が人質とされたのだ。

 事件が発覚したのは午後五時半。取引先の商社が幾度となく電話をかけるもなんの応答もなく、使いの人間を送ったところ一階のロビーで警備員が死亡しているのが発見された。

 通報を受けたニューヨーク市警が現場に向かうのと時を同じくしてビル内部から警察へと電話がかけられる。突入した場合人質を残らず殺す――犯人と思われる男はそう告げた。警察側が要求を聞いたが、ただ時を待てと言ったきりだ。

 人質の安否も確認できぬまま、警察はただ犯人の次なる動きを待つためにビルを包囲するしかできなかった。



 以上の概要を説明しながら、現場の指揮を執っていたハリス警部は困惑した顔を浮かべていた。上層部から彼に下されたのは待機命令であり、事件解決のために派遣される特殊部隊の到着を待つよう指示された――そこまではよかった。

 だが待機の末に現れた機動部隊はさっさと現場周辺に散ってしまい、ハリスの前で状況確認を始めたのはたった三人の男女だけだった。おまけに今話しているのは今年二十になる自分の娘とさして変わらぬようにしか見えない若い女である。

「――といった状況なんだが。ええと、あんたは?」

「セレン=リングフォート。セレンと呼んでくださって結構です、警部」

 落ち着いた口調で女が名乗った。

 カシミヤ生地のロングコートとタイトなスーツという出で立ちをしている。身長は百七五ほどだろう。ブラウンの髪は癖一つなくまっすぐに腰のあたりまで伸び、前髪を眉のあたりで切り揃えている。

 ティアドロップフレームのサングラスで目元は隠れているが、整った鼻筋や口元から容易に彼女の美しさが見て取れる。なぜか左手にビリヤードのキューを思わせる長いロッドを持ち、地面についていた。

「大体の経緯はわかりました。現在の時刻が二十時――事件発覚のタイミングから考えても発生から五時間以上経過していると考えるのが妥当でしょう」

 セレンと名乗った女はサングラスのフレームを指で押し上げながら現場に顔を向けた。

「クク、だったらもう待ってる意味なんぞねーだろ。人質なんぞ一人残らず殺されてるさ――なぁグリム?」

 セレンの背後、パトカーのボンネットに腰を下ろしていた細身の男が喉を鳴らすように笑い、目の前に立つ巨漢を見上げた。

 細身の男は短く刈り込んだ髪も顔色さえも真っ白な優男で、手足が非常に長い。眼の下には薬物中毒者ジャンキーのような隈が浮き出ていて、見るからに不健全な印象を受ける。特殊繊維のシャツとジャケットを着ているが、荒事に向いているようには見えない。肘のあたりまで覆うゴテゴテとしたグローブをはめ、奇妙な形状のホルスターを腰からいくつもぶら下げている。

 対してグリムと呼ばれた巨漢は丸太のような腕を組み、細身の男の言葉に賛同も否定もせずじっと事件現場のビルを見上げていた。身長は百八〇程度だろうが、全身を覆う分厚い筋肉が男を巨大に見せている。軍人というよりレスラーに近い体躯だ。

 前髪以外を後頭部で縛った波打つ黒髪、がっしりとした輪郭と彫りの深い顔立ち、そしてヒスパニックらしい浅黒い肌をしている。幅の広いスポーツタイプのサングラスで目元が覆われているので表情は読みとれない。

 拳に過剰なほどゴツいグローブをはめ、肘にもぶ厚いサポーターを巻いている。だが銃器のたぐいは装備していないようだ。

「黙りなさい、シャル」

 セレンが肩越しに細身の男を振り返り、鋭い口調で咎める。細身の男は口元を歪めたまま肩をすくめるような仕草をした。

「失礼。ですが人質の安否が確認されない以上手をこまねいているのは得策ではありません。早急に突入の必要があるようです」

「セレンさん、そんなことはわかってる。だが上からその指令が来ない以上どうすることもできないんだよ」

「あなた方は周辺の封鎖と警備に徹してくだされば結構です。ビル内部には我々だけで突入しますので、くれぐれもその間は近付かないよう配慮を」

 セレンが左手に持ったロッドで二、三度地面をコツコツと鳴らし、周囲の警官隊を見渡すように顔を巡らせた。

「冗談はよせ、そんな指令は出てない! それに一緒に来た特殊部隊の連中は?」

「彼らには警官隊の補佐と警護の任に就いてもらいます。万が一ビル内の対象が逃げ出した際の保険ですね。それと指揮権は既に私の手に移っていますので失敗してもあなたの落ち度ではありません――有り得ませんが」

 セレンは冷然として言い放ち、何かを探すように周囲に顔を巡らせた。

「あと一人来るはずですが到着が遅れているようですね。とはいえこれ以上待つわけにもいかないようです」

 ため息をつきながらサングラスを外したセレンを見て、ハリスはギョッとした。サングラスの下から現れたセレンの両目は瞼が下り、固く閉ざされていたからだ。同時に彼女が手にしていたロッドの意味も理解する。

「おい、あんたその目はまさか――」

「全盲ですわ。ですがあなた方よりずっと良く()えていますのでご心配なく。先ほどから警部が私に向けていた、こんな小娘で大丈夫か――という視線もね」

 イタズラっぽい笑顔を口元に浮かべたセレンにハリスは言葉を失った。あてにしていた増援がたったの三人。しかもそのうちの一人は身体障害者ときている。これは悪い冗談かと、彼でなくてもそう思うだろう。

「グリム=リングジェイル」

 セレンが凛とした声を上げると、巨漢の男が組んでいた両腕を下ろして前に進み出る。大地を踏みしめるかのような力強い歩調だった。

「シャルル=リングレイザー」

「へいへい」

 細身の男が軽く答えてボンネットから飛び降りる。足音を一切立てない、まるで羽のような身の軽さだ。

「指定時刻は過ぎてるわ。姿を見せないということは帰還が遅れているか、あの子の悪い癖が出たんでしょう。予定通り私たちだけで――」

 そこで言葉を区切り、セレンは通りの先に顔を向けた。ハリスが釣られてそちらに顔を向けると、若い警官が走ってくるのが見えた。どうやら通りを封鎖していた警官達がなにやら騒いでいる様子だ。

「警部。なんか変な女の子が来て、通してくれって騒いでるんですが――」

 このややこしい時に――ハリスは頭を抱えたくなった。

「――女の子ォ?」

「はい。結構かわいい娘です」

 新米らしい若い警官が口元を緩めながら答える。セレンがハリスの傍を通り抜けて言った。

「その娘、銀色の髪をしていて大きな目をした?」

「え? あ、そうです!」

「――通してやってください。うちの隊員です」

「は、はい!」

 セレンが持つ独特の迫力に圧されたか、若い警官が背筋を伸ばして答える。やがて警官隊をかき分けるようにして一人の女の子が走り出てきた。

「セレン姉さん! それにグリムにシャル、ただいま!」

 真っ赤なダッフルコートを着た女の子は一同を見回し、眩しいほどの笑顔で溌剌とした声を上げた。街頭の光を浴びてキラキラと輝くプラチナブロンドの髪を揺らしながらセレンの前で立ち止まり、肩で大きく息をつく。

 前髪の奥で輝く大きなグレーの瞳、さして高くはないが形のいい鼻、ぷっくりした赤い唇。さして彫りの深くない顔立ちがかえって彼女にビスクドールのような愛らしさをもたらしている。身長はかなり低く、百七〇にも届かないだろう。

 なるほどさっきの警官が一言付け足した気持ちが理解できるほどに可愛らしい――現実味のない美少女だった。

「チッ――相ッ変わらず緊張感のねぇ」

 シャルルが呆れたようにいって顔を背ける。グリムは何も言わなかったがかすかに頷いて返答したようだった。

 女の子はセレンを見上げる。セレンは口元を引き締め、娘を咎める母親のような顔つきで立っていた。女の子がハッとしたように背筋を正し、敬礼の姿勢をとった。

「し、失礼しましたセレン特務佐官! ステラ=リングハート、演習を終えてただいま戻りました」

 ステラと名乗った女の子のぎこちない敬礼に、セレンは漏らしかけた笑顔をすぐに消し去った。

 この盲目の女が? 特務佐官と聞いてハリスは首を傾げる。特務佐官とは特別状況下においてのみ警察をはじめとして特殊部隊、および陸海空軍に対して将官同等の権限を持つ特別階級である。公の職務ではないため数自体も多くはないはずだ。 

「ご苦労でしたステラ。早速だけどこれは実戦、気を入れなさい。準備はいい?」

「わ、ちょっと待ってください!」

 ステラは慌てて持っていた軍用バッグを下ろし、コートを脱いだ。あらかじめ着込んでいた特殊繊維のシャツ越しに豊かな胸のラインがくっきり浮かんでおり、周囲の警官達の視線を集める。バッグから取り出したジャケットを着込み、腰の左右に形状の異なるホルスターを取り付けた。鉈のように大きなナイフと、もう片方は大型の射出式スタンガンだ。

 ステラの着替えが終わるのを待っていたセレンが着ていたコートを景気よく脱ぎ捨てる。空中で広がったコートは風に吹かれ、ハリスの頭へと覆い被さった。

「わっぷ――なにをする!?」

「あら失礼。少しの間上着を預かっていてくださる?」

 両手を頭上に上げて伸びをしながらセレンが微笑む。彼女のスーツは両肩と袖が分かれており、肩口から伸びる革紐で袖を吊り下げているという奇妙なデザインだ。ボディラインが見て取れるほど身体に密着したスーツの隙間から白い二の腕がのぞき、露出が少ないにもかかわらずひどく扇情的に思える。

 腰には革製のファッションベルトがやや斜めに巻かれていて、先程まで手に持っていたロッドを鋭剣のように差していた。

「おい、まさか本当にあんた達だけで乗り込む気か? 犯人グループの人数すらつかめてないんだぞ? 正気の沙汰じゃあない」

「私たちが派遣された意味ならばあとで上層部にでも問いただしてくださいな。一刻を争いますので失礼」

 ヒールを鳴らしてビルへと歩き出したセレンをシャルルとグリムが追従する。その後ろ姿を見ていたハリスの袖をステラが引いた。

「すいません、私の荷物もお願いします」

 ハリスが差し出されたバッグを思わず受け取ると、ステラはペコリと頭を下げ、三人を追って駆けていく。ステラが後ろにつくのに合わせ、セレンが高らかに声を響かせた。


処理要請ブレイクオーダーは下りました。これより現場は我ら生物災害対策特務室リングが制圧します」

 

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